間羅の国編27話「いい親子だね」
喫茶店「ローズ」とは別の、静かな茶屋。
畳の香りが漂う店内には、戦いを終えた者たちが集まっていた。傷を負った者も多く、皆どこか疲れた様子ではあるものの、ひとまず全員が戻ってきたことに安堵していた。
アレクシアたちと合流したエドワードは、いつもの燕尾服姿のまま、すっかりくつろいでいた。
「よかったですね!全て一件落着で!」
その言葉が響いた瞬間。
「……は?」
次の瞬間、美琳の拳が颯太の顔面にめり込んだ。
「ぐはっ!」
颯太は勢いよく後ろにのけぞり、畳の上に倒れ込んだ。
「バカ!!まだなっちゃんの処分とか決まってないし、まだやること山積みなのにそう簡単に言わないでよ!!」
「い、いや……だって、九条玄斎との戦いも終わって、霧島さんと夏芽さんも再会できて……」
「それとこれとは別でしょ!!」
「す、すみません……!」
「まったく……。なんでそこで一件落着なんて言葉が出てくるのよ……!」
美琳は額に手を当て、深々とため息をついた。
その様子を見ていたアレクシアは、頬杖をつきながら苦笑する。
「まあ、美琳の言うとおりね。戦いが終わったからといって、全部が解決したわけじゃないもの」
「おやおや。颯太、ずいぶん景気よく殴られたねぇ」
「アルフレッドさん……笑わないでください……」
「いやぁ、無理だよ。今のは君が悪い」
「同感だね。物事を終わったことにしたいなら、せめて後始末が終わってから言うんだね」
「エドワードさんまで……!」
「何だい。不満かい?」
「い、いえ……」
颯太はそれ以上何も言わず、顔を押さえながら座り直した。
その一方、少し離れた場所では、ガブリエルが夏芽に問いかけていた。
「しかし、夏芽さん。本当に警護隊を辞めるんですか?」
「はい。実は、私だけじゃないんです。ロウさんも退職することになって」
そう言って、夏芽は隣に座っているロウへと視線を向けた。
ロウは全身に負った傷の手当てを受け、静かに座っていた。普段から無口な彼だが、今はいつも以上に動きが少ない。
今回の戦いで、ロウもまた相当に重い傷を負っていた。
「ロウさんもですか……」
「はい。今回のことだけが理由ではありませんけど……これからのことを考えて、二人とも退職することになりました」
「ロウさん……これからは、少しゆっくり休んでくださいね。無理は絶対に駄目ですよ?」
ロウはすずらへと視線を向け、わずかに頷いた。
「……約束ですよ?」
ロウはもう一度、小さく頷いた。
「お前の場合、その頷きがどこまで信用できるかが問題なんだよな……」
ロウは無言でジンドウを見た。
「いや、睨むな。事実だろうが」
「ほんっと、ロウって自分のことになると何も言わないんだから……」
「……私も、人のことは言えませんけどね」
「なっちゃんは特にね!」
「……はい」
即答だった。
「そこは否定しなさいよ!」
夏芽は少しだけ困ったように目を伏せた。
そのやり取りを聞いていたアレクシアは、夏芽の表情を静かに観察していた。
戦いの前と比べれば、彼女の顔には確かな変化があった。
すべての問題が解決したわけではない。
それでも、長い間抱え続けてきたものを、ほんの少しだけ誰かと分け合えたのだろう。
「夏芽」
「はい?」
「これからは、自分のこともちゃんと考えなさい。誰かを守ることばかり優先して、自分を後回しにするのは禁止よ」
「……はい」
「本当に分かっているのかしらね」
「……努力します」
「よろしい」
そう言いながらも、アレクシアの口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。
一方、茶屋の別の一角では、沈博が霧島に声をかけていた。
「親父。他の組の連中の奴らにはなんで説明するんだ?」
霧島は茶を手にしたまま、少し考えるように目を伏せた。
「特に言うことはない。まあ、九条玄斎に全て押し付けるつもりもない」
「……そうか」
「九条が何を考え、何を背負っていたのか。それは俺たちが勝手に決めつけていいことじゃねえ。ただ、あいつがやったことの責任まで、死人に全部背負わせるつもりもない」
「親父らしいぜ」
「そうか?」
「ああ。面倒なことから逃げねえところがな」
「……お前に言われると、褒められてる気がしねえな」
「褒めてんだよ」
「なら、もう少し言い方を考えろ」
「無理だな」
霧島は小さく息を吐いた。
その様子を見ていた紫鈴は、手を口元に当てて笑った。
「フフフ……素直じゃないアルなぁ」
「お前は黙ってろ」
「嫌アル」
「……はぁ」
いつもの調子で言い合う二人を見て、霧島はわずかに口元を緩めた。
その頃、エドワードはというと、源蔵の膝枕でだらりと横になっていた。
燕尾服の裾を気にも留めず、片腕を頭の横に置き、すっかり休憩する気満々である。
外からの声が聞こえる。
「九条玄斎の話題ばかりだよね!」
「そうだね。そのせいなのか、わからないけど、ロウPの新曲も延期しちゃったしね」
「もう!楽しみにしてなのに!」
「まあまあ、それじゃ、気を取り直して…動画再生ランキング発表しますね!」
ミツキの不満そうな声と、ミツキを宥めるコノハの声が聞こえる。
九条玄斎の話題がもう広がっているのかと、少々呆れるものだ。
「……お前さん、本当にくつろいどるな」
「そりゃそうだろう。戦いが終わったんだ。いつまでも気を張っている必要はないさ」
「いや、そういう問題かのう……」
「何だい。不満かい? 膝枕くらいしてくれてもいいだろう」
「別に構わんが……お前さん、もう少し年寄りらしい遠慮というものをだな」
「僕も十分に年寄りだよ。七十歳だ」
「年齢を盾にするな!」
「ははっ」
エドワードは楽しそうに笑った。
源蔵は呆れたように頭を振ったものの、結局、膝を貸したままでいた。
しばらく二人は、周囲の会話を聞きながら静かな時間を過ごしていた。
やがて、源蔵がふと思い出したように口を開く。
「ところで、エドワード」
「ん?」
「お前さんからすると、夏芽と霧島はどんな風に見える?」
エドワードはすぐには答えなかった。
横になったまま、少し離れた場所にいる二人へと目を向ける。
霧島は沈博たちと話をしていた。表情はいつもどおり険しく、口調もぶっきらぼうだ。
その少し先では、夏芽が仲間たちの話に静かに耳を傾けている。時折、美琳に何かを言われて困ったような顔をしながらも、以前より柔らかな表情を浮かべていた。父親と娘。
長い年月を経て、ようやく同じ場所で向き合うことができた二人。
「あ? そうだねぇ」
彼はいつもの調子で、気の抜けた声を出した。
「優しくて、不器用で、普通で、誰よりも素敵な親子だよ」
「……普通、か」
「そう。普通だよ」
「裏社会のボスと、凄腕の剣士がか?」
「肩書きなんて、どうでもいいだろう?」
源蔵は黙ってエドワードの顔を見下ろした。
エドワードは天井を眺めながら、穏やかな声で続けた。
「霧島は、娘を守りたかったんだろうさ。自分がどれだけ嫌われようと、恨まれようとね。自分が傷つくことには慣れていても、娘が傷つくことには耐えられなかった。……まあ、そのやり方が正しかったかどうかは別だけど」
「……ああ」
「一方の夏芽も、自分の父親をずっと気にかけていた。会いたくて、話したくて、きっと言いたいことだって山ほどあったはずだ。それでも、あの子は父親を責めるより先に、抱きしめた」
「……本当に、よく似た親子じゃのう」
「そうだね。お互いに相手を大事にしすぎて、肝心なところで不器用になる。まったく、面倒な連中だよ」
「お前さんが言うと、説得力があるのう」
「おや。僕はあんなに不器用じゃないよ」
「どの口が言うんじゃ」
「この口だよ」
「まったく……」
源蔵は呆れながらも、どこか楽しそうに笑った。
エドワードもまた、口元に小さな笑みを浮かべる。
そして、もう一度だけ夏芽と霧島の方を見た。
二人の間には、まだ埋めなければならない時間がある。
謝らなければならないことも、伝えなければならないことも、きっと残っている。
それでも、これから先の時間は二人で積み重ねていける。
「……ま、これからだろうね」
「何がじゃ?」
「親子ってのは、再会して終わりじゃない。そこからまた、始まるんだよ」
源蔵は静かに頷いた。
「……そうじゃな」
「だから今くらい、休ませてくれよ。僕はもう疲れた」
「さっきまで人の膝でだらけとったじゃろうが!」
「それとこれとは別さ」
「都合のいい男じゃのう!」
「よく言われるよ」
二人のやり取りに、近くにいた何人かが思わず笑みをこぼした。
戦いは終わった。
だが、誰もが抱えている問題が、すべて消えたわけではない。
それでも今、この茶屋には、確かに安らげる時間が流れていた。
「……いい親子だな」
「そうだね」
鷹司は茶を一口飲み、静かに夏芽と霧島を見つめた。
「いい親子だね」




