間羅の国編21話「君の偽りの強さよりも」
扉の向こうにいたのは――霧島だった。
しかし、その姿は以前の彼とはまるで違っていた。
黒いシャツも羽織もところどころ破れ、身体には無数の傷が刻まれている。立っていることさえ不思議なほど、満身創痍だった。
「……え……」
夏芽の目が大きく見開かれる。
「霧島……?」
その声に、源蔵も息を呑んだ。
「な、なんじゃ……あの有様は……」
花都も、いつもの明るい表情を完全に消していた。
「……嘘でしょ……」
治郎は無言のまま霧島を見つめる。細められた目の奥に、明らかな驚きが浮かんでいた。
そして――夏芽は気づいた。
霧島がここまで傷ついている理由を。
「……まさか……」
夏芽が振り返る。
廊下の向こうには、九条玄斎がいる。
「九条玄斎と……戦ったの……?」
霧島は答えない。
ただ、苦しそうに息を整えながら、夏芽を見つめていた。
霧島は、傷だらけの身体を壁に預けながら、ゆっくりと顔を上げた。
「……夏芽……」
その声を聞いた瞬間、夏芽の胸が大きく揺れる。
23年。
ずっと会えなかった父親が、今、目の前にいる。
霧島は何かを伝えようと、震える息を吐いた。
「俺は……この23年間……お前に言えなかったことが……」
掠れた声だった。
「……いろんなものを……背負ってきた……。さっきまで、あいつとも……戦っていた……」
霧島は九条玄斎のいる方向へ一瞬だけ目を向ける。
「……全部……俺の問題だ。だから――」
「お父さんが23年間、いろんなものを背負っていたなら……」
夏芽が霧島の言葉を遮った。
そして、まっすぐに父を見つめる。
「次は私の番です!」
夏芽は霧島の腕を自分の肩へ回した。
「……夏芽?」
「行きましょう、お父さん」
傷ついた霧島の身体を支えながら、夏芽は立ち上がらせようとする。
霧島は驚いたように目を見開いた。
「バカ野郎……やめろ…」
「嫌です」
夏芽は即答した。
「今度は、私がお父さんを連れて帰ります」
その言葉に、霧島は何も言えなくなった。
23年前には小さかった娘が――今、自分を支えようとしている。
その姿を見つめながら、霧島は拳を握りしめた。
「もう、置いていきません」
夏芽の声は震えていた。
それでも、手は離さない。
「二十三年も待ったんです」
霧島は黙って夏芽を見る。
「今度こそ、一緒に帰りたいです」
しかし、霧島はゆっくりと首を横に振った。
「……まだ終わってねぇ」
「……」
「九条玄斎との決着がついてねぇんだ」
霧島は傷ついた身体を起こそうとする。
「俺は……最後まで戦いたい」
「お父さん……」
「ここで逃げたら……俺はまた何かを置いていくことになる」
霧島は夏芽を見る。
「だから……行ってくれ」
夏芽は黙っていた。
そして――ゆっくりと首を横に振った。
「……嫌です」
「……何?」
夏芽は腰の刀へ手を添える。
「だったら、私も戦います」
霧島の表情が変わる。
「夏芽、お前……」
夏芽は父親の目を真っ直ぐ見た。
「私も、警護隊の隊員です」
刀を抜く。
「そして――あなたの娘です」
静かな声だった。
けれど、その言葉には一切の迷いがなかった。
「だったら、私も戦います!」
夏芽は刀を構える。
「お父さん!」
霧島はしばらく娘を見つめていた。
やがて――ほんの僅かに口元を緩める。
「……そうか」
その声は、二十三年前に離れ離れになった父親の声と同じだった。
「……大きくなったな、夏芽」
夏芽の目から、涙が一筋こぼれた。
薄暗い廊下に、エドワードと九条玄斎だけが残されている。
遠くからは、夏芽たちが霧島を連れて移動していく気配がわずかに聞こえていた。
九条玄斎は、その気配には目もくれない。
ただ、目の前に立つエドワードだけを見ていた。
「……娘を逃がしたか」
玄斎が静かに呟く。
エドワードは答えない。
白い手袋を嵌めた右手を、ゆっくりと腰へ伸ばす。
そして――
カチン。
鞘から刀を抜き放った。
銀色の刀身が、薄暗い廊下の光を受けて鋭く輝く。
エドワードは刀を構えた。
その姿からは、普段の喫茶店の穏やかな老人の面影が消えていた。
かつて「蒼刃」と呼ばれた男。
九条玄斎の鋭い視線と、エドワードの冷たい青い瞳が真正面からぶつかる。
しばしの沈黙。
そしてエドワードは、静かに口を開いた。
「君のその偽りの強さよりも――」
刀をわずかに下げ、腰を落とす。
「本物の強さを見せてやるよ」
玄斎の目が細くなる。
廊下に、張り詰めた静寂が落ちた。
エドワードは刀を構えたまま、九条玄斎から一瞬たりとも目を逸らさなかった。
静かな声が、薄暗い廊下に響く。
「君の言う『絶対的な強さ』というものが、いったい何なのか……僕には理解できないね」
玄斎は黙っている。
エドワードは刀の切っ先をわずかに動かした。
「誰かを倒すことか。誰よりも強くなることか。それとも……誰にも頼らず、誰も守らず、ただ一人で立ち続けることか」
「…………」
「もし、それが君の求める強さなら――」
エドワードの青い瞳が鋭くなる。
「そんなものは、ただの孤独だ」
玄斎の眉が僅かに動いた。
「強さというものはね……自分一人で証明するものじゃない」
エドワードは静かに一歩踏み出す。
「守りたいものがあるから立つ。背負うものがあるから倒れない。そして……自分より大切な誰かを、生きて帰すために戦う」
刀身が、わずかに光を反射する。
「僕は、そういう強さを知っている」
そしてエドワードは、冷静に言い放った。
「だから君に教えてやるよ、九条玄斎。本物の強さっていうものをね」




