間羅の国編19話「なっちゃんを思ってくれる人、私以外にもいてくれて」
ロウが倒れたことで、部屋の空気が一変した。
すずらは必死にロウの状態を確認しながら、ふと胸の奥に浮かんだ名前を口にしそうになる。
「……なっちゃん……」
美琳も同じだった。
「なっちゃん……」
ジンドウだけは、低く呟く。
「……夏芽」
三人とも、そこで動きを止めた。
――なぜ、自分たちは今、夏芽の名前を思い浮かべたのか。
もちろん、夏芽は頼れる仲間だ。
だが、それだけではない。
前線で迷ったとき。
危険な状況になったとき。
誰かが判断に困ったとき。
いつの間にか、夏芽に任せていることが多かった。
美琳は歯を食いしばる。
「……私たち、今まで……」
ジンドウも拳を握る。
「……夏芽に頼ってばっかだったのか」
すずらはロウの処置を続けながら、静かに目を伏せた。
「……わたしも、そうだったんですね」
そのときだった。
沈博が三人を見据えた。
「だからお前らは変わらねぇんだよ!」
鋭い声が響く。
美琳が顔を上げる。
「……兄貴?」
沈博は一歩踏み出した。
「いいか!」
そして、ジンドウの前へ迫る。
「強くなりてぇなら、人に頼ってばかりするんじゃねぇよ!」
強烈な蹴りがジンドウへ入る。
「ぐっ……!」
ジンドウが大きく後退する。
美琳が驚いて沈博を見る。
「ジンドウ!」
「来るな!」
ジンドウは踏みとどまり、沈博を睨み返した。
沈博は冷静だった。
「仲間を頼ること自体が悪いんじゃねぇ」
「……」
「だがな、自分で立つことまで他人に任せるな」
その言葉に、美琳は黙り込んだ。
すずらもロウのそばで手を止めず、沈博の言葉を聞いていた。
沈博は続ける。
「夏芽に頼るなとは言ってねぇ。あいつだって仲間を頼るだろうよ」
「……」
「だが、お前ら自身が強くならなきゃ、いつまで経っても同じだ」
美琳は拳を握る。
悔しい。
反論したい。
けれど――言い返せなかった。
「……くそ兄貴」
小さく呟いた美琳の目には、先ほどまでとは違う光が宿っていた。
「言ってることだけは……ムカつくほど正しいじゃん」
ジンドウも立ち上がる。
「……だったら、俺たち自身でやるしかねぇな」
すずらはロウを見てから、静かに頷いた。
「はい。まずは、ロウさんを守ります」
三人はそれぞれ、自分の足で立ち直した。
美琳は強く拳を握りしめた。
「だから!」
声が部屋に響く。
「兄貴と紫鈴を倒す!」
美琳は真っ直ぐ二人を見据えた。
「なっちゃんを……お父さんに会わせる!」
その声には、迷いがなかった。
「そう、自分で!勝手に約束したんだもん!」
美琳はサイバー銃を構える。
「だったら――私がやる!」
そのまま紫鈴へ向かって駆け出した。
「美琳!」
ジンドウが叫ぶ。
だが――。
紫鈴は攻撃を避けようとしなかった。
美琳が目の前まで迫った、その瞬間。
紫鈴は両腕を広げ――美琳を抱きしめた。
「……え?」
美琳の動きが止まる。
紫鈴はそのまま、美琳を大切にするように抱きしめる。
そして、ゆっくりと頭を撫でた。
「よかった」
「……紫鈴?」
紫鈴の声は、先ほどまでの戦闘時とはまるで違っていた。
「なっちゃんを思ってくれる人、私以外にもいてくれて……」
美琳は何も言えなくなった。
紫鈴は、美琳の髪をそっと撫で続ける。
まるで母親が、大切な子どもを安心させるように。
「……ずっと心配だったアル」
「……」
「なっちゃんは、ずっとお父さんに会いたがってる。私も、それを知ってたヨ」
美琳の目が揺れる。
「だから……」
紫鈴は少しだけ微笑んだ。
「ありがとう、美琳」
美琳は拳を握ったまま、動けなくなった。
「……なんだよ、それ」
その声は、さっきまでの強気なものではなかった。
「急にそんなこと言うなよ……」
その少し離れた場所で、沈博が小さく息を吐く。
「はぁ……お前たちもか」
ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「俺らもだよ」
煙を吐き出しながら、沈博は静かに続けた。
「親父を…娘の夏芽に会わせたい。その一心だったんだよ」
ジンドウが沈博を見る。
すずらも黙って聞いている。
沈博は視線を落とした。
「親父も……分かんなくなったんだろうな」
一度言葉を切る。
「娘を守るやり方。これで合ってるのか、間違ってるのか」
その言葉に、美琳の表情が変わった。
紫鈴も美琳を抱いたまま、静かに沈博を見る。
沈博はタバコを持ったまま、遠くを見るように呟いた。
「俺たちだって、夏芽に親父を会わせたかった」
そして、沈博は美琳へ視線を戻す。
「だからこそ、お前らが夏芽のために動いてるって分かって……少し安心したんだよ」
美琳は紫鈴の腕の中で、俯いた。
「……だったら、最初から言ってよ」
「言える状況じゃなかっただろ」
「それでも!」
美琳は顔を上げる。
「私たち、ずっと敵だと思ってたじゃん!」
沈博は少し黙ってから、答えた。
「……悪かったな」
美琳は驚いたように兄を見る。
その場に、しばらく静かな沈黙が流れた。
沈博は煙を吐き出すと、部屋の隅で倒れているロウへ視線を向けた。
「……あのデカいやつは、俺たちがなんとかするから」
美琳たちへ向き直る。
「お前達はいけよ」
美琳が目を見開く。
「……兄貴?」
「夏芽のところへ行け。あいつには、まだお前らが必要だろ」
紫鈴も頷いた。
「そうアル。ここは私たちに任せるネ」
すずらはロウの状態を確認しながら、沈博を見る。
「……本当に、任せてもいいんですか?」
「ああ」
沈博は短く答えた。
「こいつをこれ以上戦わせるつもりはねぇ。そっちは任せろ」
ジンドウも沈博を睨む。
「……信用していいんだな?」
「信用するかどうかは好きにしろ」
沈博は淡々と言った。
「ただ、今は時間がねぇ」
美琳は少し迷ったあと、頷いた。
「……分かった」
そして、大和を見る。
「大和。あんたも来て」
「お、おう!」
大和はすぐに立ち上がった。
しかし――。
「……っ」
足元がふらつく。
さっきの戦闘で何度も攻撃を避けきれず、身体には疲労が溜まっていた。
大和は壁に手をつく。
「大丈夫か?」
ジンドウが声をかける。
「大丈夫……だ」
そう言ったものの、明らかに無理をしていた。
美琳は大和を見る。
「……」
そして、とうとう口にしてしまう。
「……やっぱり、足手まといだったじゃん」
「うっ……」
大和の顔が固まる。
「さっきは強がってたけど、実際そうじゃん……」
「……」
大和は何も言い返せなかった。
悔しそうに拳を握る。
「……分かってるよ」
その声は小さかった。
「俺が弱いことくらい……分かってる」
美琳は一瞬だけ黙る。
だが、すずらが優しく声をかけた。
「大和さん」
「……?」
「弱いことと、役に立たないことは同じではありませんよ」
大和が顔を上げる。
すずらはロウの処置を続けながら、穏やかに言った。
「今は、できることをしてください。それだけで十分です」
「……できること」
大和は小さく呟いた。
沈博も大和を見る。
「だったら、夏芽のところへ行ってやれ」
「……!」
「お前ができることは、戦うことだけじゃねぇだろ」
大和はしばらく黙っていた。
そして、拳を握り直す。
「……分かった」
美琳も頷く。
「行こう」
「おう」
二人が廊下へ向かう。
その背中を見ながら、紫鈴が小さく笑った。
「……これで少しは、前に進めるアルね」
沈博は煙を吐き出す。
「そうだな」
そして、倒れているロウへ目を向けた。
「さて……」
沈博の表情が変わる。
「こいつをどうするかだ」




