間羅の国編15話「まだ、終わっていない」
間羅の国の、とある古い屋敷。その一室には、アーサー、九条玄斎、霧島、沈博、紫鈴の五人しかいなかった。
部屋の空気は重い。
霧島は壁際に座り、煙草を咥えていた。白い煙がゆっくりと天井へ昇っていく。
向かい側では、アーサーがいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「いやぁ……それにしても、アレクシアは本当に素晴らしい子だよね」
その声には、老人らしい柔らかさがあった。
だが、話している内容は異様だった。
「昔からそうだった。自分が何をすべきなのかを、自分で考えて決める。あの強いところも、少し困ったような顔をするところも……全部、僕はよく知っているよ」
アーサーは楽しそうに語り続ける。
「きっと今頃も、僕のことを探しているんじゃないかな。いや……違うかな。あの子は僕を嫌っているからね」
口ではそう言いながら、アーサーはニタニタと笑っていた。
「でも、いつかきっと分かってくれる。僕がどれだけアレクシアのことを大切に思っているのかをね」
霧島は煙草を灰皿へ押しつけた。
表情は変わらない。
だが、内心では明確な嫌悪を抱いていた。
(……反吐が出る)
アーサーの話を聞いているだけで、不快感が増していく。
霧島はアーサーを信用していない。
むしろ、心底嫌っていた。
アレクシア本人がどう思っているのかなど、この男には関係ない。
自分の中で作り上げた「アレクシア」という存在だけを見ている。
霧島はそれを理解しているからこそ、余計に気に入らなかった。
隣にいた紫鈴も、眼鏡越しにアーサーをじっと見ている。
「……聞いているだけで、頭痛くなるアル」
沈博がわずかに紫鈴へ視線を向ける。
「無理に聞くな」
「当然アル。こんな話、好きで聞いているわけじゃないヨ」
沈博はそれ以上何も言わなかった。
ただ、紫鈴が不快そうにしていることを察すると、自然に彼女の前へ少し身体をずらした。
そのときだった。
部屋の隅に座っていた九条玄斎が、ゆっくりと顔を上げた。
光の失われた灰色の瞳が、沈博のほうへ向く。
「……使えそうだ」
沈博の眉がわずかに動く。
「何がだ」
玄斎は答えない。
ただ、沈博を見つめながら、静かに続けた。
「あの男は……使えそうだ」
沈博は玄斎を見る。
その言葉の意味を測るように、しばらく沈黙した。
「……俺のことか?」
玄斎は答えなかった。
ただ、光のない目で見つめ続けている。
その視線に、沈博は明確な気味悪さを覚えた。
そして、無意識に紫鈴を庇うように一歩前へ出る。
「紫鈴。行くぞ」
「おや?もう行くアルか?」
「ここに長居する理由がない」
紫鈴はアーサーと玄斎を一度だけ見た。
「まあ、私も賛成ヨ」
二人が部屋を出ようとしたところで、アーサーが振り返った。
「じゃ、今日はここで失礼するね」
まるで何事もなかったかのような、穏やかな声だった。
アーサーは白いローブの裾を整える。
「また近いうちに会おう。まだ、話したいことはたくさんあるからね」
沈博は振り返らない。
「……そうか」
短く答えるだけだった。
霧島は黙って煙草を消す。
アーサーが部屋を出ていく。
その背中を見送りながら、霧島は低く呟いた。
「……あいつと長く話すと、ろくなことにならん」
九条玄斎は何も答えない。
ただ、閉じられた扉をじっと見つめていた。
やがて霧島は新しい煙草を取り出す。
火をつけ、煙を吐き出す。
「……厄介な奴らばかり集まったもんだ」
その声には、珍しくわずかな苛立ちが混じっていた。
九条玄斎は、誰にも何も告げなかった。
ただ静かに立ち上がる。
「……」
沈博が横目で見る。
「どこへ行く」
玄斎は答えない。
そのまま襖を開け、ゆっくりと外へ出ていった。
夜の間羅の街は静かだった。
古い町並みの中に、独自の機械設備から漏れる淡い光が点々と浮かんでいる。
玄斎はその中を、目的地があるのかないのか分からない足取りで歩いていく。
ふらり。ふらり。
足取りこそ不安定だったが、その身体には一切の無駄がない。
灰色の瞳には、相変わらず光がない。
「……」
玄斎は立ち止まった。
しばらく何もない路地を見つめる。
二十三年前の出来事。
鷹司を襲ったこと。
そして、今も続いている何か。
それらが頭の中にあるのかどうかすら、表情からは読み取れない。
やがて玄斎は、再び歩き始めた。
一方、屋敷の中。
沈博は玄斎が出ていった方向をしばらく見ていた。
「……あの爺さん、何を考えてる」
紫鈴が眼鏡を押し上げる。
「さあ? あの目を見ていると、何も考えていないようにも見えるアル」
「それが一番厄介だ」
霧島は煙草を咥えたまま、玄斎が消えていった扉を見つめていた。
「……放っておけ」
「ボス?」
「今のあいつを追う理由はない」
霧島は淡々と言った。
「ただし、何か起こしたら話は別だ」
沈博は短く頷く。
「……わかった」
その頃、玄斎はすでに屋敷から離れた場所まで歩いていた。
誰もいない道。
静かな夜。
玄斎は立ち止まり、遠くに見える間羅の街並みを眺める。
そして――
「……まだ、終わっていない」
誰に向けた言葉なのか。
玄斎自身にも分からないような、低い呟きだけが夜の街に消えていった。




