間羅の国編14話「(裏に奴がいるな)」
鷹司が横たわる民家の中に、しばしの沈黙が落ちていた。
エドワードは鷹司の顔を見つめながら、静かに目を細める。
(……裏に奴がいるな。アーサーの野郎が)
九条玄斎。謎の薬。二十三年前に現れた集団。
そして、アレクシアに異常な執着を見せるアーサー。
まだ確証はない。だが、これほど不自然な事柄が重なっている以上、エドワードは単なる偶然だとは考えていなかった。
そのときだった。
「なるほどな」
突然、民家の外から低い声が響いた。
エドワードが顔を上げる。アレクシアたちも一斉に振り返り、花都と治郎は警戒するように入口へ視線を向けた。
次の瞬間、戸口から大柄な男が姿を現す。
坊主頭に鍛え上げられた身体。無骨な装備を身につけたジンドウだった。その後ろには、顔の大半を包帯で覆ったロウ、チャイナ風の戦闘服に身を包んだ美琳、そして医療用の装備を携えたすずらが続いている。
「ジンドウさん!?」
颯太が驚いた声を上げる。
「って、なんで警護隊のみなさんが……」
ジンドウは室内を見回し、重傷を負った鷹司へと視線を向けた。
「話はだいたい聞いた。薬の件と、二十三年前の事件。こいつは思ったより根が深そうだな」
美琳が片目のバイザーを指先で軽く操作しながら、颯太の言葉を引き継ぐ。
「薬の件。まあ、こっちもそれなりに掴んでいたし」
彼女はそう言って、腰に手を当てた。
「ただし、あたしたちが掴んでいた情報も断片的。流通経路は複数に分かれてるし、薬そのものの解析データも不足してる。だから、ここで全部解決ってわけにはいかないね」
美琳の口調は軽い。しかし、その赤茶色の瞳には普段以上の鋭さが宿っていた。
夏芽は驚いた表情のまま、美琳たちを見つめている。
「美琳さん……あなたたちまで、どうしてここに?」
「どうしてって、そりゃあ……」
美琳は夏芽へ視線を向け、にやりと笑った。
「なっちゃんが勝手に危ない場所へ行ったからでしょ。しかも、警護隊の規律をいくつも破ってね」
「……っ」
夏芽の肩がわずかに強張る。
その横から、すずらが柔らかな笑顔で歩み寄った。
「なっちゃん、色々規律を破っちゃいましたね〜」
声音は穏やかだった。まるで、道端で落とし物をした相手に声をかけるような優しさすらある。
だが、その笑顔の奥には、逃げ道を与えない静かな圧力があった。
「無断で単独行動をして、警護隊の管轄外へ移動して、さらに危険な組織との接触までして……」
すずらは指を一本ずつ折りながら、淡々と続ける。
「報告書が、いっぱい必要になりますね〜」
「すずらさん……」
夏芽が気まずそうに目を逸らす。
「でも」
すずらは、ふっと表情を和らげた。
「無事でよかったです」
その一言に、夏芽は顔を上げた。
すずらは夏芽の前まで歩くと、怪我の有無を確認するように視線を動かす。
「あとで、身体の状態を確認させてくださいね。無理をしているようでしたら、ちゃんと休んでもらいます」
「……わかりました」
「はい。いいお返事です〜」
すずらは穏やかに微笑んだ。
その一方で、ジンドウは腕を組みながら夏芽を見つめていた。鋭い目つきの奥に、隠しきれない心配が滲んでいる。
「ったく。お前は昔から無茶ばっかりだな」
「ジンドウさんまで……」
「文句があるなら、まず生きて帰ってきたことを褒められるような行動をしろ。死にかけてから反省するんじゃ遅いんだよ」
乱暴な言い方だったが、夏芽を責めるというより、二度と同じ危険に飛び込ませないための言葉だった。
ロウは何も言わず、室内の隅に立っている。暗い琥珀色の瞳は、鷹司の状態、入口、そして周囲の人間を順番に確認していた。
すずらはそんなロウをちらりと見たあと、すぐに鷹司へと視線を戻す。
「それよりも、鷹司さんの容体を確認しますね〜」
彼女が近づくと、エドワードはわずかに身体をずらして場所を空けた。
「頼むよ。僕には医療の心得なんてないからね」
「エドワードさんが医療をしていたら、少し怖いですね〜」
「失礼だな。傷口を縫うくらいならできるさ」
「それは、できると言っていいのでしょうか〜?」
すずらは柔らかく笑いながら、医療ポーチを開いた。
そのやり取りを横目で見ていたアルフレッドが、口元を吊り上げる。
「へえ。警護隊まで来たってことは、いよいよ大事になってきたねぇ」
エドワードは答えず、入口の向こうへ視線を向けた。
アーサーの姿はない。
しかし、胸の奥にまとわりつく嫌な予感だけは、消えていなかった。
(……あの野郎が、何も関わっていないはずがない)
エドワードは白手袋を整え、静かに立ち上がる。
「美琳」
「なに?」
「君たちが掴んでいる薬の情報。あとで詳しく聞かせてもらうよ」
美琳は一瞬だけ真剣な顔になり、それから不敵に笑った。
「もちろん。そっちも、何か掴んでるんでしょ?」
エドワードは目を細める。
「さあね」
「その顔、絶対なんか知ってるじゃん」
「君は口が軽いねぇ」
「そっちは隠し方が露骨なんだよ」
美琳とエドワードの視線がぶつかる。
互いに一歩も引かない空気の中、ジンドウが大きく息を吐いた。
「話は後にしろ。今は情報を整理するのが先だ」
治郎はその様子を、いつもの穏やかな笑顔で眺めていた。
「外の国の警護隊?の皆さんも動いていたとは。これは、ますます興味深いことになってきましたね」
花都が治郎を横目で睨む。
「治郎。あんた、楽しんでない?」
「まさか。私はただ、事実を確認しているだけですよ」
「その顔で言われると、余計に怪しいんだけど」
室内に集まった者たちは、それぞれの思惑を抱えながら、二十三年前から続く謎へと向き合い始めていた。
そしてエドワードは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……アーサー。お前が裏にいるなら、今度こそ逃がさないよ」
すずらが鷹司の容体を確認している間、エドワードは静かに立ち上がった。
先ほどまで鷹司に向けていた柔らかな表情は、もう消えている。
深い蒼い瞳に宿っていたのは、長い年月を経ても決して鈍ることのない、冷たい決意だった。
エドワードは刀の位置を確かめ、ゆっくりと室内を見回す。
「それじゃ、僕はこの国で起こっていること、そして、夏芽の父親のこと、そして、鷹司をあんな目に遭わせたこと……全て終わらせてくるよ」
その言葉に、アレクシアが勢いよく振り返った。
「ちょっと!? 何考えてるのよ!」
エドワードは、いつものように軽く肩をすくめる。
「何って、決まってるじゃないか。調べに行くんだよ」
「調べに行くって、あんた一人で!? 相手がどんな連中かもわかってないのよ! 九条玄斎のことも、薬のことも、二十三年前の集団のことも!」
「だからこそ、僕が行くんじゃないか」
穏やかな口調だった。
しかし、その声の奥には、誰にも止められないほど強い意志があった。
アレクシアは唇を噛み、エドワードの前へ歩み寄る。
「エドワード。あんた、今の自分がどういう顔をしてるかわかってる?」
「さあね。いつも通りの、素敵な老紳士じゃないかい?」
「ふざけないで」
アレクシアの声が低くなる。
「怒ってるんでしょ。鷹司さんをあんな目に遭わせた奴に。夏芽の父親のことも、あの薬のことも……全部、自分で片づけようとしてる」
エドワードは答えなかった。
ただ、アレクシアを見つめる。
その沈黙が、何よりも雄弁だった。
アルフレッドは壁に寄りかかりながら、弟の横顔を眺めていた。しばらくして、軽く息を吐く。
エドワードはアレクシアから視線を逸らさず、静かに口を開いた。
「行かせてくれよ」
アレクシアの瞳が揺れる。
「今日はさ、喫茶店ローズの店員としてのエドワード・ハーヴィーじゃなくて……」
エドワードは白手袋を外し、懐へしまった。
そして、刀の柄に手を添える。
「蒼刃としてのエドワード・ハーヴィーとしてさ」
空気が変わった。
普段、ローズで怠けながらビリヤードを楽しみ、アレクシアに小言を言われ、アルフレッドとくだらない口喧嘩を繰り広げる老人。
その姿の奥に隠されていた、かつての暗殺者。
誰にも気づかれぬまま敵の懐へ入り込み、必要とあれば一切の躊躇なく任務を遂行してきた男。
蒼刃。
その名を知る者たちは、エドワードの変化を感じ取っていた。
夏芽は息を呑み、大和は無意識に拳を握る。
花都でさえ、先ほどの戦いとは別の緊張を覚えていた。
エドワードは、アレクシアへ向けてわずかに笑う。
「大丈夫。生きて帰ってくることを誓うからさ」
「……そんなの」
アレクシアの声が詰まる。
「そんなの、誓ったって……」
彼女は拳を握りしめた。
エドワードが危険な場所へ向かおうとしていることはわかっていた。彼がかつてどれほどの修羅場をくぐり抜けてきたのかも、アレクシアは知っている。
だからこそ、簡単に送り出すことなどできなかった。
「帰ってくるって言えば、私が安心するとでも思ってるの?」
「少なくとも、少しは安心してほしいね」
「できるわけないでしょ!」
アレクシアは声を荒らげた。
「鷹司さんが襲われて、夏芽のことも、変な薬のことも、何もわかってない。そんな状態で、あんたまで勝手に動いて……!」
「アレクシア」
エドワードが静かに名前を呼ぶ。
それだけで、彼女の言葉が止まった。
「僕はね。君たちを置いて、勝手に死にに行くつもりはないんだよ」
エドワードは、アレクシアの頭に手を伸ばしかける。
だが、途中で止めた。
今の自分が、彼女に触れてよい状態ではないと判断したのかもしれない。
「ただ、僕にしかできないことがある。だったら、行くべきだろう?」
アレクシアはしばらく黙っていた。
やがて、横からアルフレッドが口を挟む。
「行くならさっさと行けば?」
全員の視線がアルフレッドへ向いた。
アルフレッドは肩をすくめ、いつもの軽い笑みを浮かべている。
「どうせ止めても無駄でしょ?エド兄が本気になったとき、誰が何を言っても聞かないじゃん」
「アルフレッド!」
アレクシアが睨みつける。
「ちょっと、あんたまで何言ってるのよ!」
「だって本当のことだし。ねえ、エドワード?」
「まあ、否定はしないね」
エドワードは涼しい顔で答えた。
「ほらね」
アルフレッドは両手を広げる。
「それに、エド兄が一人で行くとは限らないでしょ。情報を集めるなら、僕も裏から動けるし」
エドワードがちらりと弟を見る。
「君まで来る気かい?」
「僕は行くなんて言ってないよ。勝手に動くって言ってるだけ」
「それを行くと言うんだよ」
「細かいなあ。まあ、今回は別行動にするけど」
「それがいい」
軽口を交わす二人を見て、アレクシアは眉間を押さえた。
「もう……本当に、あんたたちは……」
そのとき、夏芽が一歩前へ出た。
「エドワードさん」
エドワードが振り向く。
夏芽は拳を握りしめ、まっすぐに彼を見つめていた。
「私も行きます」
「駄目だよ」
返答は早かった。
「お前はここにいなよ。鷹司のそばにいることが、今のお前の役目だ。まあ、勝手にしなよ。言っても無駄そうだし」
「エドワードさん…」
エドワードの声が少しだけ厳しくなる。
「君はもう十分に無茶をした。これ以上、自分を削る必要はない」
「……っ」
「君の父親のことも、必ず調べる。だが、君が自分を犠牲にしなければならない理由にはならない」
夏芽は何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
大和がそっと彼女の隣に立つ。
「夏芽、その…エドワードさんの言う通り、無茶はするなよ」
「大和さん…」
「俺、何も出来ねぇけど…その、飯ぐらいなら作れるからな!」
「なんですか、それ」
ジンドウが腕を組んだまま、エドワードを見据える。
「一人で突っ込むつもりなら、やめとけ」
「おや。君まで僕を止めるのかい?」
「止めるんじゃねえ。確認してるだけだ」
ジンドウは低い声で続けた。
「前に出る奴を帰すのが後衛の仕事だ。お前がどれだけ強かろうが、背中を守る奴がいなきゃ、帰ってこられる確率は下がる」
ロウが無言でエドワードを見る。
その視線には、ジンドウと同じ意図があった。
エドワードは二人を見て、わずかに口元を緩めた。
「なるほど。警護隊というのは、随分と世話焼きなんだね」
「うるせえ。死なれると後味が悪いだけだ」
すずらは鷹司の処置を続けながら、穏やかに声をかける。
「エドワードさん。生きて帰ってくるとおっしゃいましたね〜」
「ああ」
「でしたら、約束を守ってくださいね。帰ってきたときに、ちゃんと診察しますから」
「僕は怪我をする前提なのかい?」
「怪我をしていなくても診察しますよ〜」
「それは逃げられないね」
エドワードは小さく笑った。
そして最後に、アレクシアへと向き直る。
アレクシアはまだ不満そうな顔をしていた。だが、彼の決意を変えられないことも理解している。
「……絶対に帰ってきなさい」
彼女は低い声で言った。
「命令よ。店長命令」
エドワードは一瞬だけ目を見開き、それから穏やかに微笑む。
「承知しました。アレクシア店長」
「ふざけてないで」
「ふざけてなんかいないさ」
エドワードは、戸口へ向かう。
その背中は、いつものローズの老ウェイターのものではなかった。
長年の経験と殺気を静かに身にまとった、蒼刃の背中だった。
戸口に立ったエドワードは、一度だけ振り返る。
「じゃあ、行ってくるよ」
アレクシアは腕を組み、険しい表情のまま答えた。
「……早く帰ってきなさい、エドワード」
「ああ」
エドワードは静かに外へ出た。
その姿が街の闇へ溶けていくのを、アレクシアたちは黙って見送る。
そしてエドワードは、誰にも聞こえない声で呟いた。
「さて……まずは、アーサーの野郎がどこまで関わっているか。確かめさせてもらおうか」




