間羅の国編13話「そろそろ、本題に入ろうか」
民家の中に、静かな時間が流れていた。
鷹司の呼吸が落ち着いたのを確認すると、花都はそれまでの砕けた表情を引き締めた。
「……そろそろ、本題に入ろうか」
その声に、部屋にいた全員の視線が花都へ集まる。
エドワードも鷹司の頭から手を離し、ゆっくりと姿勢を正した。アレクシアは黙って腕を組み、夏芽と大和は緊張した面持ちで花都を見つめる。
花都は一度、鷹司へ視線を向けた。
そして、重い口調で告げる。
「鷹司さんを襲った犯人は、もうわかってる」
夏芽の表情が強張った。
花都は、短く息を吸う。
「……九条玄斎よ」
その名前が出た瞬間。
「……え?」
夏芽の目が大きく見開かれた。
隣にいた大和も、驚愕に息を呑む。
「九条……玄斎?」
大和の声が、わずかに震えた。
夏芽は言葉を失ったまま、布団に横たわる鷹司を見つめる。
花都は二人の反応を確認しながら、静かに続けた。
「2人は知っていると思うけど……23年前に突然発狂して、32人。老若男女問わずに斬り殺した男だよ」
部屋の空気が、一気に冷え込んだ。
アンナが小さく息を呑み、オスカーは不安そうに視線を伏せる。エリオットとセドリックも表情を硬くし、ガブリエルは静かに鷹司へ目を向けた。
夏芽の手が、ぎゅっと握り締められる。
「……九条玄斎が……おじいちゃんを?」
その問いに、花都はすぐには答えなかった。
代わりに、治郎が穏やかな声で口を開く。
「墓参り中の鷹司さんを襲ったようです」
「墓参り……」
大和が呟いた。
治郎は眼鏡の奥の細い目をわずかに伏せる。
「鷹司さんが墓地を訪れていたところへ、九条玄斎が現れた。そこで襲撃を受けたと聞いています」
「聞いているって……治郎、現場を見たわけじゃないの?」
花都が横目で尋ねる。
「ええ。私が到着した時には、すでに戦いは終わっていましたから」
治郎はいつもの笑みを浮かべたまま答えた。
「鷹司さんは重傷を負い、九条玄斎はその場から姿を消していた」
夏芽は唇を噛み締めた。
二十三年前。
間羅の国を震撼させた事件。
突然、理性を失ったかのように人々へ刃を向け、三十二人もの命を奪った男。
その名は、夏芽にとって決して遠い昔の話ではなかった。
「……どうして、今になって……」
夏芽の声がかすれる。
大和は拳を握りしめ、俯いた。
「九条玄斎は、もういなくなったと思っていた。あの事件の後、ずっと……」
「私ちゃんたちも、そう思ってた」
花都は苦い表情を浮かべる。
「でも、違った。あいつは生きていた。そして、鷹司さんを襲った」
その言葉に、エドワードの瞳が冷たく細められた。
「……三十二人を斬り殺した男が、今もこの国のどこかにいる」
エドワードの声は静かだった。
だが、その静けさの奥には、鋭い殺気が潜んでいる。
「それで、鷹司を襲った理由は?」
花都は一瞬、口を閉ざした。
治郎の笑顔も、わずかに意味深なものへ変わる。
「それが……まだ、わかっていません」
治郎が答えた。
「九条玄斎が何を目的としていたのか。なぜ、墓参り中の鷹司さんを襲ったのか。そして、なぜ二十三年もの間、姿を隠していたのか」
治郎は、鷹司へ視線を向ける。
「その答えを知っているのは、おそらく……鷹司さんご本人でしょう」
部屋の全員の視線が、鷹司へ集まった。
鷹司は目を閉じたまま、静かに横たわっている。
やがて、ゆっくりと瞼を開いた。
琥珀色の瞳が、まっすぐに天井を見つめる。
「……九条玄斎か」
その名を口にした瞬間。
鷹司の表情から、先ほどまでの穏やかな余裕が消えた。
だが、それを治郎は遮るように口を開く。
「それに面白い話がありましてね。この国におかしな薬が流れているようです。23年前、突然現れたおかしな集団によって」
「おかしな集団…?」
「そうだよ。百花繚乱と治郎の調べで唯一わかったこと。本当にそれだけ…」
「はい。これで私たちの知っている情報はここまで」
「……おかしな薬?」
大和が聞き返した。
治郎は、いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに頷く。
「はい。正確には、薬物と呼ぶべきかどうかも、まだ判断できていません。しかし、通常の薬とは異なる作用を持つものが、裏の取引を通じて流通しているようです」
「どんな作用なんですか?」
颯太が尋ねる。
治郎は少し考えるように黙った。
「そこまでは、わかっていません。入手した情報があまりにも断片的でしてね」
花都が腕を組み、ため息をついた。
「百花繚乱で調べても、手がかりが少なすぎるんだよ。薬の出所も、作ってる連中の正体も、はっきりしない」
「23年前に突然現れた集団」
アレクシアが、治郎の言葉を繰り返した。
「つまり、その集団が薬の流通に関わっている可能性があるということね」
「可能性の一つです」
治郎は眼鏡を指で押し上げる。
「ただし、確証はありません。薬が集団によって作られたものなのか、彼らが単に流通させているだけなのかも不明です」
エドワードは黙って話を聞いていた。
鷹司の横たわる布団。 九条玄斎の襲撃。 二十三年前の大量殺人。 そして、正体のわからない集団と薬。
それぞれの情報が、頭の中で静かに繋がっていく。
「……23年前、か」
エドワードが呟いた。
花都が彼を見る。
「気になる?」
「気にならないほうがおかしいだろう」
エドワードは、鷹司へ一瞬だけ視線を向けた。
「九条玄斎が突然おかしくなった事件も、薬の流通も、同じ時期に現れた集団も。偶然で片づけるには、少し話が揃いすぎている」
「私ちゃんも、そう思ってる」
花都の表情から、いつもの明るさが消えていた。
「でも、証拠がない。だから、今のところは何も断言できないんだよ」
「なるほど。珍しく慎重だね」
「珍しくって何さ」
花都が眉をひそめる。
エドワードは返事をせず、鷹司の方へ歩み寄った。
「鷹司」
「……何だ」
鷹司は目を開けた。
エドワードは布団の脇に腰を下ろし、低い声で尋ねる。
「君は、九条玄斎と再会した時、何か気づかなかったのかい?」
しばらく沈黙が続いた。
鷹司は天井を見つめたまま、ゆっくりと息を吐く。
「……あいつの目は、二十三年前と変わっていなかった。とても深い、底なしのような…いや、何もない空っぽの目をな…」
夏芽が身を乗り出す。
「おじいちゃん……」
「だが、あの時のあいつと今のあいつが、同じ人間なのか。それは私にも判断できん」
鷹司の声は落ち着いていた。
しかし、その言葉には重みがあった。
「九条玄斎は、私を斬る前に……妙なことを言っていた」
エドワードの目が細くなる。
「何と言った?」
鷹司はゆっくりと瞼を下ろした。
「……『まだ終わっていない』と」
部屋の空気が止まった。
夏芽は息を呑み、大和は拳を握りしめる。
花都は表情を険しくし、治郎の笑みも消えた。
エドワードだけが、静かに鷹司を見つめていた。
「まだ終わっていない……ね」
その声には、先ほどまでの怒気とは異なる冷たさがあった。
「だったら、終わらせればいい」
エドワードは立ち上がる。
アレクシアが、すぐに彼を見た。
「エドワード。勝手に動くつもり?」
「僕はいつだって勝手に動いているだろう」
「開き直らないで」
「はいはい」
エドワードは軽く肩をすくめた。
だが、蒼い瞳は笑っていなかった。
「……ただし、今回は少しばかり本気で調べる必要がありそうだ」
その言葉に、鷹司が小さく笑う。
「お前が本気になると、周囲が迷惑する」
「君が寝込んでいるせいで、僕の仕事が増えたんだよ」
「それは悪かったな」
「まったくだ」
エドワードは鷹司の頭を軽く撫でた。
そして、静かに付け加える。
「だから、さっさと治せ。君がいないと、ビリヤードの相手が減ってつまらない」
鷹司は目を閉じたまま、口元をわずかに緩めた。
「……それだけか?」
「それ以上、何を言えというんだい」
部屋の中に、ほんのわずかな笑いが生まれた。
しかし、その裏側で。
二十三年前から続く謎は、まだ誰にも知られない場所で動き続けていた。




