間羅の国編12話「僕が葬式の用意をしてやるさ」
エドワードは、布団の上で苦しげに息をする鷹司を見下ろしていた。
周囲には、アレクシアたちも花都も治郎もいる。
夏芽は鷹司のそばで、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「おじいちゃん……」
鷹司はわずかに目を開ける。
「……夏芽。そんな顔をするな」
「でも……」
「私は、まだ死んでいない」
「そんなこと、分かってます……!」
夏芽の声が震えた。
エドワードはその様子を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
そして、鷹司に向かって口を開く。
「おい、鷹司。君がこの場でくたばってみろよ」
室内の空気が止まった。
アレクシアが振り返る。
「エドワード?」
エドワードは、いつものように穏やかな顔をしていた。
「僕が葬式の用意をしてやるさ」
「……」
アンナが目を見開く。
「えっ……」
大和は言葉を失い、花都も思わず眉をひそめた。
「ちょ、ちょっと! 今それ言う!?」
だが、エドワードは止まらない。
「立派な棺桶を用意して、君の好きな抹茶ラテでも添えてやるよ。もちろん、ビリヤードのキューも入れておこうか」
「エドワード!」
アレクシアが声を荒らげる。
「今の状況で、何を言ってるのよ!」
エドワードはアレクシアを見ずに、鷹司を見つめていた。
「だって、こいつは昔からそうなんだろ?人の心配ばかりさせて、自分は平然とした顔をしている」
「……」
「だから、もしここで死ぬつもりなら、僕が責任を持って送り出してやる」
その言葉は不謹慎だった。
あまりにも不謹慎で、夏芽の表情が強張るほどに。
しかし――。
「……ふっ」
鷹司の口元が、かすかに緩んだ。
「……はは」
小さな笑い声。
夏芽が驚いて鷹司を見る。
「おじいちゃん……?」
鷹司は苦しげに呼吸をしながら、それでもどこか嬉しそうに笑っていた。
「エドワード……」
「何だい?」
「お前は……本当に、口が悪いな」
「今さら気づいたのかい?」
「いや……前から知っていることだ」
鷹司はゆっくりと目を開いた。
琥珀色の瞳に、いつもの鋭さが戻り始めている。
「だが……そうか」
「何が?」
「お前が私の葬式を準備してくれるのか」
「嫌なら、アルに任せるけど?」
「それは困るな」
鷹司は、かすかに笑った。
「奴に任せれば、葬式の途中で何かしらの悪戯を始めるだろう」
アルフレッドが腕を組む。
「ひどいなぁ。僕だって、葬式くらいは真面目にやるよ」
「その言葉を信じられるほど、私は愚かではない」
「鷹司おじいちゃん、相変わらず手厳しいねぇ」
アルフレッドは苦笑した。
鷹司は再びエドワードを見る。
「……しかし、エドワード」
「うん」
「私が死んだら、葬式などせずに、ローズのビリヤード台を使わせてもらえ」
エドワードの眉がわずかに動いた。
「君、死んでまで勝負するつもりかい?」
「当然だ」
鷹司の声は弱々しい。
それでも、言葉にはいつもの威圧感があった。
「死者が生者に勝つ。それもまた、美しい一打になるかもしれん」
「……馬鹿だねぇ、君は」
エドワードは呆れたように言った。
だが、その声は先ほどよりも少しだけ柔らかかった。
鷹司は目を細める。
「お前が葬式を準備するというのなら……」
「うん?」
「その前に、私を負かしてみろ」
室内に、沈黙が落ちた。
エドワードは鷹司を見つめる。
そして、口元にゆっくりと笑みを浮かべた。
「……上等だよ」
アレクシアが額を押さえる。
「怪我人相手に、何を張り合ってるのよ……」
夏芽は涙をこらえながら、鷹司の手を握った。
「おじいちゃん……絶対に、死なないでください」
鷹司は夏芽の手を弱く握り返す。
「……ああ」
短い返事だった。
しかし、その声には確かな意志があった。
「まだ、やることが残っているからな」
エドワードは鷹司の横顔を見つめる。
「そうだとも」
彼は、エドワードは静かに言った。
「君の葬式の準備をするのは、まだ先でいい」
そして、エドワードは鷹司の布団を軽く叩いた。
「だから、勝手にくたばるなよ。僕が許可していないからね」
鷹司は目を閉じたまま、微笑んだ。
「……お前に許可を取る必要があるとは、知らなかったな」
「今から覚えておくといい」
二人の間に、いつもの軽口が戻っていた。
けれど、その場にいた全員が分かっていた。
エドワードの不謹慎な言葉の裏に、鷹司を失いたくないという、強い心配と怒りが隠されていることを。
エドワードは、しばらく鷹司の顔を見つめていた。
先ほどまでの怒気は、ほんの少しだけ薄れている。
だが、その蒼い瞳の奥には、未だに消えない心配と苛立ちが滲んでいた。
やがて、エドワードは静かに息を吐く。
「……だから、今はゆっくり休めよ」
そう言って、エドワードは鷹司の肩にそっと腕を回した。無理に身体を動かさないように気を配りながら、抱き寄せるように距離を詰める。
そして、白い手袋を外した手で、鷹司の頭をゆっくりと撫でた。
まるで、長年の友人を労わるように。
鷹司は一瞬、目を見開いた。
周囲にいた者たちも、思わず息を止める。
あのエドワードが。
いつも皮肉を口にし、誰に対しても余裕を崩さず、他人に弱みなど見せないエドワードが、これほど優しい仕草を見せるとは思わなかったのだ。
「……お前に頭を撫でられる日が来るとはな」
鷹司は、かすかに笑った。
「何だい。不満かい?」
「いや。悪くない」
「そうかい。なら、しばらく黙って撫でられていろ」
エドワードはそう言いながら、もう一度、鷹司の頭をゆっくりと撫でる。
鷹司は目を閉じた。
その表情には、普段の張り詰めた威圧感がなかった。ただ、長い付き合いの友人に身を預けるような、静かな安堵だけが浮かんでいる。
夏芽は、そんな二人の姿を見つめていた。
「……エドワードさん」
「何だい?」
「おじいちゃんのこと……本当に心配していたんですね」
エドワードの手が、一瞬だけ止まる。
「失礼だね。僕はいつだって冷静だよ」
「さっき、ものすごく怒っていましたけど……」
「それは別の話さ。僕の可愛い孫娘に刃を向けた連中への怒りだからね」
エドワードはそう言って、鷹司の頭から手を離さないまま、花都と治郎へ視線を向けた。
花都は背筋を伸ばし、治郎は相変わらず笑みを浮かべている。
「……私ちゃんたち、まだ怒られてる?」
花都が小声で尋ねる。
「当然だろう」
エドワードは穏やかに答えた。
「鷹司の容体が落ち着いたからといって、君たちへの説教が消えたわけじゃない。後でゆっくり話そうじゃないか」
「うわぁ……」
花都の顔が引きつる。
治郎は眼鏡の位置を直しながら、楽しそうに口元を緩めた。
「なるほど。エドワード殿は、身内を大切にされる方なのですね」
「君に評価される筋合いはないよ」
即座に返された言葉に、治郎の笑みがわずかに薄くなる。
エドワードは再び鷹司へ視線を戻した。
「今は余計なことを考えるな。君が何を知っていようが、何を抱えていようが……まずは身体を治せ」
「……命令か?」
「忠告だよ。聞かないなら、僕が無理やり休ませる」
「相変わらず、乱暴な優しさだな」
「君にだけは言われたくないね」
鷹司は小さく息を漏らし、笑った。
その様子を見て、夏芽の張り詰めていた表情も、ほんの少しだけ和らぐ。
エドワードは、鷹司の頭を最後に一度だけ撫でた。
「眠れ。起きたら、全部聞かせてもらう」
鷹司は目を閉じたまま、静かに答えた。
「……ああ。約束しよう」
その言葉を聞いたエドワードは、ようやくわずかに表情を緩めた。
しかし、民家の外では。
間羅の国の監視装置が、誰にも気づかれぬまま淡い光を点滅させていた。




