間羅の国編11話「少しくらい文句を言わせてもらうよ」
エドワードは刀を鞘に収めた。
しかし、怒りが収まったわけではなかった。
むしろ、静かになったことで、その場にいる全員が彼の機嫌の悪さをはっきりと感じ取っていた。
「さて」
エドワードは花都と治郎を見据える。
「さっきの続きをしようか」
花都の肩がわずかに跳ねた。
「え、まだ怒ってるの?」
「怒っているとも」
エドワードは微笑んだ。
その笑顔には、普段の軽さがまるでない。
「僕の孫娘に刃を向けたんだ。まさか、今の程度で許されたと思っていないだろうね?」
「いやいや、だから本気で傷つけるつもりはなかったんだって!」
花都が両手を上げる。
「私ちゃんたちは、あんたたちが敵かどうか確かめたかっただけ。ちょっと手荒だったのは認めるけどさ」
「ちょっと?」
アレクシアが冷たく言い返す。
「私たちに刃物を向けて、街中で襲ってきたのが?」
「……うん。言われてみると、ちょっとじゃないかも」
「反省しているようには見えないね」
エドワードが一歩踏み出す。
花都は反射的に身構えた。
その動きを見て、エドワードの目が細くなる。
「おい。まだやる気かい?」
「いや、違う違う! もう戦う気はないって!」
花都は慌てて両手を振った。
隣では、治郎が刀を納めていた。
「花都さん。ここは、こちらの非を認めるべきでしょう」
「治郎、あんたはあんたで、さっきから他人事みたいな顔してるけど?」
「私は事実を述べているだけです」
治郎は穏やかに笑う。
「それに、私もあなたと同じように攻撃しましたから」
エドワードは治郎へ視線を向けた。
「君も、ずいぶんと落ち着いているね」
「そうでしょうか?」
「僕の刀を受けて、まだ笑っていられる人間は珍しいよ」
「それは光栄です」
「褒めていない」
エドワードの声が低くなる。
治郎の笑顔が、ほんの少しだけ薄れた。
夏芽はその様子を見ながら、緊張した面持ちで立っていた。
「エドワードさん……」
「夏芽」
エドワードは彼女を見る。
「怪我は?」
「私は大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
エドワードは夏芽の腕や肩を目で確認する。
それから、大和へ視線を移した。
「君は?」
「お、俺も大丈夫です!」
大和は慌てて背筋を伸ばした。
しかし、先ほど治郎の攻撃を受け続けた腕は、まだわずかに震えている。
エドワードはそれを見逃さなかった。
「……無理をするな。強がりは、怪我をしてからでもできる」
「はい……」
大和は素直に頷いた。
花都がその様子を見て、少し気まずそうに頭を掻く。
「……悪かったね。大和」
大和が顔を上げる。
「花都姉ちゃん……」
「まさか、あんたがまだ剣を握ってるとは思わなかったよ。いや、握ってるだけで精一杯だったけど」
「そこは言わなくていいだろ!」
「でも、逃げなかったのは偉いじゃん」
花都は明るく笑った。
「昔から、逃げないところだけは変わらないね」
大和は複雑そうな顔をした。
エドワードは二人のやり取りを見て、わずかに眉を上げる。
「……知り合いなのかい?」
「幼馴染だよ」
花都が答えた。
「夏芽も大和も、私ちゃんが小さい頃から知ってる。まあ、夏芽は昔から強かったけどね」
夏芽は少し視線を逸らした。
「花都さんも、昔から無茶ばかりでした」
「えー? 私ちゃんは今も無茶してるけど?」
「自慢することではありません」
セドリックが静かに突っ込む。
花都は笑ったあと、改めてエドワードたちへ向き直った。
「じゃあ、ちゃんと自己紹介するね」
花都は胸に手を当て、堂々と名乗った。
「私は花都。百花繚乱っていう自警団の団長をやってる。間羅の国では、それなりに名前が知られてるほうかな」
「自分で言うんだねぇ」
アルフレッドが口を挟む。
「だって本当のことだし?」
花都は悪びれずに笑う。
「それと、夏芽と大和の幼馴染。二人のことは昔から知ってるよ」
続いて、治郎が一歩前へ出た。
「私は山野治郎。山野家の現当主であり、剣術家です」
治郎は穏やかに頭を下げた。
「先ほどは突然の襲撃、失礼いたしました」
エドワードは腕を組んだまま、治郎を見つめる。
「失礼で済ませるには、少し物騒だったけどね」
「おっしゃる通りです」
治郎はあっさりと認めた。
その態度に、エドワードの眉間にわずかな皺が寄る。
「……君は、本当に読めない男だね」
「よく言われます」
「嬉しそうに言うことじゃないよ」
花都がため息をつく。
「治郎はいつもこんな感じ。笑ってるけど、何考えてるのか分かんないんだよね」
「花都さんも、私のことをよく観察していますね」
「警戒してるだけだよ」
「それは結構なことです」
二人の会話を聞いていたエドワードは、深く息を吐いた。
「それで?」
エドワードの声が再び冷たくなる。
「自己紹介が終わったところで、僕たちを襲った理由を聞かせてもらおうか」
花都と治郎は顔を見合わせた。
先に口を開いたのは花都だった。
「……鷹司さんのことを話したい」
夏芽の表情が変わる。
「おじいちゃんのことを?」
「そう」
花都は真剣な顔になった。
「鷹司さんは、今も生きてる」
夏芽が息を呑む。
「……本当ですか?」
「うん。ただし――」
花都は一度言葉を切った。
「かなり危ない状態だよ」
広場の空気が重くなる。
エドワードの瞳から、さらに温度が消えた。
「……どこにいる?」
花都は周囲を確認してから、声を落とした。
「ここから少し離れた場所にある、小さな民家。そこで治療を受けてる」
「案内しろ」
エドワードは即座に言った。
「今すぐ」
「分かった。でも、覚悟はしておいて」
花都の声が低くなる。
「鷹司さんは、かなりの重症だから」
エドワードは返事をしなかった。
ただ、アレクシアたちを振り返る。
「全員、僕の後ろから離れないように」
「エドワード」
アレクシアが声をかける。
「分かってるわ。今度は勝手に先に行かないで」
「……善処するよ」
「それ、守る気がない人の返事よ」
「大丈夫だよ。僕は正直者だからね」
アレクシアは呆れたように息を吐いた。
その間にも、夏芽は拳を強く握り締めていた。
「……おじいちゃん」
大和が隣に立つ。
「夏芽。俺も行く」
「大和さん……」
「今度は、ちゃんと役に立つから」
夏芽はしばらく黙っていたが、小さく頷いた。
「……はい」
花都が先頭に立ち、治郎がその隣を歩き始める。
一行は広場を離れ、入り組んだ路地を進んでいった。
間羅の国の華やかな街並みから離れるにつれ、建物は少しずつ古くなっていく。
やがて、花都が足を止めた。
目の前にあったのは、周囲の家々よりもさらに小さな民家だった。
壁には補修の跡があり、軒先には乾かされた布や薬草が吊るされている。
入り口には、簡素な見張り用の機械が設置されていた。
エドワードはそれを一瞥する。
「……ここか」
「うん」
花都が扉に手をかける。
「中にいるよ」
扉が開く。
室内には、薬草と血の混じったような匂いが漂っていた。
アンナが思わず口元を押さえる。
「……っ」
エリオットが彼女の肩に手を添えた。
「アンナさん、無理に近づかなくても大丈夫ですよ」
「でも……」
室内の奥。
簡素な布団の上に、一人の老人が横たわっていた。
白い髪は乱れ、顔色は悪い。
身体には包帯が巻かれ、胸元はゆっくりと上下している。
かつて剣士として名を馳せた男とは思えないほど、弱々しい姿だった。
夏芽の足が止まる。
「……おじいちゃん?」
返事はない。
夏芽は震える足で、一歩ずつ近づいていく。
「おじいちゃん……」
その声に、布団の上の老人の指がかすかに動いた。
「……なつ、め……?」
夏芽の瞳が大きく開かれる。
「おじいちゃん!」
駆け寄ろうとした夏芽を、花都がそっと制した。
「待って。まだ動かさないで」
「でも……!」
「傷が深いんだ。今、無理に触ったら危ない」
夏芽はその場で立ち止まり、唇を震わせた。
鷹司はゆっくりと目を開く。
焦点の合わない瞳が、夏芽の姿を探す。
「……来て、しまったのか……」
「おじいちゃん……どうして……」
夏芽の声が震える。
鷹司は答えようとした。
だが、喉から漏れたのは苦しげな息だけだった。
エドワードは黙って鷹司を見つめていた。
そして、ゆっくりと布団のそばへ歩み寄る。
「……鷹司」
鷹司の目が動いた。
「……エド、ワード……」
「久しぶりだね」
エドワードは静かに言った。
しかし、その声には抑え込まれた怒りが滲んでいた。
「ずいぶんと派手にやられたじゃないか」
鷹司はかすかに笑おうとする。
「……お前は……相変わらず……口が悪い……」
「君に心配をかけられたからね。少しくらい文句を言わせてもらうよ」
エドワードは鷹司の傷を確認する。
表情は冷静だった。
だが、握り締めた拳には力がこもっていた。
「誰にやられた?」
室内が静まり返る。
鷹司は答えようとした。
しかし、その前に源蔵が低い声で言った。
「……エドワード」
「何だい?」
「今は、まだ聞くな」
エドワードは源蔵を見た。
「……また、それか」
穏やかな声。
それでも、誰もが分かった。
エドワードは、まだ怒っている。
そして今度は、アレクシアたちに向けられたものではない。
鷹司を傷つけた何者かへ向けられた、静かで冷たい怒りだった。




