間羅の国編10話「今度は、ちゃんと話を聞かせてもらおうか」
大和が持っていた荷物を地面に置き、野菜の入った袋を開こうとした、その時だった。
――ヒュッ。
空気を切り裂く音。
「……っ!」
アルフレッドが即座に顔を上げた。
次の瞬間、飛来した刃が大和の足元へ突き刺さる。
「全員、下がって!」
アルフレッドの声が響いた。
夏芽も反射的に刀へ手を伸ばす。
「敵襲です!」
エリオットがアンナの肩を抱き寄せ、セドリックがすぐさま彼女の前へ立つ。ガブリエルはオスカーを背後へ庇い、颯太も周囲を警戒した。
広場の向こうから、二人の人影が歩いてくる。
一人は、長身で筋肉質な女性。
和装を基調とした自警団の衣装を身にまとい、堂々とした足取りで近づいてくる。明るい表情を浮かべているが、その身体から放たれる圧力は尋常ではなかった。
もう一人は、グレーのウェーブボブヘアに丸メガネをかけた男。糸目のまま、穏やかな笑顔を浮かべている。
その手には、刀が握られていた。
アルフレッドは二人を見て、口元を吊り上げる。
「へぇ……いきなり歓迎の挨拶かい?」
女性が肩をすくめた。
「いやー、ごめんごめん。けど、いい歓迎でしょ?」
アレクシアが眉をひそめる。
女性はにこやかに笑いながら、胸を張った。
「私ちゃんは花都。百花繚乱の団長やってまーす!」
その隣で、男が丁寧に頭を下げる。
「山野治郎と申します。山野家の現当主です」
花都が治郎を横目で見る。
「治郎、あんたさ。もうちょっと説明してから斬りかかればいいのに」
「説明している間に逃げられてしまうかもしれませんから」
治郎は笑顔のまま答えた。
「それに、反応を見たかったので」
「……相変わらず、何考えてるか分かんないねぇ」
花都は苦笑した。
その瞬間、治郎の姿が消える。
「!」
夏芽とアルフレッドが同時に動いた。
――ガキィンッ!
夏芽の刀と、治郎の刀がぶつかる。
ほぼ同時に、アルフレッドが銃を抜き、花都へ向けた。
「おっと。そっちは僕が相手かな?」
「おおっ、反応早いじゃん!」
花都が笑い、腰を落とす。
次の瞬間、地面を踏み砕くような勢いでアルフレッドへ突進した。
「ちょっと待ってよ!」
アルフレッドが横へ跳ぶ。
花都の拳が地面を打ち、石畳に亀裂が走った。
「……うわぁ。見た目以上に乱暴だねぇ」
「私ちゃん、力には自信あるんだよね!」
花都は楽しそうに笑う。
一方、夏芽は治郎の斬撃を受け流しながら、距離を取っていた。
治郎の剣は速い。
しかも、無駄な動きがほとんどない。
「……あなた」
夏芽が刀を構え直す。
「本気で斬るつもりですか?」
「さて。どうでしょう」
治郎は笑顔を崩さない。
「あなたの実力を確認したいだけかもしれません」
「ふざけないでください!」
夏芽が踏み込む。
鋭い一撃が治郎の肩口へ迫る。
しかし、治郎は身体をわずかに傾け、刀の柄で夏芽の刃を逸らした。
「……なるほど」
治郎の目が、ほんの少しだけ開く。
「噂通りですね」
「余所見をしないでください!」
夏芽の追撃が迫る。
治郎は後退しながら、刀を返した。
その一方で、大和も刀を抜いていた。
「夏芽!」
「大和さん、下がって!」
「いや、俺もやる!」
大和は治郎の動きを見て、夏芽の横へ駆け込む。
治郎が軽く刀を振った。
「――っ!」
大和は慌てて刀を構えた。
ガキィンッ!
受け止めた瞬間、腕に強烈な衝撃が走る。
「ぐっ……!」
足が石畳を滑った。
「大和さん!」
「だ、大丈夫だ!」
大和は歯を食いしばり、刀を両手で握り直す。
治郎は微笑んだまま、ゆっくりと歩み寄る。
「受けるだけで精一杯ですか。おかしいですね、鷹司さんのお弟子さんとは聞きましたが…」
「……うるせぇ!」
大和が斬りかかる。
だが、動きは大きく、踏み込みも不安定だった。
治郎は簡単にその一撃をかわし、刀を振り下ろす。
大和は反射的に受け止めた。
――ガンッ!
「ぐあっ……!」
膝が沈む。
刀を弾かれそうになりながらも、大和は必死に耐えた。
「大和さん、無理をしないで!」
「無理でも……やるしかねぇだろ!」
大和の腕が震える。
それでも刀を手放さない。
治郎はそんな大和を見つめ、穏やかに笑った。
「なるほど。才能はありませんが――」
治郎が刀に力を込める。
「逃げないのですね」
「……それが、俺の取り柄なんだよ!」
大和は全身の力を使って刃を押し返した。
だが、反撃する余裕はない。
ただ、受ける。
それだけで精一杯だった。
夏芽が治郎の横から斬り込む。
「大和さんから離れてください!」
治郎は素早く身を引いた。
夏芽は大和の前に立ち、刀を構える。
「大丈夫ですか?」
「……ああ。まだやれる」
「嘘です。腕が震えています」
「細かいことは気にするなって!」
「気にします!」
夏芽の声が強くなる。
「あなたは私ちゃんが守ります!」
大和は一瞬、目を見開いた。
その頃、アルフレッドは花都の猛攻をかわし続けていた。
「いやぁ、これは困ったねぇ。僕、女の子に本気で殴られる趣味はないんだけど」
「じゃあ、避けてればいいじゃん!」
花都が拳を振り抜く。
アルフレッドは身を屈め、背後へ回り込もうとする。
しかし、花都はすぐに振り返った。
「おっと!」
「……勘がいいね」
「私ちゃん、戦いの勘だけはいいんだよ!」
アルフレッドは銃を構え直す。
花都の表情から、笑みが少し消えた。
「それ、撃つ気?」
「さあねぇ」
「なら、撃たせないよ」
花都が踏み込む。
アルフレッドの目が鋭く光った。
広場の中央で、二組の戦いが激しくぶつかり合う。
アレクシアは周囲を見渡し、状況を冷静に判断していた。
敵は二人。
しかし、目的は殺害ではないように見える。
花都はアルフレッドを追い詰めながらも、決定的な一撃を狙っていない。
治郎も夏芽と大和を相手にしながら、どこか試すような戦い方をしている。
「……何が目的なの?」
アレクシアが呟いた。
その声に反応したのか、花都が一瞬だけこちらを見る。
「目的? そりゃもちろん――」
花都はアルフレッドの攻撃をかわし、明るく笑った。
「あなたたちが、どこまで信用できる人たちなのか確かめるためだよ!」
「随分と迷惑な確認方法ね!」
アレクシアが吐き捨てる。
「ごめんごめん! でも、これが私ちゃんたちのやり方なんだよね!」
その隣で、治郎は夏芽の刀を受け止めながら、静かに微笑んでいた。
「さて……皆さんは、どこまで本当の顔を見せてくださるのでしょうね」
花都の拳が、アルフレッドの目の前まで迫った。
アルフレッドは身をひねってかわす。
その直後、治郎の刀が夏芽へ向かって振り下ろされた。
夏芽は受け止めようと刀を構える。
大和も隣で必死に踏ん張っていた。
「夏芽!」
――その時だった。
「おい」
低い声が、広場に響いた。
戦っていた全員の動きが止まる。
花都が拳を止め、治郎が刀を引いた。
アルフレッドも、ゆっくりと振り返る。
広場の入口。
そこに、エドワードが立っていた。
白銀の髪は少し乱れ、燕尾服には道中の埃がついている。だが、姿勢は崩れていない。
その隣には源蔵がいた。
エドワードの手には、鞘に収まった刀。
深い蒼色の瞳が、広場にいる全員を静かに見渡していた。
そして、アレクシアへ視線を向ける。
「……アレクシア」
「エドワード……?」
アレクシアの声が震えた。
エドワードは彼女の無事を確認すると、再び前を向く。
その表情から、いつもの軽薄な笑みが消えていた。
「おい」
エドワードは、花都と治郎を見据えた。
「何、人の孫娘に危害を加えようとしてるんだい?」
穏やかな声だった。
しかし、そこに含まれた圧力に、広場の空気が一変する。
アルフレッドが小さく息を吐いた。
「……あーあ。エド兄、相当怒ってるね」
花都は目を瞬かせた。
「え? あの人が?」
治郎は笑顔のまま、エドワードを観察する。
「……」
エドワードが一歩、前へ出た。
「僕の孫娘に手を出したのは、どっちかな?」
花都が反射的に答える。
「いや、私ちゃんたちは別に本気で傷つけるつもりは――」
「そう」
エドワードは頷いた。
「じゃあ、手加減する理由もないね」
「……え?」
次の瞬間。
エドワードの姿が、花都の視界から消えた。
「なっ――」
花都が反応するより早く、エドワードは彼女の懐へ入り込んでいた。
刀は抜かない。
柄を握ったまま、花都の腕を軽く払う。
たったそれだけで、花都の体勢が大きく崩れた。
「うそっ……!」
花都はすぐに踏み直し、拳を振り抜く。
エドワードは身体をわずかに傾けた。
拳が空を切る。
そのまま花都の手首を取り、力の流れを利用して地面へ倒した。
――ドンッ!
「……え?」
花都は石畳に片膝をついた。
自分の剛腕が、まるで通じていない。
エドワードは手を離し、淡々と告げる。
「力任せに振り回すだけじゃ、僕には届かないよ」
花都は呆然とエドワードを見上げた。
「……今の、何?」
その隙に、治郎が動いた。
刀を構え、エドワードの背後へ回り込む。
夏芽が息を呑む。
「危ない!」
治郎の刃が、エドワードへ迫った。
しかし――。
エドワードは振り返りすらしなかった。
刀が届く寸前、彼は半歩だけ横へ移動する。
同時に、鞘に収まった刀で治郎の手元を打った。
「――っ!」
治郎の刀が弾かれ、宙を舞う。
エドワードは落下する刀を見もしないまま、治郎の懐へ踏み込んだ。
柄が、治郎の胸元でぴたりと止まる。
あとわずかでも動けば、確実に打ち込める距離。
治郎の笑顔が、初めてわずかに固まった。
「……これは」
エドワードは治郎の目を見つめる。
「君、笑っていれば何をしても許されると思ってるのかい?」
治郎は答えなかった。
エドワードは刀を引き、治郎を解放する。
その一連の動きは、あまりにも速かった。
夏芽は刀を構えたまま、動けずにいた。
「……」
大和も、口を開けたまま立ち尽くしている。
「え……」
先ほどまで、自分が受けるだけで精一杯だった治郎の剣を。
エドワードは、ほとんど力を使ったように見えない動きで封じた。
夏芽の目が揺れる。
「……エドワードさん」
彼女は知っていた。
エドワードがただの老紳士ではないことを。
だが、実際に目の前で見せつけられた技量は、想像を遥かに超えていた。
花都がゆっくりと立ち上がる。
「……ちょっと待って」
彼女は自分の手を見つめ、それからエドワードを見る。
「私ちゃん、今……何もできなかった?」
「うん」
エドワードは即答した。
「何もできてなかったね」
「いや、そこはもうちょっと言い方があるでしょ!」
花都が叫ぶ。
だが、いつもの明るさはすっかり薄れていた。
治郎は落とした刀を拾い上げ、エドワードから距離を取る。
笑顔は戻っている。
しかし、先ほどまでの余裕はなかった。
「……興味深いですね」
エドワードの瞳が冷たく光る。
「興味を持つのは勝手だけど、次にアレクシアへ刀を向けたら――」
エドワードは、刀の柄に手を添えた。
鞘から、ほんのわずかに刃が覗く。
金属音が広場に響いた。
「今度は、気絶だけじゃ済まさないよ」
空気が凍りつく。
花都も、治郎も、動かなかった。
源蔵は少し離れた場所から、その光景を見ていた。
今のエドワードの姿には息を呑んでいた。
アルフレッドが肩をすくめる。
「だから言ったでしょ」
花都が振り返る。
「何を?」
「エド兄を怒らせると面倒だってこと」
「先に言ってよ!」
「言う前に始めたのは、そっちじゃない?」
「それは……そうだけどさぁ!」
アレクシアはエドワードの背中を見つめていた。
怒っている。
明らかに怒っている。
それでも、彼が自分たちの前に立っていることに、胸の奥が少しだけ緩んだ。
「……エドワード」
「何だい?」
「遅い」
エドワードは振り返る。
「おや。再会して最初に言うことがそれ?」
「勝手にいなくなった罰よ」
「僕は今、君たちを助けたばかりなんだけどね」
「それとこれとは別」
「怖くなかった?」
「怖かったわよ…」
エドワードは一瞬黙り、それから小さく笑った。
「……やっぱり、僕の孫娘だね」
その直後、アレクシアがエドワードの腕を強く掴む。
「帰ったら説教よ」
「はいはい」
「返事が軽い!」
広場の緊張が、ほんの少しだけ緩んだ。
だが、花都と治郎はまだエドワードから目を離していない。
二人は理解していた。
目の前にいる老人は、ただの旅人でも、ただの喫茶店の店員でもない。
自分たちが今まで相手にしてきた剣士とは、根本的に何かが違う。
そしてエドワードは、そんな二人を見ながら、静かに刀を鞘へ戻した。
「さて」
エドワードは、花都と治郎へ向かって微笑む。
「今度は、ちゃんと話を聞かせてもらおうか」




