間羅の国編9話「嫌な感じがするよ」
エドワードはしばらく間羅の街並みを眺めていたが、ふと歩みを止めた。
そして、隣を歩く源蔵へ顔を向ける。
「ねぇ、源蔵。僕さ。朝から何にも食べてないからお腹すいた」
「……」
「何か食べようよ」
「お前さん……」
源蔵は呆れたようにエドワードを見る。
「先ほどまで、この国の技術やら警戒網やらを真剣に観察しておったじゃろう」
「うん」
「それが突然、腹が減ったと?」
「人間なんだからお腹くらい減るさ」
「……」
エドワードは腹を軽く押さえる。
「それに、朝から何も食べてないんだよ。ローズを出る時も忙しかったし」
「まったく……」
呆れながらも、源蔵は周囲を見渡した。
通りの先には、小さな食事処があった。
木製の看板には、間羅の文字で店名が書かれている。
「ならば、あそこでよかろう」
「本当?」
「あまり贅沢なものは期待するなよ」
「別にいいよ。食べられれば」
二人が店へ向かって歩き始める。
すると、店の前を通ったところで、エドワードの足が止まった。
店先に並んでいる料理を見て、目を細める。
「……あれ、美味しそうだな」
「腹が減っているから、何でも美味そうに見えるだけじゃろう」
「失礼だな」
「ほっほっほ」
「まあいいや。入ろう」
「お前さん、観光に来たわけではないぞ」
「分かってるよ」
エドワードは店の暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ」
間羅独特の落ち着いた声が響く。
エドワードは店内を見回しながら、席へ向かった。
そして小さく呟く。
「……まずは腹ごしらえだな」
「その調子では、鷹司を探す前に食べ歩きになりそうじゃ」
「それも悪くないね」
「……」
源蔵は深いため息をついた。
食事処の奥の席。
エドワードと源蔵は、運ばれてきた料理を静かに食べていた。
周囲には何人かの客がいたが、その中に妙に声を潜めて話している男たちがいた。
「……例の老人、まだ見つかってないらしいぞ」
「鷹司とかいう剣士だろ?」
エドワードの箸が、ぴたりと止まった。
源蔵も顔を上げる。
男たちは二人の存在を気にする様子もなく、話を続けていた。
「そうだ。あの男、外から来た連中と接触していたって話だ」
「だったら、もう長くはないな」
「例の場所へ連れていかれる前に見つけろって命令だ」
エドワードは何事もなかったかのように、再び箸を動かした。
「……」
源蔵が小声で尋ねる。
「聞こえたか」
「うん」
エドワードは料理を一口食べる。
そして、男たちの会話をしばらく聞いたあと、静かに息を吐いた。
「だと思ったよ」
源蔵が横目で見る。
「何がじゃ?」
「鷹司を探してる連中がいるってことさ」
エドワードは席を立った。
その表情には怒りも、焦りもない。
ただ、いつもの穏やかな顔。
「ちょっと行ってくるよ」
「エドワード」
「大丈夫。殺す気はないから」
エドワードは刀を手に取る。
男たちの背後へ、音もなく近づいた。
「……ん?」
男の一人が振り返る。
その瞬間。
――カッ。
鞘から抜かれた刀の峰が、男の首筋を正確に打った。
「ぐっ……」
男が崩れ落ちる。
続けて二人目。
「な、なんだ――」
エドワードは身体を滑らせるように踏み込み、刀の柄で肩口を打つ。
「ぐあっ……!」
そのまま男も床へ倒れた。
最後の一人が立ち上がろうとしたところへ、エドワードの刀が一閃する。
刃は使わない。峰だけが、男の意識を奪う。
三人とも、静かに床へ倒れた。
店内がしんと静まり返る。
エドワードは刀を鞘へ戻した。
「……よし」
源蔵は呆れたように息を吐く。
「相変わらず、恐ろしい腕じゃのう」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
エドワードは男たちの懐を探り、身分を示す小さな札を取り出した。
そこに刻まれていた紋章を見て、目を細める。
「……なるほどね」
「何じゃ?」
「どうやら、鷹司を探してる連中は……思ったより近くにいるみたいだ」
源蔵の表情から、笑みが消えた。
エドワードは倒れた男たちを見下ろした。
そして、ふと懐を探る。
「……あ」
源蔵が眉をひそめる。
「どうした?」
「僕さ。お金持ってないんだった」
「……」
エドワードは何のためらいもなく、男の懐へ手を伸ばした。
「ちょっと待てい」
「だって、朝から何も食べてなかったし。この料理のお代くらいは必要だろ?」
「それはわしが払う」
「じゃあ、僕の分だけでも」
「そういう問題ではない!」
エドワードが財布を抜こうとした、その時だった。
「お客様」
背後から、女性の声がした。
エドワードの手が止まる。
振り返ると、食事処の店員らしい若い女性が立っていた。
穏やかな笑顔。
きちんとした和装。
一見すると、普通の店員にしか見えない。
「……」
だが、エドワードは一瞬で違和感を覚えた。
笑顔なのに、目が笑っていない。
女性は床に倒れている男たちを一瞥すると、何事もなかったかのようにエドワードへ視線を戻した。
エドワードは財布から手を離した。
「悪かったね。暴れてさ」
女性はにこりと笑う。
「いえ、お気になさらず」
「……」
「店内を壊されたわけでもありませんので」
その言葉に、エドワードの目がわずかに細くなる。
普通なら、客同士の揉め事で三人も倒れていれば、もう少し驚いてもよさそうなものだ。
ところが、この女性はまるで最初からこうなることを知っていたかのように落ち着いている。
源蔵も気づいたらしい。
「……随分と肝の据わった店員じゃの」
「そうだね」
エドワードは笑みを浮かべる。
女性も笑顔を崩さない。
「それより、お食事のほうはいかがでしたか?」
「うん。美味しかったよ」
「それは何よりです」
女性はそう言って、倒れている男たちへ歩み寄る。
そして、しゃがみ込む。
「こちらの方々は……どうしましょうか」
「放っておけば、そのうち起きるよ」
「そうですか」
女性は男の懐に手を入れようとしたエドワードの手元をちらりと見る。
「……お客様」
「ん?」
「お財布でしたら」
女性は微笑んだまま言った。
「こちらで用意いたしますよ」
エドワードの笑顔が、一瞬だけ固まった。
「……へぇ」
店員の女性は、相変わらず穏やかに笑っている。
だが、その目の奥には――明らかに普通ではない何かがあった。
女性店員は、にこやかな笑顔を浮かべたまま立ち上がった。
「……では、お代は――」
次の瞬間。
――シャッ。
袖の中から刀が滑り出した。
「!」
エドワードの表情が変わる。
女性は一切の躊躇なく、エドワードへ斬りかかった。
「危ないねぇ!」
エドワードは身体をひねって刃をかわす。
刀が、先ほどまでエドワードのいた場所を通り過ぎた。
「やっぱりそういうことか!」
女性は答えない。
再び踏み込んでくる。
エドワードは刀を抜かず、相手の懐へ入り込んだ。
「悪いけど――」
ドンッ!
「今日は付き合ってる暇がないんだ」
エドワードの蹴りが女性の胴を捉える。
女性は後方へ弾き飛ばされ、床を滑った。
その隙にエドワードは源蔵の腕を掴む。
「源蔵、走るよ!」
「お、おい! わしは老人じゃぞ!」
「知ってる!」
エドワードはそのまま源蔵の手を引き、店の出口へ駆け出した。
「待ちなさい!」
背後から女性の声が響く。
エドワードは振り返らない。
「いやだね!」
二人は食事処を飛び出し、間羅の街を駆け抜けていく。
源蔵が息を切らしながら叫ぶ。
「エドワード! 何故逃げる! お主なら――」
「戦えるよ!」
エドワードは走りながら答えた。
「でも、今ここで戦い続けたら、鷹司を探すどころじゃなくなる!」
「……!」
「それに――」
エドワードが一瞬だけ後ろを見る。
食事処の入口。
あの女性店員が、刀を手にして立っていた。
追ってくる気配はない。
ただ、こちらを見ている。
「あの女、僕を試したように見えるんだけどね」
源蔵の顔が険しくなる。
「何じゃと?」
エドワードは前を向いた。
「嫌な感じがするよ。ここから先、もっと面倒なことになりそうだ」




