二章・6
僕の間の抜けた声は、彼女の耳に届いていただろうか。
幡宮は勢いよく駆けだし柵に足を掛けると、身を乗り出して大声で叫び出した。
「おいこらユータ!! てめえ、なあにえさもらえんのぼけっと待ってんだあっ!?」
僕も、飼育員も、そしてポニーたちまでもが、幡宮のその大声に驚いていた。
「…………は、はあ!? いや、ちょっと幡宮、何やってんの!?」
僕はそう言ったけど、幡宮はお構いなしに続けた。
「お前みたいに障害に甘えてだらけてるやつ見るとたとえ動物でもむかつくんじゃい、わたしはっ! 世の中なめてんじゃねえよっ!!」
彼女は突然左の袖をまくりあげると、ユータに見せつけるようにその左腕をあらわにした。
「わたしは生まれてからずっとこんな腕だけど、だけれど、これで誰かに甘えたりしたことはないぞっ! 一度もだ! それが何でかわかるかっ!? 必要ないからだっ! こんな腕だけど、わたしは普通のやつらと対等なんだ!!」
彼女は爆発したように叫び続けた。僕が言葉を挟む暇なんてなかった。
彼女は肘から先がない左腕をユータにつきつけた。それはまるで、見えない左手でユータを指差したように見えた。
「お前だってポニーとしての、生物としてのプライドがあるのなら、エサをただ座ったままもらうんじゃなくって、自分から獲りに行ったらどうなんだよ!?」
彼女はそう言うと、右手にニンジンを持ってそれをユータの方につきつけた。
飼育員の男性はといえば、わけのわからない女子の演説にあっけにとられて、エサのバケツを持ったまま立ち止まっていた。
そう言う僕もあまりのことにびっくりして特に何も言えなくなったから、一緒にユータの方を見ていることにした。
そのユータはといえば、しばらくの間じっとしていたけど、ぐっと顔を上げると、三つの足に力を入れて立ち上がろうとした。だけど、一歩歩きかけたところでがくっと膝をついてしまった。
やっぱり足を一つ使えないというのは厳しいんじゃないのか。人間だって片足が片方ないと歩けない。ポニーは残り三つあるからと言って、大変なことに変わりはないだろう。
だけれど片腕がない幡宮は、じっとユータを見つめて、というか睨みつけて、何も言わずに、待ち続けた。
その後もユータは立ちあがろうとして、そしてまた失敗し、だけれど諦めずに幡宮の方に近づいて行った。ユータは足を引きずり、息を切らし、体を土まみれにしながら進んで行った。
そして、ついに……。
「お、おお、食べた……」
その光景を見た僕の口から、自然と言葉が漏れた。
ユータは首を幡宮の手に精一杯伸ばして、幡宮が持っていたニンジンを食べた。
幡宮はそれを見ると、さっきと打って変わって特に何も言うことなく、ユータを一瞥するだけですたすたと歩いて行ってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってよ幡宮さん」
僕は彼女のあとに急いでついて行った。
「そんなすんなり行っちゃうの? もうちょっとなんか、こう……ないの?」
始まりと終わりのテンションが違いすぎるでしょ。さっきはあんだけ熱く語っておいて、終わったらさっさと立ち去っちゃうとか。
「なんかってえ?」
彼女はめんどくさそうに言った。
「ほら、なんか、よくがんばった! みたいな声かけたりとかさ」
「……君は案外考えがメルヘンだねえ。もしかして乙女ちゃん?」
馬鹿にしてんのかこいつは。
「動物が人間の言葉なんてさあ、わかるわけないじゃん。それなのに労いの言葉なんてかけてどうすんのお?」
「いや、さっきその動物に向かって熱弁をふるっていた人に言われたくないんだけど」
「さっきのは別に伝えようとして言ってたわけじゃなくって、むかついたから吐き出しただあけ。別に今後あいつがどうなろうと知ったこっちゃないよ、わたしは」
そう言うと彼女は足を速めて、ずんずんと動物園の出口の方に進んで行った。
「ほら、もう十分見たでしょお。次行くよお」
「あ、うん」
これまた自由なやつだ。
「……でもまあ、割と頑張ったんじゃないの」
「え?」
「なんにも言ってないよお。てやー」
そんな変な掛け声とともに、幡宮は動物園からバス停に続く坂道を下りていった。
まったく、君を僕はわからないよ。