六章・1
幡宮と一緒に出かけなくなってから、幡宮が陰湿ないじめを受け始めてから、一か月が経とうとしていた。
その間僕は、何もすることができないままでいた。
普通に学校に通って、クラスメイトに薄っぺらな笑顔を向けて、そして幡宮がいじめを受けているのを見ていた。
メールを送るのすら、毎日ではなくなっていた。たまに、二日か三日に一回くらい、つまらない内容のメールを思い出したように送るだけだった。
今日も朝起きて、携帯を見て、返信がないことを確認して、学校に行く支度をした。
この時の僕はもしかしたら、半ば諦めていたのかもしれない。
だって諦めたからと言って、それで誰かに責められたりしない。あの約一か月の出来事を忘れさえしてしまえば、僕は悩む必要はなくなるんだ。彼女と出かけたことを忘れてしまえば、僕は悩む必要はなくなる。
この状況をどうにかするなんて、僕には無理だ。僕みたいなただの高校生には、大きすぎる問題だ。
彼女の抱えている問題は、僕の手には到底負えない。
ごめん、幡宮。それに、沙耶さんも、ごめん。
そんな思いを抱えていることは一つだって表に出さず、今日も僕は無事に放課後を迎えた。
少しくらい動揺したっていいはずなのに、僕は平然といつも通りに学校にいる。
僕という人格はもはや、手遅れみたいだ、と思った。
僕はいつも、一人で下校する。誰かと昇降口で一緒になったら、一緒に帰ることもあるけれど、基本的に一人だ。
この日も僕は一人で帰り道を歩いていた。頭の中では、いろんなことを考えていた。
川をまたぐ大きな橋を渡っていたときだ。その思考の中に、水の流れる音と同時に、なんだか頭の悪そうな笑い声が入りこんできた。
その方向を見ると、僕と同じ学校の制服を着た人たちがいた。
男子と女子が半々くらいのそのグループは見覚えがあった。表向きは元気のいい、明るくてノリのいいグループ。だけど、知っている人が言えば、万引きくらいはノリでやるような、そんなグループ。
その中には、同じクラスの女子生徒もいた。それに、須藤君の姿もあった。今日も部活の練習さぼったんだ、あの人。
彼らはしゃべりながら歩いているから、すごくもたもたとしている。このまま歩いて行けば、僕は彼らを追い越すみたいな形になってしまう。
あまり彼らとは関わりたくないな。何も言わずに追い越すのは変だし、かと言って今彼らと会話したい気分じゃない。
そう思い、僕は彼らを避けて迂回して帰ろうと思い、いったん来た道を戻ろうと、踵を返そうとした。
だけれど、僕の目に、須藤君が手に持っているものが映った瞬間、僕の体は、金縛りにあったみたいに動かなくなった。
なんで、それを、須藤君が持っているんだ?
それは、だって、彼女のものだろう。
自分では言わなかったけれど、きっと彼女にとってとても大切なものなんだ。
お姉ちゃんと会えない妹が、それでもプレゼントを贈りたくて、贈ってあげたものなんだ、それは。
「なあ、盗ってきたけどさあ、ぶっちゃけいらなくね?」
須藤君がそれを乱暴に振り回しながら言った。
「あは、たしかに!」
「ってかなんで盗ってきたし」
「これなくしてさあ、あの×××今頃どうしてんだろう!」
「馬鹿みたいに慌ててんじゃねえ? ×××だし!」
「ぎゃはは、まじウケる!」
まるで彼女があいつらのおもちゃになったみたいだ。好き勝手言われて、笑われて。
僕はその場に、膝をつきそうになった。
苦しくて、辛くて。
僕の想いは、ともすれば勝手なものかもしれない。いじめられているのは彼女で、傷つけられているのは彼女なのに、僕が傷つくなんて、勝手なことなのかもしれない。
だけど、それでも僕は、深く傷ついた。
「っつうかまじで邪魔だぞ、これ」
「捨てちゃえば?」
「ああ、それな」
そう言って須藤君は、何のためらいもなく、手に持っていたリュックを、橋の上から放り投げた。
リュックはそのまま落ちていって、橋の下を流れている川に水音を立てて落ちた。
「あーあ、落っちゃった」
「まさかまじで捨てるとは!」
「さっすが須藤」
「まじウケる!」
彼らは他人のものを川に投げ捨てたというのに、いつもみたいに笑っている。
僕は橋の下を覗き込んだ。水の量は多くないから、流れはゆっくりだ。だけれど、このままじゃ、幡宮のリュックは流れていってしまう。
ひ、拾いに、行かないとっ! 僕はすぐにそう思った。
須藤君たちに見られるかもしれない。
そうしたら、幡宮を庇ったとかなんとか言われたり、するかもしれない。
でも、幡宮と沙耶さんのことを知っていて、放っておけるわけがない。
以前までの僕ならきっと、見て見ぬふりをできただろう。
だけど、もう無理だ。
あの一か月のことを、僕は忘れられない。
だから、僕は行かなくちゃいけない。
後で何か言われても、どうにかごまかそう。それくらいはできると思う。いや、大丈夫、できる、できるから。
だから、早く行かないと!
僕が決心して河原の方に降りて行こうと駆けだしたとほぼ同時に、僕のポケットの中の携帯がメールの受信を告げた。
こんな時にメールなんて気にしていられない。だけどそれが、誰かさん以外からのメールなら。
なんで今、君から?
はやる気持ちを押さえて携帯を取り出した。
それは、幡宮からだった。
ちなみに、なんで携帯を見る前からわかったかと言えば、恥ずかしいことだけれど、僕は幡宮からのメールに個別の着信音を設定していたから。
だけど、なんでこのタイミングで。
僕は河原に向かいながら携帯を開いてメールを読んだ。
『拾わないで。放っておけばいいから』
彼女からの久しぶりのメールは、こんな二言だった。
まさか彼女は、どこかからここを見ているのか? 見回してみたけれど、僕の近くに彼女の姿は見えなかった。
でも、拾うなって言ったって、そんなことできない。
僕は気にせずに走ろうとしたけど、それを見越したようにまたメールが来た。
『だから、拾うなって言ってんでしょうが。人の話を聞け。吉野くんが拾おうとしてくれた。それだけでわたしは十分だから』
そんな、そんなんで十分なわけないだろ。
すると続けざまにメールが届いた。
『あれはただのリュックだし、リュックも中身も買い替えればいいだけ。それよりも、君が拾ったところをあいつらに見られることの方が問題。君の平穏な学生生活が終わっちゃう』
後半はともかく、前半は嘘だ。絶対に嘘だ。
ただのリュックじゃないことくらい、知ってるんだよ。
それでも僕が川に向かう足を止めないと、またメールが来た。
まったく、今まで全然僕のメールに返してこなかったくせに。
『わたしと一緒になっちゃうよ!? わたしみたいにいじめられるんだよ!? だからやめてよ! もういいんだよ!!』
もう、君は優しいなあ。
自分の大切なものがあんなことになっているときにまで、僕に気を遣わなくたっていいんだよ。
僕は幡宮にメールを一通送りつけると、鞄に財布と携帯を入れて、それで上着を脱いで、二つ一緒に河原に置いた。濡れると困るからね。
僕が送ったメールは、
『あのリュックを拾わなかったらあいつらと一緒になっちゃうよ。どっちかと言えば、僕は君と一緒がいいな』




