五章・3
初めて話す女の子とは喫茶店に行かないといけないというルールでもあるんだろうか。
僕は幡宮によく似た人と近くの喫茶店に入った。
一応言っておくけれど僕が誘ったわけじゃない。僕をそんな軟派な人間だと思われたら困る。
向こうから誘ってきた。なんでも、話したいこと、聞きたいことがあるそうで。
「はじめまして。わたしは、南 沙耶と言います」
最初に、その人はそう言った。幡宮と同じ顔で、幡宮と同じ声で、幡宮と違う名前を名乗った。
「……僕は、吉野 翔太郎、です」
「あの、吉野さん。さっき言われていたはたみやというのは、幡宮 千紗のことですか?」
「幡宮のこと、知っているんですか?」
「はい。……顔を見てもらったらわかると思うんですけれど、わたしは、妹なんです。双子の」
なんとなく、千紗さんの顔を見た時から、薄々思っていたことではあったけれど、やっぱりはっきりと言われると、驚く。
彼女に、双子の妹がいたなんて。
そんなこと、一言も言っていなかった。
「名字が違うのは、わたしたちが小さい頃に両親が別れてしまったからです。わたしは父親の方に、お姉ちゃんは母親の方に引き取られました」
「そう……だったんですか。あの、幡宮とは今も会っているんですか?」
僕が聞くと、沙耶さんはうつむいて首を横に振った。
「もう、十年以上ですね、会っていません。会いたくないわけじゃないんです。けれど、父が許してくれません」
それは、そうだろうと思った。
僕は、幡宮の今の家庭を知っているから、そう思った。
「お姉ちゃんのことは、おぼろげな記憶しかないんですけれど、それでも少しは覚えています」
「聞かせてもらっても?」
「はい。たとえば、そうですね。……家族四人で旅行に行ったときなんですけれど、電車に乗って行ったんです。その時お姉ちゃんはわたしに窓側を譲ってくれたんです。幼かった自分も景色を見たかったはずなのに」
その話を聞いて、僕は幡宮とバスケを見に行った時のことを思い出した。
あの時彼女も、このことを思い出していたのだろうか。
「あの、お姉ちゃんは今、どうですか? 元気にしていますか?」
何も知らない沙耶さんは、僕にとってあまりに残酷なことを聞いてきた。
沙耶さんは何も悪くない。生き別れのようになってしまった家族を案じるのは、当たり前のことだ。
僕はこの時、ごまかしてもよかったのかもしれない。沙耶さんのためを思って、嘘を伝えればよかった。沙耶さんが望んでいるか幡宮の今を、作って、言ってあげればよかった。
だけど、できなかった。
彼女と同じ顔と声で、そんなことを言われてしまった僕の心には、少しの余裕もなくて、沙耶さんに嘘を言う余裕もなくて、だから僕は、彼女に本当のことを伝えてしまった。
真実を。幡宮の、今の全てを。
○
僕は、僕が知っている彼女を全部、沙耶さんに伝えた。
全部を話し終えたとき、沙耶さんは泣いていた。
「そんなっ……ひどいっ……」
沙耶さんのこんな顔を見るのなら、やっぱり言わなければよかったと、僕は今さらどうしようもないことを思った。
幡宮が泣いているのを、そう言えば僕は見たことがない。
中学の時も、彼女が自分のことを話してくれたあの喫茶店でも、そして今も。
彼女は泣き顔を見せない。泣き言さえ言わない。
泣けばいいのに。
泣いて全部吐き出せばいいのに。
けれど、彼女はそうしない。
彼女は何より、甘えることが嫌いだから。
耐えて、耐えて、耐え凌ぐという強さを、幡宮は持っている。それが本当に正しい強さなのかは、わからないけれど。
僕は沙耶さんが泣き終わるのを待った。
それでそのあと、僕は沙耶さんに怒られるのを待った。
どうしてそこまで知っていて、何もしないのだ、と。彼女を助けようとしないのだ、と。
そう思われて当然だ。僕はすべてを、沙耶さんの怒りの全てを受け止める覚悟をしていた。
だけれど沙耶さんは泣き止んだ後、僕に怒ったりはしなかった。
それどころか僕に対して「ありがとう、ございます」ということを言ってきた。
意味がわからない。
どうして、僕なんかに礼を言うんだ。
僕は、君のお姉さんの今を知っていながら、何もしないようなやつだぞ。
平気な顔で見て見ぬふりをしている、最低なやつなのに。
だけど、沙耶さんはもう一度僕に礼を言ってきた。
「ありがとうございます。お姉ちゃんのことを、教えてくれて。あなたも、辛いのに」
何を言っているんだ、この人は。
「話すことさえ辛いのに、泣いてしまうほど辛いのに、それでもわたしに本当のことを教えてくれて……ありがとうごさいます」
沙耶さんはそう言うと、僕にハンカチを渡してきた。
「これで、拭いてください」
何を?
僕が不思議な顔をしているのを見て、沙耶さんは自分の目のあたりを指した。
僕はなんとなく、自分の顔を触ってみた。
手に、熱いものが触れた。
「え?」
顔から手を離して、手を見てみると、僕の手は濡れていた。
僕は、知らない間に、涙を流していた。
僕は渡されたハンカチで慌てて涙をぬぐった。
「そこまでお姉ちゃんのことを考えてくれて、想ってくれて、ありがとうございます」
僕が顔を拭いていると、彼女はもう一度僕に頭を下げた。
「いや、僕は、そんな」
何もしていないのに礼を言われると、とても申し訳ない気持ちになる。
「僕は幡宮には何もしていないし、何もできない。できていない」
今の幡宮にできることなんて、何も思いつかない。
「せめてと思って、何度かメールを送っているんだけれど、返ってこない」
向こうから、関わりを絶たれている。
「……もしかして」
すると、沙耶さんは何かを思いついたようにつぶやいた。
「何か?」
「あの」
そう言って沙耶さんは続けた。
「わたしたちは小学校の低学年はまだ同じ家族で、同じ学校だったんです。クラスは違いますけれど。その頃も、お姉ちゃん、いじめられていたことがあったんです。それでわたし、お姉ちゃんを守ろうとして、一緒にいようと思ったんですけど、その時おねえちゃんは、わたしに『近づかないで』と言ったんです。当時はお姉ちゃんがなんでそんなことを言ったのかわからなくて傷ついたんですけれど、今思えば、お姉ちゃんはきっと、巻き込まないようにしていたんだと思います」
いじめられている人を庇えば、庇った人もいじめの対象になる。小学生でもわかる、理屈だ。そんなの、道理は通っていないけれど。
だから小学生の頃の幡宮は、沙耶さんまでいじめの対象にならないように、あえて突き放したんだ。
ということは、つまり。
「今も、そうだってこと?」
僕が聞くと、沙耶さんは「もしかしたら」と言った。
幡宮は、僕を今の状況に巻き込まないように、僕との関係を絶った。推測でしかないけれど。
彼女が僕を週末にどこかに誘わなくなったのも、そういうことなのかもしれない。
思えば彼女は、僕が幡宮と一緒にいるところを見られたくないだろうと最初から気にしていて、それで早朝に待ち合わせ時刻を決めていた。
それに、僕にはもう一つ心当たりがあった。
ファミレスで彼女が消えたとき。
生理が来たとか言っていたけど、あれはもしかしたら、須藤君がいたからかもしれない。僕と彼女が一緒にいるところを、須藤君に見られないように、彼女は僕に黙ってどこかに行ってしまった。
今になって僕は、自由気ままで勝手だと思っていた彼女が、実は僕にとても気を遣っていたんだと気づいた。
「けど、だとしたら、幡宮は誰にも頼らず、一人きりで我慢し続けるって、ことに」
それは彼女の甘えないという信念には沿っているけれど。
「そんなの、とっても辛くて、苦しいじゃないか」
助けを求めようとしない彼女の生き方は、彼女の強さを知っている身からすれば、あまりに痛々しかった。
僕も、沙耶さんも、それっきり、何も言えなくなってしまった。
何か彼女を救える方法はないかと、考えたけれど、拒絶されている以上、手の出しようがない。




