五章・1
運動公園を出た僕たちは、近くのご飯屋さんへ寄って夕食をとった。
彼女は運動をしてエネルギーをたくさん消費したのか、僕の二倍くらいの量の白ご飯をかきこんでいた。三倍かもしれない。
食べ終わった後、僕たちは電車に乗って帰った。駅に着いたら彼女は「またねえ」と言った。
僕も「ゆっくり休みなよ」と言って、別れた。
僕はいつものように家に帰り、いつものように風呂に入ったりして、いつものように布団に入った。
来週の週末は、何をするんだろう。
そんなことを、考えながら。
○
思いもしなかった。
だって、これは取引だから。
どちらにとっても、解消されたら困る取引だから。
だから、終わるなんて思いもしなかった。
幡宮との週末が、終わるなんて思いもしなかった。
いつまでも、続いて行くものだと思っていた。
でも、そんなことはなかった。
楽しいことはいつまでも続きはしない。
何事にも終わりはある。
諸行無常、というそうだ。
僕と幡宮が週末を一緒に過ごすことは、これが最後になった。
○
月曜日。なんの代わり映えもないだろうと思っていたのに、突然それは始まった。
それは朝の昇降口で気がついた。
幡宮が下駄箱の前で呆然と立っていた。
ちらりと様子をうかがうと、彼女の下駄箱の中には上履きがなかった。
彼女の足元にも、その右手にも上履きは見当たらなかった。
…………一瞬、息ができなくなった。
その時、僕はもう気がついていたんだろうけど、気づきたくはなかった。
だから気のせいだと思った。気のせい。気のせい。
自分に言い聞かせた。
なのに、廊下に置いてあるごみ箱の中を見てしまったから、気のせいは確信に変わった。
そのごみ箱の中には、一足の上履きがあった。
ごみ箱の中の上履きには、手書きで『幡宮』と書かれていた。
どうしてなんだ。どうしてまたこんなことを……。
まるで、暗闇の中に突き落とされた気分になった。
幡宮へのいじめが、また始まった。
○
どうしてまた始まったのか。
もう、君らは高校生だろう。受験生だろう。
こんなことしてる暇なんか、ないだろうに。
僕はそう思ったんだけど、そんなのが関係ないことは、とうに知っている。
いるんだ。誰かをいじめて気持ち良くなるやつが、この世界には。
客観的には何の利益もないのに、そういうやつらは、好き好んで繰り返す。
ちょっとした理由を見つければ、それこそ、死体にむらがる蠅みたいに、いじめてもよくなったやつの周りに集まる。
いじめに理由はあるけれど、その理由が大したものかなんて関係ない。
理由さえあれば、十分なんだ。
いじめる側にとっては。
○
伝え聞いたところによると、それは先週の金曜日のことらしい。
学校の廊下を歩いていた女子生徒の肩と幡宮の肩がぶつかったんだそうだ。
女子生徒の方は、学校内でも割と力を持っているグループの女子だった。
ぶつかったとき幡宮は、何も言わずに行ってしまった。
そういうこと、なんだそうだ。
それがきっと、土日のうちに生徒の間に広まって、月曜日の朝にあれが起こった。
見ていた人によると、女子生徒の方が数人で廊下を横いっぱいに並んで、ふさぐようにして、前を見ずに話しながら歩いていて、幡宮がなるべく廊下の端によってよけようとしていたそうなんだけど、そんなことは関係ない。
実際にどうだったかなんて、関係ない。
彼女たちにとっては、地味で底辺で障害者の女子がぶつかってきて、謝りもせずに立ち去って行ったことが、気に食わない。それだけ。
彼女の周りの人にとってもそう。なんか調子乗ってるっぽい女子がいる。みんなもいじめているし、なら、いじめてもいいんだろう。それだけ。
自分が一緒にいじめなかったら自分もいじめられるからいじめる。それだけ。
もしかしたら、受験のプレッシャーとかもあって、それが拍車をかけているのかもしれない。ちょうどいいはけ口になったんだ。このことは。
だけれど、そんなの、どれも、これも、あれも、それも、どいつもこいつも!
「幡宮には、全然関係ないじゃないかっ!!」
僕は我慢しきれなくなって、自分の部屋でそう叫んだ。
家にいる家族に聞こえるかもとか、もし外を学校の生徒が通っていたらとか、普段僕はそういうことを気にかけるのに、そんなことは考えられなかった。
そんなことよりも、僕は、幡宮のことを考えていた。
考えずには、いられなかった。
今は、金曜日の夜。
今週一週間は、本当に、胸の悪い一週間だった。
胸糞悪い、一週間だった。
気にしたくなくても、意識に入ってきてしまう。
彼女が何をされているかは。
直接的なことは、何もされていなかった。直接暴力を振るわれたり、暴言を浴びせられたりはしていなかった。
ただ、いじめなんて直接何かしなくたって、間接的に何かすることはできる。いや、むしろそっちの方が多いだろう。精神的にも、そっちの方がやりやすいだろうし。
そして間接的ないじめの方が、とても悪質で、残酷だ。
僕は、彼女がいじめられているのを、この一週間、黙って見てきた。
だけれど、それは、中学生の頃とは違っていた。無関心に見ていたんじゃない。
何かしたくて、何もできなくて、何をすればいいのかわからなくて、悔しくて、歯がゆくて、辛くて、苦しくなりながら、見ていた。
僕は月曜日から、せめてもと思い、毎日、メールを彼女に送っていた。だけど、彼女からの返信はなかった。
毎日、毎日、何通も送ってみたんだけど、一通も返信はなかった。明日明後日の予定も、彼女は送ってこなかった。
僕は、どうすればいいんだろう。
友達がいじめられているときの、正しい行いを、正解を、誰か、教えてほしい。




