三章・2
それから僕たちは目的の駅に着くまで、お菓子を食べながらとりとめのない話をした。勉強の話とか、テレビの話とか、アニメや本の話とか、それと彼女の腕の話とか。
彼女としては普通の人のように生活したいと思っていて、苦労なんてないと思っているそうなんだけれど、いかんせんこの社会は両手両足がそろっている人用にできているから、困ることはあるらしい。彼女自身は、困っているとは絶対に認めないけれど。
一番難しいことは、走ることだと、彼女は言う。
「走るときってさ、手を振るよねえ。前後に、こう、ねえ」
彼女はジェスチャー付きで教えてくれた。
「でもわたし片っぽしかないからバランスが取りづらいの。だからわたしは、時間に余裕を持って行動することを心がけてんだよお」
急げないからねえ、と彼女は言った。
「へえ、そうなんだ。ん? ああ、だから君はいつも待ち合わせ時刻の前にいるのか。遅れても走れないから」
それで納得がいった。いやでもそれにしたって三十分以上前にもういるとか、バッファを読み過ぎだろ。
「いやー、違うよお」
「あれ、違うの? じゃあなんで?」
「それはねえ……君よりも早く来て君を待ちたいからだよ」
……え? それってどういう意味なんだ?
僕のことを、待ちたい?
「吉野くんよりも先に来て吉野くんの悔しそうな顔を見たいんだよお」
……僕はもう、彼女の発言には何も思わないことにした。人をおちょくるのが仕事なのか、君は。
そんな感じで話をしていたので、実際は三時間ほど電車に乗っていたんだけど、移動時間はさほど長く感じなかった。
駅に着いて改札を出ると、幡宮にバス停に連れて行かれた。
「まだ移動するの?」
「もう少しね」
「そろそろどこに行くか教えてもらってもいいかな?」
「着いてからのお楽しみさあ」
いったい何があるというのだろうか? こんな遠方まで来て。
次に来たバスに僕たちは乗った。行先には『M市立体育館』の文字が光っていた。
体育館? スポーツでもしに行くのかな? でもさっき幡宮は走るのが苦手だって言ってたはずだけど。もしかしたら途中で降りるのか?
まあでも、聞いたところで答えてはくれないだろう。だから僕は車内で何も聞かずにいた。
ここまで来たら何が目的だろうが、どこに行こうが関係ない。
なるようになれ、だ。
幡宮は途中で降りることはなく、終点まで向かった。
バスを降りた目の前には、大きな体育館があった。
「ここ?」
「ここ」
彼女の後について体育館の方に歩いて行くと、たくさんの人がいるのが見えた。
その人たちは大きく英語のかかれたスポーツタオルや、背中に番号がかかれているユニフォームのようなものを着ていた。
「スポーツの試合?」
「うん、そうだよお」
「何の試合?」
「あそこに書いてあるよお」
彼女が指差す先には、看板があった。そこには、
「車いすバスケットボール?」
「知らない?」
「いや、まあ名前だけなら」
「見たことは?」
「いや、ない」
「そっかあ。それはよかった」
きっと驚くよお、と彼女は嬉しそうに言った。それは自分だけが知っている楽しいことを、人に教えるみたいだった。
車いすバスケは、名前だけなら聞いたことがあるとはさっき言った。だけどちゃんと見たことは一回もない。だいたい僕はスポーツ観戦にあまり興味がないので、普通のスポーツすら見ない。
幡宮は驚くよと言ったけど、何に驚くというんだろう?
僕は車いすバスケのことを少し想像してみた。普通に車いすに乗って、こぎながらゴールを目指すんだろうな。車いすってことはそんなに速くはないだろうから、テンポの遅い試合になるんだろう。レクリエーションみたいなものかな? まあ、僕らが体育でやるバスケと似た感じかな。
でもそれでこんなに大勢の人が見に来るものなのかな?
彼女の後ろについて僕は体育館の中に入っていった。入り口で観戦料を払い、パンフレットを受け取って席に歩いて行く。
試合会場の中には外よりも多くの人がいた。観客席はいっぱいだ。だけどコートの中には誰もいなかった。試合前に練習したりアップしたりしないんだろうか?
「もうすぐ始まるから、選手の人はみんな一回ロッカールームに戻ってるんだあ」
「ああ、もう始まるんだ」
彼女の言葉通り、五分もしないうちにアナウンスがかかり、選手の人たちが入場してきた。それと同時にワーッと周りから歓声が上がる。
「すごい人気だね」
「そりゃあねえ」
でも僕はそれよりも、もっと気になることがあった。
「ねえ、幡宮。あれって車いすなの?」
「そうだよお。競技用だねえ」
選手が乗っている車いすは、僕が知っている車いすとは全く違った形をしていた。タイヤは八の字に傾いていて、フレームもなんだか複雑な形で、まるで未来から輸入してきたみたいだった。
そしてさらに、僕が驚いたのは、
「あの人たち、腕すごいね」
選手の腕はみんな、まるでプロレスラーのように太かった。しかもただ太いだけじゃなくって、すごく引き締まっていた。
「車いすを全力で走らせて、そしてボールを上半身の力だけで投げるからねえ。腕の筋力はたぶん高校のなんちゃって運動部よりはずっとあるよお」
あいかわらずな調子で彼女は言ったけど、僕は一理あるなと思ってしまった。
僕は部活には入っていないけど、僕の周りの人たちは運動部とかに入っている。優も須藤君も、運動部に入っている。
彼らの中のどれくらいの人が、本気で上を目指しているんだろう? もちろん中には本気で全国とかプロとか目指している人だっているだろう。でもそんなのはきっと少数派だ。ほかの人はきっと、思い出作りとか、楽しくやれたらそれで十分とか、そんな感じなんだろうと思う。
「あそこにいる選手たちはホント、修羅の世界の人なんだと思う」
彼女がそう、ぽそりとつぶやくと同時に試合開始を告げるブザーが会場に鳴り響いた。
その瞬間、会場中に、爆発したような歓声が上がった。
「人気チームだからねえ、両方とも。応援はすごいよお」
横にいる彼女が、周りの音に邪魔されないように、僕の耳もとに顔を近づけてそう言ってきた。彼女の吐息が僕の耳に当たり、少しむずがゆくなった。
僕はその変な感覚を遠ざけるように、意識をコートの中に集中させた。
コートの中では選手たちがボールをパスしたり、運んだり、声を上げたりして試合を進めていた。
僕は、思ったよりも速く走ったりターンしたりする選手と車いすや、ゴールに吸い込まれていくボールに、少なからず面白いと感じていた。
うわ、すごい、ゴムの焼けた匂いがする。
詳しいルールはよくわからないんだけど、ドリブルじゃなくってボールを膝に乗せて動くんだなあ、とかも思ったりしていた。あとで幡宮にルールを教えてもらうのもアリかもしれない。
そう思っていた時だ。ガシャンという大きい音がして、僕は飛び跳ねそうなくらいにびっくりした。




