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再会  作者: 志に異議アリ


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3/5

知らない顔


亮介にとって、姉は写真の中の人だった。


幼いころのアルバムには、いつも透子がいる。


運動会で帽子を押さえている透子。

誕生日ケーキのろうそくを見ている透子。

海辺で泣きそうな顔をしている透子。

 

けれど記憶の中の姉は、どれも輪郭がぼやけていた。

名前はある。

家族だった事実もある。

なのに、声や匂いや体温が思い出せない。

 

亮介が鮮明に覚えているのは、透子がいなくなった後の家の静けさだけだった。

 

朝、階段を下りると味噌汁の匂いがした。

 

台所に立っていたのは母ではなく、透子だった。

 

エプロンをつけ、鍋の火加減を見ている。

 

母は食卓で座ったまま、ぼんやり湯呑みを持っていた。


「おはよう」

透子が振り向く。

亮介は返事をしなかった。

「勝手に台所使ってんの?」

「お母さん、腰痛いって」

母が苦笑いする。

「少しだけね」

亮介は舌打ちしそうになった。

二日で家に入り込んでいる。

母も父も、昨日まであれだけ警戒していたくせに。

 

透子は味噌汁をよそい、亮介の前に置いた。

「ネギ抜いたよ」

亮介の手が止まる。

子どもの頃、ネギが嫌いだった。

今は普通に食べる。

それを知っているのは、昔の家族だけだ。


「たまたまだろ」

「なにが?」

透子は何も気にしていない顔で、自分の席に座った。


その落ち着きが、亮介には腹立たしかった。

仕事へ向かう車の中でも、苛立ちは消えなかった。

姉が帰ってきた。

本物かもしれない。

だから何だ。

二十年もいなかった人間が、今さら家族面するな。

信号待ちで、亮介はハンドルを強く握った。

 

本当は違う。

腹が立っているのは、別のことだ。

透子が消えたあと、家の中心は亮介になった。

写真も行事も進学も、全部亮介基準だった。

母は亮介に優しくなり、父は亮介にだけ期待した。

姉の不在は、亮介にとって居場所になった。

その事実を、誰にも言えない。

昼過ぎ、母から連絡が来た。


「今日は早く帰れる?」

「なんで」

「お父さん、機嫌悪くて……」

「いつものことだろ」

「透子がね、お墓参り行きたいって」

亮介は黙った。

祖母の墓は、透子がいなくなった翌年に建った。

透子は一度も参っていない。


「勝手に行けば」

「場所、知らないでしょう」

「知らないの当たり前だろ」

 

電話を切ったあと、自分の声が思った以上に冷たかったことだけが残った。

帰宅すると、透子は庭にいた。

物置の前にしゃがみ込み、古い三輪車を拭いている。

亮介の三輪車だった。


「それ捨てればいいのに」

 透子が振り向く。

「まだあったんだね」

「そんなガラクタ」

「これ、亮介が私の足踏んで取ったやつ」

亮介の喉が詰まる。

錆びたペダルの跡。

泣きながら母に言いつけた透子。

母は「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言った。

そんな場面を、亮介は忘れていた。

いや、忘れたことにしていた。


「覚えてない」

「そっか」

透子はまた布で泥を落とし始めた。

責める口調ではない。

それが余計に苦しかった。


夕食の席で、父はほとんど喋らなかった。

母だけが場をつなごうとして、無理に明るい話題を出す。

「亮介、この前の昇進の話、透子にもしてあげて」

「別にいいよ」

「すごいじゃない」

透子が言う。

「昔から真面目だったもんね」

亮介は笑いそうになった。

真面目?

子どもの頃、自分は透子の机から小遣いを抜き、宿題を押しつけ、泣けば姉のせいにしていた。

真面目だったのは、母にそう見せるのが上手かっただけだ。


「知ったようなこと言うなよ」

箸を置く音が強く鳴った。

母が驚き、父が睨む。

透子だけが静かだった。

「ごめん」

その一言で、亮介の逃げ場がなくなった。

 

夜、二階の自室で缶ビールを開けたが、ひと口でまずくなった。

階下から、押し入れを開ける音がする。

何か探しているらしい。

亮介は降りるつもりはなかった。

なのに足が勝手に階段へ向かった。

居間の押し入れの前で、透子が座っていた。

段ボール箱を膝に置いている。

中には古い教科書、色鉛筆、賞状、ノート。


「何してんの」

「私のもの、まだあるかなって」

「今さら」

透子は箱の中から、一冊のノートを取り出した。

 表紙にマジックで名前が書かれている。


亮介 自由帳

亮介の心臓が跳ねた。

「それ……」

「覚えてる?」

透子がページを開く。

幼い字で、家族の絵が描いてある。

 

父、

母、

亮介。

 

端に、小さく棒人間みたいな透子。

 

その横に、子どもの字で書かれていた。

ねえちゃんはいらない

 

亮介の視界が揺れた。

「それ、子どもの落書きだろ」

「うん」

「覚えてない」

「そっか」

透子はノートを閉じた。

怒りも悲しみも見せない顔で。


「でも私、あの日泣いたよ」

亮介は何も言えなかった。

覚えている。

泣いた透子を見て、少しだけ気分がよかった自分まで。

透子は箱を押し入れに戻し、立ち上がった。


「亮介」

「……なに」

「あなた、昔から爪噛むときだけ左手なんだね」

亮介は慌てて手を下ろした。

自分でも無意識だった癖。


「そんなの誰でも——」

「見てたから」

透子はそれだけ言って、廊下の奥へ消えた。


亮介は暗い居間に一人残された。

自分は姉の顔を思い出せない。

 

なのに姉は、自分の癖まで覚えている。


その事実が、胸の奥を鈍くえぐり続けた。



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