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再会  作者: 志に異議アリ


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2/2

他人


和夫は、娘を二度失った気がしていた。


一度目は二十年前。


中学二年の秋、

学校にも行かず、

朝まで帰らず、

そうしてある日、

本当にいなくなった。


二度目は今日だ。

玄関を開けた先にいたあの女が、

「ただいま」と言った瞬間だった。


あれは透子ではない。

そう思った。

いや、そう思わなければならなかった。


翌朝、和夫はいつもより早く目を覚ました。


隣で雅代は起きていた。天井を見たまま、瞬きだけしている。


「寝てないのか」

「……あなたこそ」

和夫は返事をせず起き上がった。


廊下へ出ると、家の空気が変わっているのがわかった。


誰か他人が泊まっている旅館の朝みたいに、よそよそしい。


洗面所の扉が開いていた。

透子がいた。


鏡の前で髪を結んでいる。ゴムを口にくわえ、手早くまとめ、顔を洗う。水を止める音まで静かだった。


和夫は立ち尽くした。

見知らぬ女の生活音だ。

 

だが、歯ブラシを置く位置だけが、昔と同じだった。

 

コップの右側。柄を手前に向ける。

 

透子は何を置くにも向きを揃える子だった。

 

和夫は胸の奥がざわつき、わざと咳払いをした。

 

透子が振り返る。

「おはよう」

その言い方が腹立たしかった。

何事もなかったように。


「勝手に使うな」

「ごめん」

「ここはおまえの家じゃない」

透子は少しだけ目を伏せた。

それ以上何も言わず、歯ブラシを洗い、棚へ戻した。

その背中が、やけに小さかった。

 

朝食の席で、和夫は新聞を広げたまま言った。

「警察に連絡する」

雅代の箸が止まる。

「待ってよ」

「何を待つんだ」

「もし……もし本当に透子だったら」

「だったら何だ」

声が強くなり、自分でも驚いた。

 透子は焼き魚の骨をきれいに外していた。


昔から魚だけは食べ方が上手かった。和夫が教えたからだ。

「身分証は」

和夫は言った。

「あるのか」

「ないよ」

「ほら見ろ」

「なくしたわけじゃない。作れなかっただけ」

和夫は鼻で笑った。

「そんな話があるか」

透子は黙って味噌汁を飲んだ。

七味の蓋を閉める指先が、少し赤く荒れていた。


会社へ向かう途中も、和夫は苛立っていた。

赤信号で止まり、ハンドルを指で叩く。


雅代は甘い。

亮介は頼りない。


自分がしっかりしなければ、この家は簡単に他人に入り込まれる。

そう思う一方で、別の声が胸の奥にいた。

もし本物だったら。

和夫はカーラジオの音量を上げた。

 

昼休み、車の中でコンビニ弁当を食べながら、ふと昔のことを思い出した。

 

透子が中学生の頃、門限を破って帰ってきた夜。

「何時だと思ってる!」

怒鳴ると、透子は黙って立っていた。

 

雅代は間に入らず、亮介は二階から様子を見ていた。

 

和夫は腹が立って、玄関の外を指さした。

出ていけ。帰ってくるな。

 

冗談半分だった。脅しのつもりだった。

 

透子は一度だけ頷いた。

 

あの頷き方。

 

昨日、居間で見た頷き方と同じだった。

 

和夫は弁当の蓋を閉じた。

急に食欲がなくなった。

 

夕方、帰宅すると、居間から掃除機の音がした。

 

透子だった。

 

古い掃除機のコードが絡みやすいことを知っているように、一度持ち上げて向きを変え、家具の脚を避けながら動かしている。


「何してる」

「埃、すごかったから」

「頼んでない」

「うん」

止めればいいのに、止めなかった。


和夫は廊下に立ったまま、その手つきを見ていた。

ソファの下へノズルを差し込む角度。

仏壇の前だけ音を弱める癖。

雅代が昼寝するときは掃除機を切ることまで知っていた娘の手つき。

 

違う。

偶然だ。

 

そう思ったとき、透子が言った。

「お父さん」

 和夫の肩が揺れた。

「なに」

「車、まだ同じところ擦ってるんだね」

和夫の顔から血の気が引いた。

玄関脇の駐車場。

ブロック塀に昔ぶつけた傷。

家族以外、誰も知らない小さな擦り傷だった。


「……誰に聞いた」

「見えたから」

「そんなもの、誰でも見える」

「そうだね」

透子は掃除機の電源を切った。

家がしんと静まる。


その夜、雅代が小声で言った。

「少しは話を聞いてあげたら」

「聞く必要はない」

「どうしてそこまで」

和夫はしばらく黙っていた。

答えは、自分でもわかっていた。

 

もし本物なら。

 

あの日、玄関で言った言葉も。

 

探すふりだけして、本気で探さなかったことも。

 

近所に“反抗期だから”と笑って済ませたことも。

全部、自分に返ってくる。

 

和夫は布団に入ったまま、壁を向いて言った。


「……他人だ」

雅代は何も返さなかった。

 

深夜、喉が渇いて台所へ降りると、灯りがついていた。

透子が一人で立っていた。

冷蔵庫の前で、水を飲んでいる。

 

昔、夜中にこっそり麦茶を飲みに来て、よく叱った場所だった。

「眠れないのか」

和夫は思わず言ってしまった。

透子はコップを置いた。

「ううん。慣れないだけ」

「……」

「この家、静かになったね」

和夫は返事ができなかった。

 

透子は流し台の横の布巾で、こぼれた水滴を拭いた。

それから和夫を見て、少しだけ笑った。

左の肩が、わずかに上がった。


「おやすみ、お父さん」

 和夫はその場から動けなかった。



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