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37 アンレシア

小さなてのひらに握りしめた

小刀は鋭く妖しく光りずっしりと重く

それを持てば何でも出来そうな

気分にさせてくれる。


子供の手には余る様な

グリップの太さと

手のひらほどの小さな刃渡りが

固く鞘に収められていて

抜くのも一苦労だったけれど


はじめて掴んだ大人の道具に

心は有頂天だったのだ。


腰に下げたナイフとありったけの

道具箱にあった僕の道具と

齧りかけのパンと隠しておいた木の実

を背嚢に詰める。


いつもお爺さんが入れてくれる水筒に

水瓶から水を注ぎ肩から下げる。

ブカブカの薪割り用の革手をはめ

外に置きっぱなしの縄を腰に巻くと

一端の冒険者の様で誇らしかった。


明け方お爺さんが出かけた後

僕は1人で森へ出かける。


それがどんな結果をもたらすのかも

何も知らずに。


ーーーーーーーーーー


前夜の夜露がジメジメと道を濡らし

朝霧が覆う薄闇の中


町から少し森に入った小道の側に

僕らの小さな住まいがある。


まだ日が登るには半刻ほど早く、

霧の奥からは小鳥の声が響く

静かな森の小道。


最初の分岐を左へ

お爺さんにたまに連れられて

何度か通った事もあるこの辺りに


「わかっているもんね」


足取りは軽く順調だった。

青みがかった髪の少年は

1人森の奥深くへ。


リム王国西接の魔の森の入り口は

危険度は少ないとは言え

大人でも安全とは言えない場所だ。


異形のモンスターと

野生の動物が混じって生息しており

熊や野犬も出れば

凶暴なモンスターも出没する。


そう言った特徴から

この場所でしか採れないような

薬草や植物などの資源も多い。


濃い濃度の魔素や瘴気がある様な

特殊な環境下で

ミネラルとそれらを一緒に

取り込んだ植物などが

長い年月をかけて進化し

珍しい成分を含む

独自の生態系を築くのだ。


また凶悪なモンスターが意図せず

守る奥地ほど人の手が付きづらく

奇跡の様な生態系があるのも

皮肉なところだろう。


魔素や瘴気が高濃度で析出した

およそ植物とは思えない様な生態や

鉱石と呼べるか怪しい様な素材など


効能や効果は様々。


僕が目指す目的の植物は

生息地が少し奥まった

場所にあって一度だけお爺さんと

一緒に近くを通った事がある。


この奥に進んだ先にある

アンレシアという花の

群生地である滝の側では

秋に美しい花を咲かせるのを

お爺さんから聞かされた事を

覚えている。


水場の側には生き物が

集まって来る事が多く

色々な動物も見られるという。


実はアンレシアの花は

フィジカルポーションの材料として

需要が高く、

冒険者の間でも比較的高価な値が

つくこともある。


森の小道を子供の足で半日程進む

日が高くなってきたはずだが

薄暗く葉の緑を通して

日の光が森の底を照らす為

時間の感覚が大きく狂う事もある。


奥に向かうほど森は険しさを増し、

モンスターの数も一気に増す。


奇跡的にここへ辿り着くまでに

モンスターや野生動物に

出会う事は無かった。

それが良かったのか悪かったのか…


小さな足で

サクリサクリと枯葉の上を踏みながら

道を外れて滝を目指す。

少し遠くで轟々と水の音が聞こえる。

湿気が一段と濃く辺りの匂いを

かき消して苔の岩が増える。


途中何度か苔に足を取られ

所々擦りむいてしまったが

泣かずに来れた事に

僕はもう冒険者気取りだった。


ゆらりゆらりと森の中に浮かぶ

青白い螢火の様なきらめきが

僅かに軌跡を残し

漂い先へと誘うように。


轟々と水音が響く瀑布は

前日に降った雨が渓流に注ぎ

辺りを水の霧が覆う


少し滝壺に近い場所に

オレンジと紅が混ざった様な

美しいグラデーションの華が咲き

水滴がキラキラと花びらの

上で踊りするりと滑り落ちる。


幸いこの小さい身体でも降りていける

場所が滝の脇にあり

慎重に下へ降りる。


アンレシアには身体の異常を治癒し

活動の力を爆発的に高める効果があり、

勿論薄めて使えば

極めて高い効果のある治療薬になる。


ただし、流通しているアンレシアの

加工品は高価でその流通量も少ない。


アンレシアは採取時に

切り取った時の断面繊維から

強い芳香を放ち婦人方の間では香水の

原材料としても有名である。


冒険者へのクエストとして

発注が盛んであり常に需要がある。

ただし初心者でのソロ探索はギルドでは

許可されていない。


何故ならアンレシアの採取は危険度が

高いからだ。


ーーーーーーーーーーーー


魔の森の入り口に近く街から

約20km程の距離を入った先、

小道が整備されているとは言え

起伏も所々にあり

子供の足で約半日強はかかる。


「意外と簡単じゃ無いか、僕だって

普段からお爺さんと森探索してるし、

よゆうかも!よーしいっぱい取って帰ろう!」


お弁当に持ち出したパンに胡桃バターを塗った物を食べると元気も出てきた。


腰のナイフでアンレシアの花を

収穫する。

お爺さんが手入れしたナイフは

古くてもグリップはしっかりと

カシメられて切れ味は鋭く

丁寧に磨かれていた。


一面がアンレシア独特な芳香に

包まれる。

新緑の葉の様な爽やかさの

中に甘い香りが混ざった様な

とても良い匂いだ。


以前他の植物の収穫を手伝った時

お爺さんに教えてもらった様に

4束位刈り取って滝の水を含ませて

湿らせた麻布で

切り口を包み背嚢の横に括る。


ナイフを革製の鞘へしまい

立ち上がると、

青白い螢火がピタリと止まって

いる事に気づく。


轟々と水音が響き渡る中で

静けさが妙に気になる。


ばきりと枝を踏む音が

滝壺の反対側からなったと思うと、

カチカチと嘴を鳴らす

巨大なカマキリ型のモンスターが

ぬぅっと

岩場の向こう側から顔を覗かせる。


八つの複眼が独立して多方向を

見ながらこちらを二つの目で

確認した後、ギョロリと全ての目が

こちらを向く。


一瞬を置いて


「ギイヤアアアア!」

と咆哮を上げて

こちらに向かって来る。


僕は一瞬固まったがパチリと

螢火にぶつかって気を取り戻すと

身を翻すと全力で逃げ出した。


「ヤバいヤバいヤバいっ!」


背後からはどっかどっかと

モンスターが追いかけて来る。


時折ブゥンと頭上をカマキリの腕が

薙ぎ払う。


頭をががめてなんとかそれらを

かわすと懸命に走り出す。


ツタや鋭い葉で手足を切られ

挫けそうになりながらも

恐ろしいモンスターから必死に逃げる。


何度か足元を取られながらも

足を止めず、死に物狂いで逃げる。


モンスターも足元の苔に取られ

思う様に走れなかった事も

幸運だったかもしれない。


しかし執拗に僕を追いかけ

巨大なカマキリ型モンスターは

僕を逃さんとする。


めちゃくちゃに逃げ回る僕は

とうとう窪地に追い込まれこの足では登る事もできず、ヤツはゆっくりと

嘴をカチカチと鳴らしながら迫る。


もはやここまでかと諦めた僕は、

ぐちゃぐちゃに涙と鼻水で濡れた顔で

ギュッと目をつむって

その時初めて浅はかだった行動を

自覚する。


ごめんなさいお爺さん!

と強く祈った。

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