第37話 家で話したくなったこと
その夜、未沙はいつもより少し遅く帰宅した。
サロンでは、スタッフミーティングのあとも新しいメニューの話が続いていた。施術の流れをどうするか、予約枠をどう組むか。スタッフたちはそれぞれの経験をもとに、実際に始めたときのことを想像しながら意見を出してくれた。
未沙は帰り道、タブレットに残したメモを何度も見返していた。
夕食の片づけを終えたころ、五条がリビングに入ってきた。ソファで未輝と絵本を読んでいたところらしい。未輝は絵本を抱えたまま、眠そうに目をこすっている。
「未輝、そろそろ歯みがきしようか」
「あと一冊」
「今日はもう一冊読んだでしょう。続きは明日にしようね」
「うん」
未輝が絵本を閉じると、五条は洗面所へ連れていった。未輝が自分で歯ブラシを動かすのをそばで見守り、最後は五条が仕上げみがきをする。
「はい、おしまい。よくできたね」
「おやすみなさい」
未輝が寝室へ向かうのを見送ってから、未沙はテーブルの端に置いていたタブレットを手に取った。画面には、スタッフたちと話し合った新しいメニューの案が開いたままだった。
「今日ね、新しいメニューのことをスタッフみんなで話したの」
言ってから、未沙自身が少し驚いた。
家では、サロンの話をあまりしない。仕事のことを持ち込まないのは、未沙にとって自然なことだった。五条もそれを分かっているから、家で仕事の話を聞き出すことはなかった。
五条は未沙の顔を見た。
「そうなんだ」
「うん。私が考えてた案を見てもらって、時間のこととか、お客様への説明の仕方とか、いろいろ意見をもらったの」
未沙はタブレットをテーブルに置いて、画面を五条のほうへ向けた。
「最初は、私が考えた内容をそのまま形にしようと思ってたんだけど、みんなと話したら、見えてなかったことがたくさんあってね。準備や片づけにかかる時間のこともそうだし、初めてのお客様には、メニュー名だけだと伝わりにくいかもしれないって」
「現場でやっている人たちの意見は、具体的だね」
「そうなの。ひとりずつ違うところに気づいてくれて。しかも、ただ難しいって言うんじゃなくて、どうしたらやりやすくなるかまで考えてくれたの」
話しているうちに、未沙の声が少し弾んでいく。
「試しに期間限定で始めて、予約の入り方やお客様の反応を見ながら調整することになったの。説明文も、案がまとまったらAIに見てもらったらどうかって、スタッフが言ってくれてね」
「いい案だね。内容はみんなで考えて、伝え方を整えるのに使うんだ」
「そう。メニューの中身は、やっぱり私たちで決めないといけないから。でも、説明が分かりやすいか確認するのには使えるかもしれないって」
未沙は画面を指でスクロールしながら、今日の話し合いを思い返した。
意見が次々に出て、タブレットのメモが増えていく。スタッフが自分の接客や施術の経験をもとに、真剣に考えてくれていた。店のことを自分ごととして話してくれる姿が、何より嬉しかった。
「みんなが前向きに考えてくれたのが、嬉しかったの」
未沙は少し照れたように笑った。
「忙しいのに、ちゃんと自分のこととして考えてくれて。『こうしたらお客様に伝わるかも』とか、『予約の流れはこうしたほうがいい』とか、いろんな意見が出てね。私ひとりで考えてたときより、ずっといい形になりそうなの」
五条は画面に目を落とし、それから未沙を見た。
「珍しいね」
「えっ?」
「未沙が家で、サロンの話をするの」
五条はそう言って、やわらかく微笑んだ。
未沙は一瞬、返事に迷った。自分から話し始めたことに、今さら気づいたようだった。
「そうだね。普段はあまり話さないものね」
「うん。だから、よほど嬉しかったんだなと思って」
未沙はタブレットの画面を見つめた。そこには、スタッフの意見をもとに書き加えたメモが並んでいる。
「たぶん、そうなの。みんなの話を聞いてたら、このサロンを一緒につくってくれてるんだなって思えて。なんだか、嬉しくなっちゃった」
「いいスタッフに恵まれたね」
「うん。私も、みんなに助けてもらってる」
五条は、すぐに何か助言をしようとはしなかった。ただ、未沙の話を聞いて、うなずいている。
その静かな反応に、未沙は安心した。家で仕事の話をしないのは、仕事を忘れたいからというより、家では家の時間を大切にしたかったからだ。けれど、今日のことは、誰かに話しておきたいと思った。
「試験導入が始まったら、またみんなで振り返るの。お客様の反応がどうだったか、スタッフがやりにくくなかったか。そこで直すところがあれば、もう一度考えるつもり」
「ちゃんと次のことまで決めてるんだね」
「うん。最初から完璧にはできないと思うから。やってみて、みんなで調整していけたらいいなって」
「未沙らしいね」
未沙は少しだけ眉を上げた。
「そうかな」
「うん。自分だけで決めずに、みんなの意見を聞いて、一緒に形にしようとしてるところ」
未沙は返事の代わりに、小さく笑った。
寝室から、未輝の声が聞こえた。
「パパ、きてー」
「今行くよ」
五条が立ち上がると、未沙はタブレットを閉じた。
「おやすみ、未沙」
「おやすみなさい」
五条が寝室へ向かう。未沙は閉じたタブレットに手を置き、今日の話し合いを思い返した。
サロンのことを家で話したのは、いつ以来だろう。
五条に答えを求めたわけではない。新しいメニューの相談をしたかったわけでもない。ただ、スタッフたちの前向きな姿が嬉しかった。その気持ちを、五条にも聞いてほしかったのだ。
未沙はタブレットを手に取り、明日またスタッフと相談するためのメモを確かめた。
まだ決めることは残っている。それでも、ひとりで抱えている感じはなかった。
スタッフと一緒に考えて、試して、また話し合う。
その先を思うと、未沙の胸には小さな期待が広がっていた。




