↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/33

第30話 思わぬ広がり

その日の営業が終わるころには、店の空気はいつもより少しだけやわらいでいた。


月末の忙しさをひと区切り終えて、今夜はスタッフ全員そろっての慰労会だった。


店を出たあと、予約していた店の一角に集まると、

制服姿のときとは違うせいか、みんなどこか表情が軽い。


「こうして全員そろうと、ちょっと不思議な感じですね」


紗英が席に着きながら言う。


「お店の外で会うと、なんか実感ないです」


その言葉に、真帆が笑った。


「そうよね。さっきまで普通に働いてたのに、急にこういう席になると落ち着かないわよね」


「切り替わらないですよね」


美咲も苦笑しながらグラスに手を伸ばした。


テーブルの上には料理が並びはじめていて、

未沙は全員の飲み物がそろっているのを確認してから、小さく息をつく。


「じゃあ、今月もお疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


グラスの音が重なって、ようやく場の空気がほどけはじめる。


最初は今月の忙しさを振り返るような話が続いた。


予約が立て込んだ日のこと。

ぎりぎりで対応した変更のこと。

ちょっとした失敗が、今では笑い話になっていること。


営業中にはゆっくり話せないことも、

こういう席では少し違う温度で口にできる。


紗英も最初こそ緊張していたが、

真帆が時々さりげなく話を振ってくれるので、少しずつ肩の力が抜けていった。


「でも、こういう席っていいですね」


紗英がぽつりと言う。


「なんだか、ちゃんと終わった感じがします」


「そうね」


未沙がやわらかく頷く。


「忙しいと、終わったことにも気づかないまま次に行ってしまうから」


その言葉に、何人かが「たしかに」と笑った。


そんなふうに場が落ち着いていたとき、

テーブルに置かれていた未沙のスマートフォンが震えた。


未沙は画面を見て、少しだけ目を細める。


「……塚本さんだわ」


その名前に、美咲が顔を上げた。


塚本は、以前からつながりのある介護施設の担当者だった。

サロンのケアの考え方や動画にも関心を持っていて、

高齢者向けの無理のないセルフケアとして活かせないか、何度かやり取りをしている相手でもある。


「ちょっと出てくるわね」


未沙がそう言うと、みんなが自然に頷いた。


「はい、どうぞ」

「ごゆっくり」


未沙は軽く会釈して席を外した。


そのあいだ、テーブルにはなんとなく待つような空気が流れる。


「施設の件ですかね」


紗英が小さな声で言うと、真帆が「かもしれないわね」と答えた。


美咲も、グラスに指を添えたまま、何となく入口のほうへ意識を向けていた。


数分して、未沙が席へ戻ってくる。


その表情は落ち着いていたけれど、

目元には少しだけ、抑えきれない明るさがあった。


「どうしたんですか?」


真帆が先に尋ねる。


未沙は席に座って、みんなを見回した。


「うれしい連絡だったわ」


それだけで、場の空気が少し変わる。


「塚本さんの施設で、前にお渡しした動画をけっこう活用してくださってるみたいなの」


一瞬、紗英が目を見開く。


「えっ、本当に施設で使ってくれてたんですね」


未沙は頷いた。


「そうみたい。美咲ちゃんと紗英さんが作ったマッサージの動画ね。

利用者さんが見るだけじゃなくて、ご家族が一緒に見ることもあるんですって」


紗英は言葉を失ったように、美咲のほうを見る。


美咲もすぐには何も言えなかった。


自分たちが作ったものが、

サロンの外の、まったく別の場所で使われている。


その実感が、まだうまくつかめない。


未沙は続けた。


「それだけじゃなくて、サロンで使っているような癒しの音楽も施設で取り入れてみたらしいの。

落ち着く時間帯に流したりして、空気づくりにも使ってるみたい」


「へえ……」


誰かが思わず声を漏らす。


「そしたら、利用者さんのご家族からの反応がすごくいいんですって」


その言葉に、真帆がすぐに顔を上げた。


「それは、ご家族の反応がいいのもわかる気がする」


みんなの視線が真帆へ向く。


真帆は少しだけ身を乗り出しながら続けた。


「動画を見るだけじゃなくて、一緒にできるものがあると、

家に帰ってからも話しやすいでしょうし、

施設でどんなふうに過ごしてるのかも想像しやすいもの」


未沙は小さく頷いた。


「真帆さんの言う通りだと思うわ。

塚本さんも、安心するっていう声が多いって言ってた」


「すごい……」


紗英がぽつりとつぶやく。


その声には、驚きと、少しの戸惑いと、

でも確かにうれしさが混ざっていた。


未沙はさらに言葉を続けた。


「介護関係の方のあいだでも、少し話題になっているみたい。

こういう形で癒しやセルフケアを取り入れるやり方があるんだって」


テーブルのあちこちで、小さな驚きが広がる。


「そんなふうになってるんですね」

「全然知らなかったです」

「思ってたより、ずっと広がってる……」


そのとき、別のスタッフが思い出したように口を開いた。


「そういえば最近、お客様から動画のこと話されること増えましたよね」


「あ、あります」

「見ましたって言われました」

「肩の動画、家でやってるって言ってた方いましたよ」


「保存してるって言ってたお客様もいましたよね」


真帆もそう続ける。


その声に紗英がはっとしたように顔を上げた。


「じゃあ……本当に広がってるんですね」


まだ信じきれないような言い方だった。


けれど、その一言で、

外で起きていることと、店の中で感じていた小さな変化が、ようやく一本につながった気がした。


「チャンネルの視聴者も、最近ちょっと増えてるみたいですしね」


別のスタッフがそう言うと、

「ああ、やっぱり」と何人かが頷いた。


「前より見てくれてる人、増えてる感じしますよね」

「コメントも少しずつ増えてるし」

「施設のほうから見に来てくれた人もいるのかもしれないですね」


美咲はそのやり取りを聞きながら、静かに息をついた。


うれしい、と思う。


でもそれ以上に、

自分たちの知らないところで、少しずつ何かが広がっていることに、

まだ追いつけないような不思議さがあった。


真帆がやわらかく笑う。


「こうして聞くと、ちゃんと届いてたのね」


その言葉に、美咲はゆっくり頷いた。


ちゃんと届いている。


ただ動画が再生されているだけじゃない。

誰かが見て、使って、少し楽になっているのかもしれない。


そのことが、今になってじわじわと胸に落ちてくる。


「まだ途中ですけど」


気づけば、美咲はそう口にしていた。


みんなの視線が集まる。


美咲は少しだけ照れたように笑う。


「でも、届いてるんだなって思いました」


その言葉に、未沙が静かに頷く。


「ええ。そういうことだと思うわ」


紗英はそのやり取りを見ながら、

胸の奥がじんわりあたたかくなるのを感じていた。


自分ではまだ、できていないことばかりが気になる。


でも、そんな自分たちが作ったものでも、

誰かの役に立つことがあるのだ。


それは思っていた以上に、力になる知らせだった。


「なんだか、今日はほんとに慰労会って感じですね」


別のスタッフが笑いながら言う。


「最後にいい話、聞けましたね」


「ほんとね」


未沙も笑った。


「みんなで頑張ってきたことが、少しずつ形になってるのかもしれないわ」


テーブルの上には、さっきまでとは少し違う熱があった。


今月を終えた疲れをねぎらうだけの席ではなく、

これまで重ねてきたものが、ちゃんとどこかへ届いていると知る席になっていた。


サロンの中で生まれたものが、

手から、言葉から、映像や音へと形を変えて、

また別の場所の誰かへ届いていく。


そんな広がり方があるのだと、

今夜この場にいる全員が、少しずつ実感していた。


美咲はグラスに残った飲み物をひとくち飲んで、

静かに息をつく。


まだ大きな何かになったわけではない。


けれど、誰かを少し楽にしたいと思って続けてきたことが、

思いがけない場所まで届きはじめている。


そのことを、今日はたしかに受け取れた気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。