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第21話 サロンの外の人

その日は、サロンの休業日だった。


普段なら、スタッフたちもそれぞれ思い思いに過ごしている日だ。


けれど今日は、いつものサロンではなく、少し離れた介護施設に来ていた。


未沙、真帆、紗英、美咲。


それに、ほかのスタッフ数人。


今日は、施設で働く介護職員を対象にした、マッサージのボランティアだった。


「おはようございます」


「今日はよろしくお願いします」


施設の担当者に挨拶をして、準備を始める。


サロンから持ってきたタオルを並べ、施術用のベッドを準備する。


いつものサロンとは違う。


香りも、照明も、流れている音楽もない。


けれど、施術をする準備をしていると、少しずついつもの感覚が戻ってくる。


「なんか不思議ですね」


美咲が周囲を見ながら言った。


「何が?」


紗英が聞く。


「休みの日なのに、こうしてみんなで仕事みたいなことしてるの」


「仕事じゃないよ」


真帆が笑った。


「ボランティア」


「そうなんですけど」


美咲も笑う。


「でも、ちょっと緊張します」


「私も最初は緊張したよ」


未沙が言った。


「サロンのお客様とは違うから?」


「それもある」


未沙はタオルを整えながら続けた。


「でも、基本は同じだよ」


「同じ?」


「目の前にいる人を見ること」


美咲は小さく頷いた。


最近、何度も未沙から聞いている言葉だった。


やがて、最初の職員がやってきた。


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」


美咲が担当することになったのは、四十代くらいの女性だった。


「今日はどこか気になるところありますか?」


「肩と首ですね」


「かなり凝っていますか?」


「どうでしょう……。もう、凝ってるのが普通になっちゃってて」


女性は笑った。


「そうなんですね」


「毎日、利用者さんを抱えたり、移動のお手伝いをしたりするので」


「なるほど」


「腰もたぶん、かなり張ってると思います」


「分かりました。では、状態を見ながらやりますね」


「お願いします」


美咲は服の上から、ゆっくりと肩に手を置いた。


肩に触れた瞬間、思わず少し驚いた。


硬い。


肩だけではない。


首から背中にかけても、かなり張っている。


「……かなり張っていますね」


「やっぱり?」


「はい」


「でも、自分ではよく分からないんですよ」


「毎日だと、慣れてしまいますよね」


「そうなんです」


女性が笑った。


美咲は力加減を確かめながら、ゆっくりとほぐしていく。


サロンとは違う。


オイルも使わない。


服の上から、限られた時間の中で身体の状態を見ながら施術する。


それでも、触れている手のひらから、身体の硬さが少しずつ変わっていくのが分かる。


「……気持ちいい」


「よかったです」


「なんか、久しぶりです」


「何がですか?」


「こんなふうに、自分の身体を休ませるの」


美咲の手が、一瞬だけゆっくりになる。


「普段は、誰かを休ませる側ですもんね」


「そうですね」


女性は目を閉じたまま笑った。


「自分のことって、後回しになっちゃうんですよ」


「今日は、ゆっくりしてください」


「はい」


しばらく、会話はなくなった。


美咲は手を動かしながら、女性の呼吸を感じていた。


肩の力が少しずつ抜けていく。


それが手のひらを通して伝わってくる。


やがて施術が終わった。


「お疲れさまでした」


女性がゆっくり身体を起こす。


そして、肩を回した。


「……あ」


「どうしました?」


「軽い」


女性がもう一度、肩を回す。


「軽いです」


「よかったです」


「こんなに楽になるんですね」


「かなり張ってましたから」


「やっぱり?」


「はい」


女性は自分の肩を触りながら、少し笑った。


「自分ではもう、これが普通だと思ってたんです」


「そういう方、多いですよ」


美咲が答える。


「痛くなってからじゃなくて、こういう時間を作れるといいんですけどね」


「分かってるんですけどねえ」


女性が苦笑する。


「仕事もあるし、家に帰れば家のこともあるし」


「そうですよね」


「自分のために時間を使うって、なかなか難しくて」


少し考えてから、女性が言った。


「でも……」


「はい?」


「こんなに楽になるなら、お店にも行かせてもらおうかな」


美咲の顔が明るくなる。


「ぜひ来てください」


「本当に行っていいんですか?」


「もちろんです」


少し離れたところにいた未沙が、会話に気づいてこちらを見る。


「今度は、ちゃんと自分のために来てください」


女性が未沙を見る。


「今日みたいな感じで?」


「今日より、もう少しゆっくりできますよ」


未沙が笑う。


「サロンなら、癒しの空間で身体の凝りだけじゃなくて、心もリラックスできるかもしれないですしね」


女性が少し驚いたように未沙を見る。


それから、ふっと笑った。


「それなら、なおさら行ってみたいです」


「お待ちしています」


「じゃあ、今度予約します」


「はい」


女性は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました」


女性が戻っていく。


美咲はその背中を見送った。


「よかったね」


未沙が声をかける。


「はい」


「来てくれるといいね」


「本当に」


美咲は少し嬉しそうだった。


その後も、スタッフたちは順番に施術を続けた。


肩や首が凝っている人。


腰が張っている人。


手や腕を酷使している人。


話を聞けば聞くほど、身体を使って働いていることが分かる。


「ここ、かなり張ってますね」


紗英が言う。


「そんなに?」


「はい」


「毎日やってると分からないんですよね」


「そうですよね」


紗英がゆっくり手を動かす。


別の場所では、真帆が、


「痛くないですか?」


「大丈夫です」


「強かったら言ってくださいね」


と声をかけている。


未沙も一人ひとりの状態を確かめながら施術していた。


誰かが特別なことをしているわけではない。


ただ、目の前にいる人の身体に手を置いて、少しでも楽になってもらう。


それだけだった。


それでも、施術を終えた人たちから、


「楽になった」


「ありがとう」


「またお願いしたい」


という言葉が返ってくる。


それを聞くたびに、美咲は不思議な気持ちになった。


サロンでは、施術を受けるためにお客様が来る。


今日は、自分たちが外へ出てきた。


それだけの違いなのに、見えるものが少し違っていた。


昼を過ぎる頃には、参加したスタッフたちも少し疲れていた。


「思ったより疲れますね」


紗英が肩を回す。


「施術する側も身体使うからね」


真帆が笑う。


「介護の仕事って、もっと大変ですよ」


美咲が言った。


「今日一日だけでも結構疲れたのに、毎日だもんね」


「ほんとだね」


未沙が頷いた。


最後の施術を終える。


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ、ありがとうございました」


施設の職員たちが頭を下げる。


スタッフたちも一人ずつ頭を下げた。


帰り支度をしていると、先ほど美咲が担当した女性が、少し離れたところから声をかけてきた。


「美咲さん」


「はい?」


「本当に楽になりました」


「よかったです」


「今度、予約しますね」


「はい。お待ちしています」


「ちゃんと休みに行かないとですね」


「そうしてください」


二人で笑った。


その言葉を聞いて、未沙も少し笑った。


施設を出る。


外の空気が、少しだけ冷たく感じられた。


「お疲れさまでした」


「お疲れさまでした」


みんなが口々に言う。


「このあとどうする?」


真帆が聞いた。


「帰る?」


「いや」


紗英がすぐに答える。


「今日は飲みたいです」


「私も」


美咲も手を挙げた。


未沙が笑う。


「じゃあ、行こうか」


「決まり」


そのまま、みんなで近くの店へ向かった。


小さな居酒屋の一角。


テーブルには料理が並び、グラスがそれぞれの前に置かれている。


「じゃあ、お疲れさまでした」


真帆がグラスを持ち上げる。


「お疲れさまでした」


みんなで乾杯する。


最初の一口を飲んだところで、紗英が大きく息を吐いた。


「やっぱり、終わってから飲むのっていいですね」


「それが目的だったんじゃない?」


美咲が笑う。


「違いますよ」


「本当に?」


「……ちょっとだけ」


みんなが笑った。


「でも、今日は楽しかったです」


美咲が言った。


「うん」


真帆が頷く。


「私も」


「私もです」


紗英も続ける。


未沙は黙って料理を取り分けていた。


「未沙さんは?」


美咲が聞く。


「私も楽しかったよ」


「なんか、未沙さんってこういうときも普通ですよね」


「どういう意味?」


「もっとオーナーっぽく、今日はみんなありがとう、とか言うのかと思ってました」


「そんなこと言ったら、真帆さんに笑われるでしょ」


「笑うね」


真帆が即答する。


「ほら」


未沙が笑った。


しばらく料理を食べながら、今日のことを話す。


「介護の人、本当に凝ってましたね」


美咲が言う。


「うん」


「私、最初びっくりしました」


「毎日、身体を使ってるからね」


未沙が答える。


「それなのに、自分では凝ってるのが普通になってるって」


「そういう人、多いんじゃないかな」


真帆が言った。


「私たちだって、肩凝ってても仕事してるし」


「確かに」


紗英が頷く。


美咲は少し考えた。


「今日、改めて思ったんですけど」


「何?」


「サロンに来てくれる人だけが、マッサージを必要としてるわけじゃないんですよね」


「そうだね」


未沙が答える。


「サロンの外にも、いっぱいいますよね」


「うん」


「今日みたいに、こっちから会いに行くのもいいですね」


未沙は少し笑った。


「またやろうか」


「やりたいです」


「私も」


紗英が手を挙げる。


「じゃあ、次はもう少し人数増やしてもいいかもね」


真帆が言った。


「そうしましょう」


美咲が笑う。


グラスがもう一度軽くぶつかった。


「ところで」


紗英が未沙を見る。


「今日の人、本当にお店に来てくれるんですかね?」


「どうだろうね」


「来てくれたら嬉しいですね」


「うん」


未沙は笑った。


「でも、来てくれなくてもいいんじゃない?」


美咲が少し意外そうに見る。


「え?」


「今日、少しでも楽になってくれたなら、それで十分だから」


「ああ……」


美咲は頷いた。


確かにそうだった。


今日の目的は、お店に来てもらうことではない。


誰かの身体を少し楽にすること。


普段、自分よりも誰かを優先している人に、ほんの少しでも自分のための時間を持ってもらうこと。


それができたなら、それでいい。


「でも」


真帆が笑う。


「来てくれたら、それはそれで嬉しいけどね」


「それはそう」


未沙も笑った。


「ちゃんとお客様として迎えればいい」


「ですね」


美咲も笑った。


少ししてから、美咲がぽつりと言った。


「なんか今日、ボランティアに来たっていうより、修行に来たみたいでした」


紗英が顔を上げる。


「あ、それ分かるかも」


真帆も笑う。


「何それ」


「いや……なんていうか」


美咲は少し言葉を探した。


「誰かを楽にしに来たつもりだったのに、こっちのほうが勉強になった感じがして」


未沙はその言葉を聞いて、少しだけ笑った。


「そうかもね」


店の外に出れば、今日のような人たちがたくさんいる。


サロンに来る人だけではない。


誰かを支えている人。


自分のことを後回しにしている人。


疲れていることにすら気づかない人。


そんな人たちにも、自分たちの手を届けることができる。


美咲は今日一日のことを思い返していた。


まだまだ自分は勉強中だ。


それでも、その手で誰かを少し楽にできた。


それだけで、十分嬉しかった。


「また行きましょうね」


美咲が言う。


「うん」


未沙が答える。


「また行こう」


サロンの休業日。


今日は、サロンの外にいた。


けれど、やっていることはいつもと同じだった。


目の前にいる人を見る。


その人の身体に触れる。


少しでも楽になってもらう。


そして、ありがとうと言ってもらう。


サロンという場所を離れても、自分たちが大切にしているものは変わらない。


美咲はそう思いながら、みんなと並んで歩いた。


次の休業日にも、また誰かのところへ行けたらいい。


そんなことを思える一日だった。


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