第14話 任せる
午後の店は、いつもより少しだけ慌ただしかった。
予約が重なっていて、店の中を行き来する人の気配が途切れない。
美咲は次のお客さんの準備をしながら、受付のほうに目を向けた。
「紗英、次の新庄さん、お願いできる?」
「はい」
紗英が返事をする。
その声に迷いはなかった。
「新庄さん、こちらへどうぞ」
「お願いします」
新庄が紗英の案内についていく。
美咲はその様子を少しだけ見てから、自分の仕事に戻った。
紗英が入ってきた頃のことを、ふと思い出した。
何かあるたびに、
「美咲さん、これってどうしますか?」
「美咲さん、次は何をすればいいですか?」
そう聞いてきた。
もちろん今でも確認することはある。
けれど、最近は少し違う。
自分で考えてから聞くようになった。
それに気づいたのは、つい最近だった。
「美咲ちゃん」
未沙の声がした。
「はい?」
「さっきから紗英さんのこと見てるでしょう」
「見てました?」
「見てたよ」
美咲は少し笑った。
「なんか、変わったなと思って」
「紗英さんが?」
「はい」
未沙も紗英のほうを見る。
「そうだね」
「いつの間にか、あんな感じになってました」
「美咲ちゃんもそうだったよ」
「私も?」
「うん」
美咲は少し考えた。
「全然覚えてないです」
「そういうものだよ」
未沙は笑った。
そのとき、施術室のほうから紗英の声が聞こえた。
「新庄さん、こちらで大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます」
少しして、紗英がこちらへ戻ってきた。
「美咲さん」
「どうしたの?」
「新庄さんなんですけど、今日は肩がかなり張っているみたいで」
「うん」
「いつもの内容で進めるより、少し重点を変えたほうがいいかなと思って」
美咲は紗英を見る。
「紗英はどうしたらいいと思う?」
「私は、最初に少し状態を見てから、今日は肩まわりを中心にしたほうがいいと思います」
「うん」
美咲は頷いた。
「それでいいと思う」
「分かりました」
紗英はすぐに戻っていった。
美咲はその背中を見送った。
以前なら、紗英はここで、
「美咲さん、どうしましょう?」
と聞いていた。
今は違う。
自分の考えを持っている。
それが、少し嬉しかった。
しばらくして、施術が終わった新庄が受付へ戻ってきた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
美咲が挨拶をする。
新庄は少し肩を回した。
「今日はいつもと少し違いましたね」
「はい。紗英から、肩まわりを中心にしたほうがいいんじゃないかと聞いて」
「ああ、そうだったんですね」
新庄は紗英を見る。
「すごく楽になりました」
「よかったです」
紗英が笑った。
「じゃあ、次も同じ感じで?」
「そうですね。でも、その日の状態でまた変わると思います」
「なるほど」
新庄は笑った。
「任せられるようになったね」
「ありがとうございます」
紗英が少し照れたように笑う。
新庄が帰ったあと、美咲は紗英を見た。
「よかったね」
「はい」
「自分で考えて決められたじゃん」
「……ちょっと緊張しました」
「そう?」
「もし違ってたらどうしようって」
「でも、ちゃんと新庄さんが楽になったって言ってたよ」
「はい」
紗英は嬉しそうに笑った。
「美咲さんに確認しようかと思ったんですけど」
「うん」
「一回、自分で考えてみようって思って」
「それでいいと思う」
美咲はそう言った。
言いながら、どこか懐かしい気持ちになった。
自分も、そんな時期があった。
何かをする前に誰かに確認する。
間違っていたらどうしようと思う。
でも、いつからか。
少しずつ、自分で決めるようになった。
その瞬間がいつだったのかは、覚えていない。
「美咲ちゃん」
未沙が呼んだ。
「はい?」
「嬉しそうだね」
「そうですか?」
「うん」
美咲は紗英を見た。
「なんか、私が入った頃のことを思い出しました」
「そう?」
「紗英が今、自分で考えてるのを見てたら」
未沙は少し笑った。
「美咲ちゃんも、最初は何でも聞いてきたからね」
「そうでしたよね」
「『これで大丈夫ですか?』って、何回聞いたか分からない」
「そんなに?」
「そんなに」
美咲は苦笑した。
「……ちょっと恥ずかしいです」
「でも、いつの間にか聞かなくなった」
「自分では全然分からないです」
「紗英さんも、今は分からないんじゃないかな」
美咲は少しだけ黙った。
確かにそうかもしれない。
紗英にとっては、今日のこともただの一日なのだろう。
少し考えて。
少し迷って。
自分で決めた。
それだけ。
でも、そういう一日が積み重なって、いつか振り返ったときに、
「あの頃から変わったんだな」
と思うのかもしれない。
「美咲さん」
紗英が声をかけた。
「はい?」
「さっきから何考えてるんですか?」
「ちょっと昔のこと」
「昔?」
「私も、最初は何でも聞いてたなって」
「へえ」
紗英が笑った。
「今の美咲さんからは想像できないです」
「そう?」
「はい」
少し考えてから、紗英が言った。
「でも、最近ちょっと分かる気がします」
「何が?」
「美咲さんが未沙さんに似てきたっていうか」
美咲が目を丸くした。
「私が?」
「はい」
未沙が振り返る。
「それ、どういう意味?」
紗英は少し慌てた。
「もちろん、いい意味です」
「ならいいけど」
未沙が笑う。
美咲もつられて笑った。
「どのへんが似てるの?」
「なんとなくです」
「なんとなく?」
「お客さんを見るときとか」
紗英は少し考えた。
「何か言う前に、一回ちゃんと見るところとか」
美咲は黙った。
それは、先日小手川を迎えたときのことを思い出させた。
相手が話したいのか。
そっとしておいてほしいのか。
何をすればいいのか。
何もしないほうがいいのか。
そんなことを、以前より少し考えるようになった。
それを、紗英が見ていた。
「……そうなんだ」
美咲は小さく笑った。
「自分では分からなかった」
「私も、まだまだですけど」
紗英が言う。
「今日みたいに、迷うこともあります」
「それでいいんじゃない?」
美咲は答えた。
「迷ったら考えればいいし、それでも分からなかったら聞けばいい」
「はい」
「私もそうしてきたから」
紗英が頷く。
その様子を見て、未沙が少しだけ笑った。
「美咲ちゃん」
「はい?」
「ちゃんと先輩になったね」
「……そうですか?」
「うん」
美咲は少し照れた。
五年前、自分は誰かに教えてもらう側だった。
何も分からなくて。
何をするにも不安で。
誰かの後ろについていくことしかできなかった。
今は、隣にいる人が迷っているときに、
「自分で考えてみたら?」
と言える。
それが自分にできるようになったことが、少し不思議だった。
「でも、まだ未沙さんには敵わないですけどね」
美咲が言うと、未沙は笑った。
「別に、敵わなくていいよ」
「そうですか?」
「うん」
未沙は紗英を見る。
「美咲ちゃんは美咲ちゃんでいい」
その言葉を聞いて、美咲は少しだけ笑った。
誰かと同じになる必要はない。
自分が受け取ったものを、そのまま渡す必要もない。
自分なりのやり方で、次の誰かに渡していけばいい。
それだけなのかもしれない。
入口のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「こんにちは。どうぞ」
美咲がいつものようにお客さんを迎える。
紗英も、その横で笑っている。
未沙は少し離れたところから、その二人を見ていた。
店の中は、いつもの風景だった。
何も変わっていない。
けれど、ほんの少しだけ。
昨日までとは違って見えた。
美咲は、ふと紗英を見る。
そして思った。
自分も、こうやって見てもらっていたのだ。
気づかないうちに。
待ってもらいながら。
任せてもらいながら。
いつの間にか、ここまで来ていた。
「美咲さん」
「はい?」
「次、お願いします」
「うん。分かった」
美咲は笑った。
そして紗英と一緒に、次のお客さんを迎えに行った。




