変装令嬢と下町に咲く狂おしき愛
貴族社会が全滅なら、下町があるじゃない!
「はい、アウレリア様。こちらがご指定の『平民の娘に見えると思われる、最も地味なドレス』でございます」
侍女のフィオナが不安そうに差し出してきたのは、くすんだ褐色の木綿で仕立てられた、飾り気のない質素なワンピースだった。
私はそれをひったくるように受け取ると、素早く着替えた。金色の美しい髪は頭のてっ後ろで雑にお団子にまとめ、つばの広い麦わら帽子を目深にかぶる。完璧だ。どこからどう見ても「街のパン屋の手伝い」か「市場の買い出しに来た普通の娘」である。
「アウレリア様、本当にお一人で行かれるのですか……? お付きの護衛を……」
「ダメよ、フィオナ。厳つい護衛を引き連れていたら、平民の男性が気後れしてしまうでしょう? 私に必要なのは自然な出会いなの。大丈夫、日没前には必ず戻るわ」
私は鏡に向かってニヤリと笑った。
ルキウスの言葉を思い出す。『我が国の男性貴族における脳内化学反応の閾値は異常に低い』『確率はゼロ』。
ふん、あの冷血メガネめ。彼が言っていたのは「貴族社会」の狭い価値観の中での話だ。
権力や領地の利害関係、家格のプレッシャーに晒された貴族の男たちが、反動で極端な溺愛思考に走るのは理解できなくもない(理解したくもないが)。
だが、平民は違う!
彼らは日々の暮らしを愚直に生きる、地に足のついた人々だ。生活がかかっているのだから、浮ついた「脳内ドーパミン」なんぞにうつつを抜かしている暇などあるはずがない。絶対に、健全で、少し無骨で、けれど情熱的な恋が存在するはずなのだ!
私は守衛の目を盗み、屋敷の通用門からこっそりと抜け出して、帝都の商業区、通称「下町通り」へと繰り出した。
◈
下町は、活気と熱気に満ちあふれていた。
香辛料の香りと焼き立てのパンの香り、威勢の良い商人たちの掛け声。色とりどりの果物が並ぶ露店や、色鮮やかな布地を売る露店がひしめき合っている。
「素晴らしいわ……! これよ、この生活感! 生の息吹! ここにこそ、私の求める『本物の恋愛』があるはずだわ!」
私は胸を躍らせ、市場のメインストリートを歩き始めた。
まずは、向こうに見える元気の良さそうな八百屋の青年に話しかけてみようかしら。彼は腕捲りをした袖からたくましい腕を覗かせ、威勢よく野菜を売っている。いかにも平民らしく、気さくで男らしい。
私が歩み寄ろうとした、その時だった。
「はいよ! 新鮮なトマトだよ! カトリーナの頬みたいに赤くて甘い、最高のトマトだよ!」
八百屋の青年が叫ぶ。
すると、隣の果物屋から、エプロンをつけた可憐な看板娘が顔を出した。
「もう、ヤコブったら! お店の宣伝に私の名前を使わないでって言ってるでしょ! 恥ずかしいじゃない!」
「何言ってるんだい、カトリーナ! 俺にとってはこの市場のどの果物より、君の笑顔が一番甘くて新鮮なんだ! おいみんな、聞いたか!? 俺は今朝、カトリーナに『おはよう』って言われたんだぞ! 今日の俺は無敵だ! トマト全部半額にしてやる!」
「まあ! ヤコブ様ったら太っ腹! じゃあ私、今日の夜はヤコブ様の大好きなカボチャのスープを作ってあげるわ!」
「カトリーナァァァ! 愛してるぞぉぉぉ!」
「「うおおおおお! ヤコブ、いいぞー!」「カトリーナちゃんを泣かせたら承知しないからなー!」「ひゅーひゅー!」」
周りの買い物客や他の店主たちが、盛大な拍手と口笛を送っている。八百屋の青年ヤコブと果物屋の娘カトリーナは、大通りの真ん中で抱き合い、お互いの額をくっつけて熱狂的に見つめ合っていた。
……私は固まった。
半額になったトマトを買おうと集まる群衆の陰で、私は静かに目眩を覚えた。
(……ウソでしょう? 平民もなの……?)
正気か。平民も「脳内ドーパミン過剰分泌」の病に侵されているというの?
生活がかかっているんじゃなかったの!? 朝の挨拶一つでトマトを全品半額にしていたら、来月の家賃はどうするのよ!?
嫌な予感がして、私は急ぎ足で他の店を巡った。
パン屋の前を通る。
「おや、奥さん。今日のバゲットは一段と香ばしいね」
「当たり前じゃない、あなた! あなたが昨夜『君の焼くパンは世界一だ』って抱きしめてくれたから、今朝は愛の力で生地がいつもより三倍膨らんだのよ!」
「ああ、愛しい人! 君の愛はイースト菌より強力だ!」
肉屋の前を通る。
「おいおい、そんなに分厚いステーキ肉をオマケしちゃっていいのかい?」
「いいんだよ! ウチの女房が今朝、俺の寝癖を優しく直してくれたんだ! 嬉しすぎて牛一匹捌いちゃったよ!」
……ダメだ。この街は、この国は、上から下まで全員狂っている。
貴族だの平民だの、階級など関係なかった。この帝国に住む人間は、生まれた瞬間から「誰かを激重に溺愛し、公白の面前でバカップル化する」という呪いにかけられているのだ。
「そんな……そんなバカな……」
私は露地の壁に背中を預け、ズルズルとしゃがみ込んだ。
絶望である。
この国に私の理想とする「まともで、情熱的で、私だけを私として愛してくれる(かつバカップル化して周囲に迷惑をかけない)」男性など、一人も存在しないのではないか。
ルキウスのあのムカつくドヤ顔が頭に浮かぶ。
「くっ……嫌よ! 認めるものですか! あんな理屈っぽい冷血漢に『ほら見ろ』なんて言われたら、私、一生屈辱で夜も眠れなくなってしまうわ!」
私は立ち上がり、服についた埃をパンパンと払った。
そうよ、まだ選択肢はあるわ!
この国の人間が全員「溺愛ウイルス」に感染しているなら、国外から来た人間を狙えばいいのよ! 帝国の外から来た人間なら、この異常な環境に染まっていないはず!
私は気を取り直し、帝国で最も異国人が集まる場所——中央広場に面した「国際貿易ギルドのカフェテリア」へと向かった。
───
広場に近付くにつれ、なにやら騒々しくなってきた。
「本当にあの剣聖セルウィウス様が!?」
「嘘じゃない、本当だって!」
「急いで行きましょ! 早く見たいわ!」
「待って、待って!」
どうやら、あの有名な剣聖セルウィウス様が来ているらしい。
まったく耳に入らなかったという事は、公式訪問ではないのだろう。
これは一隅のチャンスかもしれない。大陸最高峰の剣聖なら、生半可な脳内物質など、容易にコントロールできているだはずだ。
私も早速見に行くことに。
──
そして広場に着くと、大勢の民衆が噴水のある広場に集まっていた。しかし、私の目に飛び込んできたのは、最悪の光景だった。
大陸一名高い剣聖は、地父神ガイアードの説教を説いていた。そして傍らにはレティシア・コルネリアという女性が。
当然ここまではいいとして、問題はセルウィウス様も、レティシア・コルネリアという女性も、この国の人々同様、人前で甘い言葉を言い合っていたのだ。
もうダメだわ。
この国のどころか、大陸すらも溺愛病で汚染されているのかもしれない。
私はそのまま逃げるように、近くの貿易ギルドの建物へと入った。
──
国際貿易ギルドのテラス席は、様々な国から訪れた商人や使節、旅人たちで賑わっていた。異なる服装、異国情緒あふれる雰囲気。
「……ここなら勝機があるはず」
私はテラス席の端にある小さなテーブルに付き、ハーブティーを注文した。そして麦わら帽子の庇を少し上げ、周囲を鋭い観察眼で見回す。
すると、私の数歩離れた席に、一人の男性が座っているのが目に入った。
その男は、一目で「異国人」とわかる服装と雰囲気を纏っていた。そう、大陸すべてが汚染されているなど、私の思いつきの予想でしかないのだ。きっとそうだ。
彼は、褐色に日焼けした肌、鋭い鷹のような瞳、黒い革のジャケットに身を包んだ、ワイルドで野性味あふれる男性だ。腰には大振りの曲刀を差し、テーブルの上には見たこともない異国の地図と古びたコンパスが置かれている。
(……素敵!)
私は胸の中で叫んだ。
あのワイルドさ! この帝国のナヨナヨした貴族や甘ったるい平民にはない、圧倒的な「男」の魅力! おそらく、遥か南方の戦闘民族国家・サルドニアか、ドラゴンスレイヤー部族国家のニーベルンゲン、いずれかから来た貿易商か探検家に違いない!
彼なら……彼なら絶対に「生クリームの角度」なんて測らない! 「トマト半額」なんて叫ばない!




