ガーデンパーティーにて
決戦の朝が来た。
昨日のルキウスとの不毛極まりない不毛な会話を経て、私の胸には燃え盛る執念の炎が灯っていた。あんな冷血漢に「君に愛人など見つかるはずがない」「確率はゼロ」とまで言われて、黙っていられるヴァレリウス公爵家の令嬢がいるだろうか。いや、いない。
私は鏡の前で完璧な装いを整えた。初夏の陽光に映える美しいエメラルドグリーンのドレスに、繊細なレースの扇子。黄金色の髪を完璧に結い上げ、己の魅力を最大限に引き出すメイクを施す。
「見ていらっしゃい、ルキウス。今日こそ貴方の冷血な鼻柱を折り砕き、私に平伏させてやるわ」
本日の目的地は、アルビヌス子爵夫人が主催する園遊会である。帝国の若き貴族たちがこぞって集まる社交場であり、情報収集や新たな出会いの場としては最適のステージだ。
私は馬車に乗り込み、期待に胸をふくらませながら現地へと向かった。
……しかし、私は甘かったのだ。この世界の「異常性」の深さを、完全に舐めていた。
会場であるアルビヌス子爵邸の広大な庭園に一歩足を踏み入れた瞬間、私の視界を襲ったのは、文字通り目を覆いたくなるようなピンク色の多幸感空間(地獄)であった。
「まあ、アルフレッド様! あそこに綺麗な蝶々が飛んでいますわ!」
「君の美しさに見とれて羽を休めに来たのだろう、私の天使。だが気をつけなさい、君の瞳という宝石があまりに輝いているせいで、世界中の光が君に嫉妬してしまう!」
「まあ、お上手ですこと! あーんして差し上げますわ!」
あちらこちらから聞こえてくる、聴覚を破壊せんばかりの甘ったるい台詞。庭園の噴水前でも、木陰のベンチでも、バラのアーチの下でも、すべてのペアが独自のバブル世界を形成し、お互いしか見えていない状態で互いを称え合っている。
正気か? ここは全員が精神に異常をきたした隔離施設なのか?
私はこめかみに浮き出そうになる青筋を押し殺し、扇子を優雅になびかせながら庭園を散策した。落ち着くのだ、アウレリア。私に必要なのは「既婚者」や「婚約者持ち」ではない。狙うべきは、まだこの恐ろしい「政略結婚即激重溺愛病」に感染していない、独身の男性貴族だ。
私は鋭い眼光で会場を見回した。
すると、薔薇の鉢植えの傍らに立ち、きりりとした顔立ちでたたずむ若者を見つけた。近衛騎士団に所属する若き英傑、ステファヌス子爵令息だ。彼は確か、武術に秀でており、硬派で名高い人物のはず。
(素晴らしいわ! あの武骨な感じ、いかにも恋愛脳とは無縁そうじゃないの!)
私は意を決し、優雅な微笑みをたたえてステファヌスに歩み寄った。
「ごきげんよう、ステファヌス様。本日の園遊会は実に素晴らしいお天気ですわね」
私の可憐(自称)な挨拶に、ステファヌスはハッと振り向き、恭しく礼をした。
「これはアウレリア様。お久しぶりでございます。お変わりございませんか」
「ええ、おかげさまで。ステファヌス様は本日、お一人でご出席なのですか? よろしければ、少しお話しでも……」
私が「愛人候補」としての第一歩を踏み出そうとした、その瞬間であった。
ステファヌスの鋭い視線が、私の肩越し、はるか遠くのテーブル席へと固定された。その瞳に、恐ろしいほどの熱量が宿る。
「……申し訳ありません、アウレリア様。私は今、非常に重大な任務の最中でして」
「重大な任務……? このような社交場でございますか?」
「ええ。あちらのテーブルでスコーンを召し上がっておられる、我が愛しき婚約者・ヘレナ様の口元についている生クリームの角度を測定することに、全神経を注いでいるのです」
「……はい?」
私は思わず扇子を握りつぶしそうになった。角度? 生クリームの角度?
「ご覧ください、アウレリア様。あの右の口角にわずか三十度の角度で付着した白いクリーム。あれはただの食べ残しではありません。彼女の可憐さを極限まで高めるために計算し尽くされた、神の奇跡です。私は今夜、あの生クリームの角度が如何に人間の美意識を刺激するかについての論文を執筆する予定なのです。では、測定に集中いたしますので、失礼!」
ステファヌスは胸ポケットから怪しげな分度器と小帳を取り出すと、私に背を向け、ヘレナなる令嬢を凝視し始めた。
……だめだ。こいつも手遅れだ。硬派どころか、重度の変態溺愛野郎だった。
私はめまいを覚えながら、その場を離れた。生クリームの角度で論文を書くな。ルキウスといい、この国の男たちはなぜ変なベクトルで学究肌になるのか。
だが、私は諦めない。一敗くらいで折れる私ではないのだ。
私は次のターゲットを探すべく、庭園の奥へと向かった。そして、ついに……ついに決定的な「希望の光」を発見したのである。
花壇の近くで、一人寂しそうにワイングラスを傾けている青年。
カシウス男爵子息だ。
彼の家系は最近爵位を得た新興貴族であり、彼は帝国でも数少ない「完全にフリーな独身貴族」として有名だった。幼少期の政略結婚の取り決めもなく、現在婚約者募集中。しかも見た目は爽やかな好青年。
(見つけた……! 私の砂漠の中のダイヤモンド! この人ならまだ脳が侵されていないわ!)
私は胸を高鳴らせ、今度こそ完璧な「魅力的な女性」を演じながらカシウスに歩み寄った。
「ごきげんよう、カシウス様。お一人でいらっしゃいますの?」
カシウスは驚いたように私を見つめ、慌ててグラスを置いた。
「あ、アウレリア様! これはこれは……ヴァレリウス公爵家のお嬢様が、私のような者にお声をかけてくださるとは」
「ふふ、そんなに硬くならなくてもよろしいのよ。私も少し賑やかすぎる空間に疲れてしまって……落ち着いた方とお話ししたかったのですの」
上出来だ! 完璧な誘導!
カシウスは少し頬を赤らめ、「光栄です」と嬉しそうに微笑んだ。いける、これはいけるわ! ルキウス、見ているかしら! 私は今、確実に第一歩を踏み出しているのよ!
「カシウス様は、どのような女性がお好み……」
私が甘い問いかけを重ねようとした、その時だった。
「きゃっ!?」
すぐ近くで、小さな悲鳴が上がった。
見れば、給仕の掲げるトレーと交差しそうになった小柄な令嬢が、派手に転倒し、自分のドレスにオレンジジュースをぶちまけていた。
「……大丈夫かしら、あのお嬢様」と私が心配したのも束の間。
私の目の前にいたカシウスの全身が、まるで落雷に打たれたかのように激しく硬直した。
「……あ……」
「カシウス様?」
カシウスの瞳孔が開き、顔面が急速に赤熱していく。彼は自身の胸を両手で強く押さえつけ、荒い息を吐き出し始めた。
「な、なんという……なんという愛らしさだ……! ドジで、不器用で、ジュースまみれになって涙目になっているあの可憐な姿……! 胸が、胸が破裂しそうだ……!!」
「はい!?」
「これが……これが噂に聞く『運命の出会い』……! 私の脳内に、見たこともないほどの物質が溢れ出てくる……!!」
カシウスは私という存在を完全に忘却し、ジュースまみれで泣きそうな令嬢の元へと猛ダッシュで駆け寄った。そして、泥のついた芝生の上に躊躇なく膝をつき、彼女の手を両手で包み込んだのだ。




