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16話 テオ

 ピーッ!


 集落から離れた森の奥地で、見張りの笛が一つ鳴る。


「いくぞアル!」


「おう!」


 合図に急かされるように動き出した二人は掛け声を上げ、雪深くなった木々の間を素早く縫っていく。


 目標は先日から兄たちが目星を付けていた特大の大猪(ホグジー)


 森の厳寒を越えるには大量の食料が必要になる。

 その内、肉はいくらあっても困ることはない。


 上質な肉と脂を蓄えた大猪は、大勢の子供たちを抱える集落にとって絶好の獲物と成り得た。


「作戦通り、猪の鼻っ面を叩くのがテオ。アルは他の奴らと別の方から石を当てて気を逸らせ」


 大木の上で弓を構えて待機していた兄のヒュホと合流した二人は、改めて立ち回り方を確認した。


 二方向からの執拗なちょっかいで気を反らした大猪の喉元や心臓を、弓や槍を持った兄たちが狙う。


「アル、いいもんやるよ」


 不敵な笑みを浮かべたテオは腰布に手を伸ばし、中央に当て革を付けた一本の紐を引っ張り出した。


「要らないよ。なんで今更」


「そう言うなって。悪くなかったろ?」


 そう言ってテオはアルの手に無理やり手製の投石紐を握らせた。


投石紐(ロックスリング)を入手しました》


 初狩りにおいて二人で仕留めた特大の一角兎から取れた皮革を使った物だ。


 丁寧に鞣した革を編んだ紐は、一角兎の白い毛皮からは想像できないくらい黒い艶を放っている。


 あの日、兄たちに回収を任せたあの一角兎は、集落に運ばれてからすぐに解体された。


 その素材は運搬を担った兄たちを中心に分配され、仕留めた当人たちの分け前と言えば、その晩に出た煮込みスープの一欠けくらいなものだった。


 その後、仕方がないと諦めていたアルのもとにやってきたテオは、その素材を加工して作った投石紐を自慢気に見せ付けた。


 兄たちに懇願して素材のお零れをもらったものらしかった。


 拗ねる功労者を見兼ねたテオは、一番最初に投石紐を使う権利を与え、アルは初めて使用する武器の使い心地に惑わされ、それきり使用許可を得られぬまま、まんまとテオの術中にはまっていたという経緯がある。


「じゃ、本当にもらうからね?」


「……やっぱ共用にしねぇ?」


 実のところ、作ったテオ本人は投石紐を上手く扱えなかった。


 そのため、すぐに扱うコツを掴んだアルを妬み「封印」と称して使用を禁じ、自身は練習に励んでいたのだった。


 ……ドドドドドド……!


 遠くの方からガサガサと木が薙ぎ倒される音と共に地響きが近付いてくる。


「いよいよだな! 気合入れろよ!」


「テオもね!」


 拳を交わした二人は、木々の上から下される指示に従って大猪のいる地点へと急ぐ。


 巨大生物が大手を振って動き回るには少々狭い森の間。


 体長や力の強さでは圧倒的に不利な子供たちが大猪に立ち向かうには、その地の利を活かすより他はない。


 開けた空間であれば思い切り突進できるであろう巨体も、木々が立ち並ぶ森ではどうしても都度立ち止まる必要が出る。


 その「足止め」に上手く誘導するのが、ちょっかい役の子供たちだ。


 ちょっかい役は、本来なら常に食べ続けなければ維持できない標的の巨体を無理に躍らせ、疲弊させる目的も込めた重要な役割りである。


 木々に阻まれ、度重なるちょっかいで疲れ切った体に矢や槍をお見舞いして仕留める。


 これが集落の子供たちのやり方だ。


 ピーッ!


「『大沼』に出たぞ! 相当疲れてやがる!」


 他の住居の兄が目視で大猪を確認し、正確な場所を示してくれる。


 大沼はこの森の動物たち、特に猪たちがヌタ場として使用している云わば憩いの場だ。


 使い古した安息地を無意識的に「今際(いまわ)の地」に選んだのかと、テオは駆けながらほくそ笑んだ。


「ピギィイイイ!!」


「うるせぇぞデカブツ! 泣いてねぇで、さっさとくたばりやがれっ!」


 巨体の割りに存外に甲高い声を出すものだと嘲笑い、大きな罵声によって大猪を前に縮み込む体を無理やり奮い立たせるテオ。


「テオ、もうすぐ起き上がる!」


「ああ! わかってる!」


 アルはヌタ場で転げ回り泥まみれになる大猪に向けて三度、投石紐による投石を行った。


 放たれた石は見事にその脳天を直撃し、他の子供たちが放つ石よりも大猪を弱らせるのに役立った。


 木々に隠れていた兄たちの矢や槍が一斉に大猪の急所を狙う。


 バシャァアアッ!


 突如、藻掻き苦しむ大猪は死に物狂いの滅茶苦茶な抵抗を見せ始め、濁り切った沼の水を周囲に撒き散らし、手近の子供たちの目を眩ませた。


「――がぁああああっ!!」


 泥の飛沫が止んだ直後、断末魔にも似た悲鳴が森中に響き渡る。


「……テオォオオオッ!!」


 初めに叫びを上げたのはテオだった。


 大沼の中で一頻り暴れた大猪に伴って倒れ伏した彼の半身は、沼を囲った木々に隠れて窺い知れない。


 信じられない光景が広がっていた。


 大沼に辿り着いたアルはそれを目にした途端、兄たちの制止を振り切り、無我夢中で接近していた。


 泥が立つ水面。浮かぶ鮮明な赤。


 毛だらけの醜い顎がめり込んだ、見知った友の図。


「うわぁあああっ!! ――クソッ、クソッ!」


 無意識の内にナイフを取り出したアルは、まだ息のある大顎に向けて幾度も刃を見舞った。


「……アル……頼む……」


「テオ! いますぐ出してやるから!」


 虚ろな目をしたテオの言葉で我に返ったアルは、大猪に両手をかざし半年振りに隠蔽魔法のイメージを頭に思い描いた。


「――ゴフッ」


 程なくして、猪の顎の一部が消え去り、妙な音を立てた。


《レベルが5に上がりました》

《スキル『投石』が『投石Ⅱ』にランクアップしました》


「テオッ! テオッ!」


「……頼む……」


「なにしてやがる! どけっ!」


 朦朧とする意識の中でうわ言のように何かを呟くテオにしがみ付いていたアルは、遅れて駆け付けた兄の手で乱暴に引き剥がされる。


 ――ザッ!


「……え? なに、して――」


 見るからに瀕死だった友の命は、ヒュホの持つナイフが喉元を貫いたことにより瞬時に断たれた。


 すでに失われた半身から流れ出ていたこともあり、喉元から噴く血は刹那の間に止まった。


「テオは次の生を選んだ。俺たちが口出しすることじゃない」


 血に塗れたナイフを泥水に浸したヒュホは言ってすぐに本来の目的へと戻って行った。


 泥沼に尻を浸しながら放心するアルと、事切れたテオをよそに、いつも通りの狩りの風景が戻る。


 遭った事が信じられず、もう一度真相を確かめようと、伸ばした手が虚しく空を切る。


 この世界における人の死とはそういうものだ。


 生まれて初めて死というものに立ち会ったアルは、呆気なく終わった友の、今際の瞬間を必死に手繰り寄せようと試みた。


「おい、さっさといくぞ!」


 数時間もの間放心し尽くしたアルに、見知った兄の一人が若干呆れながら声を掛ける。


「……はい」


 大沼に、閑散とした森中に、かつての友の姿はない。


 そこにいたことすら否定されるかのように、先まで散々映した鮮明な赤も、今では泥の底へと沈んでいる。



        ***



 朝。


 降りしきる雪が雨に代わり、テオと過ごした小屋の周りに集った子供たちを一様に濡らした。


「お前たちも知っての通り、テオは死んだ。お調子者で、女と見ればすぐに股間をおっ立て腰を振る、どうしようもない奴だった」


 子供たちの親父がその中心に立ち、その場に集う皆へ諭すように語り掛ける。


「股間で物を考えるような仕様もないあやつにも、一つだけ取り柄があった。――それは底抜けの明るさだ。新参者と同じ名を持つ実の兄が死んだ日の夜も、あいつは率先して皆の前で笑っていたことをよく覚えている」


 親父が語る内容に思うところがあるのか、子供たちの中にはすでに堪え切れず嗚咽を漏らして涙する者もいた。


「悲しいか! なら泣け! 今この時だけは大いに泣くことだけを許す!」


 親父の宣言を皮切りに、皆が一斉に声を上げて泣き叫んだ。


 無数の雨が木々の葉を打つ音を掻き消すように、嘘のように激しい慟哭が魔棲の森に響き渡った。


「テオはすでに次の生を受けている。俺たちが見送るのはここまでだ。――金輪際、奴に触れることを禁ずる!」


 唐突に降り止んだ間隙に、男はかつてテオと呼ばれた少年について言及することを禁じた。



 それは、「生ある者は輪廻する」と考える彼らの慣習に則した、一連の儀式だった。






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