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封鎖線の外側

◇帝国軍警の朝◇

ヴァルノア帝国。

 朝の光が、帝都の石造りの街並みを照らし始めていた。

 商人たちは店先へ商品を並べ、荷馬車が石畳の上を行き交う。

 遠くでは、工房の煙突から白い煙が立ち上っていた。

 いつもと変わらない朝。

 しかし、帝国軍警の本部だけは違っていた。

「……72名、か」

 軍警大尉エドガー・ヴァイスは、机の上に置かれた報告書を見つめていた。

 ラウゼン村襲撃事件。

 帝国領内の小さな農村が武装集団に占拠され、住民が殺害・拘束された事件だった。

 犯行に関与したとされるのは、白牙傭兵団。

 現在、拘束された72名の身柄が関係当局の管理下に置かれている。

 被害者への聞き取りも進められていた。

 だが、エドガーが頭を悩ませているのは、傭兵団そのものではなかった。

「隊長格を含め、72名が生きたまま拘束されていた。しかも、連中の証言は揃っている」

 エドガーは書類をめくった。

『上空に無数の天使が出現』

『武器を破壊され、光の鎖で拘束された』

『抵抗する間もなく部隊が壊滅』

 そして。

『6枚の翼を持つ騎士が、召喚者を王と呼んだ』

「……王、ね」

 エドガーは椅子の背にもたれた。

 傭兵たちの証言は、大筋で一致している。

 しかし、個々の話を細かく照合すると、食い違いも多かった。

 天使の数を数百と答えた者。

 数千と答えた者。

 1万を超えていたと主張する者までいる。

 恐怖による誇張は十分に考えられた。

 だが、少なくとも通常の召喚術では説明できない規模の軍勢が出現したことは、複数の証言が示していた。

「大尉」

 副官が新たな資料を持って入ってきた。

「現場検証の中間報告です」

「どうだった?」

「村の周囲に広範囲の魔力残滓を確認しました。ただし、術式そのものはすでに消失しています」

「召喚陣の痕跡は?」

「通常の分類に該当しません」

「……そうか」

 エドガーは報告書を受け取った。

 地面に残る複雑な魔力反応。

 広域に分散した戦闘痕。

 破損した大量の武器。

 その一方で、召喚されたとされる軍勢の装備品も、遺体も、残されていなかった。

「呼び出された連中は、どこへ消えたんだ?」

「傭兵たちは、光になって空へ消えたと証言しています」

「便利な話だな」

 エドガーは苦笑した。

 しかし、すぐに表情を引き締める。

「事件の当事者については?」

「救出された村人たちは全員、市内の避難施設へ移送済みです。現在、軍警の管理下で聞き取りを進めています」

「冒険者ギルドの関係者は?」

「最初に救援へ入ったギルド職員の報告書を取り寄せております」

「最初に現場へ入った連中か」

「はい」

 エドガーは机を指で叩いた。

「そちらを優先しろ」

「はっ!」

「現場の傭兵は、召喚術を見た瞬間に混乱している。あいつらの証言だけでは足りん。救援に入った者なら、事件直後の状況を確認している可能性がある」

「了解しました」

「それと、ギルドへ正式な照会を出せ。ラウゼン村へ向かった冒険者の登録記録と、事件前後の依頼履歴を確認したい」

 副官が頷いた。

「機密指定は?」

「当面、部外秘だ」

 エドガーは窓の外へ目を向けた。

「5,000名の軍勢を召喚できる者が帝国内にいるとすれば、相当な問題になる」

 通常の軍隊なら、兵員を集めるだけでも時間がかかる。

 食料。

 武器。

 輸送。

 宿営地。

 補給路。

 それらを必要としない軍勢が、突然出現するのだとしたら。

 既存の軍事常識が通用しなくなる。

「……召喚者を特定する必要がある」

 エドガーは低く呟いた。

「その人物が帝国の敵か味方かを判断するのは、それからだ」

 副官が退出する。

 エドガーは、もう1度報告書へ目を落とした。

『召喚者の身元、調査中』

 そこへ、赤い線を引いた。

 帝国軍警はまだ知らない。

 同じ人物を捜して、アークディア国防軍の諜報員たちも動き始めていることを。

◇銀貨の使い道◇

同じ頃。

 ヴァルノア市内、西の宿場街。

 レイビスは《金の麦穂亭》の2階にある客室で、昨夜までに得た情報を整理していた。

 机に広げられているのは、帝国の地図と数枚の紙。

 いずれも、市場や街道で一般に入手できるものだった。

 アークディア国防軍の機密資料は持ち込んでいない。

 万が一、帝国軍警の検査を受けたとしても、ただの旅人の荷物にしか見えないようにしてあった。

「……ラウゼン村」

 レイビスは地図へ指を置いた。

 村の周辺には、主要街道が3本。

 そのうち2本は、ヴァルノア市街へ通じている。

 残る1本は、北東の丘陵地帯へ続いていた。

 召喚者が事件後に移動したとすれば、いずれかの道を利用した可能性がある。

 もっとも、相手が大規模召喚を行使できる人物なら、通常の移動手段に限定する必要もない。

 転移術。

 飛行。

 隠蔽魔法。

 考慮すべき可能性はいくらでもあった。

「……可能性を並べるだけでは、何も分からんな」

 レイビスは小さく呟いた。

 机の隅には、小さな帳面が置かれている。

 そこには、前日の支出が記されていた。

『冒険者ギルド受付 銀貨2枚』

『商人ジョージ 銀貨3枚』

 合計、銀貨5枚。

 すべて情報工作費として処理する予定だった。

 だが、金額そのものに大きな意味はない。

 問題は、それによって何を得られたかだ。

 受付嬢からは、商人ジョージの存在を知ることができた。

 ジョージからは、現場近くまで物資を輸送していることと、正体不明の剣士に関する噂を聞き出した。

 いずれも、捜索対象を特定できる情報ではない。

 しかし、次の調査先を選ぶ材料にはなった。

「……悪くない」

 レイビスは帳面を閉じた。

 その時、窓の外を小さな鳥が横切った。

 普通の雀に見える。

 しかし、翼の端にだけ、夜の色に似た黒い模様があった。

 鳥は向かいの屋根に止まり、レイビスを見た。

「……来たか」

 レイビスは窓を開けなかった。

 代わりに、机の上に置かれた小さな鏡へ指を触れた。

 鏡面がわずかに揺らぎ、数行の文字が浮かび上がる。

『第2偵察班より報告』

『ラウゼン村周辺、帝国軍警の封鎖継続』

『村への進入路3か所を確認』

『結界の詳細解析は未実施』

『軍警の巡回間隔、調査継続中』

 レイビスは内容を確認した。

 影森族シャドウエルフによる遠隔偵察。

 目視で確認できる範囲だけに限定し、結界そのものへ魔力を干渉させないよう命じてある。

 敵の監視機構が不明な段階で、無用な魔力反応を発生させる必要はなかった。

 続いて、新しい報告が浮かぶ。

『第3情報班より報告』

『帝国軍警、冒険者ギルドへの正式照会を準備中との情報あり』

「……ほう」

 レイビスは目を細めた。

 帝国軍警が、ギルドの記録を調べ始める。

 それ自体は、当然の対応だった。

 事件に冒険者が関与していたなら、その登録情報や依頼履歴は重要な捜査資料になる。

 そして、同時に。

「……我々が欲しい情報も、そこにあるかもしれん」

 レイビスは椅子から立ち上がった。

 昨日、受付嬢は登録記録の開示を拒否した。

 その判断は、ギルド職員として自然なものだった。

 銀貨を受け取っても、記録簿を見せようとはしなかった。

 ただし、記録簿を見られないことと、そこに記された出来事を調べられないことは別だ。

 商人。

 宿屋。

 運送業者。

 ギルドの依頼を受けて物資を納入する者たち。

 書類そのものへ接触できなくても、取引の痕跡は残る。

「……次は、そこだな」

 レイビスは外套を羽織った。

 鏡に映る姿を確認する。

 茶色の髪。

 平凡な顔立ち。

 人間の旅人。

 昨日と同じ姿だった。

 幻術は正常に維持されている。

 彼は小さな鞄を肩に掛け、部屋を出た。

◇商人ジョージの帳簿◇

「ジョージさんはいるか?」

 レイビスが尋ねると、《金の麦穂亭》の店主は厨房の方を指した。

「裏庭で荷物を積んでるよ」

「助かる」

「何だい、あんた。昨日もあの人と話してたろ?」

「ああ。少し仕事の相談をしていてな」

「そうかい」

 店主はそれ以上、尋ねなかった。

 この街では、商人と旅人が酒場で商談することなど珍しくない。

 レイビスは裏口から外へ出た。

 石畳の小さな中庭には、荷馬車が2台止まっている。

 その横で、ジョージが若い荷運び人へ指示を出していた。

「おい、その箱は横にするな! 薬瓶が入ってるんだぞ!」

「分かってますよ!」

「昨日もそう言って割っただろうが!」

 ジョージは頭を抱えた。

 その姿を見て、レイビスは小さく声をかけた。

「忙しそうだな」

「……お?」

 ジョージが振り返った。

「昨日の兄ちゃんじゃないか!」

「ああ。少し話を聞きたい」

「今から仕事でな。急ぎか?」

「それほどでもない」

「なら、荷積みが終わるまで待ってくれ」

「構わない」

 レイビスは邪魔にならない場所へ移動した。

 荷運び人たちが木箱を運び終えるまで、しばらく待つ。

 その間、レイビスは荷物を確認していた。

 薬草。

 包帯。

 保存食。

 簡易寝具。

 いずれも、避難施設への補給品として不自然ではない。

 箱には、帝国軍警の検査印が押されている。

 ジョージの商会が正式な物資輸送契約を結んでいる証拠だった。

「待たせたな」

 荷積みを終えたジョージが、額の汗を拭いながら近づいてきた。

「昨日はご馳走になった。今日は何が聞きたい?」

「ラウゼン村への物資輸送についてだ」

「またか?」

「昨日の話を聞いて、少し気になった」

 ジョージは肩をすくめた。

「俺は現場まで行ってないぞ。それは本当だ」

「分かっている。聞きたいのは、村ではなく救援隊のことだ」

「救援隊?」

「帝国軍警が到着する前に、現場へ入った者たちはいなかったのか?」

 ジョージは少し考えた。

「……ああ。ギルドの連中か」

 レイビスは表情を変えなかった。

「冒険者ギルドが?」

「そうだ。軍警が大掛かりに動き始める前、ギルドの救援隊が現場へ入ったらしい」

「なるほど」

「俺も最初は、ただの魔物討伐だと思ってたんだがな。ギルドから救援物資の手配があって、えらく慌ただしかった」

「その依頼を受けたのか?」

「ああ。包帯と保存食を納めた」

 ジョージは馬車に積んでいた帳簿を取り出した。

「ほら、これだ」

 分厚い帳簿を開き、ある頁を指差す。

 そこには、納品した品目と数量、代金、そして受取担当者の名前が記されていた。

 レイビスの視線が止まった。

『受取担当 ミリアン』

「……ミリアン?」

「そうだ。ギルドの職員だよ」

「現場へ行った人物なのか?」

「ああ。最初の救援隊に同行していたと聞いてる」

 ジョージは帳簿を閉じた。

「それ以上は知らんぞ。俺は荷物を納めただけだからな」

「いや、十分だ」

 レイビスは頷いた。

 ミリアン。

 初めて得られた、事件直後の現場へ入った人物の名前だった。

 その人物なら、召喚者本人には会っていなくても、救出活動に関わった冒険者や村人について何か把握している可能性がある。

「そのミリアンという職員は、今もギルドにいるのか?」

「さあな。普段はいるはずだが、事件以来、軍警の連中がギルドへ出入りしているらしいからな」

「……そうか」

 ジョージはレイビスを見た。

「兄ちゃん、随分と熱心だな」

「人を捜している」

「昨日も言ってたな。家族か?」

 レイビスは一瞬だけ考えた。

「……古い知人だ」

「そうか」

 ジョージはそれ以上、追及しなかった。

「まあ、見つかるといいな」

 レイビスは懐から銀貨を1枚取り出した。

 ジョージが目を丸くする。

「またか?」

「時間を取らせた礼だ」

「昨日も貰ったぞ」

「今日は今日だ」

 ジョージは笑った。

「変わった兄ちゃんだな」

「必要なものには金を払う。それだけだ」

「商人としては、嫌いじゃない考え方だ」

 ジョージは銀貨を受け取った。

「今度、酒でも奢ってやるよ」

「楽しみにしている」

 レイビスは軽く頭を下げ、その場を離れた。

 荷馬車が街道へ出発する。

 ジョージは再び帳簿を開き、次の納品予定を確認し始めた。

 一方、レイビスは歩きながら頭の中で情報を整理していた。

 事件現場。

 救援隊。

 冒険者ギルド。

 そして、ミリアンという職員。

 ようやく、調査対象へ近づくための経路が見えてきた。

◇封鎖された村◇

ラウゼン村。

 かつて村の入口だった木製の門は、今や帝国軍警の管理する封鎖区域の内側にあった。

 村を囲むように、淡い青色の結界が展開されている。

 その周辺には軍警の兵士たちが配置され、許可のない者を近づけないよう監視していた。

 結界の外側には、仮設の詰所。

 その先には物資集積所と検査施設が設けられている。

「異常なし」

 巡回を終えた兵士が報告した。

「北側、異常なし」

「西側も問題ありません」

 軍警の指揮官は頷いた。

「引き続き警戒を続けろ」

 兵士たちが散っていく。

 結界の内側では、現場検証を担当する魔導技師たちが作業を進めていた。

 焼け落ちた建物。

 破壊された武器。

 地面に刻まれた不自然な魔力の痕跡。

 それらを1つずつ記録していく。

「……これは」

 若い技師が声を上げた。

「何か見つかったか?」

 上司が近づく。

「この魔力反応です。通常の光属性魔法とは、少し異なっています」

 技師は測定器を指した。

「非常に高密度ですが、時間の経過とともに急速に薄れています」

「召喚術の残滓か?」

「その可能性はあります。ただ、これほど広範囲に同質の反応が残るのは珍しいです」

 上司は測定器を確認した。

「……記録しておけ」

「はい」

「勝手に術式を再現しようとするな。何が起きるか分からん」

「承知しました」

 技師たちは作業を再開した。

 彼らが調べているのは、すでに消え去った軍勢の痕跡だった。

 召喚された天使たちは、役目を終えると光へ還っている。

 そのため、装備品も遺体も残っていなかった。

 軍警にとっては、存在したはずの5,000名を超える兵士が、跡形もなく消失したことになる。

 物理的な証拠は少ない。

 残されているのは、戦闘の痕跡と、目撃者の証言だけだった。

 結界の外側。

 街道から少し離れた森の中に、1人の人物が立っていた。

 影森族シャドウエルフ。

 アークディア国防軍の偵察員だった。

 彼は遠方から軍警の配置を観察していた。

 結界の外周。

 巡回兵の移動。

 物資を運ぶ荷馬車。

 検査所の位置。

 いずれも、目視できる範囲だけに限定している。

 強力な結界の内側を無理に探ることはしない。

 隠密能力に優れたシャドウエルフであっても、結界の検知方式が不明な以上、接触すれば警報が発動する危険があった。

「……変化なし」

 偵察員は小さく呟いた。

 手元の小さな記録板に、観察結果を書き込む。

 その時、街道から軍警の増援が到着した。

 兵士たちが荷馬車を囲み、封鎖区域へ入っていく。

 偵察員は視線を動かした。

 増援の中には、魔導技師と思われる者たちも含まれている。

 帝国側は、まだ調査を縮小するつもりがないらしい。

 偵察員は静かに木々の奥へ後退した。

 十分な距離を取ってから、通信術式を起動する。

『第2偵察班より報告。帝国軍警、増援部隊を投入。現場検証は継続中』

 短い報告を送ると、術式を閉じた。

 その姿は、すぐに森の影へ溶け込んだ。

 帝国軍警は、誰も気づかなかった。

 結界の外側から、彼らの行動が観察されていることに。

◇ギルドの封印◇

正午過ぎ。

 レイビスは、再びヴァルノアの冒険者ギルドを訪れていた。

 前日と同じ建物。

 同じ受付台。

 しかし、内部の雰囲気は少し変わっていた。

 入口付近に、帝国軍警の制服を着た兵士が2名立っている。

 受付の奥では、職員たちが慌ただしく書類を運んでいた。

「……なるほど」

 レイビスは何食わぬ顔で、依頼掲示板へ向かった。

 そこには、討伐依頼や護衛依頼の告知が並んでいる。

 しかし、北東方面の依頼だけは、一部が取り外されていた。

『ラウゼン村周辺区域』

『立入り制限につき、関連依頼の受付を一時停止』

 レイビスは掲示板を眺めた。

 ギルドが帝国軍警の調査に協力している。

 おそらく、依頼履歴や登録記録の提出も求められているのだろう。

 少し離れた場所で、職員同士が小声で話していた。

「……あの依頼のこと?」

「そう。北東方面のやつ」

「でも、もう軍警に提出したんでしょう?」

「だから、私たちには分からないのよ」

 レイビスは視線を向けなかった。

 聞こえてきた会話だけを記憶する。

 やがて、受付台へ近づいた。

「あの、すみません」

 昨日の受付嬢が顔を上げた。

「あら、昨日のお客様」

「覚えていたのか」

「ええ。随分と気前のよい方でしたから」

 女性は小さく微笑んだ。

「ジョージさんには会えましたか?」

「ああ。おかげで少し話が進んだ」

「それはよかったです」

 レイビスは、受付の奥に積まれた書類へ目を向けた。

「今日は随分と忙しそうだな」

「そうなんです」

 女性は小さくため息をついた。

「帝国軍警から、事件に関係する依頼記録の提出を求められていまして」

「ラウゼン村の件か?」

「はい」

 女性はそこで口を閉じた。

 そして、少し申し訳なさそうに微笑んだ。

「ただ、詳しい内容はお話しできません」

「そうか」

「事件に関係する情報は、現在、軍警の管理下にあります。登録者の個人情報も含まれていますので」

「昨日も、同じことを言っていたな」

「ええ。規則ですから」

 女性は苦笑した。

「お客様には申し訳ありませんが、銀貨をいただいたからといって、記録簿をお見せすることはできません」

 レイビスは小さく笑った。

「分かっている。今日は記録簿を見に来たわけではない」

「そうなのですか?」

「ああ」

 彼は受付台に置かれた公開用の依頼案内を指した。

「北東方面の仕事を探していたんだが、今は受けられないのか?」

「はい。ラウゼン村周辺の依頼は一時停止しています」

「グロスタの丘も?」

 その名前は、掲示板に残されていた古い依頼番号から確認したものだった。

 女性は頷いた。

「ええ。そちらも対象です」

「……なるほど」

 レイビスは、それ以上踏み込まなかった。

 無理に質問を重ねれば、相手の記憶に強く残る。

 昨日の銀貨だけでも、すでに印象を与えている。

 今は、余計な疑念を生まないことを優先すべきだった。

「助かった。別の依頼を探すことにする」

「申し訳ありません」

「いや、構わない」

 レイビスは軽く会釈した。

 そのまま、何気ない足取りで出口へ向かう。

 しかし、扉へ近づいた時だった。

「失礼」

 帝国軍警の兵士が、声をかけてきた。

 レイビスは足を止めた。

「……何か?」

「冒険者か?」

「旅の途中だ。仕事を探している」

 兵士はレイビスの腰の剣へ視線を向けた。

「身分証は?」

「ある」

 レイビスは、旅人として用意した身分証を差し出した。

 身分証には、偽装した氏名と出身地が記されている。

 現地の様式に合わせて整えたものだった。

 兵士はそれを確認した。

「……北東方面へ行く予定は?」

「仕事があればな」

「現在、ラウゼン村周辺は封鎖されている。無許可で近づくな」

「分かった」

 レイビスは身分証を受け取った。

 兵士はそれ以上、尋ねなかった。

「行っていいぞ」

「どうも」

 レイビスはギルドを出た。

 外へ出ても、歩調は変えなかった。

 背後を振り返ることもない。

 人間の軍警による、ごく通常の確認だった。

 少なくとも、今のところは。

 しかし、身分証の情報を照会される可能性はある。

 偽装に不備はないはずだが、必要以上に同じ場所へ出入りする理由はなかった。

「……そろそろ、別の経路を使うべきだな」

 レイビスは人混みへ紛れた。

 情報を集めるだけなら、もっと容易な方法もある。

 だが、相手に疑念を抱かせずに情報を集めるとなれば、話は別だった。

 見つからないこともまた、任務の一部なのだ。

◇ギルドの2階◇

その頃。

 冒険者ギルドの2階。

 宿泊区画の一室では、ベンが寝台の端に腰を下ろしていた。

「……だいぶ楽になったな」

 彼は額へ手を当てた。

 ラウゼン村で天使騎士団を召喚して以来、身体の調子は完全には戻っていなかった。

 高熱は下がり始めたものの、時折、全身を重い疲労が襲う。

 大剣を持ち上げようとすると、腕に以前とは違う鈍さを感じることもあった。

 その隣では、シルヴィアが薬草を煎じていた。

 金色の髪が、窓から差し込む光に照らされている。

「まだ無理をなさらないでください」

「分かってるよ」

「昨日も、同じことをおっしゃっていました」

「昨日は昨日だろ」

「今日も今日です」

「……何だよ、それ」

 ベンは苦笑した。

 シルヴィアも小さく微笑んだ。

 彼女自身も、まだ身体の傷が癒えきっていなかった。

 下層区で起きた事件。

 時計係としての務め。

 そして、ベンによる救出。

 すべてが、まだ数日前の出来事だった。

 それでも、こうして3人で過ごす時間が戻ってきている。

 ベンは、それを少しだけありがたく思っていた。

「失礼するよ」

 扉が開き、ミラ=クローヴァンが入ってきた。

 銀灰色の短髪。

 使い慣れた長剣。

 そして、片手には書類が握られている。

「2人とも起きてたのか」

「おう。どうした?」

「帝国軍警から、連絡が来た」

 ベンの表情が変わった。

「……軍警?」

「ああ。ラウゼン村の件だ」

 ミラは書類を机へ置いた。

「事件の当事者として、事情を聞きたいらしい」

「そりゃ、そうだろうな」

 ベンは書類を見つめた。

 白牙傭兵団。

 救出された村人たち。

 そして、天使騎士団。

 あれほどの騒ぎを起こした以上、帝国側が何も聞かずに済ませるとは思えなかった。

「行くしかないか」

「当然だ」

 ミラは腕を組んだ。

「ただし、何でもかんでも話す必要はない」

「……どういうことだ?」

「分からないことを、分かったふりで説明するなってことさ」

 ミラはベンを見た。

「あんた自身、あの天使たちをどうやって召喚したのか、完全には理解してないんだろ?」

「ああ」

「なら、そう答えればいい」

 シルヴィアも頷いた。

「ベンさんは、突然あの力を使えるようになったのですから」

「まあ、そうなんだけどな」

 ベンは少し考えた。

「村の人たちは?」

「避難施設にいる。軍警が証言を集めてるそうだ」

「……そうか」

 ベンは静かに息を吐いた。

 マルタの顔を思い出す。

 あの村で、救出した女性の1人。

 彼女は、傭兵たちの罪をなかったことにしないでほしいと願っていた。

 ベンも、それを約束した。

「……証言するよ」

 ベンは顔を上げた。

「俺が見たことは、全部話す」

 ミラは頷いた。

「それでいい。ただし、余計なことまで背負い込むな」

「分かってる」

「本当に?」

「……多分」

「多分じゃ困るんだよ」

 ミラは呆れたように笑った。

 シルヴィアも口元を緩める。

 部屋には、少しだけ穏やかな空気が戻った。

 その時、廊下から人の足音が聞こえた。

 誰かが階段を下りていく。

 ベンは特に気に留めなかった。

 冒険者ギルドでは、毎日多くの人間が出入りしている。

 足音など珍しくもない。

 そして、その日の昼。

 ベンのいる宿泊室の真下では、アークディア国防軍の諜報員が、事件に関する情報を集めていた。

 わずか1つの階を隔てた場所に、捜している人物がいたことを。

 レイビスは、まだ知らなかった。

◇帝国軍警の資料◇

午後。

 帝国軍警本部。

 エドガーは、ようやく届いた冒険者ギルドの報告書を確認していた。

「……これが最初の救援記録か」

 表紙には、ギルドの正式な印章が押されている。

『ラウゼン村救援活動報告』

 担当職員。

 ミリアン。

 その名前の下には、救援隊が現場へ到着した時刻と、確認された被害状況が記されていた。

 拘束された白牙傭兵団の構成員。

 救出された村人。

 死亡者。

 負傷者。

 そして、事件の発端となった冒険者たち。

「……待て」

 エドガーの指が止まった。

「この3名は?」

 副官が書類を覗き込む。

「事件の際、ラウゼン村にいた冒険者と思われます」

「ギルドの依頼を受けていたのか?」

「はい。もともとはグロスタの丘での魔物討伐依頼だったようです」

「魔物討伐?」

「途中、ラウゼン村の異常を発見し、救出活動へ移ったと報告されています」

 エドガーは眉をひそめた。

「……依頼内容と違うじゃないか」

「はい」

「ギルドは、村が占拠されていることを把握していなかったのか?」

「現在、その点についても確認中です」

 エドガーは書類を読み進めた。

 3名の冒険者。

 うち1名は、経験豊富な上位冒険者。

 残る2名は、比較的新しい登録者とされている。

「……新人?」

 エドガーは顔を上げた。

「まさか、5,000名の天使を召喚したのが、新人冒険者だと?」

「その可能性がございます」

「……面白い冗談だ」

 しかし、エドガーは笑わなかった。

 冒険者の登録等級と、実際の戦闘能力が必ずしも一致するとは限らない。

 別の地域から来た熟練者が、新規登録することもある。

 身分を隠して活動する者もいる。

 だが、5,000名を超える軍勢を召喚したという話が事実なら、通常の等級制度では測定できない能力だ。

「この3名の現在の所在は?」

「ギルドの宿泊区画に滞在している可能性があります。ただし、正式な確認はこれからです」

「確認を急げ」

「はっ!」

「それから、担当職員のミリアンにも直接話を聞きたい」

「承知しました」

 エドガーは報告書を閉じた。

 3名の冒険者。

 その中に召喚者がいるのか。

 それとも、別の人物が事件へ介入したのか。

 現段階では判断できない。

 しかし、少なくとも調査すべき相手は絞られてきた。

「……ようやく、形が見えてきたな」

 エドガーは静かに呟いた。

 そして、別の資料を手に取った。

『関係者の身元確認、および事情聴取の実施』

 彼はそこへ署名した。

 帝国軍警による捜査は、次の段階へ進もうとしていた。

◇軍人の判断◇

夕刻。

 ヴァルノアの宿場街。

 レイビスは、宿へ戻る途中で小さな路地へ入った。

 人通りの少ない場所を選び、周囲を確認する。

 指先へ、微かな魔力を集めた。

 薄い紫色の光が浮かび上がる。

『第1潜入班、報告』

「聞こう」

『冒険者ギルドの関係者について、新たな情報を確認しました』

「内容は?」

『ラウゼン村へ最初に入った救援隊に、ギルド職員が同行していた模様です』

「名前はミリアンか?」

『……はい』

 通信の向こうで、一瞬の沈黙があった。

『すでに把握されていましたか』

「ああ。民間の取引記録から確認した」

『了解しました』

「現在の所在は?」

『未確認です。ただし、帝国軍警が当該職員の報告書を取り寄せているとの情報があります』

 レイビスは静かに頷いた。

 予想したとおりだった。

 帝国軍警も、同じ人物へ注目している。

「その職員への接触は、まだ行うな」

『理由をお聞きしても?』

「軍警の関心が集中している可能性がある。現段階で我々が接触すれば、余計な記録を残す危険がある」

『了解』

「まずは、ミリアンが関係した救援活動の概要を調べろ。公表されている記録と、民間の証言を照合する」

『承知しました』

「それと、ギルドの受付職員への再接触も当面控えろ」

『了解しました』

 通信が途切れた。

 レイビスは壁へ背を預けた。

 ミリアン。

 救援隊。

 グロスタの丘。

 ラウゼン村。

 点と点が、ようやく結びつき始めた。

 だが、今の段階で焦る必要はない。

 帝国軍警が捜査を進めているということは、関係者への接触が増えているということでもある。

 誰かが新たに話を聞きに来れば、目立つ可能性が高い。

 まして、身分のはっきりしない旅人が同じ人物を何度も尋ねれば、疑念を抱かれるかもしれない。

「……まだ早いな」

 レイビスは低く呟いた。

 力ずくで記録を奪うことは難しくないかもしれない。

 職員を拘束し、尋問する方法もある。

 しかし、それによって事件関係者の警戒が強まり、軍警の捜査が本格化すれば、作戦全体が不利になる。

 必要なのは、証言を得ること。

 そして、情報を持ち帰ること。

 帝国との戦闘ではない。

「……月下の鼠、か」

 レイビスは小さく笑った。

 ヤミノミコタマの言葉を思い出す。

 ――帝国には1匹の鼠――我々の存在すら悟らせてはならない。

 その命令は、今も変わらない。

 レイビスは宿へ向かって歩き始めた。

◇黒い翼の報告◇

同日夜。

 浮遊都市アークディア。

 王城国防軍本部。

 ヤミノミコタマは、レイビスから届いた報告を確認していた。

 腰から伸びる黒い翼が、椅子の左右で静かに畳まれている。

 机の上には、ヴァルノア市街の地図が広げられていた。

 ラウゼン村。

 冒険者ギルド。

 帝国軍警本部。

 そして、救援隊に関係する複数の場所。

 それぞれの位置が、淡い光で示されている。

「……ミリアン」

 ヤミノミコタマは、報告書に記された名前を読み上げた。

 事件直後の現場へ入ったギルド職員。

 その存在は、今後の調査において重要な意味を持つかもしれない。

 しかし、帝国軍警も同じ人物を調べている。

 この段階で直接接触することは、得策ではなかった。

「……悪くない判断ね」

 彼女は小さく呟いた。

 レイビスは、与えられた現地指揮権の範囲で適切に行動している。

 不用意な交戦も、強引な潜入も行っていない。

 民間の情報源を利用し、段階的に対象を絞り込んでいる。

 諜報作戦としては、順調な滑り出しだった。

 ただし、目的はまだ達成されていない。

 召喚者の名前。

 容姿。

 現在の所在。

 そのいずれも、確証を得るには至っていなかった。

 ヤミノミコタマは通信水晶へ手を伸ばした。

 淡い光が灯り、レイビスの姿が映し出される。

『レイビス、報告します』

「書面は確認したわ」

『はい』

「ミリアンへの接触を見送った判断は妥当よ」

『ありがとうございます』

「ただし、情報源の確保は進めなさい。帝国軍警が記録を管理し始めれば、今より調査が難しくなる可能性がある」

『了解しました』

「それから、各班には民間記録の照合を優先させて。特に、事件の前後にラウゼン村へ向かった冒険者の記録を調べなさい」

『承知しました』

 ヤミノミコタマは地図へ視線を落とした。

「今のところ、帝国側に我が国の関与を察知された形跡は?」

『確認されておりません。ただし、軍警による身分確認が強化されているため、接触経路の見直しを進めています』

「それでいいわ」

 彼女は静かに頷いた。

「引き続き、作戦の秘匿を最優先としなさい」

『了解しました』

「進展があれば、私へ直接報告すること」

『はっ!』

 通信が途切れた。

 ヤミノミコタマは水晶を机へ戻した。

 その表情は、普段と変わらず落ち着いている。

 しかし、心の奥には、わずかな期待があった。

 かつてゲームの中で仕えた王。

 行方不明となってから2,000年もの間、帰還を待ち続けてきた主君の1人。

 ベン。

 もし今回の召喚事件が、本当に彼に関係しているのなら。

 もう1人の王を迎えられる日が、近づいているのかもしれない。

 だが、ヤミノミコタマはその考えをすぐに切り替えた。

 期待は、作戦の判断材料にはならない。

 必要なのは、確かな情報だけだった。

「……さて」

 彼女は立ち上がった。

 パウルへ報告すべき内容を整理する。

 現時点では、召喚者の身元は未確認。

 ただし、事件直後に現場へ入った人物の存在を確認。

 帝国軍警も同じ情報を追っている。

 それだけで十分だった。

 憶測を重ねる必要はない。

「……パウル様には、事実だけをお伝えしましょう」

 ヤミノミコタマは報告書を手に取り、王の執務室へ向かった。

◇王の問い◇

王城最上層。

 パウルは、机に広げられた地図を見つめていた。

 扉が叩かれる。

「パウル様。ヤミノミコタマでございます」

「入ってくれ」

 彼女が入室し、深く一礼した。

「《月下の鼠》作戦につきまして、進捗をご報告いたします」

「頼む」

「はい。現地へ投入した先遣要員は、予定どおり情報収集を進めております。現段階で、我が国の関与が露見した形跡はございません」

「そうか」

「また、事件直後にラウゼン村へ入った冒険者ギルドの救援隊について、担当職員の名前を確認いたしました」

「……誰だ?」

「ミリアンというギルド職員でございます」

 パウルは地図へ視線を落とした。

「その人物が、兄貴を見た可能性がある?」

「現時点では不明でございます。ただし、事件直後の現場状況や、救援に関与した冒険者について把握している可能性がございます」

「なるほど」

「なお、帝国軍警も当該職員へ注目している模様です。そのため、現段階では直接の接触を控えております」

 パウルは小さく頷いた。

「妥当な判断だな」

「恐れ入ります」

「焦る必要はない。ただ、手掛かりを逃すのも困る」

「承知しております。現在、複数の情報経路から記録の照合を進めております」

「……分かった」

 パウルは椅子の背へ身体を預けた。

「ヤミノミコタマ」

「はい」

「兄貴が本当にあの村にいたなら、何かしら記録は残ってるはずだよな」

「その可能性は高いと考えております」

「名前を変えてても?」

「はい。宿泊記録や移動経路、冒険者としての活動履歴など、本人の名義以外からも追跡できる場合がございます」

 パウルは少し笑った。

「兄貴のことだから、派手にやらかしてそうだ」

 ヤミノミコタマは控えめに微笑んだ。

「……ベン様であれば、その可能性もございます」

「だろ?」

「はい」

 パウルは、もう1度地図を見つめた。

「なら、頼む。慎重に、でも確実に」

 ヤミノミコタマは深く頭を下げた。

「ご意向、確かに承りました。引き続き、作戦の遂行に全力を尽くしてまいります」

 彼女が退室する。

 パウルは1人、机に向かった。

「……兄貴」

 その声は、小さかった。

「今度こそ、近づいてる気がするぞ」

◇名前のある証人◇

夜。

 ヴァルノアの宿泊区画。

 レイビスは、再び机へ向かっていた。

 昼間の報告に続き、新たな情報が届いていた。

『第1潜入班より報告』

『救援隊担当職員ミリアン、実在を確認』

『帝国軍警による事情聴取の対象となっている模様』

『直接接触は未実施』

 レイビスは静かに頷いた。

 情報の裏付けが取れた。

 次に調べるべきは、ミリアンが救援活動で何を確認したのか。

 そして、彼が救援した冒険者たちの所在だった。

 その時、さらに通信が届いた。

『追加報告』

『ラウゼン村へ向かう直前、冒険者ギルドからグロスタの丘への討伐依頼が発行されていたことを確認』

『当該依頼は、事件発生後に調査対象として処理されている』

 レイビスの目が細くなった。

「……グロスタの丘」

 昼間、ギルドの掲示板で確認した名前だった。

 北東の丘陵地帯。

 ラウゼン村へ向かう街道の先にある。

「……同じ経路か」

 レイビスは地図を広げた。

 グロスタの丘。

 ラウゼン村。

 ヴァルノア市街。

 そこへ細い線を引く。

 冒険者たちがグロスタの丘へ向かう途中で、ラウゼン村の事件に遭遇した。

 そう考えれば、地理的な位置関係にも無理はない。

 ただし、その冒険者たちが召喚者本人と関係しているとは限らない。

 現場へ向かった者が複数存在した可能性もある。

 レイビスは情報を整理した。

 その瞬間。

 もう1通の報告が届いた。

『第3情報班より』

『グロスタの丘に関する依頼を受注した冒険者は、3名だったとの非公式情報あり』

『登録情報の取得には至らず』

 レイビスは、しばらく動かなかった。

「……3名」

 ラウゼン村で5,120名の天使が出現した。

 その直前、現地には3名の冒険者が向かっていた可能性がある。

 この情報が正しければ、調査対象を大きく絞り込める。

 しかし、まだ名前は分からない。

 性別も、容姿も不明。

 召喚者との関連も確認できていない。

「……悪くない」

 レイビスは、小さく呟いた。

 彼は通信術式を起動した。

『全班へ通達』

 数秒後、応答が揃った。

『こちら第1班』

『第2班、受信』

『第3班、受信』

 レイビスは静かに告げた。

『グロスタの丘に関する依頼を、新たな調査対象として追加する』

『了解』

『当該依頼に関係した冒険者の活動履歴、移動経路、事件後の記録を調査。ただし、現段階で召喚者本人と断定するな』

『了解』

『帝国軍警が同じ情報を追っている可能性が高い。軍警の調査対象に直接接触する場合は、事前に私の許可を得ろ』

『了解』

 レイビスは一拍置いた。

『作戦の秘匿を最優先とする。帝国には、我々の存在を悟らせるな』

『了解!』

 通信が途切れた。

 レイビスは窓の外へ目を向けた。

 夜のヴァルノアには、無数の灯りがともっている。

 人々は酒場で笑い、宿へ戻り、明日の仕事に備えて眠りにつこうとしていた。

 その街のどこかに。

 捜している人物がいるのかもしれない。

 レイビスは、まだ知らなかった。

 自分が昼間に訪れた冒険者ギルド。

 その2階の宿泊区画に、ベンがいたことを。

 そして。

 帝国軍警もまた、同じ建物へ向かおうとしていることを。

◇交差する足音◇

同じ夜。

 帝国軍警本部。

 エドガーは、部下からの報告を受けていた。

「冒険者ギルドの関係者について、確認が取れました」

「名前は?」

「救援隊の担当職員はミリアン。現在、事情聴取の準備を進めております」

「冒険者の3名は?」

「登録情報を確認中です」

 エドガーは頷いた。

「明日、直接話を聞こう」

「はっ!」

「必要なら、医療担当者も同行させろ。事件直後の負傷者が含まれている可能性がある」

「承知しました」

 副官が退出する。

 エドガーは、机の上に置かれた資料を見つめた。

 グロスタの丘。

 3名の冒険者。

 ラウゼン村。

 5,000名を超える天使の軍勢。

 それらが、ようやく1つの事件として繋がり始めていた。

「……何者なんだ、お前たちは」

 彼は小さく呟いた。

 一方。

 冒険者ギルドの2階では、ベンが窓の外を眺めていた。

 隣には、シルヴィアが座っている。

「……明日、軍警の人が来るんだってさ」

 ベンが言った。

「はい」

「何を聞かれるんだろうな」

「ラウゼン村のことでしょうね」

「だろうな」

 ベンは小さく息を吐いた。

 シルヴィアは、静かに彼を見つめた。

「不安ですか?」

「……少しな」

 ベンは苦笑した。

「自分でも分からない力のことを説明しろって言われても、困るだろ?」

「そうですね」

「でも、嘘をつくわけにもいかないし」

「……はい」

 しばらく沈黙が続いた。

 窓の外では、2つの月が夜空へ浮かんでいた。

 その光が、石造りの街並みを淡く照らしている。

「……まあ、何とかなるか」

 ベンは、少しだけ笑った。

「ミラもいるしな」

「ええ」

 シルヴィアも微笑んだ。

 ベンは、ゆっくりと窓を閉じた。

 その頃。

 市街の別の場所では、レイビスが同じ月を見上げていた。

 帝国軍警は、翌日の事情聴取に備えていた。

 アークディア国防軍は、事件に関わった3名の冒険者を調べ始めていた。

 そして、当の3名は、まだその動きを知らない。

 2つの組織。

 それぞれの目的。

 それぞれの情報網。

 同じ人物を追いながら、互いの存在を知らないまま、捜査は進んでいく。

 帝国軍警は、強大な召喚術を行使した人物を特定しようとしていた。

 アークディア国防軍は、行方不明の王を探していた。

 その両者の先にいるのは、たった1人。

 ベン。

 月明かりが街を照らす。

 まだ誰も、すべてを知ってはいない。

 だが、確かなことが1つだけあった。

 これまで世界各地に散らばっていた手掛かりは、ようやく同じ場所へ集まり始めている。

 誰にも知られず進むはずだった作戦《月下の鼠》。

 その行く手には、帝国軍警という、もう1つの捜査の網が広がっていた。

 そして翌朝。

 ヴァルノアの冒険者ギルドに、帝国軍警の馬車が到着することになる。

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