上書きする未来 5
海岸に上がると大きめの岩場で桐谷が愛をおろす。愛はぐしゃぐしゃに濡れたパンプスを片足脱いだ。もう片方をもとから見かけなかったところをみると海の中だろうか。
桐谷はその場に腰を下ろした。そろそろそろと動く数匹のフナ虫に愛が顔をしかめる。
「座れば?」
桐谷がそう声をかけると愛はふるふると何も言わずに首を振っては桐谷から後退した。
ずいぶんと離れた位置の砂浜にしては少し痛い場所に愛が何も言わないままに座る。ぺたぺたとついていくような愛の足跡は徐々になくなる。
困ったような表情を向けた桐谷に溜息をつきながら私は愛の近くに腰をおろした。濡れた服に簡単に砂が付着する。
岩場で所在なさげにそわりそわりとする桐谷に少し息をはく。それに気が付いた桐谷が顔をしかめた。
「寒くない?」
「寒い」
「だろうねぇ」
チュニックを絞ってばたばたとする愛に声をかけるとよわよわしい声が聞こえた。桐谷が岩場から立ちあがり近寄ってくるのが見えた。愛は気が付いていない。
「志乃ちゃんは?」
かすれた声でこちらに顔を向ける。少しだけ青くなっている唇が彼女の体温が冷えているのを伝えてきた。貸せるものがなにもないな、と思っていると桐谷が近寄る。近くまで来ると何度か深呼吸をして話しかけようと躊躇していた。
「海にはいるなんて、死ぬ気だったのか」
少し怒気を含んだ声に愛はその声の方向を見る。眉間にしわを寄せた桐谷はただただまっすぐに愛を見ていた。優しい言葉をかけるのかと、もしくは謝罪をするのかと思っていたためにあっけにとられてその表情を見る。
「そんなつもりじゃ」
「じゃあなんで!」
「だって追いかけてきたから」
「追いかけてこられたら海に行くのか」
「逃げ場なんてなかったじゃない!」
「逃げられたくなかったからな」
「だから逃げて」
「結構深いところまでか?人は簡単に溺れるぞ」
「そんなわけないじゃない!生きるわよ!まだ死ねないもの!」
珍しく張り上げた声が響く。
桐谷はそうかとその言葉をきいてその場にしゃがみこんだ。あまりの変化に愛がわかりやすく動揺する。意地のように声を上げていた愛もその光景にぱちぱちと瞬きをした。
「きりたに、くん?」
「海は嫌いなんだ」
「そう……」
愛が気を使っていることに桐谷は気が付く余裕はないのか吐き捨てるように言う。
「いつも別れの場所だ」
吐き捨てた言葉に愛は首をかしげた。
桐谷のその言葉に私は何も言えなくなる。桐谷から聞いた話は海で桐谷と実の両親はわかれて、桐谷は今の祖父母の豪邸に住むようになったということだった。その別れがどういう別れだったのか。詳しいことは聞いていない。知っているだろう母は口をつぐみ、桐谷はずっとそのことについては語ろうとしなかった。
「別れの場所……」
愛はそれを確かめるようにつぶやいた。
「逃げただけでよかった」
ほっとしたようにつぶやいた言葉に愛は顔をゆがめた。
「死ぬとかじゃなくてよかった」
「なんで」
愛は立ち上がると桐谷を見下ろした。
「私を心配するの」
その言葉に桐谷が顔をゆがめた。
「嫌がらせをするくらいならかかわらなければよかったじゃない」
愛の口からするすると流れ出る言葉に私は口を出せそうにはなく2人を見ていた。
「さっきのこ、こ、告白だって!わざわざうそまで言って私の反応をみたかっただけなんでしょ」
さすがにその言葉には傷ついたような表情をした桐谷が愛をじっとみる。愛はその視線に気が付いて肩で息を整えながら、なに、といった。
「好きだ」
顔を上げた桐谷は愛をしっかりとみていった。
「さっきも言ったし今更言い訳に聞こえるかもしれないけれども」
ぐっと砂浜の砂を握る桐谷が見えた。人が砂をつかんだ跡がそこに残る。
「嫌がらせでも反応が見たいわけでもない。ただ好きだった。今でも好きだ。優しくしたかった、俺だけが。特別になりたかった。好きになってほしかった」
愛は困惑したように視線を泳がす。目があった愛は疑っている様子で助けを求めるようであった。
「最低なことをしたと思う。許してもらえるとは思っていない。けど、やっぱり好きだ。どうしようもなく、好きだ。たぶんこの先、藤吉さん以上に好きになる人はいないんじゃないかってくらい好きだ。ただ藤吉さんが、笑っているところがみたかっただけなんだ。俺に、笑ってほしかったんだ」
でも、とつづけた言葉には覇気を感じない。
「藤吉さんの笑顔を奪っていたのは俺だな」
■桐谷
後悔で情緒不安定
■愛
困惑
■志乃
今回も空気
志乃ちゃんが空気になりつつあるけれどもしばらく続きます。
桐谷の告白。愛ちゃんとのやりとりは次回。
夏休み前の終業式のところ加執します。




