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魔法使いのいる街  作者: 水瀬 瑞希
第二章 DAY AFTER

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第五十五話 破片となったハッピーエンド

 眠気に負けて、ガクンと頭が落ちる。

 あの瞬間って妙に恥ずかしい。

 誰に見られたわけでもないのに、なんか負けた気分になる。

 よだれでも垂らしてたら最悪だ。

 今日の目覚めは、まさにそれだった。

 階段を踏み外す夢を見ただけ。現実は平和そのもの。

 今日もなんてことない、当たり前の日常が始まる。

 ――そう思った瞬間、妙な違和感が残った。

 瞼がやけに重い。体もうまく動かない。

 まるで、まだ長い夢の中にいるような感覚だ。

 聞こえてくるのは二つの、言い合う声。


「……もう放置しておけません」

「私が決断をするって言ったはずよ」


 ……玲菜とメルの声。

 俺はしばらく、目を開けなかった。

 高級ベッドのスプリングの感触。

 これだけでここがいつもの玲菜の屋敷の客室なのはわかる。

 閉められたカーテン越しに、朝の光だけがぼんやりと伝わってきた。

 俺に気を使っているのだろうか、電気はついていない。

 昨日は夕方まで伊勢島と戦っていた。どうやら、そのまま朝まで眠ってしまっていたらしい。

 というか、伊勢島を倒して、ルーミアたちと別れた後の記憶がない。

 なんで俺はここで寝てるんだろう。

 見慣れた場所のはずなのに、なぜかひどく落ち着かない。

 意識が、どこかへ引っ張られている。話し声もなぜだか遠い気がした。


「玲菜様。悪意が流れ込んでいる。それは確かなことです」

「でも、軽い暴走かもしれない」

「……そうですが、これ以上悪化したら……」

「わかってる。でも、話はもう終わり。そろそろよ――」


 玲菜の声が低くなる。

 気がつくと、俺は目を開けていた

 二人は部屋の扉の前に立っている。

 メルは扉の前に立ち、玲菜は俺に背を向けていた。

 目が合い、メルが俺に気がつく。


「……お目覚めみたいですね、赤羽様」


 表情は変わらない。でも、その声が、いつもより少しだけ重かった。

 続いて玲菜が振り返る。

 ……あ、と思った。

 いつもとは違う鋭さがあって、俺は無意識に起き上がる。

 俺は玲菜になにか悪いことをしてしまったんだろうか。


「な、何かよく覚えてないんだけど……俺ってどうやってここまできたんだ?」

「私が運んだのよ。ちなみに今、朝の八時だけど、アンタの中ではどうなってる?」

「どうなってるってなんだよ。朝まで寝てたのがそんなにいけなかったか?」

「……朝までね。今日はあれから五日後よ」


 ベッドの横にある日付付きの時計が目に入る。

 ……確かに俺が覚えている日付から五日経っていた。


「悪い。いくら何でも寝過ぎだな……」

「またその反応ね……ちなみに、何度も起きてたわよ」

「……え?」

「……白峰さんとデートだってしてるしね」

「なっ! はあ!? ……デート?」

「……ま、これは、そういう反応になるわよね。忘れて……」

「忘れていいことだとは思えないがな。まったく覚えてないぞ」

「覚えてないなら、楽しくなかったんじゃないの? 知らないわよ……」


 ふんっと音がしそうな勢いで玲菜がそっぽを向く。

 かなり機嫌が悪い。でも、記憶がないとか冗談にしてはキツすぎだ。

 俺が寝ている間になにかあったのだろうか。


「何があったのか知らないけど、笑える冗談にしてくれよ……」

「……っ、昨日も似たような話をしたし、同じように驚いてたわ……冗談ならどれだけ楽だったか……」


 玲菜はあきれ果てたように息を吐く。

 冗談じゃないことは、彼女の震える指先を見れば一目瞭然だった。


「――っ、本当に俺の記憶が飛んでるのか?」

「……もう何回目だと思ってるの? アンタが本気で言ってるなら、そうなんでしょうね……」


 突き放されたような冷たい言い方。おそらく玲菜も原因がわからず、毎日のように俺から同じ質問をされているのだろう。そりゃあ、冷たくなるのも無理はない。

 しかし、玲菜にとっては何回目なのかの見飽きたイベントかもしれないが、俺にとってはこれが初めてだ。やはり何か情報が欲しくなる。


「これまでの状況を大まかにでもいいから、教えてくれないか?」

「――っ、今日もまた、まったく同じことを言うのね……いいわ。話してあげる。今度はきちんと覚えておきなさいよ!」


 玲菜から聞いた話をまとめるとこんな感じになる。

 俺がレガリアの鍵を手にしたことで、雪城家の結界と深く繋がり、当主となった。

 だが、どういうわけか、封印されていたメルの感情、特に悪意が暴走して脳に流れこんだようだ。

 そのため、脳が許容量を超え、新しい記憶を維持できなくなったと推測される。


「雪城の人間以外がレガリアの鍵を持ったら、大変なことになるなんて最初に教えてくれよ」

「……普通はそんなことないわ。夫や養子が継ぐことだってあるんだから、血縁だけとは限らないでしょ。リングに淀みがあったのよ……」


 ため息と共に零す玲菜。

 大きくメルが頷き、俺を見つめた。


「赤羽様がリングに触れた際に、直接脳を侵食したようです……」

「……じゃあ、俺が玲菜に危害を加えたのも?」

「はい。玲菜様を殺そうとした。それこそが侵食された証拠と言えるでしょう」


 あの異常な感覚、破壊衝動。

 言われてみれば、おかしくなったのはリングに触れてからだ。

 それが今も、俺の脳を侵食し続けている。想像するだけで気持ち悪い。


「……治せないのか?」

「はい。既にリングの淀みは取り除きましたが、侵食された部分を取り除くことはできません……」


 目の前が真っ暗になった気がした。

 もう俺は二度と記憶を保つことができない。

 絶望的な話だ。


「俺は……このままでいられるのか?」


 メルは口ごもり、玲菜に視線だけを向ける。

 玲菜はまた大きく息を吐く。


「……侵食が続いてるんだもの。残された時間は、長くないわ。」

「それって、つまり……?」

「……アンタが赤羽春馬じゃいられなくなるってことよ」


 その時、廊下からノックの音が聞こえた。

 玲菜が振り返る。メルと、短く何か言葉を交わした。

 メルが無言でうなずいて、扉を開ける。

 詩子だった。制服姿で、顔が青い。

 俺を見た瞬間、詩子はビクッと体を強ばらせる。


「……先輩」

「詩子? なんで屋敷に」

「――っ、先輩……昨日のこと覚えていますか?」


 脅えたように俺に目を向けてくる詩子。

 おそらくさっき玲菜に言われたことなんだろう。まったく覚えていない。

 でも、それを口にしたら絶対に傷つけるのがわかる。

 沈黙の時間に耐えられなくなったのか、玲菜が大きく息を吐いた。


「白峰さん心配する必要はないわ。コイツの記憶は五日前の夕方で止まってる。この四日間の記憶なんて何もないわ」


 玲菜に声をかけられて、詩子は少しだけホッとした顔を漏らす。

 詩子は俺から視線を外して、玲菜を見る。

 それに応えるように玲菜もただ詩子を見返すだけだった。

 二人の間に、何かが通ったように見える。

 詩子が、小さく息を吸った。


「……雪城先輩。今日は絶対に邪魔をしません。……だから、春馬先輩を、お願いします」


 それだけ言って、詩子は頭を下げた。

 深く、長く。

 玲菜は答えなかった。

 詩子が顔を上げたとき、目が赤かった。でも泣かなかった。

 俺に向かって、いつもの控えめな笑顔を作る。


「……先輩、私、もう帰りますね。今日は楽しんできてください……」


 なぜか少しだけ刺を感じさせる口調。

 それだけ言って、詩子は扉を閉める。

 廊下に、足音が遠ざかっていく。

 俺は玲菜を見る。


「……なんだったんだ、今の……」

「今の流れでその返事なんだ? ま、それが赤羽春馬よね……」


 言って玲菜はクスクスと愉しげに笑う。

 なにかよくわからないが、玲菜が笑っているので良しとしよう。


「……玲菜様」


 脱線していると思ったのか、メルが厳しめに玲菜に呼びかけた。

 ハッとした顔を見せて、玲菜が俺に視線を戻した。


「……っ、わかってる。決めなきゃいけないことくらいわかってるわよ」

「では、説明を続けさせてもらいます。記憶がなくなるのは、レガリアと脳の侵食部分が繋がっているからです。これを取り除けば記憶を無くす症状は消えると思われます」


 俺が首を傾げると、玲菜がコホンと咳払いをする。


「つまり、アンタが持ってるレガリアを私に返すこと。それだけよ」


 拍子抜けするほど簡単な答えだ。

 そんなことですむなら、今すぐにでも返したい。


「わかった。どうすればいいんだ?」

「……まあ、アンタなら即答するでしょうね。でも、大事なのはここからなの」

「赤羽様よく聞いて下さい。あなたの脳に侵食した悪意は、レガリアを通じて、どんどん力を増しています。それでもなんとかなっているのは、私がレガリアを通して、抑えているからです」

「レガリアを返したら、メルによる抑制ができなくなるってことか?」

「はい。その通りです。そして、さっきも言ったようにあなたに侵食した悪意は取り除くことができません。近い将来、爆発します」


 頭を殴られたような強い衝撃を感じる。

 記憶がないとか、どこか夢見心地できいていた。

 なにかものすごいことが俺の中で起きてるんじゃないのか。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 爆発ってなんだ?」

「アンタの中の悪意が暴走するの。街と数十万人ごと巻き込んでね」

「どうにかならないのか?」


 俺はすがるように玲菜に視線を向ける。

 玲菜はただ、静かに唇を噛み締め、小さく頷くだけ。

 冗談を言ってるわけではない。それが痛いほど分かった。

 ギュッと閉じていた口を玲菜が開く。


「……春馬、アンタには四つ……いえ、三つの選択肢があるわ」

「一つ、このまま侵食を爆発させること。この街と住民には大きな被害がでるけど、アンタは助かるわ。……と言っても、アンタは絶対に反対するのよね?」

「ま、まあ、そうだけど。あっさりと納得するんだな?」

「……何回このやり取りした思ってるの? 結局アンタはどうあっても、自分の為に周りが犠牲になる選択肢はしないわ。ここで言い合っても時間の無駄でしょ?」


 自分が死ぬことよりも、俺のせいで誰かが死ぬという事実の方が、なにより許せなかった。

 何度聞かれても同じ返事をするのはわかりきってる。


「当たり前だ。そんなことできるわけないだろ!」

「……でしょうね。もう、いいわ。あとはメル……お願い」


 消え入るような声で玲菜が呟き、視線を落とした。

 代わりにメルが一歩、こちらに近づく。


「はい。わかりました。……赤羽様。一つはっきりと言っておきます。あなたが助かる道は爆発させるしかありません。それでも却下でいいんですか?」

「……ああ。他の選択肢を聞かせてくれ」

「――っ」


 玲菜の重く苦しいため息が聞こえた。

 メルは玲菜をしばらく見つめ、ゆっくりと俺に視線を戻す。


「では、続けますね。二つ目は封印を施すこと。脳の機能を完全に止め、侵食を防ぎます。この場合、赤羽春馬という人格は完全に死にますが、数日は時間を伸ばせるでしょう」

「な、なんだよそれ……死ぬより恐いぞ。人格は戻ってくるのか?」

「いえ。更に言えば、押さえつけていた分だけ、爆発時はより大きな力となります。この街だけですんだものが隣街まで巻き込むと思ってもらえればわかりやすいでしょう」

「ただの時間稼ぎってことだな。犠牲が拡大するおまけ付きの……」

「その認識で間違いありません。自分を保ちたいなら、最も避けた方が良い選択でしょう」


 玲菜が俺をすがるような目で見つめている。玲菜がさっき言った『アンタが赤羽春馬じゃいられなくなる』という意味がわかった。

 一つ目のみんなを犠牲にするなんて俺が選ぶはずがない。

 だから、この延命に期待しているのだ。

 でも、俺が俺じゃなくなった上に、犠牲が増えるなんて絶対に選びたくない。

 俺は玲菜から目を逸らし、メルに視線を合わせた。


「却下だ。最後の選択肢を聞かせてくれ」

「……三つ目は……爆発前にあなたが死ぬことです」


 聞く前からわかっていた。

 他に生き残る道はないと言われたときに、自分が何の選択を迫られているのかということを……

 俺はベッドに腰を落とした。

 せっかく、玲菜を守れる力を手に入れたと思ったのに、それすらできずに死ぬしかないのか。


「ちくしょう……ふざけるなっ……」


 自分が死ぬことでしか、周りの人たちを救うことができない。

 いや、これを救いと言ってはいけない。報いだ。

 自分がしてしまったことへの責任でしかない。

 俺が加害者で、周りのみんなが被害者だ。

 だとすれば、俺が選択するのは――


「ちなみに、誰もいない場所に逃げて爆発させるという案もありますが、これもおすすめしません。この街を離れた瞬間、レガリアの力が一気に弱まり、あなたを守る力をなくして一気に爆発します」

「つまり?」

「爆発からあなたを守れなくなります。あなたも一緒に死ぬという意味で、被害が確実に拡大するでしょう」

「周りを巻き込んだ上に、自分も助からないんじゃ意味がないな……」

「……ですが、海の上まで逃げられたら、この街の被害は減るかも知れません。……津波や地震などで他の県や国に被害は広がるでしょうが……」

「……っ、却下だ」


 沈黙が落ちた。

 落ち着かない様子でいた玲菜が俺に視線を投げる。


「話はわかったわね。で、春馬。アンタどうするの?」


 どこか期待したような目。でも、その瞳には諦めを含んでいた。

 それはそうだろう。きっと何度も同じ質問をしたはずだ。

 そして、俺の返事はいつも同じ……俺だって、死にたいわけじゃない。


「もし、もしもだけど……この街も、詩子も、玲菜も、俺も、全部助かる方法が見つかるなら、俺はそれに賭けたい。だけど、誰も犠牲にしない道はないんだろ?」


 玲菜は俯きながら、うんと小さく答える。

 必死になって探そうとしてくれたみんなが助かるルート。

 でもそれは存在しない。

 だったら、三択の中で俺が選べる答えなんて一つだ。


「自分だけ助かるために、他の誰かを犠牲にするなんて――俺には無理だ。わかるだろ、玲菜なら」

「……うん。わかってる。わかってるから――」


 もう何度、この話で玲菜と揉めたんだろうな。

 助けられるのが嫌いな俺が玲菜に何度も助けられてきた。

 それも命を賭けて。その度に玲菜に怒鳴ってきた。

 俺の命を守るために自分の命を粗末にしないでくれって。

 そんな玲菜だからこそわかる。答えはこれしかないんだ。


「なら、答えは決まってる」

「――っ」

「……死ぬのは嫌だけど、俺が死ぬだけでこの街が救われるなら……それは、ハッピーエンドだろ?」


 俺の答えを聞いて、玲菜は大きく肩を落とした。

 唇を噛み締めギュッと言葉を我慢している。

 まるで最初からこの答えが出るのを知っていたかのようだ。

 いや、知っていたんだろう。

 だから、機嫌も悪かったし、諦めを含んでいたんだ。

 俺と玲菜が言葉を無くしたことを見計らって、メルが口を開く。


「提案しておきます。赤羽様を殺すのはレガリアを引き継ぐ玲菜様が実行するべきです。他の人に殺されてはレガリアを奪われてしまう危険性がありますから……よろしいでしょうか?」


 メルの視線は俺に向けられていた。

 玲菜への忠告のふりした俺の警告だ。

 他の人に殺されたり、自殺したりせず、大人しく玲菜に殺されろという警告。

 まあ、確かに俺がどこかで死んで、レガリアがなくなりましたというのがメルにとってはもっとも避けたいことだろう。

 他に俺を殺してくれそうな相手もいないし、俺が殺されたい相手もいない。

 玲菜に任せておけば問題ないだろう。俺は頷いた。

 ただ一つの懸念が、俺を殺すことで玲菜が責任を感じてしまうこと。

 それだけが心に引っかかった。でも、もう時間がない。


「じゃあ、今すぐ俺を殺してくれ」


 俺の言葉を聞いて、玲菜は全身を強ばらせる。

 何かを堪えるみたいに、肩が小さく震えていた。

 そして、ようやく言葉をひねり出す。


「……っ。もうこれしかないのね……」

「ああ、俺の気持ちは変わらない。それに時間もないんだろ?」

「そう……よね」

「だったら、急いで――」

「しょ、しょうがないわね。じゃあ……で、デートするわよ!」


 今にも泣きそうな表情で、玲菜が頬を真っ赤に染めている。

 なんの話なのかまったくついていけない。なんでデートの話になったんだ。


「……は?」

「聞こえたでしょ!」

「いや聞こえたけど……」

「……自分はわがまま放題なんだから、一つくらい私のわがままを聞いてもいいんじゃない? 最後の思い出が欲しいのよ……」


 玲菜は俺から目を逸らして、ぽつりと言った。


「そ、それはそうだけど……爆発までの時間は平気なのか?」

「ええ。今日くらいは平気よ……ね?」


 玲菜はそういってメルに視線を向ける。

 メルはただ静かに眼を閉じるだけだった。

 まあ、大丈夫なんだろう。なら断る理由はない。

 いや、それどころかこっちからお願いしたいくらいだ。


「わかった。行こうぜ!」

「ありがとう。楽しみにしてるわよ!」


 終始、暗い顔の玲菜だったが、その返事だけはどこまでも明るかった。

 今日も、これからも、ずっと。

 玲菜には笑っていて欲しい――心からそう願った。


 ※ ※ ※


 俺たちは支度をして繁華街に来ている。人通りも多くとても賑わっていた。

 隣を歩くのは、いつもとは少し違う雰囲気の玲菜。

 玲菜の私服は、これまでにも何度か見てきた。

 どこの黒い組織の人間だよと言うほど黒ばかり選んでいる玲菜が、今日はなぜか白基調の服を着ている。

 黒も悪くないけど、白の方が清楚感があって玲菜に似合う。

 今日の玲菜は、この街の雑踏の中にいても、ひと際鮮やかだ。

 やっぱり可愛いよな。玲菜って。

 一緒に歩いているだけで、色々と視線が痛い。特に妬み系の視線が……

 こんな素敵な玲菜に愛される男はどれほど幸せなんだろうな。

 つくづく羨ましい限りだ。


「き、気持ち悪いわねぇ……なんでジロジロ見てくるわけ?」

「あ、悪い。白い服は珍しいなぁって……」

「白? これってベージュって言うんだけど……まあ、いいか。で、どこに連れて行ってくれるの?」

「はあ? お前が行きたいところがあるんじゃないのか?」


 俺の言葉を聞いて、玲菜はわざとらしくガッカリした顔で肩を落とす。

 それから首を左右に振り、人差し指を立てた。


「アンタねぇ……デートと言えば、男性が行く場所を決めるものよ。それを女性が勝手な基準でジャッジして、その男性に厳しく点数をつける遊びなんだから」

「なんか、デートと女性への幻想が消えるからやめてー!」

「ほら、さっさとしなさい。行くわよ」

「結局、お前が決めるのかよ!」


 俺の手を引っ張り元気よく踏み出した玲菜が、振り返りニコッと微笑んだ。

 玲菜の思い出作りのために今日を最高の日にするんだ。

 二度とこんな日が来ないのかと思ったらとても苦しくなった。

 玲菜に連れてこられたのは、雑貨屋さん。

 色々な小物を買いもせず、あれかわいい、これかわいいと目を輝かせている。

 欲しいものを買ったら秒で帰る俺としては、興味の無いものをだらだらと眺めてる時間ほど無駄に感じるものはない。正直苦痛だ。


「そんなに可愛いと思うなら買ったらどうだ?」


 さっさと買って他に行きたい俺はやや皮肉交じりの言葉を選んでしまった。

 玲菜が肩を竦め、大げさに息を吐き、バカにしたような顔を見せる。


「ほんと。ダメダメのダメ男ね。女心がまるでわかってないわ」

「まあ、女じゃないからな」

「女子はカワイイ物を眺めて可愛いって騒いでるのが楽しいのよ。本気で欲しいと思ってるわけじゃないわ。ほら、アンタも騒いでみなさいよ。楽しくなるから」

「そういうものなのか……えー、これ超可愛い! ……って言うかよ!」


 俺は適当に掴んでいたマグカップを棚に戻す。

 隣には同じような色違いのマグカップがもう一つ置いてあった。

 所謂、ペアマグカップという物だ。


「何ジッと見つめてるのよ。まさか、そのダサいカップが欲しいの?」


 飾り気などほとんどない黒と白、二つのマグカップ。

 どこにでも売ってありそうな飾り気のない普通の物だった。


「そうか? ダサいとは思わないぞ? って、別に欲しくはないけど……」

「ダサいわよ。まあ、アンタにはお似合いね。……ペアで買う?」

「文句言いながら、実は欲しかったとか、ほんとお前ってツンデレだな」

「その挑戦受け取ったわ。残念だけど、私には強烈なツンはあっても、デレはないのよ!」

「それって威張ることかよ。ただの性格の悪い女じゃねぇか!」


 言われて目を丸くして玲菜があははと笑う。とても魅力的な笑顔だった。

 店から出るとき、いつ買ったかわからないが、玲菜から袋を渡される。

 袋の中には、ビニールのプチプチで梱包されたマグカップがペアで入っていた。さっきダサいと玲菜がバカにしてたものだ。驚いて玲菜に顔を向ける。


「いい? 黒い方がアンタで、白い方が私よ。文句ないわね?」

「まあ、どっちでもいいけど……」

「割らないように、アンタが持ってなさいよ。私のを割ったら殺すわよ!」


 キツい言葉使いだが、耳まで真っ赤になっていた。

 なんで俺が持ってなきゃいけないのかと一瞬思ったが、『私のも』と言った玲菜の言葉を思い出す。つまり、俺とお揃いで買ったのか。

 こういうコトするからツンデレなんだぞ。

 いつもの玲菜節を見て、また心が少し痛みを発した。

 次はお腹が空いたと適当なお店に入る。俺が選んだお店だ。


「ゼロ点ね。なんでデートの食事でそば屋なの? アホなの?」

「な、なんでだよ。そばおいしいだろ? それに何でもいいって言っただろ?」

「あのね。女子の言う『なんでもいい』はなんでもよくないの!」

「なんだよその、魔法の言葉は……わかるわけねぇだろ!」

「そこを空気読んで私が喜ぶ中から選ばないといけないわ。ほんと、女心がわかってないんだから……昨日は白峰さんとはどこに――」


 そこまで言って玲菜は口をキュッと結ぶ。

 眉間に深いしわが浮かんだが、一瞬だった。


「れ、玲菜……?」

「……っ、な、なんでもないわ。私、そば嫌いじゃないわ!」


 急に変わった態度が気になったが、それ以降は終始楽しそうに笑っている玲菜を見ていたら、それ以上は何も言えなかった。

 その後は、映画を見たり、買い食いしたり、お茶したりと楽しい時間が流れていく。夕方を過ぎた頃には、なんとなく浜辺まで来ていた。

 美沢市の外れの、静かな浜だった。観光地ではないから、人もほとんどいない。

 やはり冬ということもあって、浜辺は結構寒い。自然と二人の距離が近くなる。


「ねえ、ここから私たちの街が一望できるのね。知ってた?」


 玲菜が指差す先には街の端が広がっている。

 住宅の屋根と、電線と、水平線の手前に霞む山。美沢市の、全部。

 ——続けたい、と思った。

 思ってしまった。

 ただ、この景色を。

 海辺を玲菜と寄り添って歩く、本当にたわいのない日常を。

 二人だけの時間を。

 終わらせたくなかった。

 頭の奥が、ぐらついた。

 俺は拳を握って、踏ん張る。


「随分と遠くまで来たんだな……俺たち」

「そうね……本当にそうね」


 玲菜の相づち。同じ言葉を繰り返しただけの言葉だったが重く、どこまでも重く感じられた。玲菜に目を向けるとしっかりと俺を見ている。

 さっきまでと違い、笑顔が消えていた。


「な、なんだよ。急にまじめな顔して……」

「……本当に終わりでいいの?」


 玲菜の言葉が胸に刺さる。その重みが痛いほど伝わってきた。

 俺だって決して死を望んでいるわけじゃない。他に方法がないんだ。

 だから、その言葉を口にしてはいけない。俺は玲菜から目を逸らす。


「……っ、ごめん」

「謝らないで! 謝らなきゃいけないのは私! 私なの……っ、春馬を巻き込んで……ずっと迷惑かけて……支え続けてくれたのに……こんなことってないよ……」

「玲菜……」

「アンタが助かるなら、誰を……何を犠牲にしても構わない……お願い……考え直してよ……」


 玲菜が上目使いで俺を伺った。

 同時にまた頭が揺れる。

 どこか遠くで、誰かの声が聞こえた気がする。

 聞いたことがないはずなのに、なぜか胸の奥が締めつけられた。

 頭の中で、何かが軋んだ。

 走馬灯じゃなかった。

 世界が、裏返るような轟音。

 時間が引き剥がされる。

 耳の奥で、何かが――過去でも未来でもないどこかが――悲鳴を上げる。

 声が、遠くなった。

 遠くなって、消えていく。

 ――ガクン

 ああ、最悪だ。眠気に負けてやらかした時のあの衝撃。

 気を失っていたんだろうか。


「……春馬? 大丈夫?」


 玲菜が訝しげに覗き込んでくる。一瞬、記憶が追いつかない。

 まるで時間が飛んでしまったような感覚。

 手に持っていた二つのマグカップが袋の中で小さくぶつかる。


「だ、大丈夫だ。平気」

「ウソを言わないで。眠気が襲ってくる……記憶が消える兆候が……出てきたんじゃないの?」

「……これがそうなのか?」

「ええ。何回……見てきたと思ってるの?」


 玲菜が海風に靡く髪を左手で押さえて、海に目を向ける。

 それから、ゆっくりと俺の方を向く。その顔はひどく脅えていた。


「ねえ! 私たちだけでどこか遠くの国へ逃げない? そして、そこから魔法とは無縁の中で暮らしていくの。春馬は……まあ、英語とかできなさそうだから、最初は私が頑張る。一杯頑張って、そのうち春馬も自分で稼げるようになってさ。それから――」


 玲菜の口からこぼれる夢物語。涙が出るくらいに面白くて、笑いがでるほどに悲しくて泣ける話だった。

 だって、その未来には絶対にたどり着けないんだから……


「それでね! 私が母親になって――」


 玲菜は恥ずかしそうに上目使いで俺を見上げる。

 その頬は真っ赤に染まっており、とても恥ずかしそうだ。

 そんな玲菜を見ていると、決心が鈍りそうになる。だけど、ダメだ。


「玲菜。俺は、自分の為に誰かが犠牲になるの……嫌なんだ……だから、その最高の結末には……付き合えない」


 俺は決して眼を逸らさずに玲菜を見つめる。

 玲菜の唇が、小さく震えた。

 何かを言い返そうとして、でも言葉にならなくて、喉の奥で何度も止まっている。

 でも、そっと触れてきた指先だけは、俺の服を離さない。

 まるで、離した瞬間に本当に終わってしまうみたいに、玲菜は何かを堪えるように、一度だけ強く目を閉じた。

 それから、覚悟を決めるようにゆっくり息を吐く。


「アンタさ……どれだけひどいこと、私に押しつけようとしてるのか……わかってる?」

「ひどいって、殺してくれって頼んでいることか? そ、そりゃあ、わかるけど、レガリアを他に渡らせないためには――」

「――っ、そうね、そうよ! アンタはそう言うわよ。使命のためだから仕方ないって言うんでしょ。わかっているわよ!」

「だったら、なにがひどいんだよ?」

「どんな気持ちで私が――っ、アンタを殺して……それをどんな気持ちでずっと背負っていくのか……っ、わかってないっていってるのよ!」


 玲菜の声は今にも崩れ落ちそうだった。それでも何かを伝えようと叫んでいる。

 正直、俺は玲菜のことを考えているつもりだった。

 俺が死ぬことで玲菜はまた正式に雪城家の当主になれるんだ。しかも、レガリアという玲菜がずっと欲しがっていた物を手に入れて……。

 でも、実際にはどうなんだ。

 玲菜が何を考えているのか、俺は本当にわかっていたのだろうか。

 そこまで考えて、乾いた笑いが零れてしまった。

 わかってないから、玲菜が叫んでるんだな。


「……どんな気持ちなんだ? 教えてくれないか?」

「――っ、ほんと、ひどいことを言うわよね。アンタって……大嫌いよ、大嫌い! わかった?」


 まあ、そうだろうな。ずっと玲菜がそう言い続けているんだから。

 神器を俺が勝手に契約したことから始まった関係だ。

 玲菜はしぶしぶ付き合ってくれていただけなのはわかっていた。


「なんだよ。嫌いな奴を背負っていきたくないってことなのか? あのな――」

「違うわよバカっ!」


 玲菜は叫んで俺に抱きついてきた。

 強く強く、一切の恥じらいを捨ててまっすぐに。


「れ、玲菜……?」

「私にはツンしかないって言ってるじゃない……私が誰を、想っているのか……好きなのか……わかってよ……」


 ツンしかない玲菜節。つまり、それはデレることがないという意味だろう。

 だとしたら、玲菜が言いたいことは真逆のことになる。

 それって、つまり――


「……え? 俺のことを好きだって言ってるのか?」

「そんなの当たり前じゃない。嫌いな人間と、なんでここまでずっと一緒にいなきゃいけないのよ。……そんなの、わかりきってるじゃない……」

「わかんねぇよ。だって、お前ってツンが強すぎるからな……」

「しょうがないじゃない……アンタ見てるとつい毒を吐いちゃうのよ」


 顔を真っ赤にして玲菜がはにかむ。

 まさかこんな顔の玲菜を見られるとは思いもしなかった。


「ははは……嘘だろ……玲菜が……俺のことを……?」

「好きよ。大好きよ。だからこれからもずっと一緒にいたい!」

「そ、それは友だちとして、とかそういうことだろ?」

「違うわよ。世界で一番、春馬のことが好き! そう言ってるのよ!」


 玲菜に告白された。好きだと言われた。

 嬉しくて今にも踊り出しそうになった。

 胸がぐちゃぐちゃになった。

 死にたくない。

 初めて、本気でそう思った。

 玲菜と生きたい。

 明日も、明後日も。

 くだらないことで笑って、また喧嘩して、そうやってずっと――

 でも、世界で一番と言われて、七海の顔が脳裏をよぎった。よぎってしまった。

 あの日、自分が交わした言葉。

 ――玲菜の一番になったら、七海の復讐のために殺されるという約束を。

 最後に残っていたなにかがプツンと切れたような気がした。


「そっか……俺はお前の一番になれたんだな……っ、じゃあ、約束守らないとな」

「……約束……? ――っ! まさか渋谷さんとの?」

「ああ。これで全部すっきりするんだ……」

「ふざけないでよ! なんで、そうなるの? 私はその約束は認めてないって言ったわ……それに渋谷さんはもういない……死んだのよ。そんな約束は無効じゃない!」

「七海は殺されちゃったけど……俺のせいだけど……だからこそ、約束は守りたい。アイツだって悩んでた……そんなアイツとの約束をなかったことにはできない」

「――っ」

「遠慮することはない。俺は七海との約束を守るために死ぬんだ。お前やこの世界を守るためじゃない。七海がいなくなったから、代わりにお前が俺を殺すだけだ」

「なんで私がそんなこと……しなくちゃいけないのよ……」


 言って玲菜は強く唇を噛み締める。

 元はといえば、自分が七海の恋人を殺したことから始まった因縁なのだ。

 だから、無関係とは絶対に言えない。

 本当にひどいことを頼んでるな俺。玲菜には引きずって欲しくない。


「責任、感じるなよ。俺が決めて、俺が選んだ道なんだからさ」

「は……春馬……」


 玲菜の頬を、涙が次々とこぼれていく。

 どんなことがあっても、決して泣き顔を見せようとしなかった玲菜。

 本気で泣いたところを初めて見た。

 気が狂いそうなくらい、愛おしかった。

 玲菜が何に泣いたのかはわからない。自分が俺を殺した姿を想像したのか、それとも、別の何かなのかは俺が知る必要はない。

 俺の人生はココで終わりだ。

 何もない人生だったけど、最後がずっと憧れていた、大好きだった玲菜を守るためなら、最高の人生だったと言える。そう、胸張って言えるのだ。

 玲菜の手がそっと伸ばされる。覚悟を決めた顔。

 もう玲菜の顔には、涙は流れていなかった。


「玲菜……最後まで付き合わせて悪かったな……幸せになれよ」

「う、うっさいのよ! バカっバカっバカっこの大バカ! 自分ができないことを私に求めないでよ! 幸せになって欲しいなら……アンタがしてよ……ねえ……」


 玲菜の唇が震えた。涙を押し殺して我慢して、必死に耐えている。

 泣いたら、俺が悲しむから。泣けば許してもらえると思っているから。

 そんな甘えは決して見せない。

 玲菜はそうやってずっと自分を律してきたのだろう。

 受け入れたかった。一緒にいたかった。大好きだった。

 だけど、言葉として零れたのは――


「……ごめん、玲菜」


 俺の返事を聞いて玲菜が駆け寄ってくる。

 手に持っている物も忘れて、俺が両手を開いて抱き締めた。

 俺たちが抱き合った瞬間――パリンと嫌な音が響く。

 持っていた白いマグカップを落として割ってしまったようだ。

 直後、刃が俺の胸に沈んだ。


「……あはっ、あはは……」


 玲菜の震える声が、耳元で笑い声に変わる。


「こんなことになるなら、こんなもの買わなければよかった。……ねえ、これじゃまるで、カップを割られたからアンタを殺したみたいじゃない……」


 砕け散る破片が、スローモーションのように視界を舞う。

 未来の彼女が、もう片方の黒いマグカップをどんな顔で使い続けているのか。

 ——そんなことを、ふと想い描いてしまう。

 こうして、俺はその場で玲菜に殺されてしまったらしい。


 ……らしい?


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