7 竜の剣(前編)
「姉ちゃん」
少年は言って、姉を見上げた。
「どうしたの、ルカ?」
姉は少年と目の高さを合わすように、屈んだ。
姉も妖精だった。左手の中指には、銀の指輪をしていた。
「姉ちゃん、僕たちのお父さんとお母さんは、どうしちゃったの? 町の人たちは? 叫び声が聞こえるよ。僕に、復讐しろって言ってるよ」
姉は、弟を抱き締めた。
「そうね。わたしにも聞こえるわ、町の人たちの声が。でも、ルカとは違う……。みんなはわたしを責めているわ」
「どうして? 姉ちゃんのせいじゃないよ」
少年の言葉に、姉は首を振った。
「半分は、わたしのせいね」
姉は悲しげに言った。
***
セイロンがいくつかの石版をソルバーユに渡したのは、セイロンが仲間になってすぐのことだった。
前働いていた妖精族が残した物で、中には重要な文書も混ざっていた。
今まで仕事に無関係で開かなかった巻物も全部見た。セイロンが生まれるよりも昔、カザートがまだその名前でなかった頃の情報もある。
人族の暮らしを豊かにする為の、農具の開発。
元より妖精族よりも人口の多かった人族は、五百年程前を境にさらに人口を増やし、現在カザートの総人口の九割を占めている。魔族討伐は妖精族の仕事だが、足りない部分を補う為に、開発された武器もある。
「これ、そっちで作れる?」
セイロンの仕事場である家も、人の出入りを管理するという性質上、人族が多く出入りしていても違和感のない場所だ。
農具を作る仕事をする男に、セイロンは武器も作れないかと尋ねてみた。
「やってみないとな。こういうのは型から作らなきゃならねえから。まあうちのとこは妖精族も滅多に来ないし、大丈夫だと思うよ」
「頼むよ」
木と骨で作る武器だ。現在の農具は固い土を掘る為に金属を使っていることが多いが、逆に古い時代の物が今は役立つ。
妖精族は金属を溶かしてしまうから。
「ちょっと寄って来た。セイロン、がんばってるな」
ネルヴァが馬屋に来て、ルカに言った。
先日のパロス総督の起こした不祥事で、暫くの間、以前ここで働いていたネルヴァが監督役に来ることになったのだ。
「だろ。ちょっと頑張りすぎな気もするけどな」
寝室の屋根裏に保管してあった沢山の巻物の内容を、全て見直したのだ。時間の掛かることだし、ルカが家に帰った時はいつもその作業をしていたのを思い出す。
「ルカ、武器のことは……」
武器があった方が良いと言ったのはネルヴァ自身だ。だが、その製造の指揮をセイロンが執ることになるとは思っていなかった。
まだセイロンは子どもだ。
自分が戦えないから、他のことで協力したいという気持ちは分かるが、武器はかなり直接的だ。
「分からない。俺はセイロンに言ってない。もしかしたら、自発的に気付いたのかもしれない。誰だって分かる。俺達が妖精族を倒すのに、素手じゃマズイってことくらいな」
「他の大人にやらせることはできないのか?」
ネルヴァの問いに、ルカは首を横に振った。
「セイロンから仕事を取り上げるのは拙い。今あいつは、何かに必死になってないと駄目なんだろう」
サラが死んだ時から、まだ消えない痛み。
ネルヴァが溜息を吐いた。
「セイロンみたいな子が、普通に笑える世界にしたいものだ」
「ああ」
妖精族が皆ネルヴァのようなひとだったら、この社会をルカが今変える必要はなかったのだろうと思う。
「仕事に戻らないと」
ルカが言うと、ネルヴァが頷いた。
馬屋で働いていた皆が殺され、残ったのはルカだけになった。足りない人数は他の仕事場から来た手伝いでまかなわれている。皆慣れない仕事で、ルカやネルヴァが居ないと仕事にならないのだ。
「ルカは王を倒した後に、どんな世界にするつもりだ」
ネルヴァがルカの後姿に向かって言った。
振り返ってネルヴァを見る。
「いや、いい。今より良くなれば、私はそれで構わない」
ネルヴァが手を振って言う。
王を倒した後のこと、それは漠然としたイメージしかない。もしかしたら、ネルヴァにはもっと明確な未来像があるのかもしれない。
俺は、王を倒せれば満足だから。
ソルバーユに、反乱軍……軍と言えるような物ではないが……のリーダーにされてしまったが、反乱が成功した後までリーダーに留まっているつもりはない。王に復讐したいだけの自分が、国まで纏められるとは到底思えないのだ。
でももし、そこにネルヴァやセイロン、イーメルが居てくれたら。
何とかなりそうな気もする。
あ、でもそれなら、俺居なくても成り立つよな。
ルカは苦笑した。
マギーの捜索以来、ルカもソルバーユを通すことなく多くの仲間と会えるようになったが、少人数ずつで話すのが精一杯で、全員の意思疎通ができているのかどうかはわからない状態だった。
ソルバーユがやっと王都カザートに戻ってきて、計画の実行日を決定する為に、ルカはソルバーユの研究所に通っていた。診察していることを匂わすため、いつも怪しげな薬を渡されるのだが、飲んだことはない。
「補給の為に中隊が出発するのは来週の木曜だ。帰ってくるのは一週間後くらいになるはずだ」
ソルバーユが言う。
「日取りは土曜が良いだろう」
「なんでだ?」
「週の最後で、城で働く妖精族も一番疲れている時だからだ」
なるほど、と思う。
「だがあまり急がない方が良いかもしれない。まだこちらの足並みが揃っているとは言えない状況だからな」
それも、その通りだ。武器を作ってもそう簡単に人数分回るわけではない。連絡網もろくに無いし、かと言ってあまり早く連絡を進めては、いつどこから情報が漏れるか分からない。現在は妖精族の方が力を持っていることは明白で、人族であっても、わざと妖精族の味方をして甘い汁を吸おうと考える輩が居てもおかしくないのだ。
「土曜は目安だと思っていてくれ」
「わかった。とりあえずはそれで進めよう」
ルカは研究所を出て、午後の仕事に向かった。
だが、その日の仕事が終わる少し前に、急な知らせが入った。
「ソルバーユが密告?」
ジージルドが告げに来たのは、とんでもない事実だった。
ジージルドはもう少し町の中心部に近い馬屋で働いていて、ルカともソルバーユとも面識がある。
ジージルドは、ソルバーユが役人と、反乱について話しているところを見たというのだ。
「単に、役人に疑われて聞かれただけじゃねえのか?」
「いや、俺も最初そう思ったけど、ソルバーユのやつ、役人から金を貰ってたんだ。役人の名前は分かってる。その場面見たの俺ひとりじゃねえし。早く役人をとっ捕まえないと、拙いことになる」
ルカは一緒に話を聞いていたネルヴァを見た。
ソルバーユはルカの祖父だと本人は言っていた。それを信じるなら、密告などありえないだろう。
「疑いを晴らすには、結局ソルバーユ殿に来てもらうしかないな。その役人の名前も教えてくれ。そっちは私が調べておく」
ルカが頷くと、ネルヴァはジージルドに役人の名前を聞き、馬屋から出て行った。
「ソルバーユは俺が呼んでくる。もうそっちの仕事は終わったのか? だったらここで待っていてくれ」
本業が獣医であるソルバーユを馬屋に呼んでも、何も不自然ではない。パロスは滅多にここに来ないし、まず大丈夫だ。
昼に行ったばかりの研究所へ、ルカはまた戻った。
いつものようにトキメがルカを出迎える。
「ソルバーユ、あまりおもしろくない話かもしれないが、問題が起こった。馬屋に来てくれ」
「『来られるか?』ではなくて、『来てくれ』か。仕方がないな」
ソルバーユが立ち上がり、鞄も持たずに出てきた。
問題が起こって、馬屋に来てほしいと言っただけだ。普通は、それならば馬に問題が起こったと思うものだろうに、診察の時に持ち歩く鞄を持たないとは。
とにかく、急いでソルバーユを連れて馬屋に戻る。
ジージルドと、他にも数人が集まっていた。
「あなたに聞きたいことがあります」
ジージルドが言う。
「今日の午後、あなたが会ったひとは誰ですか?」
「沢山会ったが……ゼルスイスに会ったな」
町を歩けば、知り合いに会うこともあるだろう。沢山会ったと言ったのに、なぜよりにもよって、その名前を出すのだろう。
それは、ジージルド達が見たという役人の名前だ。
「何の話をしたのですか?」
「おいおい、尋問かね? 私は君達に全面的に協力してきたつもりだが」
「協力するふりをして、反乱の意思を持つ人族を一網打尽にするつもりなんじゃないのか?」
他に来ていた男が、口調を強くして言った。
ソルバーユがこちらに手を貸してきたのは事実だし、実質纏めていたのも彼だ。それがなぜ今更、疑うようなことができるのだろう。
ルカは不思議に思った。
「前から怪しかったんだ。妖精族のくせに俺達に味方するなんて。金が流れてるってのもずっと噂だったしな」
男が言う。
聞いたことがない。ルカがリーダーなのだから、もしそんな話があれば当然ルカの耳に入っているはずだ。
王都の中心部で流れている噂?
ふと思いつく。
ルカは知らないが、ジージルドのようにもっと妖精の居住区に近いところで働いている者はよく聞く噂なのだろう。
「ルカ、まだ居るか」
ネルヴァの声だ。
「ゼルスイス殿を捕らえた。いや、殿と敬称を付けるのもおかしいな。ソルバーユに縄を。ゼルスイスは確かにソルバーユに情報と引き換えに金を渡したと言っていた」
何だと?
ソルバーユを陥れるための罠ではないか、と言いかけて、ネルヴァがそんな罠に引っかかるような男ではないことを思い出す。
ネルヴァがその罠をかけた張本人でなければ、だが。
いや、ネルヴァはそんなことはしない。
ネルヴァが自分達に味方する理由は聞いた。妖精族とは言え、どちらかというと生活の苦しい平民だし、裏切る必要がない。
ジージルド達がソルバーユを縄で縛って、近くの柱に括り付けた。
「捕まえてどうするんだ」
「決行の日までここに閉じ込めて置けばいい。馬が感染症でソルバーユも付きっ切りだとでも言えばトキメ殿も納得するだろう。ゼルスイスも連れてくる」
ネルヴァは言って、馬屋から出て行った。
ソルバーユは縄を掛けられ、汚れた馬屋の地面にそのまま座らされている。ジージルドや他の人族は、ソルバーユを見ると眉間に皺を寄せ、怒りの表情をあらわにした。だが同時に、ジージルド達の顔には、裏切り者を自分達で発見し捕らえたという喜びのような物も見える。
本当にソルバーユが裏切ったのであれば、それなりの対応を考えなくてはならない。だが、今はまだ信じられない。ジージルド達は、ソルバーユが裏切ったと信じているようだが、おそらくネルヴァも信じてはいないだろう。だから『閉じ込めておけばいい』とだけ言ったのだ。
ルカはソルバーユの前に立った。
「ジージルドは、あんたがゼルスイスに俺達の情報を売ってるって言ってたけど、どうなんだ?」
否定するだろうと思った。だが、ソルバーユは言った。
「ゼルスイスもネルヴァに捕まったのでは、私が今更申し開きをしても仕方ないようだ」
「それは、情報を売っていたことを肯定するということか?」
否定して欲しかった。今、話しを聞いているのはルカだけではない。ここでソルバーユが裏切ったと認めることは、逃げ道をなくすことになる。ソルバーユの逃げ道も、ルカがソルバーユを裁かなくてもよい逃げ道も。
「肯定する」
ソルバーユが答えた。
ルカはジージルド達の方を振り返った。
「この馬屋を一時的に牢として利用する。元から俺達しか出入りはしていないが、妖精族が万が一にも助けに来る可能性も考えて、見張りを強化する。こっちの仲間を呼んでくる。ジージルド、その間二人で見張りをしてろ」
「了解」
ジージルドともうひとりの男が、ルカに答えた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
ソルバーユが閉じ込められている馬屋の周りをうろつく足音が、時折聞こえている。ソルバーユが繋がれている正面に、ゼルスイスが居た。
ゼルスイスの方は、捕らえられる時に反抗して自分でつけたのか、それともジージルド達にやられたのか、額と頬から血を流していた。
「ゼルスイス」
足音が聞こえなくなったのを確認してから、話しかける。
ゼルスイスが顔を上げて、ソルバーユを見た。
「なんだ? ここから脱出する方法でも思いついたか? 全く、反乱を考えるだけのことはあって、乱暴者揃いだな。妖精族に対する礼儀がなってない」
「なるほど、その怪我は人族にやられたか」
ソルバーユが言うと、ゼルスイスは顔を顰めた。
「他人事みたいに言うな。あんたにうまい話があるって言われたから、私は乗ったんだ」
馬屋の入り口の方で足音が聞こえて、ゼルスイスは体を強張らせ、そちらに顔を向けた。
見た目には顔に傷を負っているだけだが、それ以外にも傷があるようだ。格下だと思っていた人族から殴られて、精神的にも弱っているのかもしれない。
「ここから出る方法を教えてやろう」
ソルバーユは言った。
入り口を見つめていたゼルスイスが、ソルバーユに向き直る。
外を歩いていた足音は、今はまた聞こえなくなっていた。
「これを使え」
白い錠剤を、ゼルスイスの足元に投げた。
「それは体を一時的に仮死状態にする物だ。回復薬を打つか、一日も経てば意識を取り戻す。貴方が気を失ったら、私が大声を上げて誰かを呼ぶ。私が人族にも感染する病だと言うから、人族は貴方を運び出すだろう。そうすれば貴方は外へ出られる」
「あ、あんた、縄解いたのか?」
「いや」
ソルバーユが唇の端を上げる。
「だから、悪いが、口で直接拾って飲んでくれ」
暗いから見えないが、実際には馬屋の床だし、相当汚れていることだろう。ゼルスイスはあからさまに嫌そうに顔を歪めた。
「仮死状態になって外へ出られたとして、そのまま埋葬されるなんてのはごめんだぞ」
「人族が、恨みのある妖精族を丁寧に埋葬してくれると思うか? どうせそこら辺に放置されるだけだ」
「そうか。急いでここから出て、王に報告したいからな。仕方ない」
ゼルスイスが足元に転がる白い錠剤を口に含み、飲み込んだ。
すぐに白目を剥き、息が止まったようだった。口の端から唾液が泡状になって零れだす。
完全な死体だ。
二度と生き返ることはない。
これで、私は完全な犯罪者だ。
後は、ルカがソルバーユを裏切り者として処罰してくれれば、それでソルバーユの仕事は終わる。裏切り者として処罰されなければ、妖精族を殺した犯罪者として死ぬことになるが、それはソルバーユの望む所ではなかった。
朝になって、様子を見に来た見張りの男が、ゼルスイスの遺体を発見した。
「何で死んでるんだ」
ソルバーユを見て聞く。
まだソルバーユを医者だと思っているから。一緒に居たのは彼だから。
「自殺したよ」
何の感情も込めずに言う。
男が他の仲間を呼び、辺りは騒然となった。
ネルヴァが報告を受けて馬屋に駆けつけたのは、普通ならば朝食を始める頃のことだった。
ゼルスイスが自殺したと聞き、ネルヴァは腕組みした。
もう逃れられないと思っての自殺か?
確かに、昨日ネルヴァが連れてきた時、怒ったジージルド達に手酷くやられていたようだったが、だからと言って、自殺を考える程の事でもないと思う。こちらに情報を漏らさない為の自殺ならまだ分かるが、ゼルスイスは昨日の時点で既に、ソルバーユと金銭のやり取りがあったことを告白している。
「ルカ」
ソルバーユ達を捕らえていた馬屋の方からルカが来たのを見つけ、ネルヴァは声を掛けた。
「ああ、おはよう、ネルヴァ」
ルカが言う。
「ゼルスイスが自殺したそうだな。私は今着いたところで、まだ見ていないのだが」
「ああ。俺は見てきた。外傷もないし、おそらく毒物を使った自殺だろうな」
「毒? まさか……」
毒も薬も同じ物だ。どうしても医者であるソルバーユを思い浮かべてしまう。
ルカは首を横に振った。
「ソルバーユは薬や毒物は持っていなかったし、第一、二人とも縄を掛けられたままだった」
「そうか」
「それよりも。……昨夜二人の会話を聞いた。ソルバーユが裏切っていたのは間違いない」
ルカが言う。
「ジージルド達は、ソルバーユを処刑した方が良いと言っている。見せしめだと。あんたはどう考えている」
「処刑というのは、具体的には?」
敵に伝わる前に発見したのだ。裏切りには罰を与えなければならないとは思うが、あまり重い罰を与えても仕方がない、とネルヴァは考えていた。
ルカが溜息を吐いてネルヴァを見た。
「死刑だ」
「なんだと……? ソルバーユには聞いたのか? ゼルスイスが言ったことが真実とは限らない――」
「昨日聞いた。今日も聞いた。でも、ソルバーユは否定しない。俺達の情報を敵に流していたと、ソルバーユ自身が言っている」
ルカの表情は暗い。ソルバーユを信じていたのだから当然だ。いや、今も信じているのだろう。ソルバーユは裏切っていない、と。ネルヴァも同じ意見だ。
だが、本人が罪を認めているというのは一体?
もし自分が裏切ったとしたら、人族に敵の妖精族と会うところを目撃されるような間違いは犯さない。仮に見付かったとして、敵の方が吐いたとしても、自分は知らないとしらを切り通す。もしくは、人族に捕まる前に逃げる。
賢明なソルバーユが、裏切るなど考えられない。そして、もし裏切るのなら、もっとうまくやるはずだ。
「私も現場へ行ってみる」
ネルヴァが言うと、ルカが頷いた。
ルカは残るようで、ネルヴァひとりで、ソルバーユを捕らえている馬屋に向かった。
ゼルスイスの遺体を運び出しているところだったので、ネルヴァも遺体を確認したが、外傷は全くなかった。
ゼルスイスをネルヴァが捕らえた時、ここへ連れてくるにあたって、持ち物を全て調べた。服もネルヴァが用意した物に着替えさせた。ゼルスイスが毒物を持っていたとは思えない。
馬屋に入る。
中にはソルバーユがひとり、柱に縄で繋がれ、馬を入れる柵の中に居た。
「話はルカから大体聞いたつもりだ。ゼルスイスは毒を使って自殺した、ということで間違いないか?」
「調べたわけではないから、毒かどうかは分からないがね。だが、両手を後ろに縛られている状況では、他に死ぬ方法などないだろう」
「じゃあ、どうやって毒を飲んだんだ。両手が塞がっているのに」
「歯に仕込んでおくのだ。ゼルスイスのように他国に密偵として派遣される者には、よくあることだ」
確かに、連れてくる時に口の中までは調べなかった。それが悔やまれる。
「君は、ゼルスイスの死因を知る為に私に会いに来たのか?」
ソルバーユが言った。
「ソルバーユ殿の無実を証明できるのは、ゼルスイスだけだったろう」
ネルヴァが言うと、ソルバーユが笑った。
「まだ私を信じてくれているとは、ありがたいことだ。だが残念ながら、私が裏切ったのは事実だ」
「なぜ? 私はあなたに誘われた。他の仲間もほとんどがあなたを信じて集まったのだ。反乱を止めたいのであれば、元から人を集めなければ良かったではないか」
「まったく。君はルカと同じだね。私が善人でないと困るらしい。だが君はルカよりも賢明だろうから、本当のことを話そう」
ソルバーユの言葉に、ネルヴァは驚いた。
やはり、裏切りは事実ではなかったのか? だが、ルカには教えず、私に教えるというのは一体。
「私の懺悔だと思って聞いてくれればいいよ。ルカを反乱のリーダーに仕立てたは良いが、今の皆はまだ不安を抱えている。ルカも、他の人族も、君もね。誰かが裏切るかもしれない。妖精族が強くて反乱が失敗するかもしれない、と」
ソルバーユが目を閉じる。
「だが、こちらには竜の剣がある」
ネルヴァを見た。
ソルバーユが言いふらしていた、妖精族を倒す為にルカが手に入れた物というのは竜の剣のことだったのか。
「しかし、あれは伝説の話だ。真実ではない」
「そう言うと思ったよ。そうだ。あの剣が手元にあるというだけでは、まだ不安が残る。ルカが持ち帰った剣は偽物かもしれない。そもそも伝説は作り話かもしれない」
そこまで聞いて、ネルヴァは得心した。
ソルバーユは二つの不安を、自分が裏切ることで解消しようとしているのだ。裏切りに対する見せしめとして、ソルバーユを死刑にする。そうすれば、裏切りは暫くの間は発生しにくい状況になる。発覚すれば殺されるからだ。
その上、妖精族を殺すのに使うのはルカが持っている竜の剣。その剣が、金属で出来た普通の剣と異なり、妖精族を死に至らしめることができるのであれば、人族はルカが持つ力を知り、より活気付く。
「そういうことなら、私がやったのに。あなたは医者だ。皆から必要とされている」
柵の向こうのソルバーユは、ネルヴァの言葉を聞いて薄く笑った。
「私が居なくても大丈夫だ。トキメに全て教えてある。それに君には無理だ。君は優しいから、作戦の内だと分かっていても仲間を裏切れない」
裏切ったふりをするのでは足りない。実際に裏切らなくては、死刑にされる可能性が低くなる、ということだろう。
「それに」
ソルバーユが続けた。
「私はもう一つ罪を犯した。ゼルスイスを殺した」
言うソルバーユの低い声と、睨み付けるような目に、ネルヴァは寒気を感じた。
それは、ソルバーユがゼルスイスを巻き込んだせいで自殺に追いやった、という意味ではない、ということを暗示している。
「逃げられて、敵に報告されるとやっかいだからね。私は、ルカの為になら、自分が死ぬことも、自分の手を汚すことはなんとも思わない」
「なぜ、そこまで」
「ルカは私の孫だからね。まあ、だからこそ、ゼルスイスは自殺したことにしておかないといけない。ルカは傷つきやすいから」
「だったら、あなたが裏切ったということも、ルカを傷つけると分かっているでしょう? 私に先に言ってくれれば、その役は私がやったのに」
ルカがソルバーユの孫であるなら、ルカは人族ではなく、半妖精族ということ。だが、それについて話すつもりは、今はなかった。
「だから、君には無理だと言っただろう。お膳立てはしておいた。後は君に任せるよ。私を斬首台に送ってくれ」
ソルバーユが言う。
ソルバーユの気持ちは揺らぐことはないだろう。一度決めたことは変えない。そんな男だから、多くの仲間が集まったのだ。
「分かった。あなたの意思は私が継ごう」
ネルヴァは決意し、馬屋を後にした。
ソルバーユの処刑は、馬屋の前の丘を使うことになった。以前、ルカが処刑されそうになった場所だ。
今回は、罪人が妖精族で、執行人がルカだが。
死刑にするかどうかは、色んな人に相談した。ルカひとりでは、考えきれないことだったから。ジージルド達は口を揃えて、見せしめだ、死刑にすべきだと言う。
セイロンも、それなら仕方がない、と言っていた。何が仕方ないというのだろう。セイロンも、自分と同じ考えなのかもしれない。
ソルバーユが罪を否定しないのは、ソルバーユ自身が死刑になることを望んでいるのではないか、と。
ソルバーユと話してきたネルヴァがルカに死刑を勧めたことが、ルカに決断させた。
ネルヴァが、パロスには別の用事をさせて、馬屋に近付かないように仕組んだ。また、仲間のうちで仕事を空けても何とかなる者数十名が、丘に集まった。本当は仕事を空けると大変なのだろうが、この世界を変えるという時に、妖精族の奴隷としての仕事をやろうという人は居ないかもしれない。ただ、全員が来ては妖精族にこちらの動きを悟られる。だから近場で働いている中から一人か二人ずつ出てきている状況だった。
丘の上に即席で作られた斬首台。
縄で縛ったソルバーユを上らせ、ルカも竜の剣を持って上る。
辺りは静まり返っていた。
ルカはおもむろに、右目を覆い隠す眼帯を外した。光が入ってくる瞬間は、いつも眩しい。
「俺は、ここに居るソルバーユの孫だ!」
大声で言う。
斬首台から少し離れた所に集まった人族の群。かなり視力の良い者でなければ、ルカの右目が人族と違うことは分からないかもしれない。だが、ソルバーユを連れてきたジージルドやネルヴァ達数人の、ルカの近くに居る者には分かるだろう。
「だが、ソルバーユは俺達を裏切った! 裏切りは、祖父だろうが許さない」
ソルバーユの後ろに立ち、竜の剣を振り上げる。
周りから歓声とも怒声とも分からぬ声が上がった。
「ソルバーユ、言い残すことはあるか」
「無い」
竜の剣を振り下ろす。
ルカにだけ聞こえるような小さな声で、ソルバーユが言った。
「ルカ、王になれ」
剣の刃がソルバーユの首から背中へ、ルカの手に肉を切る嫌な感触を与えながら滑っていく。
下まで振り下ろす前に、ソルバーユの体は灰になって消えた。
剣についていた赤い血も、灰になって風に飛ばされていく。
ルカは竜の剣を高く掲げた。
歓声が起こる。
今度は間違いなく、歓声。喜びの、叫び。
「ルカ様!」
「あんたが半妖精族でも関係ない。あんたが俺達のリーダーだ!」
暫く掲げていた剣を、ルカは下ろして斬首台から下りた。
歓声を上げる人族の中ではなく、踵を返して馬屋の囲いの中に戻る。
「よくやった」
後ろからネルヴァが近付き、声を掛けた。
「ああ」
返事を返して、そのまま歩く。
後方からは、まだ止まない歓喜の声、ルカを称える声。
何でそんなに喜べるんだ。ひとを殺したのに。
鞘の無い竜の剣を、事務所の机の上に投げ置く。
ソルバーユの考えは分かっているつもりだ。何度聞いても教えてくれなかったが、おそらくは。
ルカが半妖精族だと告白するとは、ソルバーユも考えなかったかもしれない。
けれどそれも成功だろう。
これ程の歓迎を受けるとは。今は大事な時で、だからこそ親戚でも裏切れば殺す、その心意気が好感を呼んだのかもしれない。
ソルバーユの企みも、自分が付加した告白も、大成功だ。
なのになんで、涙が止まらないんだよ。
ひとりになってから溢れてきた涙が、なかなか止まらなかった。
ソルバーユの助手だったトキメがはっきりと仲間に加わったのは、この後からだった。
ルカはトキメに謝ったが、トキメは謝られても困る、と苦笑した。
「先生は、あなたに感謝していると思います。あなたは、先生を最後まで信じてくれた。そして、先生が望んだようにしてくれた」
そう言って微笑む。
「トキメ殿、邪魔してすまないが、研究所の方に患者が来てるぞ」
ネルヴァが顔を出して言った。
少し驚いた顔をして、トキメはルカに頭を下げた。
「じゃあ、わたし行かなきゃ」
そう言って、ルカに手を振る。
「トキメさん、本当に、何度謝っても足りない。俺は」
「いいのよ。あのひとは――、先生は、死に場所をずっと探していたみたいだったから」
ソルバーユは二百年を超える時を生きてきた。最初の恋人に死なれ、ずっとその影を追って、若い妖精族の女性の顔を、その恋人に似せた。けれど、トキメはソルバーユの恋人にはなれなかった。
最初は、人族を不老長寿にする言っていた。
次に、整形手術の技術を磨き、トキメを人族そっくりに変えた。
人族を不老長寿にする研究が頓挫して、ソルバーユは生きた屍のようになっていた。
けれど、ルカと出会ってからは世界を変えようとした。
自分の生き方を見つけたソルバーユは、誰よりも輝いていた。それが、トキメが愛したソルバーユだった。
突飛なことを言うのがソルバーユの特徴だったが、最後には、最初の恋人の元へ行くことを望んだ。
普通の、ひとのように。
「ネルヴァ様、あなたが今度はわたしの助手になってくださるの?」
わざわざトキメを呼びに来てくれたネルヴァに、トキメは笑いながら言った。
「ええ? いや、私は医学は全く」
「あなた、まだ若いでしょ? まだ時間はたっぷりありますから、もし良かったら勉強してみてくださいね」
「私よりも、セイロンに教えてみないか? 世界が変わったら、人族は自分の身を自分で守れるようにならなくてはいけない」
「あら、そうね。今度セイロンに聞いてみますわ」
トキメが言う。
勝手に話題に出されていることなど、セイロンは知らないだろう。
まだ、反乱が成功するとは限らない。だが、ネルヴァとトキメには、その後の世界が見える気がした。




