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6 それぞれの理由

 燃え続ける炎。涙をどんなに流しても、炎が消えることはなかった。助けを求める人々の声を聞いても、自分の身一つで精一杯だった姉弟には、どうすることもできなかった。

 やっと火から逃れた二人は、離れた場所から、燃える町を見た。

 半妖精(ハーフエルフ)の少年は、姉を見上げた。

 突然景色が変わる。火は既に消え、辺りは黒い瓦礫の山だった。少年の姉が、鎧を着た兵士たちにつれ去られて行く。

『姉ちゃん! 姉ちゃん!』

 ――いつも、自分の声で目を覚ました。

 整形手術をしたばかりで、まだ自分の顔に感覚がなかった。

 生きる為に、多少お金がかかっても仕方ないことだった。右目のみが、元のまま残っていた。

 金を稼ぐ為には、どんなことでもした。法に反することもした。スリや万引きは朝飯前だった。それでも、人殺しだけはしなかった。

 どんなに苦しくても、人が苦しむより、自分が苦しんだ方が良いと考えていた。そんな心を持っていても、彼は孤独だった。


   ***


 竜の剣は、セイロンが外出している間に家の床板を外してそこに隠した。

 ルカが竜の剣を持ち帰ったことは、仲間の間にはソルバーユを通じて知れ渡っているはずだ。ただ、仲間にはルカが手に入れた物が『竜の剣』であるとは言わず、妖精(エルフ)族を倒すのに必要な物、としている。

 竜の剣だと知れば、それを盗もうとする者が現れるかもしれないからだ。仲間と言ってもルカが選別したわけでもない。ソルバーユもネルヴァも知らない、口伝えに増えた仲間が居るかもしれない。考えたくはないが、裏切る者が居てもおかしくはないのだ。

 ある日の夜、ソルバーユが検診に来た。実際は検診するわけではなく、他の仲間との連絡の為に来るのだ。

 セイロンが外出していれば声を出して話せるが、セイロンが居るとやはり手のひらに文字を書いて貰うしかなく、不便だった。

 だから、週に一度はルカがソルバーユの研究所に行く。これも名目は検診の為。研究所の中であれば、他に検診に来た人々と会って世間話をしていてもおかしくはないわけだ。

「今日は同居人は?」

 ソルバーユがルカに尋ねる。

「あっちで書類整理してる。なんか人事異動があったらしくて、上司が変わって、今までの資料を見せろと言われてるそうだ」

 寝室の方を指差す。

「そうか。まあ診察を始めよう」

 言いながら、ソルバーユが手のひらに文字を書き始める。

「北側ではすごい雪が降っているそうだよ」

 『一部の軍が帰れなくなっている』

「へぇ〜。昔住んでたあたりも結構雪深かったけど」

 『かなり大掛かりな装備を持って行ったらしく、春先になって雪が溶けるまで戻れないそうだ。来月、物資を届けに中隊が発つ』

「北に比べて、こっちは随分雪が少ないんだな」

「それには地形が関係している。詳しく調べれば色々おもしろいことも分かるだろう」

「じゃあ、もっと詳しいこととか教えてくれよ」

「次の検診の時までに調べておこう」

 軍が一部隊、遠く離れた北の地から王都に帰ることができない。平常であれば、セイロンに聞かれても何の問題も無い世間話だ。だが下手に話題にされると困る。

「よし、もういいぞ」

 ソルバーユが言った。

「ちょっと開けても大丈夫か?」

 寝室の扉を指差してソルバーユがルカに尋ねる。

 ルカは頷いた。

「入るよ」

 中ではセイロンが積み重なった石版と、黴臭い巻物との間に埋もれていた。

「セイロン、調子はどうだね?」

 ソルバーユの声に、セイロンが振り返る。

「あっ、ソルバーユ様。おかげさまで僕も妹も元気にやってます」

「それは良かった。もう私は帰るよ。邪魔したね」

 椅子から立ち上がろうとしたセイロンを制して、ソルバーユは言った。

 寝室の扉を閉じ、出口へ向かう。

 ルカはソルバーユに外套を渡した。

「そうだ、ルカ。次に研究所に来るのはいつになる」

 昼休みに行くか、日曜に行くかしかないのだから、普通は日曜だ。

「そうだなぁ……明後日だな」

「そうか。その次の日から私はまた東へ行かねばならなくなってね。何でも毛皮の材料にする鼬が変死しているそうだ。軍部でも名うての准将が、北へ行くなら毛皮がなければならないと主張しているらしくてね、生きたまま連れ帰ってこちらで増やしたいそうなのだ」

 最後に世間話をして、ソルバーユは帰って行った。

「あれ、ほんとに帰っちゃったの?」

 セイロンが寝室から出てきた。ソルバーユをもてなそうと出てきたのだろう。

「まあいいや。僕も喉渇いてたし」

 独り言を言いながら、セイロンがコップに水を注いだ。

「ルカ、ひとつ聞いていい?」

 少しだけ水が残ったコップをテーブルに置いて、セイロンが言った。

「なんだ?」

「ソルバーユ様は、君の何を検診に来てるの? もう手は治ってるでしょ。目を見てるようでもないし」

「ああ、……」

 だからなんで俺は、前もって言い訳を考えておかなかったんだ。

 確か、前にもこんなことがあった。

 大人に対する言い訳なら用意するのだが、セイロンは子どもだ。見てくれの子どもらしさに騙されて、そんなに鋭い突っ込みが来るとは思わなかったのだ。毎度のことだが。

 他人に聞かれれば目の検査と答えれば良いが、セイロンは時折検診風景を見ているからそう言うわけにもいかない。

 沈黙が続いた。

 先に口を開いたのはセイロンだった。

「もう良いよ。君から話してくれるのを待ってたけど、言う気がないなら僕が言う」

 ほんの少しの水が入ったコップを指で傾けながら、セイロンは暫く黙り、それからコップから手を放してルカを見た。

「いっぱい聞きたいことはあるんだけど、とりあえず一つ。君の右目は何?」

 言われて、ルカは自分の右目を覆う眼帯に手を触れた。

 動悸が激しくなる。

 いつか知られる時が来ることは想像していた。一緒に暮らしているのだ。仮にセイロンのような勘の鋭い人間でなかったとしても、いずれは気付いていただろう。

 分かっていたことだったが。

「これは」

「エルフの目だよね?」

 嘘を考える暇を与えず、セイロンが言う。

 これ以上黙っていても仕方なかった。

「そうだ」

 眼帯を取る。

 セイロンが、ルカを凝視している。

 ほら、いくらセイロンでも俺が人族じゃないと知ったら……。

「なんで、僕達を騙してたの? 妖精族なら妖精族と一緒に暮らせばいいじゃないか」

 だから最近ルカがソルバーユとよく会っている、とセイロンは考えたのだろうか。

「俺は妖精族じゃない」

 鋭い勘も、そこまでは働かなかったようだ。

「人族でもないが」

 セイロンの目が大きく見開いた。

「まさか、半妖精族……?」

 そんな変なもの見るみたいな目で見るなよ。

 カザート全体ではどうか分からないが、少なくともこの王都には居ない。セイロンも見たことがないはずだ。

 今はただ驚いているようだが、次は?

 妖精族と人族との間に生まれるのは魔族だと言われている。ルカを恐れて逃げるか、ルカを追い出そうとするか。

「なんだ。びっくりした。妖精族が人族に化けてるのとは違うんだね。その目は元々? ソルバーユ様が言わなかったのは、やっぱりルカを心配してくれてたんだね。最初にソルバーユ様に頼んで良かったよ」

「え、いや、左目は整形手術で変えたんだ。元はこっち」

「へぇ〜。やっぱり元の目の方がよく見えるの? あれ、もしかして、妖精族の文字も読めたりするの?」

 言いながら、セイロンは一度寝室に戻り、それから石版をいくつか持ってきた。

 何を考えてるんだ?

 怖がることもなく、追い出そうともしない。

「これとか読める?」

「ん、ああ、見てみるけど」

 見た目だけでは読めるかどうかは分からない。

 手を翳して、書かれてあることを読みたいと強く念じる。浮かんできたのは月日と『今日は何事も無かった』の一文だけ。まだ何か書かれているので見てみると、その次の日の日付と、同じ文章が一文。わざわざ保管しなければならない物とは思えなかった。

「これ、日記じゃねえの? 前はここに妖精族が居たんだろ?」

「わぁ。すごいね。ほんとに読めるんだ。便利だね。なんで先に教えてくれなかったの?」

 言って、ルカの顔を見る。

 ルカの表情が浮かないのを見て、セイロンは気付いたようだった。

「あ、そっか。ごめん。そうだよね」

 言えるわけがないのだ。半妖精族(ハーフエルフ)を処刑する法はカザートにもある。それに、話に聞く半妖精族は魔族そのもので、普通に言っても怖がられるだけだ。

 セイロンも、良く知っているルカだから怖くもないが、見知らぬ人だったら怖かったかもしれない。

「じゃあ、次の質問。というか、こっちが本題かも」

 石版をテーブルの隅にどけて、セイロンがルカと向き合った。

「結局、毎回何をソルバーユ様と話しているの?」

「それは教えられない」

 知ってしまうことで、巻き込まれる可能性があるからだ。成功すれば別に問題はない。だが失敗したら。

「今日、知らない役人が五、六人来て、僕に言ったんだ。『近頃ソルバーユの行動が不審だ。関わる者を調べているから、ここも調べる』って」

 セイロンが言う。

「それで?」

 ルカは先を急かした。役人に自分達の計画が知られているのだろうか。

「それで、別に何もないからって帰って行ったけど。ソルバーユ様が何か悪いことをするとは思えないよ。でも、あそこまで強行な捜査に来たってことはやっぱり、何かはあると思うんだ」

 ルカが半妖精族だと分かったとき、セイロンは活き活きした目をしていた。学習意欲が強いセイロンだ。何か新しいことが分かると思ったのかもしれない。

 だが今は暗い顔をしている。

「僕、先に別のとこに隠しておいたんだよ。あの剣! 役人が調べた後に、そっちに場所を移して」

「え?」

 何を言われても知らない、関係ないと答えるつもりだったのに、驚きがつい声に出てしまった。

「ここは僕の家だよ。床板が外れてたらすぐ気付くし、直そうとした。そしたら、知らない剣が出てきた」

「今、剣はどこに?」

「元に戻したよ。無いと君が心配するだろ」

 言われて、ルカは安堵の息を吐いた。

「だから、今更巻き込みたくないから教えないとか、言わないでよ。もう巻き込まれたんだから」

「あ、ああ。そうだな」

 もう剣のことを知られている。王を倒すとかそういう大仰なことを考えていなくても、武器を所持しているだけで罪だ。セイロンにその気があればは、いつでもルカを役人に突き出せる。

「あの剣は、妖精族の王を倒す為の剣だ」

「まだそんなこと考えてたの?」

 半ば呆れたような口調でセイロンが言う。ルカの仇討ちは半年前に失敗して、それで終わったと思っていたのだろう。

「今度は俺だけの戦いじゃない」

「それって、どういう……」

 セイロンが不安げな顔でルカを見た。

「人族の有志で、反乱を起こす」

「じゃあなんでソルバーユ様が」

「ソルバーユは俺達の連絡役だ。妖精族にも仲間は居る」

「反乱……って? カザートを滅ぼすつもりなの?」

「そうじゃない。でも、そうとも言うかもな」

 滅ぼす、という言い方はしていない。人族を奴隷という身分から開放し、独立させるのが目的だ。ただ、その為に不要な法や制度を持つ現在のカザートは滅ぼすということになるのだろう。

「駄目だよ」

 セイロンが言う。

「僕達はここで生まれて、ここで育ったんだよ? この国を滅ぼすなんて、そんな酷いことしないで。そりゃ、ルカにとっては王や妖精族は自分の国を滅ぼした悪い奴かもしれないよ。でも僕らにとって、妖精族は僕らを守ってくれるし、仕事も与えてくれる。良いひと達なんだ」

 賛成はされないだろうと思っていたが、はっきりと反対の意思を示してくるとは思っていなかった。

 確かに、集まった有志達も、ほとんどが自分の国を滅ぼされて今はカザートに住む人達だ。セイロンのように元々カザートに住んでいる人々にとって、この反乱は考えられないことなのかもしれない。

「俺だって、妖精族全てが悪いとは思っていない。でも、守られてるだけで良いのか? いや、セイロンは守られてれば良いよ。お前はまだ子どもだからな。でも大人はそうはいかない。違う。それではいけないんだ。俺は妖精族に押し付けられる未来じゃなくて、自分で未来を選びたい」

 妖精族が押し付ける未来にあるのは、半妖精族であるルカにとって死だけだ。

 長命な妖精族であれば、ゆっくりと時間を掛けて周りの考え方を変えていくこともできるかもしれない。今セイロンがそうであるように、いつの間にか奴隷であることに疑問も持たなくなるのだから。

 けれどルカはそれ程の時間を持っていないだろう。

 今変えたいのだ。

 生きているうちに。

「賛成しろとは言わない。考え方も感じ方もは千差万別だからな。でも邪魔はしないで欲しい。俺達がすることを役人に黙っていてくれればそれで良い。ただ、もしどうしても、セイロンの良心が咎めて役人に言いたくなったら、」

 吸い込んだ息を吐き出す。

「俺一人が王に復讐する為に企んだことだと言って欲しい」

 他の仲間に被害が及ばないように。

「君を止めるには、君を犠牲にするしかないってことなんだね」

 セイロンが言う。

「分かったよ。僕は何も見ていないし、聞いてない」

 コップに残っていた水を流しに捨てると、セイロンは寝室に戻って行った。

 理解はして貰えそうにないな。

 台所に残ったルカは先程の問答を思い出しながら考えた。

 セイロンは、役人にルカを突き出すつもりはない。だが、それはルカのやり方に賛成したからではない。

 じゃあ、なぜ?

 ルカを死なせたくないからだ。友達……というと年齢差もあるし少し違うような気もするが、かなり親しくしていたから、死なせたくないのだろう。

 それはルカも同じだ。セイロンが反対するのなら、セイロンを捕らえて口封じするという方法も取れるのだ。だがそれはしたくない。セイロンがまだ子どもだからというのもあるし、やはりルカにとってセイロンは友達のひとりなのだ。

 半妖精族と知っても、俺を怖がらなかった。

 ルカの正体まで知っていて、それでもルカを守ろうとしてくれる人族と出会ったのは、生まれた町が滅びて以来、初めてのことだった。


 訃報は突然届いた。

 日曜日。普段なら仕事は休みのはずだが、セイロンを訪ねて青い髪の妖精族(エルフ)の男性が家に来ていた。

 ん? オーヴィアじゃねえか。

 朝起きたばかりで眠い眼を擦りながら、ルカは客人を遠目に眺めた。

 だがルカに用があるわけではないようで、セイロンとずっと話している。

「おはよ、セイロン。オーヴィアも。日曜だってのに、朝っぱらからどうしたんだ?」

「オーヴィア様は僕の新しい上司だよ」

 セイロンが説明する。

 そう言えば交代があったばかりで資料を見せろと言われたとか。

 それがオーヴィアだったのか。お姫さんの衛兵の仕事はどうしたんだ?

 聞こうとして、気付く。先日イーメルと一緒に数日王都を離れた。その時イーメルは付人に何も言わずに王都を抜け出した状況だった。だから、その責をおってそれまでの仕事を辞任したのだろう。

 見た目に真面目そうな顔をしているから、すぐに想像が付く。

「ルカ、いやあれは君ではなかったんだったか。まあいい。色々あって、これが今の私の仕事というわけだ。あの後王女が……いや、この話はまた後で。それより今日は嫌な事件があって、それで来たのだ」

「それでセイロンに用事か? セイロンは警備員じゃないぞ」

「死者が出たから、人民簿に記載を頼みに来た」

 普通は、死者が出た場合はその家族がここに来る。ここに軟禁されている間にセイロンの仕事を見させてもらったが、新しく生まれた子どもの名前を綴ったり、亡くなった人の名前に死亡年月日を付け加えたりするのが主な仕事のようだった。

「どうぞ、上がってください」

 セイロンがオーヴィアを台所のテーブルに案内する。その椅子に腰掛けて、オーヴィアが石版を取り出した。

「ああ、そうだ。その事件もあるが、もう一つ、最近人族の誘拐が多いらしい。おそらくは他国に奴隷として売る為だろうな。若い男女が狙われているらしいから、セイロンも気をつけた方がいいぞ」

 セイロンは羊皮紙を出して広げている。

「わかりました」

「では死者の名前を言う。実は一家全員が殺されていて、身元の確認も大変だった。付近に住む人族は、関係者だと思われたくなかったらしい」

「そうですか。怨恨ですかね」

「まだ分からないらしい。これ以上被害がないようであれば、捜査も打ち切りだろうな。で、死者の名前だが、」

 オーヴィアが名前を読み上げ始めた。

 それを書き写していたセイロンの顔が、ひとり、ふたりと名前を聞くに従って次第に強張る。

「あの」

 オーヴィアが次の名前を読み上げようとしていた時に、セイロンが声を掛けた。

「何だ?」

「その一家は、カザートに住んでいるのですよね。他の町ではなくて」

「そうだ。私も今朝この目で見て来た」

「そう……ですか。……続けてください」

 セイロンの目に涙が滲む。

 知り合いだったのか?

 ルカはそう思っただけだった。最後の名前を聞くまでは。

「サラ。彼女は最近婚約したばかりだったそうだ」

「ええ、知ってます。妹の友達でした」

 セイロンが羊皮紙に名前を書き記す。

 セイロンは他の名前を聞いた時に気付いたのだろう。それが、サラが婚約した相手の一家だと。

「以上だ。大丈夫か?」

 オーヴィアがセイロンに声を掛ける。

「大丈夫です」

 そう答えるが、涙が止まらなかった。

 オーヴィアが寝室の扉の前に立っていたルカを見た。

「ルカ、字は書けるか? セイロンの代わりに書いてやってくれ。今までのを見ればどう書けばいいのか分かるだろうから」

 言って、巻物状になっている羊皮紙をテーブルのルカの側に置く。

「あ、ああ」

 答えて、セイロンの手からペンを預かろうとした。

「後は俺がやるから」

「大丈夫だから。僕の仕事だし」

 セイロンはペンを放そうとしなかった。

 ペン先から落ちたインクが、羊皮紙に歪な模様を残している。

「オーヴィア、記録するのは後でもいいか?」

「ああ。もちろんだ。あまり遅れると困るが、今日中にやってくれればいい」

「だそうだ。落ち着いてから仕事に戻れ」

 巻物状の物をセイロンの前に置いて、ルカはオーヴィアの肩を叩いて二人で家から出た。

「そうか。サラという子が君達の友達だったのか」

 事情を聞いたオーヴィアが言う。

「では死亡の状況は、セイロンには伝えない方が良さそうだな」

「死亡の状況? そう言えば、殺されたって……」

 オーヴィアが頷く。

「あの状況から考えて、おそらくやったのは妖精族だろう。怪しいのが誰かも目星は付くが、動機があるから犯人というわけにはいかない。それに、」

「これ以上の被害者が出なければ、捜査は打ち切り、か」

「それもある。だがそれよりも、その犯人と思しき妖精族は、殺された一家の主人なのだ。わざわざ自分の奴隷を殺すのはおかしいというのが普通の考え方だし、自分個人の奴隷を殺しても誰からも訴えられることがない」

 オーヴィアが言った。

 この社会の中ではそれが当然だった。人族は、物扱いだ。

「じゃあ、犯人と分かっていても、そいつは平気な顔で町を歩けるってことか? どんな理屈だよ。人族も妖精族も同じ命を持ってるんだぞ?」

 ルカが言うと、オーヴィアが顔を顰めた。

「それはそうだが。今の制度上どうしようもないな。現状、人族の数よりも妖精族の方が少ないから、人族の為に割く時間というのはなかなか取れないし」

「だから俺は」

 この社会を変えようとしている。

 でも言ってはいけない。オーヴィアは妖精族だ。それも、明らかに王側。

「そう言えばさっき、お姫さんがなんとかって言いかけなかったか?」

 話を変えた。

 オーヴィアが思い出したように言った。

「ああ、そうだった。全く、君が王女を連れ出すから、いやあれは君じゃないことになってるんだっけか……とにかく、無事帰ってきたは良いがどの式典にも会合にも出席なさらない。食事も質素な物に変えろなどと言い出す始末。私はサビアに泣き付かれるし、かと言って私も仕事を変わって、もう王女と話せる立場ではないし、ほとほと困り果てていたのだ」

「サビア?」

「私の妹だよ。君も会ったことがあるだろう。王女の侍女だ」

 言われて、いつもイーメルの後ろをついて歩いていた女性陣を思い浮かべる。

 ああ、あの青い髪の。サビアって名前だったのか。

 髪と瞳の色が同じだけでなく、その真面目さも似ていると思う。

「ああ、私はもう戻らなければ。ルカ、もし王女にまた会うことがあったら、オーヴィアが心配していたと伝えておいてくれ」

 そう言い残してオーヴィアは足早に去って行った。

 真面目は真面目だが、ルカが思っていたのと少し雰囲気が違う。仕事に対して冷静に取り組むエルフだと思っていたが、どちらかというと熱血漢だったようだ。

 俺も戻らないと。

 今日は日曜日。マギーが訪ねて来る日だった。

 ルカが戻ると、家の扉が少し開いていた。

 中からマギーとセイロンの声が聞こえて来たので、ルカは何も気にせずに家に入った。

 が、マギーとセイロンが取っ組み合いの喧嘩をしていた為、ルカは状況把握に少々時間が掛かってしまった。

「おはよう、マギー」

 どう対処すべきか暫く悩んだ末、とりあえず挨拶する。

「あ、おはよう、おじさん」

 息を吐きながらマギーがルカを見た。

 真っ赤な顔で、涙でぐちゃぐちゃになって。

 サラのことを聞いたのだろう。

 だが、なぜそれが喧嘩に発展したのか、ルカには検討が付かない。

「とにかく、離れろ」

 セイロンとマギーを引き剥がす。

 セイロンは泣き顔を見られたくないのか、すぐに寝室に引っ込んでしまった。机の上の巻物には、手を付けた様子がない。

「おじさん、聞いた? サラが死んだって。殺されたって」

 マギーが言って泣き出す。

「うん、聞いたよ。役人が来た時セイロンと一緒に居たから」

「ねえおじさん、お兄ちゃんは、サラを殺した犯人は見付からないって言うけど、嘘でしょ? 妖精族の警備兵さん達が見つけて捕まえてくれるのよね?」

 それで、喧嘩になったのか?

 それにしても、取っ組み合いの喧嘩というのは二人の年齢から考えても、普通は発生しない。それはもっと小さな子ども同士がやることだ。

「難しいかもしれない。さっき役人にも聞いたけど、やっぱり捕まえるのは大変なんだって」

「そっか」

 マギーが俯く。

「それが喧嘩の原因か?」

 ルカが聞くと、マギーは首を横に振った。

「それは、お兄ちゃんが、サラのこといつまでも諦めないから……」

 語尾が小さくなる。

 諦めないことは悪いこととは言えない。けれど、他人と婚約した時点で本当は一度諦めたはずだった。それが婚約相手諸共殺されてしまって、気持ちの行き場がなくなってしまったのかもしれない。

 マギーはセイロンを心配してるんだ。

 一歩間違えれば、後を追いそうな雰囲気さえ感じさせるセイロンを引き止めようと、必死になったのだろう。

 それでうっかり取っ組み合いの喧嘩か。やっぱりまだ子どもだな。

 マギーの頭を軽く撫でて、ルカは言った。

「セイロンは大丈夫だよ。マギーも、いっぱい泣くと良い。すっきりするから」

 ルカに言われたからか、マギーは声を上げて泣き始めた。

 二人がこんな状態じゃ、俺は泣いていられないな。

 少し調べれば、犯人が誰だったのかは分かるだろう。だが、今のままではその犯人を裁くことはできない。だからと言って、自分のように、復讐を考えるのは間違っているのだ。

 もし二人がどうしてもというなら、代わりに俺が。

 思いついたが、考え直した。

 二人がそんなことを言うわけがない。二人はルカとは違うのだから、大丈夫だ。

 そう言えば、今日は日曜日だよな。

 ふと思い出す。

 ソルバーユに今日行くと伝えたから、行かなければならない。

「マギー、俺、ソルバーユのとこで診察受けなきゃならないから、もう行くよ?」

 ルカが言うと、マギーが頷いた。

「大丈夫?」

 二人だけで残して大丈夫だろうか。二人とも、支えがなければ折れてしまいそうだ。

 マギーが涙を拭って、しゃくり上げていたのも止めて、ルカを見た。

「大丈夫よ。ソルバーユ様との約束ならちゃんと守らなきゃ。行ってらっしゃい」

 かすかに笑顔を作って、マギーが言った。

「じゃあ、行ってくる」

 笑顔を作って手を振るマギーを背に、ルカは妖精族の居住区へ向かって歩き出した。


 ソルバーユの研究所に着いたルカは、付近の様子がいつもと少し違うことに気付いた。具体的に何が違うのかまでは分からないが、少しだけ違う。

 妖精族(エルフ)が居る。

 研究所の周りに。普段から誰も通らないという訳ではないが、わざわざ立ち止まるような場所ではないはずだ。

 ルカは首を傾げながら、研究所に入った。

 入ってすぐの受付にいたトキメが、ルカに気付いて頭を下げる。それから、診察室になっている部屋の扉を少し開け、「ルカさんがいらっしゃいました」と告げた。

「どうぞ」

 トキメが右手で扉を差したので、ルカは診察室に入った。

 診察室には、いつものように顰め面の緑髪のエルフと、もうひとり、ここでは初めて会う顔があった。

 肩に細長い胴体の小さな動物を乗せて、その輝く白い髪のエルフ女性は、ルカを見て微笑んだ。

「お姫さん」

 一瞬、驚いて声が出なかった。

 竜の剣を取りに行って以来だから、一月ぶりくらいだろうか。

「何でここに……」

「この子の調子が悪かったから、医者に見せに来たのだ。別にそなたに会う為にここに居たわけではない」

 『この子』とイーメルが言ったのは、イーメルの肩を右へ左へと動き回っている小動物のことだった。ルカは初めて見たが、毛皮を取る為に飼おうとしていた鼬がそれだった。

 ただ、この鼬はこちらの環境でも問題なく飼育できるかどうかの確認の為に持ち込まれた数匹のうちの一匹で、体も小さく弱そうだった為、イーメルが引き取ったのだった。決して、大きくなったら自分用の毛皮にしてもらおうと思って引き取ったわけでは……。

「ルカ、私には挨拶もなしか?」

 椅子に座って机に肘を付いたソルバーユが言った。

「えっ、ああ、すまない。今日もよろしく」

 ルカが言うと、ソルバーユは満足そうに頷いた。

「王女は待合室に居てください。今トキメが鼬にあげる薬を用意していますので」

 ソルバーユが言う。

 イーメルは「分かった」と言って診察室から出て行った。

「今日は王女が来ていて、君も見ただろうが、外には警護の兵士がうろついている。今日は他の人たちも早々に引き上げてもらったよ。王女が何で居座るのかは、まあ理解はしているつもりだがね」

 言いながら、ソルバーユがルカの手のひらに文字を書いた。

 北の地で立ち往生している前線部隊に補給する為に中隊が出発する、正確な日取りだ。

 丸二ヶ月もある。三日前の話では、来月中ということだったが。

「こうも妖精族が多くては、あまり込み入った話はできない。誰がどこで聞き耳を立てているか分からんのでね」

 ルカが思い浮かべた疑問に答えるかのように、ソルバーユが言った。

「どうした? 目が赤いぞ。疲れているのならまずは十分な睡眠を取るべきだ」

 急にソルバーユが言った。今までの会話と全く違う話。

 また何か謎かけのような問答になっているのかと思ったが、そうではなさそうだ。

「いや、疲れているわけじゃない。ただ、今朝、友達の訃報を聞いたばかりで」

 サラはマギーと同じくらいの年齢だった。まだ子どもだったのに。

「そうか。今朝と言うと、あの話だな。ラグイハクア子爵の奴隷の一家が殺されたという。あの家族に、君の友達が居たのか」

 そんな名前なのか。

 オーヴィアは一家の主人の名前を言おうとしなかった。ルカやセイロンは知る必要がない、ということだろう。

「正確には、まだ家族じゃなかった。婚約して、一緒に暮らし始めたばかりだったんだ」

 これから、幸せになるはずだったのに。

 あまりサラと交流がなかった自分でも、これ程辛いのだ。ずっと仲良くしていたマギーや、サラを好いていたセイロンの気持ちは、ルカにも計り知ることはできない。

「なあ、やっぱり誰も裁けないのか? その家族を殺した奴を」

「難しいな。持ち主であるラグイハクア子爵が訴えを起こさぬ限り保安隊も動けないし、今の所、訴えを起こしたという話も聞かない」

 妖精族の貴族は気位が高く、自分の持ち物を奪われたらすぐに訴えを起こす。それは奴隷に対しても同じだ。だが、自分で自分の持ち物を壊した場合は気にしないし、奪った相手の階級が自分より上なら、勝ち目がないからと訴えを起こさない場合もある。

「そうか」

 仕方がないことだ。今の所は。

 早くこの国を、もっと住み易い世界に変えたい。幼い頃にルカが失った、妖精族も人族も、半妖精族も、同じ立場で共に暮らせる世界に。

 診察室の扉が少し開いて、トキメが顔を見せた。

「先生、ローシュ様の使いの方がいらっしゃってます」

「使い? 本人ではなく、か? 珍しいな」

 ソルバーユが言って席を立った。

「待ってろ」

 ルカに言うと、ソルバーユは診察室から出て行った。

 暫くして戻ってきたソルバーユは、鞄に机の上にあったいくつかの道具を詰め込み、ルカを見た。

「出かけなければならなくなった。後はトキメに任せる。この奥の部屋は入院患者用の部屋だが、今は誰も使っていないから、時間があるならそこで待っていてくれ。なるべく早く戻る。無理そうなら帰っても良いが、明日から私も暫くカザートを離れるから」

 早口に言って、一瞬診察室の扉を見、またルカを見た。

「王女が居ると色々面倒だ。どうせ君に話があるのだろう。さっきも言ったが奥の部屋を使っていいから、王女の用事を聞いてさっさと帰ってもらえ」

 半分怒るような口調で捲し立て、ソルバーユは鞄を掴んで部屋から出て行った。

 開いたままの扉の向こうから、「行ってらっしゃいませ」というトキメの声が聞こえてくる。

 その扉から、イーメルが鼬と一緒に顔を出した。その後ろからトキメが来て、イーメルとルカを奥の部屋に案内した。

「ごめんなさいね。先生が回診なさっているお家の子牛の容態が急に悪化したらしくて、どうしても行かなければならないのです。今お茶をお持ちしますね」

 そう言って部屋を出る。

 入院患者用の部屋だと言っていたが、白いシーツが掛かった寝台が二つ並んでいて、小さなサイドテーブルが寝台の側にそれぞれ置いてある、殺風景な部屋だった。

 そもそも、ソルバーユの主な診察対象は家畜であって人間ではない。入院患者用の部屋など必要ないはずで、使われていないのも当たり前だった。

 部屋に置いてあった丸椅子にそれぞれ腰掛けて、ルカとイーメルはトキメがお茶を持ってくるのを静かに待った。

 いや、何か話そうと思ったのだが、ルカは何も言い出せなかった。

 鼬がイーメルの肩や膝を自由自在に歩き回っている。時折地面に向かって降りようとするから、イーメルががっちりと掴んで肩に戻す。

 それを見ているだけでも面白い。

「お待たせしました」

 トキメが来て、サイドテーブルを二人の間に引っ張って、そこにお茶を乗せた。

「どうぞ、ごゆっくり」

 普通に客が来た時のような調子で、トキメが言って部屋を出て行く。

「えっと、」

 何から話そうか、ルカは思案した。いや、ルカはここにイーメルが居るとは思っていなかったわけで、話すことを用意していたわけではない。だから、すぐには出てこなかった。

「父は春になればまた戦地へ向かう」

 イーメルが言った。

「戦地であれば、父が死したとしても珍しくもないであろう。だがその場合は、周りに多数の敵が存在することになってしまうが」

 カザート軍と、敵軍。両方が自分を狙う可能性があるということ。しかし、ルカは暗殺は考えていなかった。自分の仇討ちだけが目的ならそれでも構わなかったが、今はそうではない。

「そんなことは考えていない」

 素直に言う。

 春になれば王都から離れるということは、逆に言えば、それまでに城に攻め入らなければならないということだ。

「でも、情報ありがとな」

「わらわは、そなたに協力すると言ったはずじゃ。何を今更」

 プイと横を向いて、イーメルがぶつぶつ言った。

 相変わらず、鼬は元気良く走り回っている。小さなイーメルの肩でも、鼬にとっては十分な広さなのだろう。

「あ、そうだ。オーヴィアが心配してたぞ。もうずっと、会合とか式典に出てないんだろ。後、食事も変えろとか言ってるって」

「オーヴィアが? もうわらわの兵士ではないのに……」

 十五年間、イーメルの警護を担当してくれた。随分わがままも言ったし、困らせた。侍女よりも責任の重い護衛官は、入れ替わりが激しかった。その中で、オーヴィアは最初から十五年もの間、イーメルに仕えてきたのだ。

「悪いことをしたな」

 辞任したいと言われた時、引き止めれば良かったのだろうか。

 だがそれは、なんとなくイーメルの性に合わない。イーメルが自分のプライドを捨ててでも追いかけたいと思ったのは、この世でひとりだけだ。そのひとり以外の為に、みっともない真似をするつもりはなかった。

「食事を変えろと言ったのは、普段あまりにも豪勢過ぎるからじゃ。別に食べたくないとか言ったわけではない。あまり心配するなと、伝えておいてくれ。式典や会合も必要なら出るから」

「分かった。もし会ったら伝えておく。セイロンを通してでも良ければ、多分早めに伝えられるけど、どうする? てか、サビアだっけ? オーヴィアの妹が侍女なんだろ。そのひとに言えば良いと思うけど」

 今日はたまたま日曜にオーヴィアが来たから会えたが、普段はお互い平日に仕事をしている為、会う機会はなさそうだった。

「サビアも辞任した。だから、セイロンに言っておいてくれ」

 どことなく、寂しそうだ。

 常に付き従っていた二人が居なくなったのだ。死んだわけではないから悲しくはないだろうが、寂しさは感じるのだろう。

「わらわは、そなたについて行ったことを、後悔はしておらぬ。お陰で記憶も取り戻せたし、やっと、父の非道を正面から見つめることができるようになった」

 イーメルがルカを見て言った。

 少し微笑む。

「わらわは、成長したルカに会えて良かった」

 弟の成長を心から喜ぶ姉のように、くったくのない笑顔。

 『会えて良かった』とイーメルは言ったが、ルカはそれを素直に受け取ることができなかった。弟として見られている。

 もちろん、それでも十分過ぎるくらいに嬉しいことのはずだった。

 イーメルはユディトで、血の繋がりはなくてもルカの姉として数年間過ごしていたのは事実で、その間はとても幸せだったのだ。その時に戻れるなら戻りたいと、何度思ったことだろう。

 だから、嬉しいはずだった。

 胸が痛む。

 イーメルが、俺に弟で居て欲しいと望むなら。

 ソルバーユも、ルカを孫だと言い、力になってくれた。イーメルも、弟の成長を見るのが楽しいのだろう。

「ああ、そうだ」

 ルカは服に取り付けたポケットから、金色の飾り櫛を取り出した。王を倒すのに失敗した日、返しそびれていた物だった。ずっと持ち歩いていたのは、以前のように仕事の帰りに会えるかもしれないと思っていたからだ。

「これ、返すよ」

「……それはそなたにやったものじゃ。取っておけ」

 櫛を少し見て、イーメルが言った。

「取っておけって言われても、俺使わないし、こんな高そうなもの持ってるだけでも怖いんだけど」

 ルカが言うと、イーメルが困ったような顔をした。

「そなたの持っていた短剣、あれの代金だと思えば良い。売ってもいいし。気に入らないのであれば捨てても良い」

 あっさり捨てても良いと言うあたり、やはり長年の間に培われた贅沢心はすぐには消せないものだ。

「じゃあ、これが俺のものなら、俺がこれをお姫さんにあげてもいいんだよな?」

「へ? ああ。まあ、そういうことになるな」

 イーメルが言ったので、ルカはイーメルの手のひらに飾り櫛を置いた。

 イーメルは釈然としない顔をしていたが、やがて諦めたのか、飾り櫛を手に取り眺め始めた。

「わらわにつけてくれ」

 そう言って、飾り櫛をルカに渡す。

「え?」

 元々結ってある髪にずり落ちないように挿せばよいのだが、使ったことがないのでどうしたものか、ルカは迷った。

 イーメルは鼬を両手で掴んで膝の上に乗せ、櫛を持って途方に暮れた様子のルカをおもしろそうに見た。

 櫛とイーメルの髪を何度か見比べ、ルカは思い切ってイーメルの髪に手を触れた。細く、滑らかな髪。綺麗に結い上げているが、下手に触ったらそれすら崩れそうだ。色々な意味で緊張する。

 ざくっといけばいいんだ。ざくっと。

 と、思い切って髪に挿してみたら、本当にざくっと行ったようだ。

 イーメルが顔を顰める。

「そなたは阿呆じゃ」

 当たり前ではあるが、酷く機嫌を損ねて、イーメルはそっぽを向いた。

「禿げたらどうしてくれる」

「え、いや。ええ!?」

 禿げるほど削っただろうか。

「と、トキメさん、ちょっと」

 ルカは診察室と通じる扉を開けてトキメに助けを求めた。

「どうなさいました?」

「お姫さんが怪我したかもしんなくて」

 状況を説明する。

 ルカの後姿を見て、イーメルが笑った。


 結局、ソルバーユは今日は遅くなるということで、待たずに帰ることになった。

 研究所から出た途端、イーメルの付人達がどっと押し寄せてきたのに焦ったが、イーメルは気にする様子もなく、十人以上の付人を従えて立ち去っていった。

 家に帰ると、台所にセイロンが居た。マギーは居る様子がない。

「ただいま。マギーは帰ったのか?」

「さあ。居ないんなら、帰ったんじゃない?」

 ぶっきら棒に答える。

 まだ喧嘩継続中か。

 サラの存在は二人にとって大きかったのだ。泣いてお互いに暗くなっていくよりは、喧嘩して発散した方が良いだろう。

 普段なら、まだ日は高いし、マギーが帰る時刻ではない。相当酷い喧嘩だったのか、セイロンの顔に青あざも見えた。

「セイロンは手を上げてないだろうな」

 マギーに。小さい子ども同士なら大した怪我にはならないかもしれないが、十五歳にもなる男が同じことをやれば相手の女の子は大怪我だ。

「知らない」

 本当は知らないわけではないだろうが、ルカともあまり話したくないのだろう。

「俺、ちょっと昼寝する。誰か来たら起こしてくれ。誰も来ないとは思うけど」

 欠伸をして見せて、ルカは寝室に入った。

 今のセイロンには、何を言っても駄目だろう。言わなければいけないことは全部言ったし、多分マギーも言ってくれているだろう。後は落ち着くのを待つしかない。

 夜になって、腹が空いて目が覚めたルカは、台所の机に突っ伏して寝ているセイロンを見つけた。

 巻物状だった羊皮紙が広げられている。内容を見ると、サラの名前に線が引かれ、今日の日付が書かれていた。

 今の時刻はよく分からない。

 セイロンが寝ているから、もう随分遅い時間なのだろう、と思いながら、乾燥肉を一切れ切り取る。

 突然、家の扉がドンドンと叩かれた。

 普通に家に来る客は、こんな扉が壊れそうな勢いで叩いたりしないはずだ。何か急ぎの用だろう。

 ルカは扉を開けた。

 外に立っていたのは中年の女性だった。

「マギー、来てない?」

 誰だろう?

 マギーの知り合いなのだ、ということだけは分かる。

「昼に来てたけど、もう帰ったよ」

「何時ごろ? マギー、まだ帰ってこないの」

「え」

 急いでセイロンを起こす。

 泣いていたせいで半分くらいしか開かない目を擦っていたセイロンは、マギーがまだ帰っていないことを聞いて、急いで冷水で顔を洗って、女性を出迎えた。

「おばさん、マギーがまだ帰ってないって本当? マギーがここを出たのは昼過ぎだよ」

「昼過ぎ……いいえ、午前中に出かけてから一度も帰って来ていないの。どうしたのかしら。最近人攫いも多いって聞くし、心配だわ」

 この女性が、マギーが世話になっている『おばさん』なのだろう。実際に二人の叔母なのか、それとも近所のおばさんという意味なのかは分からないが。

「俺、探してくる」

 ルカは言って、家を出た。

 振り返って、女性とセイロンに向かって言う。

「二人はここで待っててくれ。こんな時間に外を出歩くのは危ない」

 女性はよく一人でここまで来たものだ。マギーを本当に愛しているのかもしれない。

 ここから羊飼いの村まで、道は複雑ではない。最短距離を行くなら選ぶ道は一本しかなく、他の道というと単に畑の畦道を通るかどうかくらいのものだ。

「マギー」

 名前を呼びながら道を走る。

 時刻も遅く、道を歩く人は誰も居ない。王の結婚式の日の夜、遅くまで明かりが付いていた人族の集落も、今日は真っ暗でどこにあるのかもよく分からないくらいだった。

 集落に差し掛かる。

 もう皆寝ている時刻だろう。いくつかの家には明りが灯っていたが、外には人の気配もない。

「マギー」

 少し声の音量を下げて呼ぶ。

 集落は道よりも複雑だ。だが、あまり集落の中で留まっている可能性は考えられない。集落の中なら、既に誰かが見つけているはずだ。友達の家に泊まっているのかもしれない。

 だがセイロンの家を出たのが昼過ぎなら、おばさんに連絡する時間はいつでもあったはずだ。

 集落を抜けて、少し離れたところにある羊飼いの村を目指す。

 マギーが住んでいる家の前まで行ったが、マギーは見付からなかった。

「マギー」

 羊飼いの村に響く声で呼ぶ。

 誰かは起きてしまったかもしれないが、マギーが見付からなかったらそれどころではない。

 道を戻る。

 やはり、見付からなかった。

 少し別の道へ入ってみる。特に何もない。

 駄目だ。これじゃあ、見付からない。

 山が見えた。

 ひとりで山に入るはずがない。また引き返す。

 朝になっても、マギーは見付からなかった。一度家に戻ったが、やはりマギーは立ち寄っていない。

 おばさんと一緒に、マギーが住む家にまた向かう。

「セイロンが、マギーが居なくなったのは自分のせいだって言うの。喧嘩したからだって」

 おばさんが言った。

「家出だと?」

「セイロンはそう言うけれど……セイロンと一緒に暮らしているなら喧嘩して家出もあるかもしれないわ。でも、マギーはわたしたちと一緒に暮らしているのに」

 その通りだ。

 マギーが家出をする理由はない。

 一睡もせずに疲れ果てた様子のおばさんを家に入れると、ルカはまたマギーを探しに歩き出した。

「お兄ちゃん」

 聞きなれた声が聞こえて来た。マギーではなく、以前イーメルと一緒に遊んでいた子どもの一人だ。

「マギーを探してるの?」

「ああ。……知ってるのか?」

「アリルが見たって」

 指差す。

 アリルは初めて見る顔だった。まだひとりで歩くのも危ないくらいの小さな男の子だった。

「マギーを見たのか?」

 ルカが聞くと、アリルが頷いた。

 言葉はもう喋れるのか?

 疑問が浮かぶ。この年齢なら喋れるはずだが、成長速度はみなが横並びなわけではない。まだ自分が言いたいことをきちんと纏められない子どもも多いだろう。

「おっきな くるまにね」

 アリルがたどたどしい口調で言った。

「いっぱいのってた。おねえちゃんも、おにいちゃんも」

「知らない人も乗ってた?」

 先にルカに声を掛けた、アリルよりは年上の女の子が言う。

 アリルは少し考えてから言った。

「うん。しらないおじさんもいっぱいいた。しらないひとには ついていっちゃだめって、ぼく言ったんだけど、おねえちゃん くびをよこにふって、だめだめしてた」

「その車は、どっちへ行った」

「んとね、あっち」

 指差す。

 そちらへ行っても山しかない。

 山を越えれば、隣国イリアンルゥルだ。

 人攫いだ。若い男女を攫って、他国で奴隷として売る。

「教えてくれてありがとな」

 ルカはアリルに言ってから、城へ向かって走った。

 途中、家に寄ってセイロンに一部始終を話す。

「俺は城に行って、保安隊に動いてもらうよう頼んでくる。まだ国境を越えていなければ対処もできるだろうし」

 セイロンの返事を聞く前に、もうルカは走り出していた。

 しかしルカは城に入ることができなかった。元々、城で働く者でもなければ城へそう簡単に出入りはできない。

 仕方がないので、門番に訴える。

「俺の友達の妹が、奴隷商人に攫われたみたいなんだ。目撃者も居る。だから、保安隊を出して探してくれ」

 門番は互いに顔を見合わせて、それからルカに視線を戻した。

「奴隷が何を言うか。主人と一緒に出直して来い」

「主人って……俺らの主人はカザートだろ? 個人の奴隷じゃない」

「だったら、自分達の問題は自分達で解決するんだな。別に奴隷のひとりやふたり、居なくなっても困らないからな。お前もそんな汚い格好でここをうろつくな。神聖な城が汚れる」

 よくもそこまで言えたものだ。

 門番を殴りたくなった気持ちを抑えて、ルカはもう一度頼んだ。

「奴隷の売り買いをしてるのは他国の人間だぞ。奴隷が連れて行かれるってことは、この国の財産を持っていかれてるのと同じことだ。それを放置するような国ではいけないんじゃないか?」

 ルカの言葉に、また門番は顔を見合わせた。

 そして、ルカを見て笑う。

「わはは。お前がそんな心配してどうするんだよ」

「じゃあ、オーヴィアは? オーヴィアを呼んでくれ」

 オーヴィアは今、セイロンの上司だ。主人ではないが、それに近い。

「オーヴィア? 誰だそれ」

「つい最近まで王女の護衛をしていた妖精族の男だ。知らないわけないだろ」

「……ああ、何かあって辞任したとかいう」

 やっとオーヴィアと繋いでくれるかと思ったら、門番達は二人で雑談を始めた。

「あいつの妹のサビアが美人なんだよな」

「そうそう。でもオーヴィアと兄弟になるのはちょっとなぁ」

「先にサビアに声掛けてから考えろよ」

 いい加減、苛々する。ある意味、絶対に通さないという姿勢は門番としては優秀なのかもしれないが。

「ルカ」

 呼ばれて振り返ると、セイロンだった。

 セイロンは雑談をしている二人の門番の前に立った。

「失礼します。人族の出入りの管理をしております、セイロンと申します。妹が人買いに攫われたらしく、昨日の昼から消息が不明です。捜索の為、十数名の人手を借して頂きたい」

「は?」

 門番が最初に言ったのは、セイロンを馬鹿にするかのような一言だった。

 セイロンが緊張した面持ちのまま、次の言葉を待つ。

「なんだ、お前の妹か。そんなガキ居なくなってもいいじゃねえか。大体、さっきそっちの人にも言ったけどな、こっちは奴隷のひとりやふたり居なくなったって困りはしないんだ」

「話では、他にも被害が出ているようです。まだ遠くへは行っていないでしょう。早めに捜索を!」

 必死なのだろう。

 サラが居なくなったばかりだ。マギーまで居なくなったら、セイロンは本当に壊れてしまう。

 セイロンが取り合おうとしない門番の服に縋り付く。

 さすがに相手をするのが面倒になったのか、門番はセイロンを蹴り飛ばした。

「汚いガキが、俺様の服によだれ付けるんじゃねえよ」

 ルカに対して話しているときよりも、輪をかけて態度が悪い。相手が子どもで、自分達に手を出せないと思っているからだ。

「おい、どいてろセイロン」

 言って、ルカはセイロンと門番との間に入った。

「こっちは頼んでる側だからな、相当頭低くしたつもりだ。でもこれ以上、黙って見てるわけにはいかない」

 セイロンを蹴り飛ばした門番を睨み付ける。

 これだけで逃げてくれれば楽なものだが、妖精族はこっちが人族だからと態度を改めようとしないのが常だ。

「はっはっは。そんな顔しても無駄だよ。俺はこの城の門を預かる大変な任を受けているわけだ。奴隷を通すわけにはいかな――」

 言いかけていた男の腹を殴る。

 倒れこんだ男の兜を取った。

「阿呆面がよく見える」

 兜を堀に投げ捨て、ルカは男の顔を殴った。

 腹を殴られた時点で男の表情は、ルカを莫迦にするものから怯えるものに変わっていたが、構わずに何発か殴った。

 もうひとりの門番が、放置できないと思ったのか、城内に駆け込むのが見える。

 その後姿に視線を移した一瞬、門番の男が力を使った。

 ルカの体が少し浮き、地面に叩き付けられる。

「なんて乱暴な男だ」

 自分がセイロンを蹴ったことは棚に上げ、門番は居住まいを正すとルカに手のひらを向けた。

「妙な真似をしたら、今度は手加減しない」

 それは余裕がある時に言う台詞だ。殴られて腫れた顔で言われても迫力もなにもない。

 ルカは素早く立ち上がると、低い位置から門番の両脚を抱え、自分の側に引っ張った。勢いで、門番は城の壁に後頭部を打ち付け、気絶した。

「大丈夫か、セイロン」

 振り返ってセイロンに駆け寄る。

 蹴られてからそこそこ時間が経っているのに、まだ倒れこんだままだったということは、あまり良い状況とは言えない。

 顔が青褪めて、息が細い。声を掛けても返事も無かった。

 服を捲りあげて蹴られた腹を見ると、門番の靴の形に青黒くなっていた。

 蹴られたくらいで死ぬことはないと思う。思いたい。

 城に入った門番が、別の妖精族を連れて出てきた。

 オーヴィアだ。

「オーヴィア。セイロンが」

 だがオーヴィアが駆け寄ったのは、ルカが殴って今は気絶している門番の方だった。

「そいつは気を失ってるだけだ。それよりもセイロンを」

 ルカは言ったが、オーヴィアは暫くその門番から離れず、本当に気絶しているだけとわかってからやっと、セイロンの元に来た。

「どうしたんだ」

「門番に蹴られて、暫く経つのにまだ意識が戻らない」

 腹の痣を見せる。

「おい、この少年も医務室へ運べ」

 オーヴィアが声を掛けると、城の中に待機していたのか、二人の妖精族が出て来てセイロンを運び入れた。

「門番に蹴られたと言ったな。あそこで気絶していた役立たずか」

 オーヴィアがルカに言ったので、ルカは頷いた。

「ああ」

「では、あの門番を伸したのはお前か?」

 ルカを睨み付ける。

 言い訳したいことは山ほどあったが、それを言っても無駄のようだった。

「ああ、そうだ」

 この話がどう転んでも構わない。それよりも、セイロンの回復と、マギーの捜索が重要だから。

「セイロンの妹の捜索の為、人手を借りたいという話だと聞いたが? 何がどうなって、お前が門番を倒す羽目になったんだ」

「あいつが、セイロンを蹴り飛ばしたんだ。だから俺が間に入った」

「莫迦なことを。お前がやったことは話をややこしくしただけだ。お前達は国の奴隷だ。主人は国で、別の言い方をすれば、この国の妖精族全てがお前達の主人とも言える。主人の言うことを聞かず制裁を受けたとしても、それは甘んじて受けるべきではないか?」

「は? じゃあ、セイロンはあのまま殺されてても仕方ないって言うのか?」

「そうだ」

 オーヴィアの言葉が突き刺さる。

 こんなことを言う男だとは思わなかった。

 だが、セイロンを医務室へ運ぶよう指示してくれたのも事実だ。

「セイロンは何も悪いことはしていない。言うこと聞かなかったのも、実際に殴ったのも俺だし。セイロンをちゃんと介抱してやってくれ」

 考え方や感じ方が違うのは仕方が無い。同じ人族であっても違うのだ。

「それから、マギー……セイロンの妹の捜索はしてくれるのか?」

「その予定はない」

 オーヴィアはそう言うと、城の中に戻っていった。

 なんで……。

 サラが死んで、マギーも居ない。セイロンも、処置が悪ければ死ぬかもしれない。

 人族の問題は人族で解決しろって言うなら、解決してやる。

 ルカは顔が分かっている仲間の元へ向かった。

 仕事は既に始まっている時間で、馬屋に入るとサルムが「遅刻とは珍しいな」と声を掛けてきた。

 のんびりと挨拶している場合ではなかった。

 事情を説明し、今から捜索に出られる仲間が居ないかサルムに尋ねる。

 サルムにルカが王を倒そうとしていることを教えたのは、人族の老人だったそうだ。その老人の名前と住む場所を聞き、ルカはそちらに向かった。

「俺も掃除と餌やりが終わったら向かうから!」

 サルムがルカに向かって大声で言う。

「わかった。ありがとう」

 ルカは教えてもらった老人の家に向かった。

 老人はおそらく、カザートの人族の中で最高齢なのではないだろうか。耳もあまり聞こえないようで、ルカが何度も呼んでやっと出てきた。

「わしも行こう。この通り年を取ってしまって、目も悪いし、耳も遠くて仕事はできなくなったが、まだまだ動ける」

 老人は顔が広く、多くの仲間と会うことができた。

 マギーの捜索に出られるのは、仲間以外の事情を聞いて集まった人族も合わせて三十名程となった。中には、自分の子が居なくなってしまった、という親も居る。

 十名ずつ分けて、アリルが指差した山を捜索した。

 程なく真新しい(わだち)が刻まれているのが見つかって、分かれて探していた全員が集まった。

 単にイリアンルゥルへ行けるというだけの、この山中の道は険しく、普通は使わない。これが人買いが使っている荷馬車の轍と考えて間違いないだろう。

 轍に沿ってルカたちは足早に進んだ。

 相手は幾人か攫ったようだし、大人数になっているはずだ。この山道では、馬車と言えどそう速度は出せないだろうし、大人が単独で動いている自分達の方が早いはずだ。

 夜になって、ルカ達は山中で焚き火をしていた人買いを見つけた。

 こちらの方が断然人数が多く、人買いはこちらの姿を見て逃げてしまったが、攫われた子ども達を助け出すことができた。

 捜索を手伝ってくれた人族の中には、自分の子どもが居なくなった親も居る。そういった人たちは、子どもを抱きしめて涙を流していた。

 ルカは馬車の中で眠っているマギーを見つけた。

 泣いている子どもが多い中で、よく眠れたものだ。

「マギー」

 呼びかける。

「ん……?」

 目を覚ましたマギーは、目の前にルカが居るのに驚いたのか、はじけるように飛び起きて、馬車の天井に頭をぶつけていた。

「大丈夫か?」

「ったい……」

 頭を抱えて、マギーが呟く。やがて痛みが引いたのか、頭に置いていた手をルカに向かって伸ばした。

「おじさんだ……」

 確かめるように、ルカの顔に触れる。

「夢じゃないよね」

「痛かったんだろ?」

「うん」

 勢い良く頷いてから、マギーが泣き出した。

「帰ろう、マギー」

「うん」

 正面から抱きかかえて、馬車から降りる。

 さすがに、子どもを抱く母親のようには行かないから、一度マギーに馬車の中で降りてもらった。

「ほら」

 自分だけ馬車から降りて、おぶさるように言う。

 マギーは周りをみて、自分より小さな子ども達が親に抱っこされたりおんぶして貰っているので、恥ずかしくなったようだ。

「子どもじゃないもん」

 ルカの背に頼らず、馬車から降りた。

「じゃあ、歩くか。でも結構遠いぞ」

「がんばる」

 言いながら、マギーがおずおずと、ルカの手を握った。

 逸れられては困るから、ルカとしてもその方が都合が良い。

「行こう。疲れたら言えよ」

 マギーの手を強く握り返して、ルカは言った。


 山を下りた頃には、太陽が山の向こうへ沈もうとしていた。

 見知らぬ子どもを背負って山を下りた若者も居る。

 途中で疲れてしまった老人を助けるために、一緒に山を下りている人も居る。

 休むことなく進んだから相当疲れているはずなのに、それを微塵も見せずに、町に着くなり知り合いの子どもを家まで送り届けると言って、意気揚々と出かけた者も居る。

 仕事が心配だからと、親が礼を言っている途中でそのままどこかへ行ってしまった人も居た。

 ルカは、マギーを背負ってマギーの家に行った。

 おばさんがマギーを見て涙を流す。

「良かった。本当に良かった」

 マギーのきょうだいとも言える、同じ建物に暮らすほかの子どもも、マギーを見てはしゃいでいた。ただ、マギーは寝ていたから、お互いに向かい合って、唇の前に人差し指を立てて、「しーっ」と言っている。

「後は頼みます」

 おばさんにマギーを託すと、ルカは家に向かった。

 セイロンはどうなっただろう。

 家に帰ると、扉に書置きがあった。セイロンはソルバーユの研究所に居るそうだ。セイロンの字ではないが、誰が書いたのだろう。

 ルカはソルバーユの研究所に行った。

 ルカを出迎えたのはトキメだった。ソルバーユは東へ出ており、王都カザートには居ない。

 奥の部屋で、セイロンに会った。

 包帯を大げさに見えるほど胴に巻きつけて、セイロンは巻物と睨めっこをしていた。

「セイロン、生きてたか」

 声に気付いて、セイロンがルカを見た。

「ルカ! ありがとう。マギー戻ったんでしょう? さっきここに来た人が教えてくれたんだ」

「俺だけじゃないよ。多分その教えてくれたって人も、一緒に探してくれた人だと思うし」

 ひとりでは、あの山の中を探し切ることは出来なかったかもしれない。仮に探せたとしても、人買いと戦闘になるし、子どもを全員連れて山を下りることもできないし、うまくいかない可能性が高すぎる。

「そっか。皆で探してくれたんだ」

 ルカが状況を説明すると、セイロンがそう言った。

「言っとくけど、捜索に参加しなかった人たちが悪い人たちって意味じゃないからな。俺らが抜ける分、その人たちが倍仕事してくれたんだし」

「そんなこと、ルカに言われなくても分かってるよ」

 セイロンが笑い出す。ルカも笑った。

 セイロンは腹が痛いようで、笑った後顔を顰めた。

「ねえルカ、やっぱり僕も仲間に入れてよ。今のままじゃ駄目だって、僕も分かったから」

 驚いて、ルカは言葉が出なかった。

 つい数日前は、反対されたのだ。それが、ルカが説得したわけでもなく、仲間になってくれるとは。

「もちろんだ。でも、危ないことは俺らに任せるんだぞ」

 実際に反乱に参加しなくても構わない。同じ志があれば、仲間なのだ。


 ルカが馬屋の仕事に戻ってから、やっとまた綺麗になってきた。

 ある日、見知らぬ女性が厩舎の門の前に立っているのを午後の仕事に入ろうとしていたルカは見かけた。

 門から中を覗き込み、誰かを探しているようだった。

「何か用ですか?」

 女性に近付き、ルカは尋ねた。

 ごく普通の人族の女性だ。年齢は三十代前半と言ったところだろうか。

 女性はルカを見ると、早口に言い出した。

「うちの人がどこに居るか知りませんか? お昼に入れた野菜が腐っていたみたいで。うちの人ったら、いつも自分が臭いもんだから、きっと気付かずに食べてしまうわ」

 誰なのかはまだ言っていないが、サルムのことだろうと予測を付ける。

 丁度、サルムが休憩から帰ってきた。

「ああ、あなた」

 女性がサルムに駆け寄って、弁当のことを告げている。

 サルムは頷きながら、女性の後ろを気にしているようだった。

「サチは来てないのか?」

 女性の話が一区切り付くと、サルムが尋ねた。

 女性が首を横に振る。すまなそうな顔をした。

「お父さんに会いに行くわよ、って言ったんだけど、やっぱりまだ納得できないみたい」

「そうか。まあ、仕方ないさ。いつか来てくれるだろう」

「そうね」

 女性が軽く手を振って、ルカに会釈をしてから去って行った。

 サルムと一緒に馬屋へ向かう。

「あんたは独身なんだと思ってた。綺麗な奥さんが居るんじゃないか」

 サルム以外の馬屋で働く男達は、家族の話をしたがった。サルムはルカと同じで家族の話をしないから、家族は居ないのだと思っていたのだ。

「まあな。あのひとは、前の相棒の嫁さんだったんだ。でも相棒は死んじまって、娘もまだ小さいだろ。あのひとも仕方なく俺と再婚したってわけさ」

「仕方なくなのか? そういうふうには見えなかったけど」

 先程二人が会話している様子はごく普通の夫婦であって、仲が悪そうには見えなかった。

「前の相棒が死んだ時には『あんたが死ねば良かったのに』とか散々言われたよ。サチは未だに、俺のことを『おじちゃん』としか呼ばないし。まあ仕方ないさ。あのひとが俺と結婚すると言い出した時には、相棒には悪いが、棚からぼた餅だと思ったもんさ。……本当に、俺が死んでれば良かったんだ」

 サルムが眉間に皺を寄せて言う。

 普段話す時は大抵おどけた調子だから、どれ程サルムが前の相棒が死んだことを悔やんでいるかが分かる。

「暗い話はこれで終わりだ。さっきパロス総督が慌てて事務所に入って行ったから、もしかしたらお偉いさんが馬を引き取りに来たのかもしれねえ。早めに掃除を終わらせちまおう」

 そう言って、「気にするな」とルカの肩を叩いた。

 確かに、ルカがサルムの家庭についてあれこれ考えても何の助けにもならないだろう。ルカは家庭を持ったことがないし、何か言われても相談に乗れるわけでもないのだ。

 午後の仕事が始まってすぐに、この馬屋で働く五人全員が入り口近くに集められた。

 パロスが咳払いをして五人の前に立った。そのパロスの後ろに、鎧を身に纏った妖精族(エルフ)の男が立っている。そのさらに後ろに数人の簡易鎧を来た妖精族が居て、ルカ達の後ろにも同じような服装の妖精族が何人か居た。

「えー、この度ヘルメイド殿がデルシール諸島へ派遣されることとなった。そこで、人数分の軍馬が必要とのことで、ここまで足を運んで頂いた」

 パロスが大きな声で言う。

 あの偉そうなパロスがやけに丁寧に説明しているのを妙に感じた。

 パロスが後ろに立つ男を振り返り、顎を少し上げて自分の横に立つように指示する。眉間に皺が寄っているが、唇の端が上がっていて、怒っているのか笑っているのか中途半端な顔のまま、パロスはまたルカ達の方を向いた。

「ヘルメイド殿は男爵家の出ながら優れた戦績を上げ、今やヴォルテス王の勅命を受けるまでになった。お前達、彼がわたしのように伯爵姓ではないからと、適当な仕事をするんじゃないぞ」

 なるほど、それでパロスの言葉と顔つきが一致していないのか、とルカは納得した。以前セイロンに貸してもらった巻物の中に、民の階級についての記載もあった。確か、伯爵は男爵よりも上の階級に位置するはずだ。しかし軍の中での階級は当然パロスよりもヘルメイドが上である。だから、相手を嘲笑する顔と、相手を畏れる顔、両面が出ているのだ。

 パロスが言い終わって暫くしてから、ヘルメイドが口を開いた。

「デルシール諸島はここから遠く離れた地にある。持久力のある馬を十五頭用意して欲しい。それから、わたしの馬がここに居るはずだ。それも加えて十六頭。明日の朝までに用意しろ」

「かしこまりました」

 サルムよりも幾分年上のビルが答える。

 ルカもそれに習って早口に返事した。

 パロスはすぐにどこかへ歩いて行ったが、ヘルメイドはその場に残った。

「ふん。そうやって偉そうにしていられるのも今のうちだ」

 パロスの後姿に向かってヘルメイドが呟く。

 それからルカ達が並んでいる方を振り返り、近くに居た男に声を掛けた。

「わたしの馬が元気でいるか、見せてもらいたいのだがいいだろうか?」

「はい。ご案内いたします。どうぞ」

 声を掛けられた男がそのままヘルメイドを案内して、一番遠くの馬小屋へ入って言った。

 ルカはヘルメイドというエルフには初めて会ったし、どの馬が彼の馬なのか全く知らない。馬小屋は四つあり、一番奥の馬小屋に個人から預かった馬がいるということだけは聞いていた。

「十六頭だ。朝までぶっ通しでやらないと間に合わないかもしれないな」

 サルムが言うと、他の男達も急いで馬小屋へ向かった。

 昔よりも馬小屋自体が清潔になっていた為か、サルム達が考えていたよりも早く、馬を洗う作業は終わった。

 それぞれの家族が、帰りが遅くなったのを心配して訪ねて来た。サルムの妻も来ていたが、娘サチは来ていなかった。

 ルカのところにはセイロンが夕食を持って来た。

「デルシール諸島? すごく遠くだね。もうそんなとこまで侵攻してるのか」

 セイロンが言う。

 ルカはその地名を聞いてもピンと来ないが、諸島という名前からして海にあるのだろうし、内陸のカザートからは相当遠いということは想像が付いた。

 暗くなる前に帰らなければならないということで、家族は皆、少しだけ話して帰って行った。

 馬も洗ったし、自分達も帰れるのかと思ったらそうではないようだ。

 今度は馬を装飾するらしい。装飾用の飾りはヘルメイド達が置いて行ったものを使う。それぞれの小隊ごとに、違う色の飾りをつけるのだそうだ。

 鞍だけ乗せればいいじゃないかとルカが言ったら、それでは遠くから見た時に敵か味方かわからないから駄目なのだと言われた。

 ルカひとり、慣れない作業で手間取っていたが、それでも朝までは掛からなかった。

 すぐに朝が来るので、一人だけ馬の見回りをし、順番に仮眠を取ることにした。

 しかし、仮眠すらする暇もなく、最初の見回りに行ったサルムが四人を叩き起こした。

「大変だ! ヘルメイド様の馬がおかしい!」

 馬がおかしい?

 眠るつもりになっていたルカは欠伸をしながら、サルムの後について馬小屋に向かった。

 しかし、実際に馬の様子を見ると眠気はふき飛んだ。

 サルムが騒いだのも分かる。ついさっきまでごく普通に立っていた馬が、床に腹をつけ、立ち上がろうとしては倒れるを繰り返していた。

「何だ? どうしたんだ?」

 誰かが言う。

 馬の世話をしている期間が一番短いルカが、他の男の質問に答えられるわけもない。

「とにかく、大人しくさせるんだ」

 サルムが言うが、どうすればおとなしくなるのか検討が付かなかった。

 押さえつけることもできない。

 殴って足でも折ってしまえば大人しくなるかもしれないが、それでは本末転倒だ。

 そのうち、馬は立ち上がる力もなくなったのか、地べたに座り込んで荒い息をするだけになった。

 その息もやがて静かになる。

 落ち着いたのかと思ったが、そうではなかった。

「おい、やばいぞ。この馬もう駄目かもしれない」

 サルムが言う。

「誰か、パロス様を呼んで来い! ヘルメイド様の馬が死にそうだと言えば飛び出してくる」

 ルカが行きたかったが、生憎パロスの家を知らなかった。

「俺が行ってくる」

 他の男が言って小屋から出ると、パロスを呼びに走って行った。

 しばらくして男がパロスと一緒に戻ってきた。眠そうな顔をしたパロスが、馬を覗き込む。

「なんだ、寝ているだけではないか」

 そう、辛うじて息はしているものの、もう馬は動く気配もなかった。

「寝てるんじゃなくて、死にそうなんでさ」

 サルムがパロスを見て言う。

 確かに、先程までの騒ぎを見ていなければ、パロスでなくても寝ているだけと思うだろう。

 ただ、時折重そうな瞼を開けて、自分を覗き込むひとを見つめ返している。

 馬は朝日が昇るまでももたなかった。

「くそっ」

 サルムが言って、馬から装飾具を取り外し始めた。

 ルカや他の男もそれを手伝う。ヘルメイドの馬はもう死んだ。けれど朝までに十六頭用意しなければならないのだ。

「急ごう」

 ルカが言う。

 誰ともなく頷いて、手が空いた者が別の馬小屋から一頭連れて来た。

 なんで馬が死にそうになった時点で別の馬を用意しなかったのかと、パロスが横で責め立てているが、相手をしている暇もなかった。

 しかし、馬を洗っている最中にヘルメイドが来てしまった。

 出迎えたパロスがそそくさと戻ってきて、死んだ馬を隠すようにルカ達に指示した。

「そんなことして、何の意味が?」

「いいから早くするのだ。その馬をヘルメイドの馬だと言って渡せば良い」

「全然違う馬ですから、すぐにバレますよ?」

 別の男がパロスに言う。

 パロスは眉を吊り上げて声を荒げた。

「鎧を着せれば模様も分からん。わしがヘルメイドの相手をしている間にさっさと仕上げろ。わしの言うことが聞けぬのであれば、そこの馬にお前達を紐で結んで岩場を走らせるからな」

 パロスはすぐに踵を返して出て行った。

 さっき誰かが言ったように、別の馬だということはすぐに分かるはずだ。久しぶりに見たのであればまだ分からない可能性もあるが、ヘルメイドは昨日自分の馬を見たばかりだ。

「言われた通りにするしかねえ」

 サルムが言う。

 すぐにバレるとしても、パロスの言いつけを守らなければそれはそれで何をされるか分からない。

 サルムとルカで馬の装飾をし、他の三人が残りの十五頭をヘルメイドに引き渡しに向かった。

 馬の引渡しには相当時間が掛かるようで、新しい馬の飾りつけを終えてかなり待ってから、やっと三人が来て、ルカ達も一緒にヘルメイドの所へ向かった。

「お待たせしました。ヘルメイド殿の馬です」

 パロスが笑顔で言う。

 ヘルメイドはルカ達が引く馬に目をやった。

「どれがわたしの馬だとおっしゃるのですか、パロス殿」

 すぐに視線をパロスに戻して言う。

 パロスが馬に歩み寄って、首を叩いた。

「こやつですよ。ヘルメイド殿はまだ寝惚けていらっしゃるのかな?」

 ヘルメイドがパロスを睨み付けた。

「パロス殿、わたしの馬はどこかと聞いているのです。これはわたしの馬ではない。どういうことですか? まさか、わたしの馬に何かあったのですか? 昨日会いましたが、その時にはとても元気でしたよ?」

 質問を重ねてぶつけられて、パロスは一歩後ずさった。

「いや、あの馬は……」

「もう良い。あなたに聞いても答えてはもらえないようですから、自分で見てきます」

 ヘルメイドが奥の馬小屋を目指して歩き始めた。

「まあ、待て待て、ヘルメイド。そんなに急がなくても」

 言いながらパロスがヘルメイドを追いかける。ちらっとルカ達の方を見たが、何を指示したかったのかルカには分からなかった。

 馬の死体をなんとかしろと言うのだろうか。それは無理だ。馬小屋はすぐ近くで、先に歩き出したヘルメイドを多少足止めしたくらいでは、馬の死体を隠す時間には足りない。第一、馬を小屋から出した時点で見えてしまう。

 馬小屋に入ったヘルメイドは、自分の馬の死体を見た。

「何と言うことだ! これはパロス殿、あなたの管理不行届きですぞ?」

 後ろを付いてきたパロスを振り返り、叫ぶ。

「わしではない。奴隷どもが……」

 言って、パロスは自分の後ろを見た。少ししてからルカ達五人が走ってきたのが見えた。

「あいつらだ! あいつらが仕事を怠ったからだ」

 ルカ達を指差してパロスが言った。

 ヘルメイドがルカ達の方を見た。しかしすぐに視線をパロスに戻すと、ヘルメイドが言った。

「奴隷が仕事を怠ったのだとすれば、やはりそれは彼らの監督を任されていたあなたの責任です。あなたに責任がないということであれば、そもそも奴隷を管理する職務自体が不要だったということになる。わたしはこの事を王に伝え、あなたの責任を追及して貰います」

 馬小屋からヘルメイドが出てきた。

 入り口付近に固まっていたルカ達の間を、肩をぶつけながら歩いて行く。

 ヘルメイドに付いてきた部下達は、ヘルメイドと一緒に馬屋から出て行った。

 パロスは俯いていたが、顔を上げるとルカ達の方を指差した。

「お前達のせいで、わしの経歴に傷が付くことになった。お前達のせいだ。わしのせいではない。お前達は馬が死んだ責任を取らねばならない」

 パロスが自分の護衛官を呼んだ。

「奴隷五人を捕らえよ。処刑する」

「待てよ。馬が急に死んだのは変だ。俺達はきちんと仕事をしていたし、それで馬があんな死に方をするわけがない」

 ルカは言った。

 ルカ達の仕事は、馬屋の床に水を撒いて掃除をし、飼葉と水を交換するだけのことだ。もし飼葉や水が汚染されていて馬が死んだのだとすれば、他にも死ぬ馬が居るだろうし、病気だったとしたらもっと前から症状が出ていたはずだ。

「そうだ。昨日まで元気だった馬が急に死ぬなんて、長年馬の世話してる俺にも予想が付かなかった」

 サルムが言う。

「だから、何だと言うのだ? 馬が死んだのは事実だ。どうせ病だったんだろう。気付けなかったのならそれは直接世話をしているお前達の責任だ。違うか?」

 パロスがサルムを指差しながら言った。

「言いたい事があるなら処刑の前に聞く。捕らえよ」

 パロスの護衛官がルカ達の腕を後ろで縛る。

 ルカは抵抗するかどうか迷ったが、他の皆も同じ考えでなければ、逃げ切れない人が迷惑を被ることになる。それを考えると抵抗することはできなかった。

「パロス、俺達を処刑しても、あんたの責任能力が問われることに変わりはない。ソルバーユを呼んで死んだ馬を調べさせるんだ!」

 護衛官に腕を引っ張られながら、ルカは後ろにいるパロスに向かって言った。

 ルカ達五人は処刑の準備が整うまでの間、事務所に閉じ込められた。

「どうする」

 サルムが言った。

 外には妖精族の護衛官が見張りをしている。

「このままじゃ俺達は皆殺される」

「パロスにそこまでする権限があるのか?」

「妖精族がどんな決まりを作ってるのかなんて知らねえ。でも妖精族は人族を殺すことを何とも思っちゃいねえし、他の妖精族もいちいち人族を助けに来やしねえ。これだけは確かさ」

 サルムが言う。

 他の三人は話す気力もないようで、壁際に集まってうな垂れていた。

「パロス総督」

「中の奴隷どもは大人しくしておるか?」

「ええ。今の所、逃げる素振りはありません」

「そうか」

 事務所の扉が開く。

「残念だな、ルカ。ソルバーユは今留守だそうだ。帰ってくるのは早くて二日後だそうだ」

 パロスが笑いながら言う。

 何がおかしいんだ。

「このままじゃあんたも同罪だぞ? ここの責任者はあんたなんだからな」

「同罪? 違うな。お前達は死刑だが、わしはここを辞めて元の仕事に戻るだけだ」

 パロスは仕事に誇りを持っていないのだ。話にならない。

「お前達の最期を見届ける者を選べ。一人三人までだ。処刑場に呼んでやる」

 パロスの言葉に、先ほどまで壁際で俯いていただけだった三人が、口々に名前を発し始めた。一度に言われて聞き取れなかったのか、パロスは外に居た護衛官を呼び、それぞれの希望を書き留めさせた。

「お前は」

 サルムを見てパロスが言う。

「妻と、娘を」

 パロスの後ろで護衛官が石版に書く。

 サルムの目は、最期を見てもらうことだけに希望を乗せて家族の名前を叫ぶ三人とは違った。

「お前は」

 今度はルカに向かって言った。

「誰でもいいのか?」

「ソルバーユは無理だぞ。処刑は今日中にやるからな」

 また笑う。

 ルカの味方が居ないと思って笑っているのだろう。

「じゃあ、イーメルを」

「何?」

 パロスが明らかに驚いた表情で言った。

「それは王女の名前ではないか。同じ名の奴隷が居るのか?」

「王女で間違いない。呼べないのか? あんた偉いんだろ?」

「もちろん呼べる。呼べるが、王女が来ないと言ったらどうするつもりだ。それよりも、お前が一緒に暮らしている人族とかの方が良いんじゃないか?」

「彼はまだ子どもだ。人が殺される所なんて見せたくない」

 ルカの言葉に、家族の名を言った男達はまた俯いた。

「まあ、王女は忙しいだろうし、一番最初に呼びに行ってくれよ。王女が来ると言ってるのに呼びに行くのが遅れたせいで処刑に間に合わなかった、ってんじゃ、さすがにあんたも責任を取らなきゃならなくなるだろうしな」

「うぬぬ。よし分かった。そこのお前、王女に使いを。一人はここで見張りだ。残りは手分けをして人を集めて来い」

 パロスが付近に居る護衛官に向かって指示を出した。

 事務所に居たパロスと護衛官が外へ出る。

「王女がお前に会いに来るってのか?」

 壁際に居た男が言った。

「ああ、来るさ。なんたって、お姫さんは俺に借りがある」

 ルカが答えると、聞いた男も含めサルムまで変な顔をした。

 日が山に隠れてまだ薄明るい時間に、ルカ達は事務所から出された。縄で縛ったままだから、処刑の準備が滞り無く終わったということなのだろう。

 馬屋から出て少し行った小さな牧草地に、今までは無かった木で作った柵が巡らされていて、真ん中に台が置かれていた。そこにルカ達五人が上らされて、後ろにそれぞれ別の妖精族が立った。

 真後ろだから見えないが、おそらく彼らが死刑執行人だろう。

 少ししてから、正面から十人前後の人族が小走りに駆けてきた。処刑される男達が呼んだ家族だ。

 処刑台の手前で、妖精族が槍を使って家族を遮った。

 ルカも会った事がある顔も混ざっている。サルムの妻と娘も来ていた。通行を妨げている槍の隙間から手を伸ばし、夫に声をかける女も居れば、祈っている女も居る。泣きそうな子どもも居れば、まだ何が起こるのか理解できないと思われる小さな子どもも居た。

 処刑台の前に、パロスが歩み出た。

「おい」

 ルカが言う。

 パロスが振り返った。

「お姫さんは、イーメルはどうした。来ていないようだが」

「さあな。使いは出したが、どうなったかまではわしは知らぬ。あまりに失礼な要求だったから、使いの者が王女に捕まったのかも知れんな」

 唇の端を上げて、パロスが言った。

 どうなったのか知らないというのは本当だろう。実際に、使いに出された妖精族がまだ帰ってきていない。

 パロスは観客となる、五人の家族の方に向き直った。

「さて、ここにいる五人は、軍より預かった大切な馬を死なせた罪人である。わしは寛大であるから、集まってくれた家族まで同罪とすることはない。安心して欲しい。ただ、犯した罪はその死を持って償ってもらわねばならぬ」

 大声で言った後、隣で待機している妖精族の男に耳打ちした。

「一人ずつやれ。左から順にな」

 ルカは右から二番目だ。右端はサルム。

 他の三人が死んで二人だけになれば、逃げられるかもしれない。

 そう思ったが、夫に手を伸ばしている三人の妻達を見ると、それではいけないと思い直した。

 五人ともが助かる方法を考えなければ。でもソルバーユも居ない。お姫さんもまだ来ない。どうすればいいんだ。

「きゃあああっ」

 叫び声が聞こえた。

 一番左の男が殺されたのだ。声は彼の妻だった。

 頭が処刑台から転がり落ちる。

 考えてる場合じゃない。

 ルカが思った時、サルムがルカに囁いた。

 静かな場所であれば、囁き声程度でも妖精族に聞かれるだろうが、一人目が死んだことで観客が騒ぎ始めていた。

「ヘルメイド様の馬が死んだのは前から居た俺達が気付けなかったのが原因さ。あんたは何も悪くない。だから、あんたの番が来たら俺が暴れてやる。その隙にあんたは逃げるんだ」

「無茶だ。それじゃああんたは絶対に捕まる」

「もう捕まってるさ。今は俺も、あんたもな。あんたがやろうとしていることは分かる。だがあんたが今暴れても、俺達があんたの足枷になっちまう。前の三人には悪いが、俺達二人になるまで待て」

 一瞬、それが良いのではないかとルカは思った。

 いや駄目だ。俺一人が助かっても意味がない。

 ソルバーユやイーメルを呼ぼうとしたのは、皆で助かる為だ。

「サルム、あんたの話術で少しでも処刑を先延ばしにできないか。お姫さんが来るまで」

「王女が来るわけがない。でもそれで諦めが付くならやってやろう」

 サルムが言って、何食わぬ顔で正面を向いた。

 少し経ってから、サルムがパロスに声を掛けた。

「なあ総督、処刑を急ぎすぎじゃないか? 普通は死ぬ前に家族と会話させてくれるもんだろう」

 パロスは処刑の前に自分が寛大だと言ったばかりだから、これを飲まないわけにはいかないはずだ。

「ふむ。なるほどそうであったな。会話を許可する。ただしわしが良いというまでだ」

 遮っていた槍をどけると、それぞれの家族が駆け寄ってきた。

 残っているのは、最初に殺された男の家族なのだろう。

「サルム!」

 サルムの妻が来た。サルムの娘のサチは、母親の服の裾を掴んでサルムから顔を隠している。

「何があったの? また濡れ衣なんでしょう? あの人の時と同じ……」

 言われて、サルムが首を左右に振った。

「俺が世話してた馬が死んじまった。今回は何も責任がないわけじゃないさ」

「そんな。馬だって不死じゃないんだから、いつか死ぬものよ。なんでそんなことであなたが死ななきゃならないの」

 しかし、サルムは首を横に振っただけだった。

 ルカの前には誰も居ない。男達の家族のすすり泣く声と、彼らの最期の会話だけが、ルカの周りを包む。

「よし、そこまで」

 パロスが言った。

 家族は妖精族の護衛官に肩を掴まれて、また元の位置まで下がらされた。

「これ以上は無理だ」

 サルムがルカに耳打ちする。

 パロスは処刑をさっさと済ませようとしている。確かに、これ以上引き延ばすのは無理だろう。

 左から二番目の男の首が落ちた。

 血飛沫がルカにまで掛かる。

「くそっ」

 舌打ちして、立ち上がろうとした。

「まだ駄目だ」

 こちらは見ていないと思っていたのだが、サルムが正面を向いたまま、ルカに言った。

「言っただろう。ここで必要なのは他人を思いやる心じゃない。切り抜けるための知能だ」

「やめてくれ。やめてくれ」

 左隣の男が呟いているのがルカの耳に聞こえてきた。

「助け――!」

 叫んだ瞬間に、左隣の男は息絶えていた。

 次はルカの番だ。

「王女は来なかったな」

 パロスがルカに言う。なんとも嬉しそうな表情だ。

 自分の姿がパロスを喜ばせていることに憤りを感じる。

「今だ」

 サルムが囁く。

 すぐにサルムが動いた。

 後ろに居たエルフの顎に頭突きをし、ルカの後ろのエルフに体当たりをして倒す。

 ルカも立ち上がった。皆の視線はサルムに向かっている。ルカが立ち上がったことも、サルムの行動に驚いてのことだと思われているはずだ。

「右だ!」

 サルムが叫ぶ。

 すぐに別の妖精族がサルムを押さえつけた。

 右を見ると、柵の作りが甘く、大きく木と木の間が開いた場所があった。

 あそこから逃げろってことか。

 今なら逃げられるだろう。しかし、ルカは動けなかった。自分ひとりが助かっても意味がない。ルカにはとりあえず家族も居ない。もし一人だけ生き残れるならルカよりもサルムの方が良いはずだ。

 サルムを押さえつけているエルフの一人に、ルカは体当たりした。

 もう一度、別のエルフに体当たりしようとしていた時に、足首を掴まれてルカはその場に倒れた。

 強い力で無理やり立ち上がらされて、サルムを囲む妖精族から引き剥がされる。

「構わない。その男から先に処刑しろ!」

 パロスの声が遠くで聞こえた気がした。

 サルムを囲っていた妖精族が、処刑台から飛び降りていく。サルムの近くには最初から居た処刑人が残るだけになった。サルムは膝を付いているが、顔は血だらけになっていて、殴られたのだろう、目も開いていなかった。

 斧がサルムの首に振り下ろされる。

 やめろ!

 体を振って、自分の縄を持っているエルフを振り切ろうとしたが、エルフの足がわずかに動いただけで、振り切ることはできなかった。

 目の前で、サルムの体が崩れ落ちる。

 血飛沫が上がって、ルカは頭から血を被った。

「あとはお前だけだな」

 遠くに居ると思っていたパロスは、ルカのすぐ近くでそう言った。

「その処刑、待った」

 女の声が聞こえてきた。

 他のすすり泣きや叫び声にも掻き消されることのない、あまりにも通る声に、ルカを囲む妖精族は全員がその声の方を見た。

 ルカも声の方へ顔を向ける。

「お姫さん……」

 イーメルが処刑台に向かって走ってきた。後ろには何人かの兵士も居る。

 皆の視線がイーメルに向かった瞬間、既に処刑された男の妻の一人が、自分と夫を遮る槍を押して前に出た。

 それに気付いた他の家族達も我先にと処刑台へと駆け寄った。

 処刑自体に待ったが掛かった為か、家族を抑えていた護衛官達は特に動こうとはしなかった。

「あなた」

 サルムの妻がサルムに縋り付いている。

 先に処刑された三人と違い、サルムはまだ首が繋がっている。だが息はない。

「パパ」

 サルムの娘が泣いている。

 サルム、あんたの娘はちゃんとあんたのことパパって呼んでるじゃないか。

 言葉にならなかった。言葉にしても聞かせるべき相手が居ない。

「パロス殿、この者達は無実じゃ。今すぐ処刑をやめよ」

 イーメルが言った。

「呼んだ者達を先に帰らせろ」

 すぐさま、パロスが指示する。

 本当に無実だとすると、この処刑自体の是非が問われる。しかしどうせ、処刑された者の家族以外で、いちいち口出しする者は居ないのだ。

 パロスの指示で、家族は処刑台から離され、やがてルカの視界から消えた。

「王女、何事ですか? 無実とは?」

 近くに処刑した者達の家族が居なくなってからパロスが言った。

「死んだ馬を調べさせた。馬の死体から、人族では入手できない薬物が検出された」

「だとしても、他のエルフに入手させたのでは?」

 イーメルが一瞬パロスから目を逸らしたが、すぐにパロスの目を見て話し始めた。

「薬物のことを調べさせた。薬物は城の保管庫に置いてあるが、城の薬師の許可がないと持ち出せない。持ち出した者の名は記録してある」

「では、その薬を持ち出した者が今回の件の犯人というわけですかな?」

 パロスがルカの方に顔を向け、ルカの縄を持っているエルフに目配せした。

 エルフはルカの縄を解いた。

「それで、その者の名は何と?」

「オズワルト=ヘルメイド」

 パロスの顔色が怒りの色に変わっていく。

「おのれ、わしを嵌めたな。ヘルメイドは今どこですか」

「すでに城の牢に捕らえておる。しかしパロス殿、そなたはヘルメイド殿に会わない方が良い。彼はそなた個人に恨みがあって今回の犯行を計画した。話を聞いたが、確かにそなたが悪い。どう考えてもな。そなた自身の立場を危うくしたくなければ、ヘルメイド殿とは会わぬことだ」

 イーメルに言われて、パロスは怒りを露にしたまま、踵を返して馬屋に入って行った。

 イーメルが処刑台の上のルカの側まで来た。

「無事か?」

 心配そうにイーメルが言う。

「何でもっと早く来てくれなかったんだ」

 イーメルに言う。

 仲間達の血に塗れた服は、自分の目に見える限り元の色がほとんど分からなくなっている。触ると手の平が赤く染まった。

「あんたがもっと早く来てれば、皆死なずに済んだんだ。それなのに、何で」

 イーメルの肩を掴んで揺らす。

「すまない、ルカ。すまない」

 血に濡れたルカの頬に、イーメルの手が触れた。

 イーメルの白い指が赤く染まって、代わりにルカの顔が多少綺麗になっていく。

「ヘルメイドがやったという証拠を掴むのに時間が掛かった。すまない。言い訳にしかならないな」

 イーメルの表情が、悲しげに歪んでいる。

 イーメルには、ルカの気持ちは理解できていないのかもしれない。理解しているのなら、ルカの顔を綺麗にするよりも、死んだ男達を家族の元へ送るなりするだろうから。

 サルム達は死んでしまったが、罪人でないことはイーメルによって証明された。生きることが最重要ではあったが。

 罪人として葬られたのでないだけマシだ。

 そう思うしかなかった。

 でも、何でだ。何でサルムが死ななきゃならなかったんだ。悪いのは妖精族の方なのに。いつもそうだ。妖精族の争いに人族が巻き込まれる。妖精族が俺達を殺す。

 納得できないことは、今までにも多くあった。

 それでも、社会を変えようとまで思ったことはなかった。けれど、ここは、今の社会は、酷すぎる。

 社会を変える手段は、ルカが持っているのだ。

 竜の剣という力を。


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