5 竜の洞窟
半妖精。
辺りから囁き声が聞こえてくる。妖精族は、純粋な妖精族と、他の血が混ざった半妖精族の見分け方を知っていた。
半妖精――
その囁きが、少年には非難の声に聞こえた。彼の存在自体を非難する声。
囁かれている内はまだいい。やがて、町の中心の方から役人が来て、少年を縛り上げ、ひどい罰を与えるのだから。
少年の体は、そうやって受けた傷で、すでに傷だらけだった。
「坊や、こんな所に居ると殺されちまうぞ」
『怪しい』と顔に書いたような妖精族の中年男が、少年に声を掛けた。
「構わない」
少年は答えた。
中年男はポカンとした。
その男に向かって、少年は顔に似合わない大声で言った。
「殺されたって構わない、って言ってんだよ! さっさと失せろ」
少年は、呆気に取られて自分を見ている男を振り切って駆け出した。
――殺されたって構わない。どうして僕は半妖精に生まれたのかな。早く、誰か僕を殺してくれればいいのに。
「姉ちゃん、どこに居るの?」
少年は、曇った金色をしたナイフを見つめた。焼け跡から見つかった、ただ一つの両親の形見だった。
それを見ていると、少年は死んではいけない、という気持ちになった。
仇討ちをすることを、それは少年に囁いていた。
生きなくちゃいけない。姉ちゃんにも、もう一度会いたい。
***
「はあ」
セイロンが溜息を吐きながら、髪を櫛で梳かしている。
溜息は朝から何度も聞いた。
「なんで僕も行かなきゃならないのかなぁ」
「そりゃ妹の友達の婚約式だからだろ」
部屋ですっかりくつろいでいるルカはセイロンに言った。
あの後、ルカは一度捕まった。だがイーメルの弁護のおかげか、死刑にはならなかった。代わりに、自宅で見張りを付けて半年の軟禁。それが決まってから五ヶ月の月日が過ぎていた。
今日はサラの婚約式なのだが、ルカはまだ刑期が終わっていないので行くことができない。
サラは結婚するにはまだ少し早い年齢だが、ルカが捕まったことで、サラの両親が、ルカと一緒に暮らしているセイロンと付き合うのを警戒したらしい。元々、女性の場合早いと十三歳くらいでも相手の家に入って一緒に暮らし始めるのだから、サラが今婚約しても何の不思議もないのだ。
「大体ルカが他人の罪を被ったりするからでしょ」
「やだなー、セイロン」
家の外には妖精族の見張りが一人居る。
「俺がやったのかもしれないだろ?」
セイロンがルカを一瞥して、また鏡に向き直った。
さっきから何が気に入らないのか、前髪ばかり何度も梳かしている。
「ルカが悪人なら、この世の中の他の人間は、皆それ以上の悪者だね」
やっと櫛を置いた。
「はあ。なんでサラちゃん……。なあ、ルカ。相手の男って僕よりハンサムかな?」
「そんなの何か関係あるのか?」
「いや、別に……」
力なく言って、セイロンは家の扉を開けた。
「じゃ、行ってくるよ。後はよろしく」
最初の言葉はルカに、後の『よろしく』は外に居た妖精族に言う。留守を頼むのにルカよりも頼りになるということだろう。
「気をつけて行って来いよ」
セイロンの背中に向かってルカが言うが、セイロンから返事は無かった。
セイロンが歩いて行って少し経ってから、外に居たエルフ男性が言った。
「大変なんだな、人族も。家とか何とか」
名前は……何だったろう。自分を見張る男の名前なんか知る必要はない。とにかくこの男は、見張りが暇なのか、何かにつけてルカに話しかけてくる。
「ええ、そうですね。結婚ってのは妖精族でも人族でも、家ごとの行事ですから」
暖かな部屋の中と違い、外は寒そうだ。
だが見張りの男はそれが仕事なのだから仕方ないだろう。
「今日は雨が降りそうだ」
男が空を見て言う。
「はあ。そうですねー」
セイロンは雨具を持って行っただろうか。多分持っていかなかっただろう。好きな女の他人との婚約式に参列し、帰りには雨に濡れて帰ってくる。最悪な状況だ。
もう少しセイロンが年を重ねていれば、サラの両親の言うことは気にせずに、サラを妻として迎え入れることができたかもしれない。けれどまだ十五歳では、さすがに無理だ。普通なら両親の元で安穏と暮らしている年齢なのだから。
「こんにちは。ルカは居るかね?」
外で声がした。
「勿論です。どうぞ中へ」
ここは俺とセイロンの家だ。お前に勝手に扉を開ける権利は無い。
と思うが仕方が無い。長いこと居るから、彼はこの家の門番のようになってしまっていた。
扉が開いて、ソルバーユが入ってきた。
「あれ、今日は回診の日だっけ」
何がどういうことなのかは分からないのだが、一週間に一度、ソルバーユがルカの診察に来る。診察と言っても何もしないわけだが、一応手のひらの傷の手当てと、右目の具合を診るということで来ているのだそうだ。外には妖精族の見張りが居るのだ。滅多なことは聞けなかった。
「全く。働かなくなって曜日の感覚もおかしくなったか?」
ソルバーユが言う。
扉は門番と化している見張りのエルフが外から閉じた。
「まずは手を見せろ」
自分で傷つけた左手をソルバーユに出す。もう傷跡さえ残っていない。元々深い傷ではなかったのだ。
ソルバーユがルカの手のひらに指で文字を書く。
言葉は外に居る見張りに聞かれる。だから聞かれたくないことはこうやって伝える。
「そう言えば、ネルヴァがラグナダスから帰ってきたぞ」
ソルバーユが言った。
「へぇ。結構長い間居たな」
「冬を越さずにすんでよかった、と言っていた」
「なるほど。まあ確かに、この辺に住んでると、あの寒さはきついだろうな」
「彼はたった一人の肉親だった母親を失って、やりきれない気持ちだったろう」
ネルヴァの母親が死んだという話は、ルカが軟禁されてすぐの回診のときにソルバーユから聞いた。
ネルヴァは母親想いだった。
その母親が貴族に殺されたのだという話は、ソルバーユがルカの手に書いた文字で知った。
『ネルヴァは仲間を集めている。妖精族はなるべく入れないようにしたいと言っていたがルカの意見も聞きたいそうだ』
ルカは王を倒したい。ソルバーユも王を恨んでいる。奴隷である多くの人族が、今の制度を変えたいと望んでいる。
ソルバーユは人族の診療もできる。それを利用して、王を倒すことに賛同する人々を集めた。そこに、ネルヴァも加わったのが二ヶ月前のことになる。まだネルヴァと会って話していないから、なぜ彼が王を倒そうとする人族側に付いたのかは分からない。ただ、母親が殺されたことと関係があるのだということは想像が付いた。
「調子はどうだ?」
ソルバーユが尋ねた。
「俺は妖精族じゃないんで、そんなすぐには良くならないんだ。だからって、変な薬を混ぜないでくれよ」
「わかった。今までどおりにしよう」
ルカがソルバーユの手に文字を書くわけには行かない。見張りに見られたら面倒だからだ。その為、ルカが返事をしやすいような質問をソルバーユがして、それにルカが答えることで会話を成立させているのだ。
「純度が高い方が効きやすい」
ソルバーユが呟く。
雨が降り出した。
「雨具は持ってきたのか?」
ルカが聞く。
「ああ。大丈夫だ」
ソルバーユが答えた。
外に居る見張りはずぶ濡れだろうが、家に入って温まってくれ、とは言えない。
「次は目だ」
ソルバーユが言う。
実際には目は見せない。見張りに見られると面倒だから。
目の診察をするという言葉は、伝えることはこれで終わり、ということだ。
雨が降り出したために、辺りは昼間だというのに随分と暗くなった。雷も聞こえ始めた。
「この季節の雨はよくない。すぐに川が氾濫する」
冬の雨。
一気に降って、一気に流れて行ってしまう。
ごとん。
雷鳴ではっきりとは聞こえなかったが、扉の横でそんな音がした。
ソルバーユも気付いて扉を振り返る。
「開けてくれ」
ルカはソルバーユと顔を見合わせ、それから家の扉を開けに行った。
扉の前には黒い頭巾の付いた外套を身に付けた小柄なひとが立っていた。見張りの妖精族は、扉の横でのびている。
「何しに来たんだ、お姫さん」
ルカは突然の来客に向かって言った。
イーメルは頭巾を取ると軽く頭を降って雨を払った。
「逃げてきたのじゃ」
「は? ああ、まあいいや。とにかく中に入れよ。今日は家の相方は居ないんだ。よかった。相方が居たら大騒ぎしてたとこだ」
イーメルが着てきた外套は雨に濡れ、裾は膝の高さまで水が染み込んでいる。頭巾も完全に色が変わっていたし、肩も酷く濡れていた。このまま外に立たせていては風邪をひいてしまうかもしれない。
「邪魔するぞ」
イーメルが言って家に入った。
ルカが振り返ると、ソルバーユとイーメルが顔を見合わせて、妙な空間ができていた。
ソルバーユはまさかイーメルが来るとは思っていなかっただろうし、イーメルもソルバーユが居るとは思っていなかったのだろう。
「これは驚いた。姫君がいらっしゃるとは」
「わらわがどこに居ようと、わらわの勝手じゃ」
「なあ、お姫さん、そのままじゃ寒いだろ。外套はこっちで乾かすことにして、暖炉の前に座りなよ」
なんとなく、イーメルとソルバーユの仲が悪いような気がして、ルカは口を挟んだ。
イーメルが黒い外套をルカに渡して、ルカが出した椅子に腰掛ける。
外套を入り口近くの出っ張りに引っ掛けて、ルカは元の席に戻った。
「私はこれで、と言いたい所だが、姫が仕事を増やしたようだからな。もう暫く居させて貰うよ」
ソルバーユが言いながら、持ってきた鞄を弄った。中から注射器と何かの薬品を取り出して注射器に入れる。
ソルバーユは外でのびていたエルフの男を中に引っ張り込んだ。
「このまま外に出して死なれたら困るだろう。ベッドを借りるぞ」
男をベッドに寝かせ、注射を打つ。
「何の注射だ?」
「睡眠剤だ。害はない。十二時間くらい眠ってもらおう」
「ルカ」
台所に居るイーメルがルカを呼んだ。
「行ってやれ。私はこの男の状態を少し確認してから戻る」
ソルバーユに言われて、ルカは台所に戻った。
「何だ?」
「寒い」
そりゃ寒かろう。外套があれだけ濡れていたのだ。その下の服まで濡れていた。
「何か暖かい飲み物をくれ」
「は?」
勝手に押し掛けてきたくせに、何でそんなに偉そうなんだ。
思ったが、イーメルが睨み付けるので、言わずにおいた。
山羊乳を温める。
温まったので、カップに注いだ。ついでに、自分の分とソルバーユの分も入れる。
振り返ると、イーメルが暖炉に向かって座っているのが見えた。
小さな背中だ。
簡単に抱きすくめられそうだ。
そう思って、一人で赤面する。
姉ちゃんかもしれないひとだぞ。
自分に言い聞かせて、それからイーメルに声を掛けた。
「ミルク温まったけど、飲む?」
カップをひとつ、イーメルに渡す。
「ありがとう」
イーメルが礼を言った。
なんかこういうのって嬉しいな。
豪奢な城や屋敷ではなく、ルカの家に居るイーメル。二人で話したり、食事をしたり。
カップがひとつ残っているのを思い出した。
隣の部屋のソルバーユにも渡す。
二人だけじゃなかったんだった。
「で、何しに来たんだ?」
ルカの妄想ではもっとほのぼのとした会話をしているはずだが、そうも行かない。イーメルはカザートの王女だ。こんな罪人の所に来るべきではない。
「うむ。逃げてきたのだ」
「何かあったのか?」
イーメルの様子からは、焦りや恐怖といった類の物は感じられない。逃げなければならないような緊急事態が発生しているとは思えなかった。それでも、多少心配になって聞いてみる。
「……皆、あの事件を起こしたのがわらわだと知っておる。それなのに、皆知らん顔して通り過ぎていく。わらわは忘れておらぬのに、皆過去のことにしようとしている」
イーメルが言った。
当たり前のことだ。表向きには、屋敷に侵入した人族三人を殺したのはルカということになっている。気付いていても、自分達の王女がやったと言う部下が居るわけがない。
「だからって、ここに逃げて来たんじゃ、俺の苦労が水の泡になっちまうだろ」
イーメルが何事もなかったかのように生活を続ける為に、ルカはその罪を被った。今までそれを後悔したことはない。
「すまぬ。それでもわらわはそなたに謝りたかったのじゃ。わらわのせいで、こんな不自由な生活を強いられて」
「いや、そんなことないよ。そもそも奴隷ってのは不自由なもんだ。仕事に行くか、仕事に行けないかだけの違い。そりゃ仕事できないからその分給与もないけどさ、お姫さんのおかげで配給は止められなかったし、こうしてちゃんと生きてる」
暖炉を見ていたイーメルが、体ごとルカの方へ向けた。
「すまなかった。本当に。何て言ったらいいのか分からない。わらわのせいじゃ」
「謝られても困る。俺は自分が思ったようにやっただけだから。な、もう気にすんな」
イーメルがルカから顔を背けた。また暖炉を見つめる。
「お姫さん、もう帰るんだ。黙って出てきたんだろ? 城では皆がお姫さんを探してる。ここに居ると知れたら、俺にとっても拙いことになるのは分かるだろ」
ルカが言ってから暫くの間、イーメルは変わらず暖炉を見ていたが、やがて立ち上がった。
「わかっておる。邪魔したな」
言って、扉の横に掛けてあった外套を羽織った。
「そうだ。その見張りの男、明日には代わりの者を使わす」
そう言って、雨の中を走って行った。
見張りが気絶していたのでは話にならないだろうから、明日には交代ということになるのだろう。
ソルバーユが台所に戻ってきた。
「容態は安定している」
「病気じゃないだろ」
「後頭部に鋭い一撃を食らって気絶したんだ。まったく、大人しい姫君かと思っていたらとんだじゃじゃ馬だ」
ソルバーユが溜息混じりに言った。
それから、机に肘を付いてルカに言った。
「君のことが気になっていたようだね」
「そりゃお姫さんが現場の第一発見者だからな」
「全部聞こえていたよ」
すぐ隣の部屋に居たのだ。いくら外が雨だったと言っても聞こえて当然だった。
「元々セイロンやマギーに色々言われてね。君は絶対にそんなことはしないから、真犯人を見つけてくれと。それで診察と偽ってここに来たのだよ」
「余計なことはすんなよ。どうせあと一ヶ月で自由の身だ」
「わかっているよ。しかし、君が妖精族の姫と懇意の仲だったとはね。いささか期待外れだ」
ソルバーユは王に激しい恨みを持つ者として、ルカに目を付けた。ルカを代表にして同じ思いを持つ人族を集め、反乱を起こす為だ。
「何の期待だ。大体、王が悪くても姫には関係ないと言ってたのはあんただろ」
「まあね」
あっさりと頷く。ソルバーユの考えは、ルカには掴みかねるところがあった。
「だが、今人族を纏めようという時に、姫と関わっているのが知れたらまずい」
「まずくはない。俺たちはイーメルを利用できるんだ。その為に親しいふりをしていたと、もし疑われたら言えばいい」
自分でも酷いことを言っていると思う。だが実際に使うかどうかは別としても利用できそうなのは事実だし、嘘も方便だ。
ルカにとっては、
「俺はお姫さんとの関わりを切りたくない」
それだけのことだった。せめて、姉かどうか分かるまでは。
さっきは時間もなさそうだったから早く帰してしまったが、刑期が終わったらいつかちゃんと話したいと思っている。
「そんなに彼女のことが好きか」
ソルバーユが尋ねた。
「違っ、……そうじゃない」
ソルバーユにはそんな風に見えたのだろうか。ルカがイーメルを好きだと。
嫌いじゃない。でも姉ちゃんかもしれない。姉ちゃんかも知れないひとを、どう好きになればいいんだ。
「お姫さんは、俺の姉かもしれないんだ」
ソルバーユが驚いた顔をした。顎に付いていた手を離し、少ししてからまた顎に手を付いた。
「君にはきょうだいは居ないはずだが」
ソルバーユの言葉の調子はいつも通りだったが、ルカは驚いた。
「何で居ないって分かるんだ」
さも知っているかのような口ぶり。
そうだ。再会した時から、ソルバーユは俺のことを何でも見通していた。王に仇討ちしようとしていることも。
「あんたは俺の何だ? 俺が仇討ちする為に手を貸してくれるのは有難い。でもやっぱおかしいよ。あんたは妖精族だ。人族が支配する世界になんて興味もないだろ」
「ふぅ。ではネルヴァが協力するのはなぜだと思う? 彼も別に人族が支配する世界を望むわけじゃない。今の世界が変わることを望んでるんだ。どうなるかはやってみなければ分からない。それでも、今のままではいけない。そう思うから変えようとするんだよ」
言っていることには納得するしかなかった。こうしたい、という明確な未来予想があるのではなく、今を変えたいといという気持ちで動いても、何も悪いことではないのだ。
「あんたも、それだけか? 今を変えたいだけか?」
他にも何か隠している。
ひとの心は複雑過ぎてなかなか分からない。特に、この男の場合は。
「君の母親の名前は、セレンじゃなかったか? 緑色の髪に青い眼の、背の低い女だ」
急にソルバーユが言った。
勿論、母親の名前をソルバーユに教えたことはない。それどころか、カザートに来てからは一度も口にしたことが無い名前だった。
「何であんたがそれを知ってる」
「それは、君の母親のセレンが私の娘だからだよ」
初めて聞く話だ。そんなこと考えたこともなかった。ソルバーユが自分の祖父だなんて。
「でも俺は、手術の時まであんたのことなんか知らなかったんだぞ」
既に百歳を超えている母の父親が生きているとは思っていなかったし、母から話を聞いた覚えもない。
「色々あって、娘と別々に暮らしていたのだよ」
それを言うと、ソルバーユはそう答えた。
「私と妻はどうにも反りが合わなくてね、娘が生まれて暫くしてから離婚したんだ。ふむ、秘密にしていてはどうも話がうまく進まないな」
ソルバーユが決まり悪そうに頭を掻いた。そんな普通の仕草をするのを珍しいと感じる。
「離婚の原因は、私が昔人族の女性と付き合っていたことだった。私の父は厳格で、私が人族と結婚することを許さなかった。今思えば当たり前のことだがね。私は父が勝手に決めた相手と結婚することになったのだ。その時は彼女が別れたいと言っていたと聞かされたよ。話が逸れたな。とにかく、私はその人族の女性と別れて、妻と結婚し、娘も授かった。だが後になって、彼女は別れたかったのではなく、父に説得されて仕方なく身を引いたと分かった。彼女は自殺していたよ。それから妻の色々なところが気に入らなくなって、別れることになった」
ルカと視線を合わせないようにしながらソルバーユが話す。いつもの彼らしくない、とルカは思った。
「娘の方は元気に成長していたんだが、十六の時だ。家出をしてしまって、行方知れずになった。娘は、自分が私と人族との間に生まれた子どもだと思ってしまったのだよ。昔のことを知っている誰かが、娘に要らぬことを教えてしまったのだろうが。君には分かるだろう。ハーフエルフが妖精族の間でどのように思われているか。私は数年かけてやっと娘の居場所を突き止めた。妖精族と人族が、半妖精族と一緒に平和に暮らしている町だったよ。別に娘を連れ戻そうとは思わなかった。その時には娘はもう成人していたし、連れ戻した所でいずれ私の手を離れるのだからね。その後娘はその町の人族と結婚し、君が生まれた」
ソルバーユが言った。
長い話だ。ソルバーユの作り話とは思えなかった。
「嘘だろ……?」
「嘘じゃない。そうでなければ、私が君のことをこんなに知っているわけがないだろう」
「じゃあ、何で今まで黙ってた」
「知らなくても良いことだったろう。大体、あのテリグラン−テリの戦いで死んだものと思ってたし、最初に君に会った時は本人だとは思わなかった」
「いつ分かったんだ。俺が、あんたの孫だと」
「最初からなんとなく、もしかしたら、とは思っていた。それで部下に後を付けさせて、色々調べた。君は聞かれれば誰にでも答えていたじゃないか。自分の父母の名を」
あまりにも昔のことでいちいち思い出せないが、確かに誰にでも教えていた。既に死んだのだから、言ってどうなるものでもないと思ったからだ。それに、名前を出すことで、ルカのことが姉に伝わる可能性もあった。
「さて。これで私が君の祖父だということと、私が君に協力する理由が分かってもらえたかな?」
単純に人族が妖精族に勝っても、ソルバーユに得は無い。確かに彼の思いは晴れるかもしれないが。だがもし、ルカが代表になって妖精族を倒したのならば話は別だ。彼は思いを晴らすだけでなく、孫をカザートの代表に据えることさえできるのだ。
「んなこと、急に言われて信じられるわけないだろ。大体、姉ちゃんもまだ分からないのに」
「その『姉ちゃん』が問題だ。私は娘の近くに部下を送って、常に様子を見守っていたが、子どもは君ひとりだった」
ルカはソルバーユの顔を凝視した。色々調べて知っているはずのソルバーユが、ユディトのことを知らないとは思えない。
「そんなわけないだろ。家族四人で一緒に暮らしてたんだぜ?」
「いや。私の部下が直接セレンに聞いたから間違いないはずだ。子どもは男の子一人だけだと」
「親父の連れ子だったとか」
思い付いて言ってみる。母親の連れ子でないのなら、父親の連れ子だろうと思ったのだ。
「君は知らないようだからひとつ教えてやろう。妖精族の髪と瞳の色は、父親から受け継ぐのだよ。君の黒髪と黒眼は父親の物だろう? だったら、イーメルの父親は君の父親ではない。第一、人族はそんなに長生きしない」
「あっ……」
当たり前だ。イーメルは百四十歳を超えている。人族である父がそれほど長く生きているわけがないのだ。そもそも、よく考えればイーメルは純エルフであって、半妖精族ではない。
「つまり、イーメルは君の姉ではない」
ソルバーユの言うとおりだ。イーメルは姉ではない。
だったら、ユディトは誰なんだ? 違う。俺に姉が居ないのなら、ユディトも姉じゃないんだ。多分、一緒に暮らしていただけのひとってことだろう。だったら、やっぱりユディトはイーメルなんじゃないか?
「……仮に、イーメルがテリグラン−テリで君の姉として生活していたとしても、君と血の繋がりはないんだ。彼女に拘るのはやめた方がいい」
ソルバーユが言う。
だがルカはそれに頷くことはできなかった。
「血の繋がりよりも、俺がイーメルと会ったことの方が大事だ」
ユディトを姉として慕っていた。
イーメルを……。
ソルバーユが眉間に皺を寄せて、困った顔を作って言った。
「もし、彼女が王に味方すると言ったらどうするつもりだ」
「そんなこと、その時になったら考える」
今から決めることはできない。まだルカの気持ちも揺らいでいた。
「今から考えておくんだ。そうでなくても、現時点で王女と関わるのは歓迎できないのだから」
ソルバーユがルカに言った。
「そうだ。せっかく見張りも居ないのだから、今のうちに話しておこう」
ソルバーユが言った。
先程までの話とは内容が変わるのだろう。
「君が王に剣を向けたことは、私たちの間では有名だ」
「あんたが言いふらしたんだろ」
ルカが言うと、ソルバーユが首を竦めて見せた。
「だが、君がそれに失敗したお陰で、妖精族には刃物が効かないということも皆知っている」
「ああ。妖精族は普通に刃物を扱えるのに、それで妖精族を切ろうとしたら溶けちまう」
「正確には刃物ではなく、金属だ。私たちは金属を変形させる力を持っている。それが剣のように危険な物であれば、私たちの意志とは無関係に形を歪ませ、自分に無害な物にしてしまう」
ルカは机に突っ伏した。
「それ先に教えてくれよ。知ってれば、形見のナイフあんなにならなかったのに」
もう首には掛けていない。普段は家の隅のルカの荷物置き場に置いてある。
歪んだナイフは草をむしる時くらいにしか役に立たなかった。
「まさか知らないとは思わなかったからね」
人族なら知らないかもしれないが、ルカは半妖精族だ。ルカ自身にもその力があったとしても不思議ではないくらいだ。もっとも、ルカが受け継いだ妖精族らしい所と言えば、目と耳くらいのものだ。人族よりも細かな音が聞き分けられ、妖精族の文字をわずかに読むことができる。だが物を吹き飛ばすような特殊能力はないし、金属を溶かすこともできない。不老長寿なのかどうかは、まだ分からないが。
「でも棍棒で殴れば死ぬだろ。毒も効くだろうし」
「妖精族は人族よりも自然治癒力が高いからな、相当思い切り殴らなければ死なないぞ。毒も同じだ。大抵の物は死に至ることなく解毒されてしまう」
医者に言われては信じるしかない。
「でも、前の王妃は毒で死んだことにしたんじゃねえのか?」
「だから、大勢の医者が集められたのだよ。権威のある者がこぞって『毒で死んだ』と言えば、知らない者はそれを信じるしかないからね」
「それじゃ、打つ手無しじゃねえか」
大勢で囲んで殴打すれば死ぬかもしれないが、それではただの弱い者いじめになってしまう。
「君はディガーを知っているか?」
「竜を? 物語でなら聞いたこともあるけど、見たこともないし、見たってひとにも会ったことがない」
「では、ディガー・ソードの伝説は知っているか?」
聞き覚えがあった。ディガー・ソード。一振りで百の妖精族を倒せるという竜の剣だ。確かネルヴァが、竜の洞窟にあると言っていた。だがそれはソルバーユも言った通り『伝説』に過ぎない。それで王を倒せとでも言うのだろうか。
「あんたがそんな眉唾な話を持ちかけてくるとはな」
ソルバーユが笑った。
「確かに嘘のような話だが、その刃が竜の牙でできているということなら、君も一振りで百を信じるか?」
物語の竜は、妖精族の天敵だ。物語りで大抵は正義の妖精族に邪悪な竜が倒される。なぜ天敵なのかというと、竜の持つ血液に、妖精族を死に至らしめる毒があるかららしい。
ルカがどうにも納得できない顔をしていると、ソルバーユが言った。
「それは実際に数百年前、妖精族同士が争った時に使われた。あまりにも危険なので、それを作った賢者がそれを封印した。その場所が竜の洞窟というわけだ」
「あんたが実際にその場面を見たわけじゃないんだろ」
「封印されている場所までの地図を書いてやろう」
ルカの言葉を無視してソルバーユが言う。
いや、ルカへの返事でもあったのだろう。封印されている場所を知っているということは、その剣が作り話ではなく、実在するということだ。
「何で知ってるんだ」
羊皮紙に地図を描いているソルバーユにルカは尋ねた。
「私の祖父から直接聞いたのでね。うん、君の高祖父だ。私も実際に見に行ったから間違いはない。祖父は実際にディガー・ソードを作った賢者の供だったそうだ」
「そんな最近の話なのか? その剣が出来たのは」
いくら妖精族が長命とは言え、子と親との年齢差は平均して百年といったところだろう。ソルバーユの祖父の時代はざっと二、三百年前ということになる。人族からすればそれでも十分昔ではあるが。
「五百年余り昔の話だな。そのくらいでないと、伝説にはならないだろう」
ルカが考えていた倍近くだ。
「あんた、一体何歳なんだ?」
「二百四十歳だ。驚いたかね?」
驚くに決まっている。妖精族が長命というのは知っている。それでも二百歳を越えるのは相当良い生活をしている王族くらいのもので、普通の妖精族は長くて百八十歳くらいまでがせいぜいだろう。
「代々長生きな家系のようだ。君も期待していて良いよ」
いや、そこまで長生きしなくても良いから。
声には出さずに、笑ってごまかす。
ソルバーユが人族を長命にしようとしていた理由が、一瞬分かったような気がした。
「これが竜の洞窟の中の地図だ」
言って、ソルバーユが羊皮紙を渡す。
「中では磁石も使えない。地図はどの道を進めば良いかだけ書いてある。一度でも違った道に入ったら戻れないと思え」
「いや、俺まだ取ってくるって言ってないんだけど」
「行くんだ。私は君以外に任せるつもりはない」
真剣な眼差し。
王を倒せる武器だ。手に入れておいて損はない。伝説に過ぎないと思っていたが、ソルバーユを信じるならば、それは本物だ。
「わかった」
ルカは答えた。
一ヶ月が過ぎ、ルカの半年に渡る刑期は無事に終わった。
何事も無かったかのように馬屋の仕事に戻って、「久しぶりだな」などとサルムと会話をした。
ルカが居ない間にすっかり昔のように汚れてしまった馬屋を見て、ルカが唸る。
後ろで見ていたサルムが笑った。
「戻ってきたときに何の仕事もないのも悪いかと思って」
「ありがとよ」
ルカはさっそく水を汲みに出かけた。
サルムも水桶を持って後を付いて来る。
「珍しいな。手伝ってくれるのか」
隣に来たサルムが言った。
「今日、ネルヴァ様がここに来る。表向きにはパロス総督に馬屋での仕事について助言をするってことになってるが、ルカに計画について話したいそうだ」
それだけ言うと、サルムは水桶をルカに渡して戻っていってしまった。
なるほど。サルムも仲間ってことか。
水桶を二つ持って、ルカは思った。
王を倒す計画はルカが代表になっているが、ほとんどをソルバーユが進めている。自由に出歩くことができなかったルカは、何人の仲間が居て、話がどう進んでいるのかはまだ把握しきれていない状況だった。
午後になってネルヴァが来たという知らせがあった。
午後は馬屋の見回りが仕事だ。パロスの目を盗んで会うには都合が良かった。
「ルカ、久しぶりだな」
あらかじめ決めておいた見回り場所をうろうろしていると、驚くほどどうどうとネルヴァに声を掛けられた。
「お袋さんのことは残念だったな」
会ったら最初に言おうと思っていたことだった。
本当は、話題に出すのも心苦しいくらいだ。だが何も言わないわけにもいかない。
「ああ。そうだな……」
ネルヴァの表情があまりにも悲しげで、同じように親を殺されたにも関わらず、もう怒りしか残っていない自分が惨めに思えた。
「手短に話す。こちらの手勢は現在五百。城に居る妖精族よりも多いが、力の差を考えると人数的にはまだ少ない。だが今の時点で懐を広げすぎるとボロが出る。お前が竜の剣を手に入れた後、実行の時になったら住民を扇動して数を増やす。いや、混乱させるだけでいい。王都の貴族どもが敵の数にならなければ、それだけでも随分楽になるはずだ」
淡々と話すネルヴァを見ていると、自分も冷静になってくる。
「扇動はうまく行くのか?」
「不安材料はばら撒いている。いつでも芽を出させることができる。ただ」
「ただ?」
「反乱に参加しない女性や子ども達はどうする。人族の中には、反乱に参加しないのであれば敵とみなすとまで言う過激派も居る」
ルカは溜息を吐いた。
意見の衝突は覚悟していたが、まさかそんなことまで話さなければならないとは。
「王側に付いて俺達を攻撃してこない限り敵ではない。無駄な殺生はするなと伝えておいてくれ。ただそれだけのことだ。機会があるなら、俺が直接言ってやる。……いや、なるべく早く機会を作ってくれ」
「わかった」
誰を敵とし、誰を味方とするか。それは基本的なことであり、重要なことだ。この反乱の目的は、王を倒してこの国を人族にとってよりよい国にすることだ。間違っても人族を傷つけてはいけない。人族を傷つけるようでは、目的に反することになる。
また、それ以前に、余計な人殺しは避けなければいけない。死者が多いことが大勝利というわけではないのだ。
そんな当たり前のこと。
また心が焦る。自分は今まで名ばかりの代表で、実際は何もできなかった。これからは人々を纏めなければならない。
政権を掴むのにどれだけのひとが死ぬのかは予想も付かないが、王を倒して政権も得られるなら互いの被害は最小限に済むのだ。
ルカは、王を倒せればそれで良かった。
王を倒す為に人々を利用する。代わりに、政権を掴む為に人々はルカを利用すれば良い。
「今度、お前に時間を作る。その時に竜の洞穴へ向かうんだ」
ネルヴァが言った。
「よろしく頼む」
ルカが言うと、ネルヴァはその場から離れた。
仕事が終わって畑に行ってみたが、イーメルも子ども達も居なかった。自分が出られない間、イーメルは子ども達を送る役を誰にも頼まなかったのだろうか。それで、遊ぶのをやめたのだろうか。
もうあの光景を見られないのかと思うと、少し残念に思った。
二週間程経って、ルカはパロスに呼ばれて数日間、別の馬屋で研修をすることになった。
最初はいきなり何だろうと思っていたが、どうやらこれが、ネルヴァが言っていた『時間を作る』為の工作だったらしい。パロスと会ったのはその辞令を受けた時だけで、以降は研修をする別の馬屋で働いているという人族の男がルカを案内した。
男は名前をジージルドと言い、実際にカザートの他の馬屋で働いているとのことだった。
「うちの馬屋に着く頃にはソルバーユ様もいらっしゃってるはずです」
ジージルドが自己紹介の後唐突に言った。
仲間だ。
初めて会ったが、ジージルドはルカをじろじろ見たりといったこともない。ルカは片目を隠しているから、初めて会うと興味深げに見られるのが常だったが、気に留めないとは珍しい。年齢はルカよりも若そうだ。
「こんなこと言っても意味ないかもしれないけど」
足早に歩きながらジージルドが言った。
「俺はあんたと同じで、故郷をカザート軍に滅ぼされたんだ。仲間の中には、単に今の仕事が嫌だからってだけで反乱軍に加わるのも居る。でも俺は違うってことだけ、覚えておいてくれ」
「本当に意味がないな」
ルカが言うと、ジージルドは少し拍子抜けした顔をした。ジージルドにとって話で聞いただけではあるが、ルカがリーダーだ。自分のことを売り込んで損は無いはずだった。
「これは王を倒して妖精族の支配を止めさせることが目的の戦いだ。俺やお前が偉くなる為じゃない」
「そっか。そうだよな」
本当に分かったのだろうか。人の心の中までは分からないから、言葉を信じるしかなかった。
半日ほど歩いて、ジージルドが普段働いている馬屋に着いた。
「こいつはメリロード。カラドス地方にある馬屋で働いてる」
ソルバーユに会う前に、別の人族の男を紹介された。
カラドス地方はカザートの南方の地域だ。黒髪に黒目で日に焼けた肌、体格もルカと似ていた。
「ルカさんの代わりにここで働くことになった、メリロードです。よろしく」
握手を交わす。
「この服を着て、外に出てください。右隣の建物でソルバーユ様がお待ちです」
メリロードに渡された服は白い服、つまり平民の外出着だった。雨の日に使う頭巾も付いている。
ジージルドとルカの物に似せた眼帯を着けたメリロードは、二人で出て行った。
ルカはメリロードに渡された服に着替えると、建物から出た。言われた通り右側の建物に入る。これで待っているのがソルバーユでなかったら大事だが、ちゃんとソルバーユが居た。
「ちゃんと頭巾を被れ。人族だと分かると面倒だ」
「ああ、わかったよ。妖精族に扮した方がいいか?」
「仲間に見られると面倒だ。それはやめておけ」
なるほど、と思って眼帯をずらすのはやめた。
仲間には、ルカは人族だと思わせておいた方が良い。ソルバーユは、ルカが人族か妖精族かを一言も言わずに仲間を集めていたらしい。もし聞かれたら真実を教えるしかないが、今の所聞かれたこともないそうだ。妖精族を倒したがるのは人族だと、誰もが思っているのだろう。
二人は馬に乗って出発した。
「ソルバーユ、あんたも一緒に来てくれるのか?」
「だったら君に地図を渡したりしないさ」
その通りだ、と思う。
「私が一緒に行けるのは都を出るまでだ。次の仕事が押しててね。すぐに戻らなければならない」
「そうか。残念だ」
「こっちだ」
都の真ん中を、人通りの少ない道を選んで馬に乗ったまま駆ける。
「見付かったらどうすんだ?」
「私は急患が出て急いでいる。君は私の助手だからね」
「なるほど」
言った直後に、ルカ達は警備兵に呼び止められた。いや、警備兵ではない。イーメルの護衛官オーヴィアだ。
ってことは……。
その後ろからイーメルが侍女を数人連れて現れた。
ソルバーユに目をやると、さすがのソルバーユもオーヴィアと顔を合わせ、気まずそうな表情をしていた。
「往来の真ん中を馬で疾走とは、いかがされた」
「すまないな。急患が出て急いでいたのでね」
頭巾を取ってソルバーユが言う。
「これは、ソルバーユ殿でしたか。引き止めてすまなかった」
あっさり抜けられそうだ、と思った時、イーメルが口を挟んだ。
「その後ろの者は? そなたの助手のトキメ殿ではないようだが」
イーメルが言った。
そりゃトキメさんと比べたら俺背高いしな。ていうか性別違うだろ。
「彼はあたらしい助手です。トキメにばかり苦労を掛けておりましたので」
「そなたはそんな優しい男ではなかろう」
イーメルがルカを見て、口の端を上げた。
ばれてるのか?
頭巾を被っているから、ルカだと分かったとは思えない。だが口元は見えているのだから、分かってしまう可能性もある。
「オーヴィア、そなたすまぬが先に城に戻って『予定より遅くなる』と伝えてはくれぬか」
「はっ」
オーヴィアは理由も聞かず、イーメルの指示にしたがって踵を返した。
イーメルが後ろについている侍女達を振り返る。
「そなた達はわらわの代わりに、頼んでいたものを買って、城に戻ってくれ。わらわはソルバーユ殿に尋ねたいことがあったのじゃ」
オーヴィアと違い、侍女たちはお互いに顔を見合わせていた。王女をひとりにしたくないのだろう。
「私がお供いたします」
青い髪の侍女が言う。
イーメルは首を横に振った。
「すまぬが、個人的なことじゃ。あまり聞かれたくない」
困った顔をしていたが、ついに侍女も頭を下げ、ルカ達から離れて先へ行った。
ばれてる。絶対ばれてるって。
何とかならないかとソルバーユを見るが、ソルバーユはいつも通り難しそうな顔をしているだけだった。
「どこへ行くのじゃ」
イーメルがルカの方を向いて言う。
「患者の所です」
ソルバーユが答える。
「そなたには聞いておらぬ」
言われて、ソルバーユは諦めたように溜息を吐いた。
「ここでは人目があります。誰がどこで聞いているかも分からない。患者の情報は他人には知られたくありません」
言って、イーメルの腕を引っ張って自分の後ろに乗せた。
「えっ?」
一応馬の背に跨ったイーメルだったが、急なことに驚いているようだった。
「こっちだ」
ソルバーユがイーメルを乗せたまま、馬を走らせる。
ルカもそれに続いた。
少し走ると町の中ではなく、砂漠へ出た。
「中を行った方が早いんだがな。仕方ない」
馬の歩みをすこし緩めて、砂漠を進み始める。ルカも並んだ。
「なんだ。そっちがよかったか?」
ソルバーユが後ろをちらっと見て、それからルカに言う。
イーメルは手綱を持つわけにも行かないからソルバーユにしがみ付いていたが、ソルバーユの言葉に手を緩めた。
「いや、別に」
ルカが言う。
「うるさい」
イーメルが言った。それから、丸めていた背を伸ばして、隣を馬で歩くルカを見た。
「それで、どこへ行こうとしていたのじゃ。言わぬのであれば、そなたらを王女誘拐で訴えるぞ」
「ああもう。ソルバーユ、言っていいか? 面倒だ」
何も言わなければ、いつまで経ってもイーメルの追跡を逃れられない。嘘でもいいから適当な行き先を言えばそれで良いのだ。
ソルバーユが頷いたのを見て、ルカは言った。
「カラドスに行くんだ」
竜の洞窟とは全く関係のない地名だ。出発直前に聞いたので頭に残っていた。
「カラドス? 南か。こっちは北だが」
「追っ手をまく為です」
ソルバーユがしれっとした顔で言っている。
「追っ手?」
「あなたの部下達ですよ。ああしなければ、付いて来ていたでしょう」
「ああ、そうか」
納得してくれたようだ。
「……それを信じろと?」
全然納得していなかった。
「侍女達は徒歩じゃ。どっちへ行っても馬なのだから追いつきはしない。言う気がないのなら仕方ない」
イーメルが言う。
「わらわも一緒に行く」
ソルバーユはその場でイーメルを馬から下ろした。
「無茶を言わないでください。カラドスは相当遠くですよ。一日二日で戻ってこられる距離ではありません」
「それでも行く」
「いい加減にしてください。私たちの邪魔をして、あなたに何の得があるのです?」
「わらわを連れて行かねば、そなたらを王女誘拐の罪で訴える。わらわを連れて行かねば、そなたらが大いに損をすると思うが?」
何を言っても無駄だ。それだけは分かった。
ルカはソルバーユに言った。
「もう良いよ。連れて行こう」
ソルバーユが馬から下りた。
「ではこの馬をお使いください」
イーメルに手綱を渡す。
イーメルは馬に乗ると、ソルバーユに軽く頭を下げた。
「感謝する」
ソルバーユに見送られて、ルカとイーメルは砂漠を走り出した。
「なんで俺だと分かったんだ」
イーメルに聞く。
「すぐに分かった。体格とか……動作とか?」
最後が疑問系だ。
イーメルにもはっきりとした確証は無かったのかもしれない。
「なあお姫さん、一緒に来てもらうけど、これから起こることや見ること、誰にも言うなよ」
「わかった」
イーメルが短く答えた。
三日かかって、ルカ達は竜の洞窟がある山に辿り着いた。北へ随分来たから、砂漠地帯も抜けた。テリグラン−テリに近いのかと言われるとそうでもない。テリグラン−テリは山脈の中だから、まだかなり遠いのだ。
竜の洞窟は鍾乳洞だそうだ。今や観光名所となっている為、付近には小規模な集落が出来ていた。とは言え、この冬の寒い季節にわざわざ北方のこの辺りに来る観光客は居ないようで、誰ともすれ違っていない。
「ここは……ダイゴラス・トーチスか」
イーメルが言う。
「ああ」
ソルバーユと別れてから、イーメルは一度も『どこへ行くのか』とルカに聞いていない。
今更隠しても仕様がないので、ルカは素直に答えた。
「では、そなたはディガー・ソードを探しておるのだな」
「そうだ」
以前ソルバーユに言われたことが頭を過ぎる。イーメルが王に付くと言ったらどうするのだ、と。
まだわからなかった。考えたくなかった。
「ディガー・ソード、竜の剣か……。確か、竜の牙だか鱗だかで出来ているとかいう。普通の剣では歯が立たぬから、それを手に入れようというのだな」
「そうだ」
イーメルは反対するだろうか。もしはっきりと反対されたら、ルカはイーメルを敵とみなすしかなくなってしまう。
反対される前に、イーメルを追い返してしまおう。
思って、ルカはイーメルを振り返った。
「お姫さ――」
「わらわも行くぞ」
ルカの言葉は言い出しで遮られた。
イーメルが笑う。
「竜の剣、妖精族は触れるだけで死ぬという。危険な物であるが故に、それを造った賢者はこの鍾乳洞の奥にそれを隠し、その前に『真実を試す鏡』を置いて侵入者を阻むと聞く。面白いではないか。そなたがかの剣を手にすることができるかどうか」
『真実を試す鏡』? そんな話は聞いていない。
ソルバーユが、道を間違えると戻れないと言っていたが、それと何か関係があるのだろうか。
「なんだ、その鏡って」
「なんじゃ、知らぬのか。それも含めて観光名所だというのに」
「いや、今そんな観光とかほのぼのした話してるわけじゃないから」
「見れば分かる」
イーメルが言って、ルカの腕を引き、洞窟に入った。
「見るがよい」
洞窟の中に入ったというのに、外に居るのと変わらず明るい。
ルカは辺りを見渡して、言葉を失った。
壁一面に、ルカ達の姿が映っている。それはお互いに反射し合って、幾重にも重なって見えた。
「鏡?」
明るいのは、外の光を反射している部分がどこかにあるからなのだろう。
「の、ような物じゃ。岩壁の表面を流れる水分に、こういう効果があるらしい。毒らしいからな。妖精族なら長いこと居ても良いが、人族なら半日も持たぬであろう」
イーメルの話を聞きながら、ルカは天井を見上げた。鏡は天井までアーチ状に埋め尽くしていた。
地面を見ると、所々に反射する水が流れて糸のような水路を作ってはいるが、基本的には普通の土のようだった。
ルカはソルバーユに描いてもらった地図を広げた。自分の先に繋がる道と地図を見比べようとするが、自分達の姿を映す鏡が見えるだけで何も分からなかった。
そういう場合は片手を壁に付けて歩けば良いのだろうが、先程イーメルから毒だと言われたばかりだ。触ることはできない。
地面は分かるから、それを頼りに進むことにした。
「お姫さん、ついて来てくれ」
ルカは歩き出した。
地図を頼りに、足元を見ながら進む。壁を見ると惑わされそうだった。現に、何度かイーメルとはぐれ掛けたのだ。声を出せばなんとなく位置が分かって合流することができたが、狭い通路では反響も凄い。いつもうまくいくとは思えなかった。
何度目かの角を曲がった後だ。
「ルカ、どこじゃ?」
イーメルの声が聞こえてきた。
またはぐれたのか。
思って、後ろを振り返る。先程まで鏡に映っていたはずのイーメルの姿が、どこにも映っていなかった。
「お姫さん、こっちだ」
鏡の隅にイーメルが映る。
ホッとしたのも束の間、イーメルの姿は鏡から消えた。
「お姫さん?」
「ルカ」
イーメルの声が先程より遠くから聞こえる。
何やってんだ。
ルカは道を戻った。だがイーメルの姿は見当たらない。
別の道に行ったのか?
地図を見る。だがソルバーユの地図は、通るべき道しか示されておらず、他の道については分岐点が分かるだけでその先までは分からなかった。
「お姫さん、もしどうしても道が分からなくなったら、壁に手を付いてずっと歩くんだ。それで駄目なら逆の手で同じことをやれ。いいな!」
「わかっておる」
ルカが迷っても同じことはできない。
ルカは元の道へ戻って先に進むことにした。
「ルカ」
「なんだ」
随分遠い。
「今水を止める」
そう聞こえた気がした。
水を止めるというのが何のことか分からず、ルカは黙っていた。
暫くすると、鏡のようになっていた壁面が次第に普通の岩肌を見せ始めた。暗くなり始めて、ルカは急いで持ってきたランプに火を灯した。
「さっきの道まで戻ってくれぬか。わらわも一緒に行く」
「わかった。今行く」
イーメルが一緒に行くと言っているのだ。ここまで付いて来たくらいなのだから、この先も駄目だと行っても来るだろう。迷われたら大変だ。
地図を確認しながら、先程イーメルとはぐれた場所まで戻った。
「どうじゃ。わらわを連れてきて良かったであろ?」
イーメルがルカを見て言った。
とりあえず無事だったのでほっとする。
「無事でよかったよ。鏡って止められるんだ?」
すっかり普通の岩肌になった壁を見ながら、ルカがイーメルに言った。
「でなければ、危険すぎて観光名所にならぬであろ? 最初はそのような仕掛けは無かったのだが、竜の剣を探す輩が後を絶たぬのでな、五十年程前に取り付けたそうじゃ」
ああ知ってたのか。だったら先に言ってくれ。
自分の調べ方が足りなかったのだとは思うが、イーメルをかなり心配してしまった分、頭が痛くなった。
「行こう」
気持ちを切り替えて、ルカはまた歩き出した。
壁が鏡面でなければ、歩く速度にだけ気をつけていればはぐれる可能性は低い。
「つうか、なんであれが『真実を試す鏡』なんだ? 鏡には違いないけど」
「さあな。わらわも聞いただけで、実際に見るのは初めてだったし」
見るのが初めてということは、ここに来るのも初めてということだろうか。それで聞いたことを頼りに水を止めに行くとは、危険だと思わなかったのだろうか。
まあ俺も似たようなもんか。
竜の剣のことをほとんど知らずに、ソルバーユから聞いた話だけを頼りに取りに行こうとしているのだから。
「こっちだ」
地図が描かれている一番端に着いた。
が、その先には何もなかった。地面も。
「うわああぁああ」
「ルカ!」
イーメルが自分に向かって手を伸ばしているのが見えた。既に落ちているルカに手が届く訳が無い。
大きな音がして、イーメルは目を閉じた。
ルカが穴の底に落ちたのだ。時間としてはルカが落ちてから一瞬だったが、音は遠くから聞こえて来た。
「ルカ、大丈夫か?」
声を掛けるが、返事がない。
イーメルは穴の淵に手を掛けて、降り始めた。
だが、少し降りた所で手を掛けていた部分が欠け、イーメルも下へ落ちていった。
ルカは一瞬気を失っていたようであった。
気付いてすぐに辺りを見渡すが、暗闇が広がるばかりだった。手に持っていたランプは落ちた時に割れてしまったようだ。油の臭いがした。
「お姫さん」
上を見上げて声を掛ける。
返事は無かった。
それほど高いところから落ちたとは思えなかった。背中は痛いがそれだけで、怪我はしていない。
ソルバーユが描いた地図はここが終点だった。であれば、竜の剣はここのどこかにあるはずだった。
鏡の水を止めなければここも明るかったのかもしれないが、それをとやかく考えていても仕方ない。
地面にランプが割れたガラスの破片が散らばっているのが僅かに見えた。
ルカは両手で壁を確かめながら立ち上がり、壁に沿って歩き出した。
――よくここまで来たな、半妖精族の若者よ。
唐突に声が聞こえて来た。
何だ? どこから聞こえてる?
周りを見ても闇が広がるばかりだ。それに、声はどこかから聞こえたというより、直接ルカの中に聞こえて来た、と表現した方がしっくりくるような声だった。
――我が名はクレイシステレス。若者よ、汝の名は?
危険か? それとも助けか?
判断が付かなかった。姿は見えないし、声も直接心に響いているようで不気味だ。
名前くらいは言っても害もないだろう。相手は俺が半妖精族だってことも知ってるみたいだしな。
ルカは思って言った。
「俺はルカだ」
――ではルカ、汝に問おう。汝は竜の剣を求める者か。
どう答える? ただの観光客だと言った方がいいのか? でもこいつは、俺の正体を既に知っている。誤魔化しても意味がないか。
「そうだ」
――ルカよ、汝はこれから起こる試練に打ち勝たねばならぬ。
何を言ってるんだ?
ルカを試すというのだろうか。どうやって?
「は? どういう意味だよ、おっさん」
――『おっさん』ではない。クレイシステレスじゃ。
怒った声で言われて、ルカは驚いた。
今までの厳格な雰囲気はなんだったんだ。『おっさん』呼ばわりされて怒るなんて、まるで普通のひとじゃねえか。
「試練って何だ」
――そなたが竜の剣を持つにふさわしいものか、試させてもらう。
「そういうのは試練じゃなくて試験って言うんだ」
――……。
クレイシステレスが黙ってしまった。
と、突然周りが明るく開けた。
「うわっ」
足元に何もなく、宙に浮いた状態になったルカは焦って足掻いた。
だがその場でぐるぐる回っただけで、動くことはなかった。確かに宙に浮いているが、上にも下にも、右にも左にも行くことはできなかった。その場に留まっていて落ちることもない。
ルカは足元に広がる草原に目をやった。
カザートとも、テリグラン−テリとも異なる、どこまでも続く緑の草原。
左右から軍隊が迫ってきて、ルカの真下で二つの軍隊はぶつかった。
人族も居るが、戦っているのは主に妖精族のようだった。
緑色の髪のエルフの男が、剣を持って前に出た。
剣を横に払うと、それに触れた相手方の妖精族が掻き消えた。
なんだ? あれが、竜の剣?
一振りで百の妖精族を倒す。今見ているのが真実の歴史だとすれば、それも真実なのかもしれない。
相手の軍勢は次第に数を減らしていった。
足元には両方の軍勢の死体がどちらとも付かず転がっている。そんな中で、竜の剣を持ったエルフが果敢に相手に切りかかっていた。
相手は何もせぬうちに竜の剣に触れて消えていく。
何で、泣いてるんだ。
敵を討って意気揚々としているのであれば分かりやすい。だが男は涙を流していた。
ルカの目からも涙が流れる。
なんで、こんなに人が死んでるのに、まだ戦いを止めないんだ。
ルカの思いと、男の思いが同じかどうかは分からない。だが、二人とも涙を流していた。
『もうやめよう』
大方の敵が居なくなって、男が言った。
敵の中に居た一人のエルフが前に歩み出た。彼が敵の将であることはなんとなく分かる。
『私を切ってください』
竜の剣を持つ男と同じ、緑の髪。
兄弟?
別の軍に属しているのだから、兄弟ではないかもしれない。けれど、近い親族なのだろう。
竜の剣を持った男は、踵を返して戦闘を行っている丘から降りていった。
『クレイス!』
敵の将が叫ぶ。
呼び止められたのは、ルカだった。
自分の手の中に、先程まで男が持っていた竜の剣がある。
ルカは丘の下から、敵の将を見上げていた。
俺はクレイスじゃねえ。
言おうと思ったが、声が出なかった。
「くそっ」
ルカが思ったこととは無関係に、ルカの口から声が出て、足が勝手に丘の麓に広がる森へ向かって動きだす。
逃げるのか? あの男を生かしていても、他の誰かに殺されちまう。
ルカは立ち止まった。自分の意思で立ち止まったのか、それともクレイスがここで実際に立ち止まったのか、分からない。
敵の将が馬に乗ったまま丘を駆け下りてきた。
竜の剣は使うな。あいつを殺したら駄目だ。
よく分からないが、敵の将とクレイスは親しい間柄なのだろう。それで、クレイスは殺さずに逃げようとしていた。
敵の将が槍を持って迫ってくる。
突然、ルカは自分の意思で動けるようになった。
「やばい」
馬の突進を避ける。
「クレイス! なぜ逃げるんです。あなたを戦場に呼んだのは私です。私を殺して、自由になりなさい」
意味はよくわからない。ただ、この男を殺したくなかった。
よく見ると、片目は潰れていた。それはかなり古い傷のようで、妖精族でそこまでの傷を負っているのは珍しいだろうと思えた。
「俺はお前を殺さない!」
ルカは言った。
男が自分に向かって突き出した槍を避け、その槍の柄を掴んで男を馬から落とす。
「その飾りだけくれよ」
馬から落ちて混乱している男の兜についた飾りだけを、持っていた別の短刀で切り取ると、ルカはそれを馬に乗せ、馬の尻を叩いて、馬を戦場の中心へむかって走らせた。
「殺せと言ったはずです」
「いや、殺さない。俺はあんたに生きてて欲しいんだ」
ルカは男の手を取った。
ソルバーユに似てる。目付きが悪いところなんてそっくりだ。
不意に、またルカの意思とは無関係に走り出す。
気付くと、最初のように空から見下ろしていた。ただ、男が持っていたはずの竜の剣だけ、ルカの手の中に残っていた。
急降下するような感覚があって、ルカは下の暗い洞窟の中に戻っていた。
手の中の竜の剣が、どこからか射してきた光を反射して輝く。
――よく試練に打ち勝った。出口へ案内しよう。
クレイシステレスと名乗った声が言う。
「なるほど。あんたが、竜の剣を作ったクレイスってことか」
おそらくは愛称か何かなのだろうと、ルカは思った。
――我はその者達に作られた鏡。
声が言った。
鏡。
映していたのは、竜の剣を作った者の真実だったのかもしれない。
光が射す方へ、ルカは歩いていった。
穴の中に落ちたイーメルは、暫くしてから気付いた。
薄暗いが、イーメルの眼には近くの様子なら見えていた。
「ルカ?」
呼んでみるが、返事がない。
近くに居る様子もない。
イーメルが気を失っている間に、どこかへ行ってしまったのだろうか。
――我が名はクレイシステレス。汝の名は。
声が直接聞こえて来て、イーメルは立ち止まった。
「わらわらはカザート王女イーメル」
クレイシステレスとは、竜の剣を作った賢者の名前と同じだ。
幻聴か?
思ったが、どうやらそうではないようだ。声がまた言った。
――それは汝の真実の名ではない。名を答えよ。
「何を言うか。わらわはイーメルじゃ。それ以外の名などない」
イーメルは声から逃げるように、駆け出した。
どこかにルカが居るはずだ。
こんな所でひとりにしないでくれ。
――汝の名は?
声はイーメルを追ってきた。
「しつこい! 全て破壊するぞ!」
手を壁に向かって伸ばして、力を伝える。
壁の一部が崩れた。
――……。
何度も名を問いかけてきた声が黙った。心なしか、溜息が聞こえたような気がする。
――汝の真実の名は、汝の失われた記憶にある。
記憶? 母上が亡くなった時からの記憶のことか。わらわが何も思い出せない。その間わらわはずっとカザートに居たのではないのか?
「ユディト……? ルカが、言っていた」
姉を探していると。その姉の名がユディトだと。そしてイーメルは自分の姉ではないかと。
――ではユディト。汝は竜の剣を求めるものか。
クレイシステレスの質問がようやく変わった。
「違う」
自分はユディトなのだろうか?
クレイシステレスは真実を知っているような気がする。イーメルが忘れてしまったことも。
――ならばよかろう。我が試練に打ち勝てば、出口へ案内しよう。
「余計なお世話じゃ」
言った途端、周りの風景が変わった。
粗末な木造の家の中だった。
「姉ちゃん、俺のおもちゃどこやった?」
黒い髪の小さな男の子が、イーメルに話しかけてきた。妖精族の姿をしているが、なんとなく妖精族でないと感じる。
そなたなぞ知らぬ。
言おうとしたが、声が出なかった。
「ルカが遊んでばかりだから、子犬さんも疲れたって。ルカが母さんのお手伝いして晩御飯が終わったら、またルカと遊びに出て来るわよ」
自分の意思とは無関係に言葉が出る。
子犬さん、と自分が言った物のことは分かる。この男の子の父親が作ったブリキのおもちゃだ。母親の手伝いをせずに遊んでばかりだから、男の子のお気に入りのおもちゃを自分が部屋の隅の物の陰に隠した。
なぜそんなことを知っておる。
何も覚えていない。でも分かる。ここがどこで、家の中の住人が誰なのか。
「ユディト、ルカ」
「ほら、母さんが呼んでる。今日はルカの好きなシチューなのよ。お手伝いしなかったら、ルカの分は人参だけになっちゃうかも」
「じゃあ、手伝う」
しぶしぶとルカが歩き出した。
イーメルもその後を追った。
台所では、母親が野菜を切っていた。ルカに玉葱を渡して、皮を剥くように言っている。イーメルもルカの側で皮剥きをした。玉葱を剥くのに刃物を使うわけでもないし、危険はないだろうが念のためだ。
皮が剥けた玉葱を母親に渡すと、母親はルカの頭を撫でて言った。
「ちゃんとお手伝いしてくれたわね。偉い偉い。またお手伝いしてね」
「うん」
笑顔で頷く、ルカ。
「ユディトはもうちょっと手伝ってね」
ルカの母親は緑色の髪に、青い瞳の、綺麗な妖精族女性だ。
父親は、今はまだ仕事場から帰って来ていないが、黒髪黒眼の人族男性だった。イーメルはこの二人にとても感謝していた。
何も覚えていない。なぜ感謝していたのかも分からない。
ある日イーメルは、母親から銀色の指輪を渡された。結婚前に夫に貰ったものだという。そんな大事なものを良いのかと聞いたら、
「あなたはわたしの娘だから」
と言って微笑んだ。
平和に時が過ぎていく。
駄目じゃ。このままでは、あの日に……。
今のイーメルは知っている。このままの速度で時が進めば、すぐにあの日が来る。
テリグラン−テリが父に滅ぼされた日が。
逃げろ。
しかしイーメルの口は開かない。単に記憶をなぞっているだけなのだろうか。イーメルには何もできないのだろうか。
辺り一面が炎に包まれて、やっとイーメルは自分の意思で動けるようになった。
「ルカ」
小さな弟の名を呼ぶ。
実際にイーメルはルカを連れてこの炎から逃れたのだ。今も同じことができるはずだった。
ルカの泣き声が聞こえて、そちらへ向かう。
ルカを抱きとめても泣き止まない。ルカの見ている炎の向こうに、母親が居た。
「母さん!」
あの日は気付かなかった。ルカを助けるので精一杯だった。
ルカを連れて一旦家から外に出る。
「ルカ、あっちへ向かって走るのじゃ」
あの日、燃える町を二人で見下ろした崖を指差す。
「姉ちゃんは」
「わらわは、母さんを助けるから」
「ねえ、なんでそんな偉い人みたいな喋り方なの?」
「わらわは、本当は……」
涙が出てきた。
わらわがこの町に居たせいで、この町は滅ぼされた。
ルカの背を押して走らせる。
自分は家に戻った。
なんで。なんで? こんなことをして王になって、何の意味がある?
炎の中の母親の影へ向かって、イーメルは手を伸ばした。
「今、助けるから」
「駄目よ、あなたは逃げて」
「でも」
優しいひとだった。
母を殺した父に、イーメルは追放された。真実は、イーメルに死んで欲しかったのだろう。森の中に置き去りにされた。諦めかけていたところをこの夫婦に拾ってもらって、娘として世話をしてくれた。
「貴女が死んで、わらわが残っても仕方ないのじゃ」
この先に起こることを、イーメルは知っている。
あの日、結局イーメルは、ルカを残して父の元に戻ることを選んだ。これ以上の破壊をさせない為に。けれど、父はイーメルを取り戻したかったのではない。単なる口実に過ぎなかったのだから、何も変わらなかった。
小さなルカには母親が必要だ。
親を失うなんて、こんな酷い、悲しい思いをさせるのはもう嫌だ。
これが夢であるならば、せめて夢の中でだけでも。
「姉ちゃん」
後ろからルカの声がした。
「ルカ! 危ないから、来るな」
「ユディト、貴女はルカを守って。お願い」
炎の塊が、母親の上に落ちた。
なんで? 彼らは何も悪くないのに。悪いのは全てわらわの父なのに。
「姉ちゃん、危ないよ」
ルカに子どもとは思えない力で引っ張られて、イーメルは燃える建物から外に出た。
涙が止まらない。
「離せ! まだ間に合うかもしれない」
ルカを振り切って前へ出たが、足がもつれてその場に転ぶ。
家族が暮らしていた家が、音を立てて崩れた。イーメルの大事な二人を飲み込んだまま。
炎は崩れ落ちる周りの建物から溢れるように広がっていた。
このままここに居たら危険だということは分かる。
「ルカ、逃げろ」
もう一度、ルカの背を押した。
「姉ちゃんも一緒に」
「嫌じゃ。わらわはここに残る」
助けられないのなら。
現実になど戻りたくない。戻っても、ルカに恨まれるだけじゃ。このまま、ここで二人の後を追おう。
目を閉じ、死を覚悟する。
火の粉が飛び、イーメルの服に火が燃え移った。
「しっかりしろ、お姫さん」
ルカの声、だがそれは幼いルカではなく、今のルカだった。
イーメルは目を開けた。
「よかった」
ルカがほっとした表情でイーメルを見下ろしていた。
ルカに支えられて、イーメルは立ち上がった。
服の裾が焼け焦げている。
「幻覚ではなかったのか」
「よく分かんねえけど、急に燃え出して。まあ、無事ならいいや」
ルカが笑顔で言っている。
あの小さなルカが、立派になったものじゃ。
イーメルの助けがなければ生き残ることができない程小さかった男の子が、今はイーメルを助けられるくらいまで成長した。
戻ってきて良かったのだろうか、と思う。ルカもイーメルのせいで町が滅んだという真実を知れば、イーメルを嫌うだろう。今はまだ、姉かもしれないと思っているのだろうから。
洞窟の中には違いないが、四方の壁には鏡のようになる水が流れており、どこからか入ってくる光を反射して明るかった。
「お姫さん、俺、竜の剣を手に入れたよ。試練とかあったけど、なんか良く分からないうちに終わったみたいだし」
ルカはイーメルに一振りの剣を見せた。白い刃にイーメルの顔が映る。
「そうか。よかったな」
イーメルが笑顔を作って言った。
その後、イーメルが竜の剣を指差した。
「ルカ、その剣の力を試してみたいとは思わぬか?」
「ん? まあな。でもだからって妖精族を切ってみるってわけにもいかないだろ」
イーメルが真っ直ぐにルカを見た。
なんだ?
イーメルの瞳は青く澄んでいて綺麗だ。だが嫌な感じがした。
イーメルが言った。
「わらわで試すが良い。そなたの町が滅ぶに至った原因は、わらわなのだから」
嫌だ、とすぐに返すことができなかった。
王に味方されると面倒だ。
イーメルがテリグラン−テリに居たから、攻め込まれる機会を作った。
イーメルも王と同じ、復讐すべき相手なのかもしれない。
「町の皆の無念、よう分かっておる。わらわは死んでも構わぬ。そなたに切られるのであれば構わぬ」
そうだ。町のみんなは、イーメルの父親であるイレイヤ公に殺された。原因を作ったのは、勝手に町に入り込んでいたイーメルだ。みんなわけも分からず殺されて、無念だったろう。
竜の剣を持つ手に、力を込める。
でも。
イーメルも何も知らなかったのだ。彼女を殺せば、町の人の無念は晴れるかもしれない。だがそれでは。
俺が納得できない。
イーメルがルカの姉でなくても、家族として暮らしていたユディトでさえなかったとしても。
分からない。
胸がむかむかした。殺せば、この嫌な息苦しさからも逃れられる。それ以降は迷う必要がなくなるから。
そうか。迷ってるのか、俺は。
ルカには、死んだ両親や町の人々の仇を討つという大義がある。
だが大義は名分に過ぎない。それは大分前から分かっていた。いくら酷い目にあったと言っても、まだ六歳だったルカが仇討ちなどと大層なことを思いつくわけがない。
元々は、自分に酷い悲しみを負わせたイレイヤ公に、個人的に復讐したかっただけだ。町の人々の無念だとか思いだとか、そんなのは後でとって付けた屁理屈だ。
それなのにいつの間にか、後付けだった大義にルカ自身が振り回されている。
なんだ。分かってるじゃねえか。
そもそも町の人々に言われて仇討ちをしようとしていたのではない。ルカ自身の意思で、復讐しようとしていたのだ。今更、町の人々の為にイーメルを切る必要が、どこにあるというのだろう。
「わらわを切れ! わらわは、全てを思い出してなおのうのうと生きられるほど、強くはない」
イーメルが言う。放って置くと泣き出しそうだった。
ルカは竜の剣を地面に抛った。
イーメルが地面に転がった竜の剣を見て、それからルカに視線を戻した。その表情は不安でいっぱいだった。
本当に死にたいわけじゃないよな、イーメル。
ルカは口を開いた。
「お姫さん自身や、死んだ町の人達がどう思ってるかは知らない。けど、俺はイーメルに近くに居て欲しいんだ」
ルカ自身としては、精一杯の告白。
それがイーメルに伝わったかどうかは分からなかったが、イーメルは困ったような顔で微笑んだ。
「ありがとう。嬉しい」
困ったような顔は一瞬で、次の瞬間本当の笑顔になった。
この笑顔を見る為になら、ルカは何でもする。
ルカの一番大事なことが、王に復讐することから、イーメルを守ることに変わった瞬間だった。
イーメルがしっかりした目でルカを見る。
「では、わらわはそなたと命を共にしよう。そなたが父を倒すというのであれば協力をしよう。そなたがわらわを殺すと言うのであれば、わらわはそれを受け入れよう」
告白の返事ではないが、イーメルが生きているのであれば、今はそれで十分だった。
「ああ。でも俺はお姫さんを殺したりしないから。絶対に」
地面に置いていた竜の剣を拾い上げる。
できることなら、王以外にこの剣は使いたくない。だが、今進行中の計画はルカだけでなく、多くの人々を巻き込む物だ。これを他の妖精族に対して使うこともあるだろう。しかしイーメルが協力してくれるのであれば、敵対する妖精族の数を元から減らすことができるかもしれない。
「帰ろうか」
ルカは言って、イーメルがついて来ているのを確認すると、光が射す方向へ歩き出した。
王都カザートに到着してから、イーメルは城へ、ルカはジージルドが働いている馬屋へ向かった。
イーメルの方は数日居なかった言い訳を考えるのに大変かもしれないが、ルカの方は何事もなかったかのように、いつもの日常へ戻ることができた。




