4 恐れ
最初に火の手が上がってから、もう三日も経っていた。だが依然として炎は燃え続けている。少年の持つ全てを焼き尽くそうとするかのように。
「姉ちゃん、あれは何?」
少年は、炎の向こうから来る影を指さした。
「あれはイレイヤ公の軍隊よ。ああやって、焼け跡に残った金属や陶器を探しているのよ」
姉は少年の手を取って言った。
「行きましょう。彼らに見つかると大変なことになるわ。ルカ、わたしからの最後のお願いよ。あなたはまだ幼いけれど、大きくなったら必ずわたしを――いいえ、それは別にいいわ。わたしたちの町の人々の敵を討ってね」
なぜ姉が最後のお願いだと言ったのか、少年にはわからなかった。
それがわかったのは、翌日姉が居なくなってからだった。
***
翌日、カザートの住民全員にひとつの知らせが届けられた。
ヴォルテス王の結婚式が今度の日曜日に開かれるという知らせだ。王はまだイレイヤ公だった二十五年前に妻を亡くしており、王妃の座はずっと空席だった。その王がやっと結婚するということで、妖精族だけでなく人族まで巻き込んで盛大な式を挙げることになったのだ。
「そんなに嬉しいもんか? 他人の結婚式だぞ」
先程ジャンが家に来て、セイロンと色々話していた。それから保存肉を少し持って行った。結婚を祝う宴を人族でも開き、それで使いたいのだそうだ。
その後で今度は役人が来て、少しばかりのお金を持っていかれた。これもまた、結婚を祝う為なのだそうだ。
「自分の国の王様の結婚式だからね。僕でもちょっとは嬉しいと思うもん。ルカは……町を滅ぼされたんだから、お祝いしたくないんだろうけど」
セイロンが言う。
「でも、そんなに王妃って必要か? 子どもが居ないんならまだ分かるけど、イーメルが居るじゃないか」
ルカの問いに、セイロンはさあ、と首を竦めて見せた。
「憶測に過ぎないけど、王は存命中にイーメル姫に王座を継がせるつもりは無いんじゃないかな。カザートでは昔から家を継ぐのは男子と決まってるし、新しいお妃様との間に子どもが生まれてそれが男子なら、その子が第一継承者ってことになる。その子が大きくなるまでは、王はずっと王でいられるからね」
「大きくなるまでって、二十年かそこらで大人になるだろ。俺達からすれば二十年って相当長いけど、妖精族にしてみれば一瞬じゃねえか?」
妖精族は不老長寿だが、その成長速度が人族に比べてゆっくりしているというわけではない。二十歳くらいまでは人族と同様に成長していき、以降妖精族は老化しないのだ。寿命は百五十年から百八十年と言われ、王族になると二百年を超える者も居るという。
「ヴォルテス王はもう百八十歳を過ぎてるよ。だから娘のイーメル姫は百四十歳を過ぎてる計算になる」
「え? あれ? お姫さんってそんなに歳行ってたんだ」
初めてイーメルに会った時、年齢の話をしたら力で吹き飛ばされたのを思い出す。
「それに王は随分若い内に結婚したんだな」
妖精族は二十歳を過ぎてから老化しないから、別にそれ以降何歳で結婚しても不思議ではないのだが、大体八十歳から百二十歳の間に結婚する。もちろん再婚となると上限はない。
百四十歳。イーメルが怒ったのも分かる。婚期を逃した女性は、その手の話題に近づきそうになると大概怒るものだ。それにしても怒りすぎだとは思うが、他にも色々言った気がするし、仕方ないだろう。
「王の武勇伝を信じれば、それはそれは美しい女性だったということだよ。お互いに一目会って結婚を決めたと書いてある」
セイロンが一冊の本をルカの前に出して言った。
セイロンがルカに貸していた本の一冊だ。ルカも当然読んだことがある。年表を見るよりもヴォルテス王についてはこちらを見た方が細かく書かれている。ただし物語的な要素が強く、これを鵜呑みにするのは危険だとは思う。
「その美人な奥さんとは離婚することなくずっと仲良くやってたのか?」
「読めば?」
セイロンが頁を開いてルカに見せた。
『……一目会って結婚を決めた。この結婚生活は彼女の死によって終わりを告げる。イレイヤ公が趣味の狩を行っていた折、彼女はいつものように公に付き添っていたが、森の中で毒蛇に咬まれて死亡した。』
「うわ、あっさりと死んでるな」
結婚したことを書いている同じ頁内で死んだことまで書いているとは思わなかった。
「この狩の話は後でちゃんと詳しく出てるけどね」
セイロンが温めたミルクを飲みながら言う。
ルカにもミルクが入ったカップを差し出した。
この話を信じれば、結婚してから二十五年前に死ぬまで、王と一緒に居たってことか。
カップを受け取り、ルカは考えた。
やはり、イレイヤ公の妻が自分の母親になったとは考え難い。
となると、後はイレイヤ公の妻がイーメルの母親ではないという可能性。つまり、イーメルは本来の王女ではなく、騙されているとか、もしくは騙しているとか。
勿論、俺の姉じゃない可能性もあるけどな。
ミルクを飲む。
どの可能性もまだ否定はできない。
イーメル本人も記憶が無いと言うのだから、確認のしようがない。まさかヴォルテス王に聞くわけにもいかない。
「なあセイロン、一度忘れた記憶って、戻したりできないのかな」
「何いきなり。そんな簡単に出したり入れたりできるなら、勉強する手間が省けていいよね」
「そっか」
簡単にはいかないが、不可能ではないらしい。セイロンの言葉をルカはそう受け取った。
誰がこういうことに詳しいだろう。
ルカは考えて、イーメルの言葉を思い出す。
『しかも母が亡くなったのもその期間だというのに、それを必要の無い記憶だと言う医者の言うことも信じられぬ』
そうだ。医者だ。記憶云々ってのは医者が詳しいに違いない。
「ちょっと出かけてくる」
「え、今日の仕事は? どこ行くの?」
「ソルバーユのとこ。誰か来たら、俺具合が悪くて医者に掛かってるって言っといてくれ」
「は? 全然具合悪くないでしょ。そんな嘘誰が信じ」
セイロンが何か言っていたが、ルカは無視して家を出た。
「どうした」
診察所、ソルバーユ曰く研究所に入ると、ソルバーユがいつもと同じ顰め面で聞いてきた。
「なあ、人の記憶って好きなように出し入れできるのか?」
ルカの質問に、ソルバーユは呆れ顔で答えた。
「そんなわけないだろう」
あっさりと言われて、ルカは次の言葉が出てこなかった。
「ああ、でも」
思い出したようにソルバーユが言う。
「暗示を掛けて、忘れたように思い込ませることはできるらしい」
「暗示? 忘れたように思い込ませる?」
「私の専門外だがね。君だって子どもの頃の記憶は曖昧だろうが、何も分からないかというとそうでもないだろう。ほとんどの場合は記憶が無くなっているのではなく、その記憶に辿り着けない、つまり思い出せないだけなんだよ」
「なるほど。うん。うーん?」
今一理解できない。
「例えば君が昨日会った人を全員、どこでいつどの順番で会ったかすぐに言えるか? つい昨日のことだぞ。忘れているというのは変だろう。つまりそれが、思い出せないということだ」
少しいらついた表情でソルバーユが言った。できの悪い生徒に言い聞かせる気分だろう。
「仮に、私がここで君の頭を殴ったとする。そうすれば、君の脳細胞が破壊されて本当に忘れるかもしれない」
「脳細胞?」
「細胞はひとを作っている小さな材料のようなものだと思えばいい。君は色々知りたいようだが、最初に言ったように私の専門外だ。脳についての研究はまだ発展途上だし、好きなように記憶を操作することは不可能だ」
莫迦にされているような気もするが、何しろ聞きなれない言葉ばかりでよく分からない。だが、好きなように記憶を操作することは不可能だ、ということは分かった。
「じゃあ、最初に言った暗示で忘れたように思い込ませるのは?」
「ああ、それは結構昔から使われる方法だな。人族は思考型が妖精族と違っているらしくて、少々効きにくいのだがね。どうした。何か忘れたいようなことでもあるのか」
急にソルバーユの表情が活き活きしてきたような気がする。
俺で実験するつもりだ。専門外だと言っていたくせに。
本能でそれを察知して、ルカは急いで首を横に振った。
「いや、いい、いい。俺じゃない。いや逆だ逆。忘れたいんじゃなくて、思い出させたいんだ」
ソルバーユが残念そうな顔をしたように見えた。
椅子の背もたれに体重を掛けて、ギイという音を立てている。
「暗示かどうかもわからないものを、専門外の私にどうにかできるとは思えないな。記憶を失うような暗示というのは、強いショックをきっかけに自分で掛けてしまうこともある。それを解くことが本人の為になるとは限らないぞ」
「それは確かに……」
暗示などとは考えていなかったが、イーメルが記憶を失った期間に母親が亡くなっている。それがイーメルにとって記憶を消さなければならない程の衝撃だった可能性は大いにあるのだ。
「話は変わるけど、今度ヴォルテス王が再婚するんだってな」
ルカとしては話を変えるつもりはなく、ずっとイーメルの記憶喪失について話しているのだが、いきなり王の前妻の死について尋ねるのはおかしいだろうと思って、今話題の王の再婚の話を振ってみる。
「ああ、人族にまで触れ回ってるのか。新しい妃は七十歳だそうだよ。娘のイーメルよりも若い母親になるな」
それは大変そうだな。
と思うが、それについて話を進めてしまっては目的と逸れる。
「王の前の奥さんが何で死んだのか、あんたは知ってるか?」
「ああ。王から直接聞いたからな。秘密を共有すれば私を引き込めるとでも思ったらしい。私も加担させられた。ルカ、君は何か知っているのか? あれは少数の者しか知らぬはずだ」
違う。ソルバーユは、ルカが知っている『王妃は狩で毒蛇に咬まれて死んだ』ことを言っているのではない。人に王の武勇伝を知らしめる為の本に書いてあるようなことが、少数しか知らぬことであるわけがないのだ。
「知っているなら白状してしまおう。イレイヤ公の妻は毒蛇に咬まれて死んだんじゃない。殺されたんだよ、夫であるイレイヤ公にね」
「え……。でも何で?」
お互いに一目見て結婚を決めたと書いてあった。さすがに一目見てというのは大げさな表現だとは思ったが、その後百年近く一緒に過ごしていたはずなのだ。仲が悪かったとは考え辛い。
「それより十年程前だったかな。私も話に聞いただけで本当かどうかは分からないがね。イレイヤ公の妻は戦争に明け暮れる夫に嫌気が差して家を出てしまったらしい。まあそれにしても、その後十年もほったらかしにしておきながら、急に妻を呼び出して殺すとはね。どうやら、チュンウとの外交の折、既婚でないと不利だと感じたらしい。チュンウでは未婚者は未熟者扱いされると言うからね。彼に必要だったのは彼女ではなく、妻が居るという事実だけだった。イレイヤ公は身勝手なエルフさ。自分を裏切った妻は殺したが、娘は既婚である証明になるからと、イーメルを連れ帰った」
聞いた話とは思えない程、ソルバーユは細かに話していた。ソルバーユの作り話でなければ、それでほぼ真実と相違ないと考えて良いだろう。
「だが、ひとは一度裏切られたと感じると、何に対しても疑心暗鬼になるものだ」
ソルバーユが机の上に置いてあった石版を手に取り、右手を翳した。
キラキラと光るのが見える。既に何かが記録されている石版を妖精族が読もうとする時、その石版が光るのがルカには見えるのだ。
「イレイヤは、イーメルが自分の本当の娘ではないのだと思い込み始めた」
懐かしそうに石版を見つめる。
「実はね、イレイヤ夫妻がまだ若かった頃にも付き合いがあったのだよ。あの頃は本当に幸せそうな夫婦だと思った。……だが、疑心暗鬼に陥ったイレイヤはイーメルの記憶を消し、カザートから追放した」
石版は、イレイヤ夫妻の子どもイーメルが誕生したことを伝えた物だった。
イレイヤがカザートの代表になり、ソルバーユは彼に呼ばれた。再会した時にこれを見せて話題にしようと引っ張り出してきたのだが、イレイヤの用事は妻の死体を掘り出し、毒蛇に咬まれて死亡したように見せかけろということだった。自分だけなら断って終わりだっただろうが、呼ばれた医者は自分だけではなかった。
分野における権威を持つものも居る。反対すれば彼らに見放されることになる。人族を不老長寿にする研究は、彼らの助力もあってのことだった。
「ソルバーユ、あんた今、イーメルの記憶を消したって……」
ルカが言う。
「ああ。私がやったのではないがね。だから私の専門外だと何度も……まさか、戻したい記憶というのはイーメルの記憶のことか」
厳しい顔でソルバーユが言った。
「そんなことをしてどうする。彼女は母親を父親に目の前で殺されたんだ。確かに、カザートから追放するというのは酷い話だったが、記憶を消すことには私も賛成した」
イーメルの記憶を戻すなと、ソルバーユは言うのだろうか。イーメルの記憶の中には、テリグラン‐テリでの一部始終も入っているというのに。それさえ分かれば、イーメルがルカの姉かどうかも分かるのに。
ルカの表情が、ソルバーユの説明に納得したものではないことを察して、ソルバーユはさらに続けた。
「記憶が無いことは、彼女にとって良いことなんだ。君が一体何を考えて彼女の記憶を戻そうとしているのかは知らない。だが、君が故郷を滅ぼしたイレイヤ公を恨んでいたとしても、娘のイーメルには無関係なはずだ」
「でも、テリグラン‐テリが滅ぼされたのは、イーメルが居たからだって――」
「いいか、ルカ」
ソルバーユがルカに近づいて小声で言った。
「彼女は父親に、テリグランを滅ぼす口実として使われたんだ。テリグランにあったのは単なる田舎の町で、軍事基地が置かれているわけでもなかった。だがイレイヤは戦績を伸ばしチュンウに有能だと思われる必要があった。イレイヤにとって偶然娘がそこで暮らしていたのは、そこに攻め入るのに丁度良い材料になったんだよ」
それは、ルカがずっと知りたかったことだった。なぜ自分の故郷が滅ぼされなければならなかったのか。
イーメルを取り返す為ではない。最初からテリグラン‐テリを滅ぼすことが目的だったのだ。攻め入って勝利した、という事実が欲しい為だけに。
「……じゃあ結局イーメルが居なかったら、イレイヤ公はテリグラン‐テリには来なかったってことじゃねえか」
もしイーメルが別の町に居たら、イレイヤはそちらの町を攻めて、テリグラン‐テリは滅ぼされなかったのではないか。
「だから、どうしてそういう考えになる? イーメルも被害者だ。君は王だけでなくイーメルも殺す気か!」
「え……?」
ソルバーユの言葉に驚く。
イーメルを殺したいとは思ってもいない。町にイーメルが居たからイレイヤ公が襲ってきたのは確かだが、まだイーメルが姉かもしれない可能性が残っているのだ。ユディトを殺す気はなかった。
でも、姉ちゃんじゃなかったら?
殺したくはない。だが仇であることは間違いない。
首に下げた形見のナイフを握り締める。皆死んで、自分だけ生き残ったことをどれだけ責めただろう。この苦悩から逃れるには、仇討ちを遂げるしかないのだ。
まだ考えなくていい。姉ちゃんかどうか分かるまではこのままで。
「お姫さんを殺すかどうかなんて、俺は考えたことがない」
考えないようにしているから。
「そうか。なら良いんだが。おそらくイーメルはテリグラン‐テリに居た頃の記憶も操作されているだろうが、それを弄ることは、その前の母親が死んだことも同時に思い出す可能性が高いんだ。余計なことをしようとするんじゃない。私が知っていることなら君に教えるから」
ソルバーユが言った。
その日は、午後から仕事に行った。セイロンはルカが言った通りに伝えていたようで、誰も午前中に何をしていたのか聞いてこなかった。もっとも、医者の所へ行っていたのは事実なので聞かれても答えは同じだが。
仕事が終わってから、ルカはいつものようにイーメルが子ども達と遊んでいるはずの場所へ行った。
だがイーメルは居なかった。
「あっ、お兄ちゃんだ」
誰かが言って、子ども達がルカに駆け寄ってきた。
「お姫さんはどうしたんだ?」
最初に走ってきた小さな女の子を抱き上げると、ルカは聞いた。
「えーっとね、来たんだけど、用事があるからって、すぐに帰っちゃった」
女の子が答える。
確認のために他の子どもの顔を見たら、皆が頷いていた。
「そっか。じゃあ、今日はもう帰ろうか」
「うん」
王の結婚式を間近に控えて、イーメルも忙しいのだろうか。
それとも、俺と会いたくないんだろうか。
子ども達と手を繋いでぞろぞろと道を歩く。子ども達の手は暖かい。イーメルは記憶のために人族の子どもと遊ぶのだと言っていたが、実際に子どもが好きなのだろう。そうでないと、毎日続くわけがない。
イーメルが姉ちゃんなら良いのに。
そう思いながら、胸が痛むのはなぜだろう。ルカには分からなかった。
城の中のイーメルの部屋に、何枚もの反物が運び込まれていた。
侍女たちがそれを長椅子に並べて、あれやこれやと言い合っている。
「王女、どれがお好みです?」
父の結婚式に出席する為の衣装選びだった。
「別に」
好みなどない。ずっと与えられる物を使っていただけだ。
「では、こちらを使いますね」
青い髪の侍女が反物を持って部屋から出て行った。残った反物は別の侍女が片付けていく。
イーメルは百四十六歳。本当ならばイーメルこそ結婚しなければならないはずだ。それなのに、父は娘の結婚相手を探すのではなく、自分が妻を娶った。
わらわは、もう父上にとって必要ないのか。
本当は、そんなことは最初から分かっていた。ヴォルテスは野心家だ。死なない限りは自分の権力を誇示し、広げようとする。娘に譲るつもりなどないし、逆に娘であるイーメルが自分の座を狙っているのではないかと恐れている。
「王女、どの石を使いますか?」
箱に散りばめられた宝石を見せられる。
「何じゃ?」
「耳飾と指輪をお作りいたします」
横から、かなり前から側に居る侍女が顔を出した。
「まあ! 沢山ありますこと。王女、この際ですから、全部新しくしてはいかがでしょう? 心機一転、気分も変わりますわ」
言われて、自分の両手の指を見る。この左手の指輪も、父がしつらえた物。父の権力を示すために、イーメルが身に着けるように言われた物だ。こちらはどうでも良い。変えろというなら変える。
でもこっちは。
右手の中指の指輪は外したくなかった。これは、父がカザートの王になるより前から、イーメルが持っていた物だ。いつどういう経緯で入手した物かは思い出せないが、これを失ったら全てを無くしてしまいそうだった。
これを見て、ルカはわらわを姉ではないかと言った。これがあれば、わらわはルカと繋がっていられる。
ルカの勘違いだろうが、どちらにせよ、ルカはもう一度確かめに来るだろう。
いや、姉だと思われていた方が良いかもしれない。ルカはイレイヤ公を恨んでいる。その恨みが、娘であるイーメルに向くことは想像に難くない。
「王女? 私が代わりにお選びしてもよろしいですか?」
侍女の声に、イーメルは我に返った。
「勝手に決めてくれ」
わらわは妖精族の王女じゃ。人族はわらわと話せるだけでも泣いて喜ぶべきなのじゃ。
ともすれば沈みそうになる気持ちを、自分なりに鼓舞する。
妖精族の王女である自分に、逆らう人族はいない。ルカも他の奴隷と同じだ。他国から流れてきたから、カザート王女である自分に対して忠誠心が無いのだ。時が経てば、他の奴隷の中に埋没するであろう。
勿体無い。
そう思うのは、ルカを好きだからではない。客観的に判断しても、ルカの器は使い捨ての奴隷とするには惜しい。
しかし、王を倒そうとしているのであれば、そもそも罪人である。奴隷に埋もれるどころか、企みが明るみに出れば即刻死刑だろう。
「オーヴィアはおるか?」
長椅子に横たわったまま、誰にということもなく声を掛ける。
「ただいまお呼びいたします」
侍女の誰かが言って、部屋を出て行った。
間もなく、部屋の前で待機していたオーヴィアが来た。十五年前のカザート建国以来イーメルの警護を勤めている男で、伝統や礼節を重んじる本人曰く騎士だそうだが、カザートには騎士という称号も階級もないのだから、イーメルにはよく分からない。随分昔、それも他国で使われていた称号だと聞いている。理屈はどうあれ、イーメルの言うことを大人しく聞くので他人に頼めないことでもオーヴィアには頼める。
「先日、パロスに訴えられて城に来た人族のことを覚えておるか」
「はい。確か、ルカとか」
「その者を父に会わせたい。できるか?」
ルカに復讐を諦めさせるのだ。正式な場での謁見であれば、王の周りには有能な兵士が揃っている。王自身も強い。ルカが何かしようとしても、即取り押さえられるだろう。
それで手を出せないことを知り、諦めてくれればよいのだ。王に剣を向けただけであれば、大した罪には問われない。
「承知いたしました」
オーヴィアはイーメルに頭を下げて、部屋から出て行った。
日曜日が来た。
ヴォルテス王の結婚式である。妖精族のみならず人族までも、王の結婚を祝って至る所で宴が開かれていた。
昼過ぎには王と王妃を乗せた馬車が城の前から郊外へ続く大通りを通るのだそうだ。結婚式自体は関係者しか参列できないが、このパレードは人族でも見られる。
王と接する良い機会だ。
昨日マギーが来て、セイロンにパレードを見に行こうと誘っていた。セイロンはそれ程行きたそうでもなかったが、サラも来るということで愚痴を言いながらも、出かける準備はしている。
セイロンはサラが好きなのだろう。
ルカも身なりを整えた。
「あれ。ルカは行かないんじゃなかったの?」
セイロンが聞く。
マギーにルカも誘われたが、それは断ったのだ。
「一緒には行かない。別の用があるからな」
古ぼけた奴隷服の上に、白い外套を羽織り、頭にターバンを巻く。これがカザートの正式な服装なのだそうだ。この外套とターバンは三日前に国から支給された。セイロンは未成年なので、ルカと違い白い服が一着支給された。普段奴隷が外出着にしているのは橙色の服で、白い外出着は平民以上の着物だ。今日という日以外でそれを着て出かけたらどうなるか分かったものじゃない。
「別の用って何」
「あー、まあ、セイロンには関係ないから、気にすんな」
もっと気の利いた言い訳を考えておけばよかった、とルカは思った。
「ふうん。時間合わせられるなら現地で合流も良いかと思ったんだけど、無理そうなら仕方ないね。じゃあこれ渡しておくね」
セイロンがルカに向かって銀貨を投げた。大金だ。
「うわ。何これ。何に使えってんだ」
「ご祝儀。ルカがどこ行くつもりか知らないけど、もしパレード見に行くならご祝儀も持っていかなきゃ。妖精族がどういう結婚式するのか分かんないけど、人族の結婚式なら気持ちばかりのお金を渡すもんだよ」
「気持ちって、これそんな額じゃないだろ」
「髪も切ってもらいなよ。マギーが作った眼帯があるんだし、もうその前髪伸ばしとく必要もないでしょ」
言われて、ルカは眼帯の前の右側の前髪に手を触れた。包帯を巻いていた頃、時間の掛かる包帯交換の間もできるだけ人に見られないようにする為に、前髪を伸ばしていたのだ。
「えぇ〜。俺この髪型気に入ってるんだ」
「そうなの? 変だと思うけどね。まあいいや。じゃあ、何か食べ物でも買ってよ。多分屋台が出てるけど、どれも法外な値段だろうし」
変とは何だ。
と思ったが、話がすっかり変わってしまって文句を言う暇はなかった。
「わかった。釣りが出たら返すわ」
「当たり前でしょ」
セイロンは小さな巾着袋に、銅貨を何枚かずつ入れている。二つ用意しているから、マギーとサラの分なのだろう。子どもなのに律儀なことだ。
「お兄ちゃん」
マギーが来た。白い服を着て、花束を抱えている。
サラはまだのようだ。
「ねえ、おじさん、やっぱりパレード見に行かないの?」
マギーがルカの側に来て行った。
「悪いな。他に用事があって一緒には行けないんだ」
「他の用事って何?」
今さっきセイロンにも同じことを聞かれた。さすが兄妹。先程セイロンにろくに答えられなかった時に、気の利いた答えを考えておけばよかったのだ。
「あー、いや、これは俺の問題だから」
そろそろ出発したかった。パレードの時間はまだ先だが、前もって通る道を調べて接触しやすい場所を探しておきたい。
「えー、何それ。その用事そんなに大事? 一緒に行った方が楽しいよ」
そりゃ大事な用事だ。でもマギー達には無関係だ。何も知らない方が良い。
何か教えてしまって、後でルカの共犯者だったことにされたら大変だ。
「俺が居なくても三人で行ったら楽しいだろ?」
ルカが言うと、マギーが頬を膨らませた。
「違うの。そうじゃないの。そうじゃなくて、わたしはおじさんが……」
言い淀んで俯く。
次の言葉が出てこないので、ルカは会話が終わったのだと思って立ち上がった。
「じゃあ、俺もう行くから」
「待って」
マギーが手に持っていた花束が床に落ちそうになって、ルカが落ちていくそれを拾い上げた。花束をマギーに返そうとしたが、マギーは両手でルカの袖を掴んで引っ張っていた。
「どうした?」
「わたし、おじさんと一緒に行きたいの」
「だから、今日は無理だって。セイロンやサラが居るから良いだろ?」
ルカにマギーの気持ちを考えている余裕はなかった。時間も迫ってきている。機会さえあれば、今日のうちに仇討ちできるかもしれないのだ。
「違うの。お兄ちゃんやサラじゃなくて、おじさんが良いの」
頬を上気させてマギーが訴えかける。
マギーの相手をしなければいけないと一瞬思ったが、それよりも目先の仇討ちの方が大事だった。
ルカは怒気を含んだ声で言った。
「いい加減にしてくれ。俺は用事があると言ってるだろ。もう行かなきゃならないとも言ったよな。言葉が通じないわけじゃないだろ」
袖を掴むマギーの手を振り払う。
マギーが怯えた表情をしたのが視界の隅に入った。
「待って、ルカ」
家を出ようとしたルカを呼び止めたのはセイロンだった。
「何だ? 俺は急いでるんだが」
マギーに言ったのと同じ口調でセイロンにも言う。
「マギー、せっかく来たとこ悪いけど、これおばさんに渡しに行ってくれる?」
セイロンはマギーに小さな巾着袋を渡した。
マギーが無言で頷いて家から出て行った。
セイロンがルカに向き直る。
「ルカ、今の態度は酷いよ」
「セイロンには関係ない」
歩き出す。
「関係あるだろ。僕はマギーの兄だぞ。ルカはマギーの気持ちを知っててあんなこと言ったの?」
早口に捲し立てられて、ルカは入り口近くで立ち止まった。
マギーの気持ち?
「一緒にパレードに行きたいってことか? そんなに大事なことか?」
セイロンが大きく溜息を吐いた。
「今ちょっと、僕が莫迦だったと思ったよ。ルカがこんなにイライラしてるの初めて見た。僕でもびっくりしたもん。マギーは絶対泣くよ」
泣いてなかったじゃないか。
ルカは思ったが口には出さなかった。下手に返せば話が長引くと思ったのだ。
「何でそんなに急ぐの? パレードに行くんだよね? 何の為に? お祝いじゃないよね。だって、ヴォルテス王はルカの故郷を滅ぼしたんだから」
駄目だ。セイロンはおそらくソルバーユ以上に勘が働く。いや、優れた観察眼を持っている。会話は続けられない。
ルカは扉に手を掛けて押した。
「ルカ、行くなら、そのご両親の形見のナイフを置いていって」
なぜ? などと聞いている余裕はなかった。この状態で話を長引かせても、セイロンを言い負かすことができるとは思えなかった。
扉を開ける。
「ルカ!」
後ろからセイロンの叫ぶような声が聞こえてきた。
ルカの歩みは家を出て一歩で止まった。
扉を開けたその先に、エルフの男がひとり立っていたからだ。
「ルカ殿、さるお方とお会いして頂きたい。一緒に来てもらおう」
家の中にはセイロンが居る。
前も後ろも行き止まりか。
ルカは溜息を吐いて、目の前のエルフに言った。
「そのお方ってのは誰だ? あんたの話し振りからして、相当身分が高そうだけど」
妖精族は辺りを見回して、ルカに耳打ちした。
「ヴォルテス王だ」
元の姿勢に戻って続ける。
「だがこのことは他言無用。よいな」
「ああ、もちろんだ」
どういうことか分からないが、王が直接会ってくれるというなら願ったりかなったりだ。
ルカは家の中を振り返った。
「セイロン、俺このひとと用があるから。じゃあな」
セイロンが不安げな表情でルカを見ている。
ルカはセイロンに軽く手を振ると、エルフの男に付いて歩き始めた。
人目を避けるように裏通りを通って、ルカ達は城の近くの大きな建物に入った。煌びやかな装飾が目を引く。この奥には妖精族の女神を祭った神殿があるのだとエルフの男が言った。
ということは、ここは祭儀場。王の結婚式をする場所だ。多くの招待客達がうろうろしていて、彼らに食事を出すために人族の奴隷も多く居る。ルカが妖精族に付いて歩いていても、誰も不審には思わないだろう。
多くのひとが居る広間を抜けると、先程までの喧騒が嘘のように静かになった。
広間を出てすぐ近くの衛兵が居る扉を男が開ける。ルカを先に部屋に入れると、男は扉を閉じた。
「ここで待て」
部屋の中には椅子がいくつか乱雑に置かれている。部屋の隅にはたくさんの机と椅子が重ねて置いてあった。倉庫のような物だろうか。だが床には広間と同じ赤い絨毯が敷き詰められているし、天井には豪華な室内灯がぶら下がっていた。
男が部屋から出て衛兵に何か指示をしたようだった。男はすぐに戻ってきて、入ってすぐのところに立った。
暫くして、静かに床を擦る服の音が近づいてきた。王ならば他に兵士を幾人も連れ歩いているはずだが、それはひとりだった。
扉が開き、入ってきたのはイーメルだった。
銀色の髪を結い上げ、輝く宝石を散りばめた髪飾りをしている。服も、普段でも相当良い物を着ているのだが、今日の服はさらに豪華だった。肩にかけている厚手の布にも、普段とは違う装飾が施されている。
今日は一段と綺麗だ。
ルカを案内してきたエルフが居なければ、ルカはイーメルに言っていたかもしれない。しかしひと前で言うのはさすがに気が引けた。これだけ美しいと冗談にもならない。
「ルカ、今日はそなたに、ヴォルテス王と会ってもらう。だが父には、わらわが手引きしたことは伝えるな」
言われて、頷く。イーメルがルカと王を会わせようとしている理由は分からないが、会わせることが良いことだとは、客観的に見て考えられないのだ。
「その前にわらわが来たのは、そなたに警告するためじゃ」
イーメルがルカに近づく。
入り口近くで待機していた男が少し動いた。王女に何かあったらすぐにでも飛び出そうというのだろう。
そう言えば、あの男は以前ルカが城に連行された時にもイーメルの側に居た。あの時も、イーメルが人払いをして随分心配していたようだ。今も、この部屋にはその男とイーメル、そしてルカの三人しか居ない。男からすればルカは怪しい人族そのものだ。
イーメルがルカの胸に手を触れた。
少しずつ上下に動かす。
何をしてるんだ?
声が出なかった。イーメルが考えていることが分からない。警告するために来たと言っていた。何のことだろう。
「ふむ」
イーメルが呟いて、それからルカの首に掛かっている金属の鎖を思い切り引っ張った。
鎖が千切れて、イーメルの手の中に鎖に繋がったナイフが入った。
「このようなもの、どうする気じゃ?」
これを探してたのか。
ルカが凶器を持ってきたかどうか。
にしても、思いっきり引っ張らなくてもいいじゃないか。
千切れてしまった鎖。安物とは言え、ルカが手に入れるのは大変だった。ついでに、首の後ろが鎖で擦れて痛い。
「それは、その、護身用に……」
イーメルがナイフを鞘から出して見ていたが、ルカに付き返した。
「このようなもの、わらわらには傷一つ付けることができぬ。と言ってもそなたは納得せぬであろうから、そなたにその気があるのなら試してみるが良い。わらわでも、そこにいるオーヴィアでも」
「遠慮しとく」
ルカの狙いは王だけだ。イーメルの自信がどこから来るのかは分からないが、余計なことをしてここで捕まるつもりはなかった。
「では、そなたの思うようにせよ」
言って、イーメルが踵を返した。
オーヴィアはイーメルが部屋から出るまで見送ると、自分も退席した。
なんだ? まるでお姫さんは、俺に王を攻撃させたいみたいだ。
ひとり部屋に残ったルカはナイフを手の中に握って考えていた。イーメルの真意が掴めない。こんな小さなナイフでは何もできないと高をくくっているのだろうか。そもそもなぜ、王と会わせようとするのだろうか。
沢山の足音が部屋に近づいてきた。
仰々しく扉が開かれ、妖精族の男が入ってきた。
イレイヤ公――!
幼い頃に遠目に見ただけの男だが、その風貌は忘れはしない。目の真下から縦に入った右頬の傷。あの時はそこから血を流していた。
人族にない力を使って戦うことが多い妖精族は筋力を必要とせず、ほとんどが華奢だが、イレイヤ公は違った。がっしりした体躯は、それだけで威圧感がある。
王は既に普通の妖精族であれば寿命を迎えている年齢だというのに、まだ若若しかった。
「そなたか。わしに会いたがっている人族とは」
王になったイレイヤ公が、ルカを見下ろして言った。
感動とは違う。だがそれに近い感情がルカの中を渦巻く。
早くこの男を殺したい。
それは感動ではないが、喜びには違いなかった。殺せばルカは開放されるに違いない。仇を討たねばならないという、自分自身に課した責務から。
ずっと自分を見下してきた妖精族より、上に行ける。
不意に浮かぶ、別の思考。
違う。そうじゃない。
仇討ち以外の思考を追い払おうとする。
「そなたを見ると、十六年前を思い出す」
ヴォルテス王は言った。
「わしが現在のラグナダスを攻める際に、そなたによく似たハーフエルフの少年がおった」
ラグナダス地方にはルカの故郷テリグラン‐テリも含まれる。王が言う少年とは、ルカ本人のことだった。
「よく、十六年も前のことを覚えておいでですね」
ヴォルテス王は笑った。
「そなたら人族にとっての十六年は長いであろうが、わしらにとってはそなたらの一、二カ月前と同じような感覚じゃ。ふん、もっとも、あの時見たハーフエルフはエルフの顔をしておったがな」
「王よ、なぜその時その少年を殺さなかったのですか? 王はその町の住人を全て殺したのでしょうに、なぜその少年だけ」
そう、あのとき俺も死んでれば良かった。そうすれば、仇討ちなんかに縛られずに済んだ。
ルカは左の袖の中に隠していたナイフの柄を右手で掴んだ。
「わしにも多少の慈悲心というものがある」
王が答えた。
慈悲心だと? あんたは俺を追い込んだ。それのどこが慈悲だというんだ。
「慈悲ではなく、甘さだった。王よ、町の皆の仇!」
ルカはナイフで王に切りかかった。
従者たちが王を守ろうとしたが、王はそれを止めた。
「そなたらの剣では、わしを傷つけることはできぬ」
王が言った。
その言葉の通りに、ルカは王を傷つけることができなかった。
剣を王に近づけただけで、剣がどろどろと溶けてしまったのだ。
剣は元の形をとどめていなかった。
お姫さんの言う通りだ。
ルカは王の従者に押さえ込まれた。
「そなたのような者も、この国にはようおるわ。だがわしに手を上げたのはそなたが初めてじゃ。勇気ある愚か者よ」
王はそのまま去って行った。
くそっ。
口の中で呟いて、ルカは自分を押さえ込んでいるエルフを見た。
人族から見れば、妖精族は皆同じ顔をしていると言う。種族によって目や髪の色が違うが、同じ種族だと人の目ではほとんど見分けられないのだそうだ。
だが、ルカはきちんと見分けることができた。妖精独特の美意識も、ルカには理解できた。
しかし、それでも、ルカは妖精族ではないという。
妖精族はルカを奴隷として扱い、今も、家畜を引っ張るように、ルカの手に鋼の枷をつけて引っ張っていく。
「本来ならば、最低五年の服役は免れないのだが、今日は目出度き日、大目に見るということだ。命拾いしたな、小僧」
ルカの手枷を外してエルフの男が言った。
王を殺そうとした者の刑期が最低五年とは短い気がするが、それだけ、王は誰からも殺されないという自信があるということだろうか。
「王にお伝え願いたい。いつか必ず町の皆の仇を討つ、と」
「考えておこう」
エルフの男は、ばかにしたような目をルカに向け言った。
辺りではきらびやかに飾り立てられた物、建物や車やエルフ、が王の再婚を祝って楽しげな音を立てていた。
形が変わってしまった形見のナイフをよく見ると、刃だけでなく、柄まで変形してしまっていた。柄頭の、イーメルが持つ指輪と左右逆の鳥の模様も、もう何がそこにあったのか分からない状態だった。
俺は何をしてるんだ。
両親の大事な形見を壊して、仇討ちにも失敗した。もう祭儀場に入る機会は無いだろうし、王の警護もさらに厳重になることだろう。
つうか、こんな力があるんなら先に教えてくれよな、お姫さん。
確かにイーメルは警告してくれたが、もう少し具体的に教えてくれればよかったのに、と思う。
まあ、言われても信じなかっただろうけど。
イーメルも言った。どうせ納得しないだろうと。その通りだ。仮に剣を溶かす力があると言われても、にわかには信じられないことだ。結局同じことをしていただろう。
ナイフを外套の内側に縫い付けられている小物入れに入れようとして、ルカはそこに別の物が入っているのに気付いた。来る時にはここにナイフを入れていたのだから、ルカの知らない物だ。
取り出してみると、それは金色の飾り櫛だった。櫛を彩る小花模様には花びら一枚一枚に宝石が埋め込まれている。
さっきお姫さんが入れたのか。
その豪華さといい、妖精族の貴族でもそうそうは手に入るものではないと思われた。
広い道に出ると、セイロンが言った通り沢山の店が出ていた。
ここは祭儀場の広間以上に騒がしい。
「まさか王様が再婚なさるなんてね」
エルフ女性の声が聞こえてきた。
「ええ。私は先にイーメル王女が結婚なさるものとばかり思ってましたのに」
こんな騒がしい中でも、集中すれば聞き取れる。これは妖精族の能力だ。他の生き物も持つ何でもない能力だが、人族よりは優れている。
そうだ。お姫さん……姉ちゃんかもしれないんだ。
仇討ちは失敗したが、それだけでも確認したかった。
しかし、今さっき祭儀場から追い出されたばかりだ。イーメルが居る祭儀場へ入れるとは思えなかった。
今はまだ無理だ。でも今夜には。
このひとの多さ。昼間はパレードと披露宴だろうから、肝心の式は夜になると考えられた。そうなれば、多くの兵士が王の警護に当たる。式までは娘であるイーメルも出席するだろうが、その後は王と王妃が誓いの間で一夜を過ごす。ルカの知識と相違なければ、の話だが。その間、イーメルの警護は比較的手薄になるはずだった。
問題は、イーメルがどこに寝泊りするかだ。式が行われる祭儀場は城の近くなのだから、城に戻る可能性もある。だが城は造り自体が堅固だから、潜入は難しいだろう。
誓いの間の近くまで同行するとすれば、また話は別だ。
もっとも、誓いの間がカザートのどこに設置されているのかは、ルカは知らない。結婚する二人で共に歩むのが重要とかで、式場から離れていることが多いのだが。
妖精族なら知ってるか?
辺りを見回す。元々人族に比べて数の少ない妖精族だ。人族の波に隠れてしまってよく分からない。
露店に目をやる。
大体こういう店は、正規の手続きを得て出店しているわけではない。もちろん、正規の店もあるのだろうが、それに混ざってあくどい店が幅を利かせるのが常だ。
店の裏側から来た男と会話する店主が見えた。会話の内容まではさすがに聞き取れない。二人の表情から、近場に店を出した店主同士の会話とは思えなかった。明らかに、裏家業の表情だ。昔別の国で関わったことがあるから知っている。
彼らは自分の仕事に一定の誇りを持っているが、最も尊いのは金だと言うのが彼らの言い分だった。組織を牛耳る妖精族にとっては金は大事だったろうが、奴隷である人族は金を大量に持っていても使い道がない。だがゼロでは生活できない。それに顔を変えるのには金が必要だった。
嫌なこと思い出した。
ルカは溜息を吐いて一度通りから外れ、ひとが来なさそうな路地へ入った。ターバンを外して肩に掛けると、ルカは眼帯を左側にずらした。薄暗い路地だったが、眩しさに目を細める。ターバンを深く巻きなおし、耳も隠れるようにした。
妖精族特有の、大きな吊り上った目。詳しく調べればルカがハーフエルフであることはすぐにバレるだろうが、ちょっと見たくらいでは区別が付かないはずだ。
ルカはごく普通に、先程の店主の所へ歩いて行った。
表から、出している商品を眺める。この目なら、手術で交換した人族の目よりもよく見える。地面に敷いた布の上に置いてある商品の、小さな値札に書いてある値段も見えた。これでも、純粋な妖精族に比べると視力は弱い方だ。
「お、旦那、なかなかの目利きだね」
店主がルカに気付いて言う。
「今旦那が見てるそれ、なんとイーメル姫が使ってる物と同じ腕輪だよ」
別にルカは商品を見ていたわけではないから、どの腕輪のことだか分からなかった。
店主が足元の箱から腕輪を取り出してルカに見せる。それが展示してあるものと同じものかは怪しいものだ。
「何が姫と同じだ。姫はこんなもの持ってない」
適当に言ってみる。実際に見たことはないが、持っているかどうかまでは知らない。
「おや、旦那お詳しいですね。さては姫の親衛隊ですな? それも隊長クラスと見た」
褒めているつもりだろうか? そんなものの隊長と言われても嬉しくない。
ただ、この男はルカを妖精族だと思い込んでいる。それが分かれば十分だった。
「そっちへ行くぞ」
「えっ、いやあの、裏側は整頓されておりませんので」
店主が慌てて言う。見られたくないものを隠しているのだろうが、それこそ好都合だ。
店と言っても結局は露店。店の周りを壁で囲ってあるわけでもないから、隣の露店との間を通って裏へ回った。
「なあ店主、ヴォルテス王の姫君が、今夜どこに泊まるのか知らないか?」
小声で単刀直入に聞く。他人に聞かれることを恐れて暈して言っていたら、相手にも伝わらない可能性がある。この雑踏の中、わざわざ露天の店主と客との会話に耳を澄ますものは居ないはずだ。
「姫君って、イーメル姫のことですかい? わたしらみたいな一般市民にはちょいと……」
イーメルがルカの懐に忍ばせた櫛を取り出して店主に見せる。
「おお、これは良いものだ。いやね、わたしも知らないわけじゃないんですが」
店主の言うことが全然違うのは、ルカを金持ちだと思ったからだ。あわよくば、この金の櫛を情報料として頂こうと頭が働いたのだろう。ルカの思った通りだ。
「今夜王様方はサーマ・ニーチェで過ごす。姫はその近くの王の別荘に居るはずだ」
「場所は?」
「ここから南へずっと行けばいい。サーマ・ニーチェは名前の通り月見用の施設だからな、周りに何もない砂漠の手前だ」
ルカは店主に、セイロンに持たされた銀貨を渡した。
「ありがとう」
店主が銀貨が本物かどうか確認している。
「またのお越しを」
店主が顔を上げて言った。
イーメルの居場所は触れ回るほどの物ではないが、隠すほどの物でもないはずだ。その情報料は銀貨一枚でも多すぎるくらいだが、口止め料も入っている。勿体無いが、仕方なかった。
ルカの後ろから、パレードの先頭と思われる楽隊の音が聞こえてきた。それに気付いたひとたちが、ルカと逆の方向へ向かって我先にと走り出している。
楽しげな音色と人々の歓喜の声は、ルカにとっては仇討ちに失敗したことへの嘲りにしか聞こえなかった。
月の穴〔サーマ・ニーチェ〕は、その名の通り月のクレーターまで見えるという、貴族達専用の月見の施設だった。ただ月見の季節は決まっていて、それ以外では天文学の為に使われており、入り口は開放されているという。
普段は気楽に出入りできそうなサーマ・ニーチェも、今日はすごい数の兵士が入り口付近を巡回していて、部外者が立ち入ることはできなさそうだった。
その他の壁際や砂漠方面も、兵士が並んで立っている。
さすがに、もう一度王に挑戦するのは無理だった。
イーメルが泊まるという別荘はすぐに分かった。明らかに他の建物と様式も規模も違う。念のため、王の結婚式に参加する地方貴族を装って、近くの住民に聞いてみた。
「あの綺麗な建物は、誰の物ですか?」
「あれは我らがヴォルテス王の別荘ですよ。あなたも自慢していいですよ。我らの王は素晴らしい」
「ほう。三日かけてここまで来たかいがありました。この町も美しい」
「そうでしょう、そうでしょう。そうだ、一緒に飲みませんか。王の結婚を祝って」
男の申し出を丁寧に断って、ルカはイーメルが泊まる王の別荘を目指した。
それにしても大きな建物だ。いざというときに要塞にもなる城と違い、ただただ豪奢な佇まいだった。
門には門番が居る。正面から普通に入れるとは思えなかった。周りは高い塀で囲まれており、塀を越えるのも簡単にはいかないようだった。塀の壁には凸凹がなく、手や足を掛けられそうな場所が無い。
塀の周りを回って、上がれそうなところがないか探していると、隣の建物の塀とかなり近くなっている場所があった。そちらの塀は作りが大雑把で、何とか登れそうだった。
辺りにひとが居ないことを確認すると、ルカはそちらの塀をよじのぼった。
周りに人影は無い。塀の上に立つと、王の別荘が建っている方の庭に向かって跳んだ。
「って……」
塀の上から隣の塀の上に飛び移るという器用なことができればよかったが、残念ながらそんな技術は身に付けていない。それでも、なんとか怪我をせずに済んだようだ。着地の時に痛かった足首を回して、その他にも異常が無いことを確かめる。
次はイーメルの部屋を探さなければならない。
それはすぐに分かった。一部屋だけ、窓が開け放たれ複数の召使と思しき妖精族女性達が掃除をしていたからだ。ただしその部屋は二階だった。
ルカはイーメルに会いたいのだから、イーメルの方がルカに気付いて出てきてくれればそれが一番楽だ。屋内に侵入する必要はない。
丁度、二階の窓まで枝を伸ばす大きな木があった。
まだ掃除中だから、イーメルは到着していないのだろう。
あの木に登って、イーメルが部屋に入るのを待とう。
あの距離なら、木の枝を揺らせばイーメルが気付くと考えたのだ。
ルカは木に登ると、部屋からの光が当たらないように裏側に隠れた。木の陰から部屋を覗き見る。真っ白な毛足の長い絨毯が敷かれていて、壁も白く塗られていた。そこには砂漠の国という雰囲気は無く、まるで別世界のようだった。
日が沈み始めた。高い所にある間は動いている気配もないのに、沈み始めると早いものだ。
辺りは薄暗くなり、建物の表側とイーメルの部屋にだけ明るく火が灯っていた。
この様子では、この建物に泊まるのはイーメルだけのようである。ルカが思っていた以上に、イーメルの警護にあたる者は少ないようだ。
不意に、部屋の中から男の声がした。侍従の中には男も女も居るだろうから最初は気に留めていなかったが、それにしては、声がするだけで姿が見えない。
ルカは耳を澄ました。
「何にもないじゃないか」
「まあ待て。今にこの部屋の主が来る。俺の情報によれば金持ちの女らしいから、その女から金目の物くらい手に入るだろうよ」
「男より女の方が着飾ってるもんな」
「ああ、なるほど。疑って悪かったよ。でも、こっそり盗むならともかく、女を脅して奪うってのは可哀想じゃないか?」
「莫迦。今更そんな心配してどうする。妖精族なんざ、俺たちから奪うだけ奪っといて何にもしてくれやしないんだ。ここでどうなろうと、相手の自業自得ってことよ」
二人、三人……か。
声で人数を割り出す。喋っていない仲間も居るかもしれないが、あまり大人数ではないだろう。
それにしても、王の別荘に泥棒に入ろうだなんて、突拍子もないこと考えるもんだ。
見付からずに部屋に侵入できただけでも運が良い。しかしこの部屋に泊まるのはただの金持ちではない。この国の王女だ。侍従も多く連れ歩いているだろうし、訓練された兵士も居るだろう。仮に、他の兵士が皆王の警護に当たっていたとしても、あのオーヴィアという兵士だけは一緒に居るはずだ。
俺と居るよりお似合いだよな。
溜息を吐く。オーヴィアが妖精族の中でもそこそこ顔立ちが良いというのはルカにも分かるし、あの異常なまでに強い忠誠心はルカには真似できない。
足音が近づいてきて、ルカはそのことを考えるのをやめた。窓が開け放たれているからほとんどの音が聞こえてくる。
部屋の中でごちゃごちゃ話していた声もやんだ。
窓の正面に、部屋の入り口の扉がある。足音がそこで止まり、扉が開いてイーメルが入ってきた。後ろに侍女をひとり連れている。青い髪のエルフ女性だ。以前会った時は長槍を持っていて、侍女というよりは兵士という印象もあったが、今は何も持っていない。服装も前より煌びやかで、イーメルと一緒に王の結婚式に出席していたのだろうと思われた。
「今香油をお持ちいたしますので、先に湯浴みをしていてくださいませ」
侍女はそう言うと、イーメルを残して部屋を出て行った。
部屋にはイーメルと、最初から入っている怪しげな男達だけが残った。
何考えてるんだ、あの侍女。てかオーヴィアはどこ行ったんだよ。部屋の外か? それなら良いけど、ああもう。
さすがに焦ってくる。
あ、でもお姫さんも力使えるし、泥棒のひとりやふたり大丈夫か。
以前ルカを吹き飛ばした、妖精族特有の力。あれがあれば、いかに非力な女性であれ、人族の男に負けたりはしない。
イーメルは招かれざる客が居ることに気付いていない様子で、髪を結い上げていた留め金を次々と外すと、隣の部屋へ移動した。
てことは、あっちが風呂か。
ルカの居る位置からはそちらの部屋の中は見えないが、流水が水面を叩く音が聞こえてきた。
人族が暖かい風呂に入る時は、大きな桶に水を入れ、沸かした湯をまえていく。しかし普通は風呂に入らず、何日かに一回川で汚れを落とすくらいだ。薪の数さえ制限されているのだから、すぐに捨てる風呂水を沸かすのに使うのは勿体無いのだ。セイロンの家では水道があって水はいつでも使えるが、基本的に湯ではなく冷水で体を洗う。
隣の部屋の窓ガラスが曇る。
当然、冷水が流れているのではなく、湯が直接出ているのだろう。
肉体労働をしているのはどちらかといえば人族だ。暖かい風呂があるのならば、人族にこそそれを使う権利があるのではないか。
そんなことを考えているうちに、イーメルが戻ってきた。
まだ乾ききらない髪の毛から落ちる雫に、部屋の明かりが反射して光る。服装も、部屋に入った時の豪華な物ではなく白い簡素な物だが、こういう素朴なイーメルも良いと思う。
が、その様子をゆっくり見物することはできなかった。
部屋に入って髪を拭こうとしているイーメルに、男達が飛び掛ったのだ。
イーメルの姿は窓の下に隠れて見えなくなった。時折、男達の頭が見える。
「大人しくしろ」
男の声がする。
暫くして、イーメルの頭が見えた。立ち上がったのだ。口には布で猿轡をされている。
イーメルは扉の側にあった警鐘用の銅鑼を鳴らそうと、撥を手に取った。
しかし追いかけてきた男の一人が、その撥をイーメルの手から奪い取る。次の瞬間、その男がイーメルの頭を撥で殴りつけた。
イーメル!
イーメルの体が沈み込む。妖精族に金属のナイフは効かない。だが木の撥での殴打なら普通に入ってしまう。
「は、ははっ」
イーメルを殴った男が笑い声を上げた。
木の上からでは、見ることはできてもイーメルを助けに行くことはできない。
倒れこんだイーメルを後ろから抱えた別の男が、やはり笑い声を上げた。
「なあ、よく見ろ。いい女だ」
木から下りようとしていたルカの耳に、男達の声が聞こえてきた。
「本当だ」
「妖精族っても、人族の女と変わらねえよ。なんだ、お前興味ありか? なら先にやれよ。俺は――」
途中で木から飛び降り、ルカは入れるところが無いか探した。
あの会話で、あの恥知らずな侵入者達がイーメルに何をしようとしているのか想像することは容易だ。
考えたくも無かった。
進入した人族の男は三人。よく喋る男がリーダー格で、あと少し若いのと、イーメルを殴った男が居る。
しかしどこの窓も鍵が閉まっていた。表は明るく、おそらく門番が居るのだろうが、ルカがそこから入ろうとしたら先にルカが捕まってしまう。
石を拾って、窓に投げつけた。
音がして窓ガラスが割れる。これだけ広い建物だ。門番が音に気付いたとしても、ここまで来るのには少し時間が掛かる。むしろこの音に気付いて、別の誰かがイーメルに異変を知らせに行ってくれれば良いのだが。
屋敷内に入ったルカは、イーメルの部屋を目指して走り出した。
やけに広い屋敷で、ルカは二階に上がる階段を探すのに手間取った。それなのに誰ともすれ違っていない。
どんだけ手薄なんだよ、この建物は。
怒鳴りたくなるが、がまんして進む。
明かりが扉の隙間から漏れている部屋を見つけたときは、かなり時間が経っていた。
ものすごい後悔と、焦り、それから僅かな希望。
扉の前に誰もいないということは、オーヴィアが気付いて助けに入った可能性があるということ。
とにかく扉を開ける。
なんだ、これは。
ルカが考えていたのとは全く違う風景が、そこに展開されていた。
真っ白だった絨毯はほとんどが赤く染まっている。壁にも飛び散った血の跡。まだ乾いておらず下へ向かって流れている。
部屋の中には、イーメルがひとり、白い背中をルカに向けて絨毯の上に座っていた。
男達の姿が見えず、ルカは部屋の中を凝視した。
いや、居た。血まみれで、頭だけがそこに転がっていた。よく見ると、手や足、胴体がバラバラにそこら辺に散らばっている。数を合わせようという気にはなれなかった。
「お姫さん」
声を掛けると、イーメルがゆっくりと顔をルカの方へ向けた。
汚れの無い背中と違い、その顔は血にまみれていた。
ルカは部屋に入って、イーメルの正面に回った。イーメルの視線も、ルカを追って正面に向き直る。
露になった素肌は赤い血で染め上げられ、その血は肘や顎といった場所から滴り落ちて絨毯の上に血溜りを作っていた。
人にできることじゃない。
それだけは分かる。
じゃあ、これをやったのは、イーメルか?
嫌な予想だ。動悸が激しくなる。
「お姫さん、大丈夫か? 俺が分かるか?」
イーメルの前に座って、イーメルに話しかけた。
大きな目がルカの顔を見た。
突然イーメルが立ち上がった。
「何じゃ! そなたもわらわを辱めに来たのか!」
言って、もつれる足で銅鑼を鳴らす為の撥を取りに行った。
「待て待て。今呼ばれたら困る。俺が悪者になっちまう」
イーメルの腕を掴んで、撥を取り上げて遠くへ投げる。
イーメルがその場に座り込んだ。
もう一度ルカの顔を見て、ほっとしたように溜息を吐いた。
「そなた、妖精族か」
そう言えば、人族の目を隠し、妖精族の目を見せていたのだった。
「いや、お姫さん。俺は妖精族じゃなくて」
イーメルが目を見開いた。
「『お姫さん』? その言い方は、まさか……ルカ? でもそなた妖精族であろう?」
ルカは眼帯を外した。
隠してあった人族の目が見える。右目に残った妖精族の目。手術で変えた人族の左目。
「ああ、俺がルカだ」
イーメルにはいずれ教えるつもりだった。自分がハーフエルフであること。探している姉がイーメルかもしれないこと。イレイヤ公に殺された父や母、町の人のこと。全部話すつもりだった。
そのつもりでここに来たのに、なんで。
「俺はハーフエルフだ」
「そんなことどうでもいい!」
イーメルが叫ぶ。
『どうでもいい』
それを平時に言ってくれれば、どんなに嬉しかっただろう。
「それより、わらわは一体どうしたのじゃ? この者達はなぜ血を流しておる。死んでおるのか? なぜ?」
イーメルがルカに縋り付く。
ルカの白い外套が、イーメルに付いた血で赤く染まった。
俺のせいだ。最初に気付いた時に、止めに入ってればよかったんだ。
「見てみろ」
床に散らばった人族の頭に、イーメルの視線を向けさせる。
「誰がやったんだ? お姫さんがやったのか? それとも、ここに他に誰かいたのか?」
責めたくなかった。悪いのはこの男達で、止めようとしなかったルカだ。けれど、ルカも何が起こったのか全てを見たわけではない。知っているのはイーメルだけなのだ。
「おお、そうじゃ。わらわがやった。この者たちが、わらわに乱暴しようとするから」
言って、イーメルが咳き込む。
何かを吐こうとしたようだったが、何も吐く物はなかった。ただ、血が混ざった唾が絨毯に落ちる。
イーメルの手の爪に、肉片が入っている。男を引っ掻いたのだろう。いくら妖精族の爪が鋭いとは言っても、それだけで体を引き千切ったりはできない。
あの力だ。物を吹き飛ばすだけではない。動きを封じたり、器用にやれば操ったりもできる。力が強ければ、引き千切ることもできるのだ。
「この者たちが悪いのじゃ。わらわは、ただ……怖くて……」
「お姫さんの力なら、ここまでしなくても男たちを懲らしめることができただろ。何もこんな……酷いことをしなくても」
吹き飛ばすだけで良かったはずだ。それから応援を呼べばいい。
殴られて、気付いたら見知らぬ男に囲まれていた。
普通の女性ならそれは怖いことだろう。だがイーメルは妖精族で、相手は人族だ。
「酷いこと……? でも、それはこやつらが」
「だからと言って、お姫さんがこいつらの命を取って良いってことにはならないだろ」
この男達がやろうとしていたことは罪だ。例え未遂であったとしても許せることではない。だが、裁きを下すのがイーメルである必要はないし、殺してしまったら裁きにかけることもできないではないか。
イーメルがルカを見上げた。
「わらわは……なんてことを」
両の目から涙が流れ出す。死んだ男達を哀れんでの物か、自分の境遇を嘆いているのか、それとも別の理由があるのか、ルカには分からない。
「わらわは怖かったのじゃ。ここまでするつもりは無かった。でも、何をされるか分からなくて、怖くて……」
涙を流すイーメルを、ルカは静かに抱きしめた。
「もう良い。反省したなら良いんだ。責めるようなことばっか言って悪かった」
まだ乾き切っていない髪の毛を撫でる。
子どものようにしゃくり上げるイーメルを、ルカは長い間抱き締めていた。
「さて、じゃあお姫さんはもう一回風呂に入ってきな」
イーメルが落ち着いて来たので、ルカは言った。
イーメルが頷いて、ルカの側から離れた。
どうしたもんかな。
イーメルが隣の部屋へ行った後で、ルカは部屋を見回した。白い絨毯も壁も血で汚れている。掃除をして、何も無かったことにするのは無理だ。イーメルが人族を殺したとしても罪に問われる可能性は低い。相手は奴隷だからだ。だが、殺された人族にも家族は居るだろう。家族からはもちろん、その友人たちや、下手をすればカザートの人族全てがイーメルを恨むようになるかもしれない。
泥棒に入った人族の男達に強姦されそうになった、と真実を言えば人族を敵に回すことはないだろうが、イーメルがそれをどうどうと言うとは思えない。『されそうになった』は『された』と同義に捉えられてしまうものだ。
実際にどうだったのかは、イーメルの言葉を信じるしかない。
だから、これをやったのがイーメルではないことにしなければならない。
仲間割れ? いや無理だ。殺し合ったんじゃここまでバラバラにはならない。誰か逃げたことにして……。それも無理だ。奴隷は全員国に登録されてる。数が足りなければすぐ分かる。
ルカが考えているうちに、イーメルが風呂から出てきた。
風呂から上がったばかりだというのに、イーメルの顔は青ざめていた。
「ルカ、……わらわは、どうすれば良い?」
これ以上イーメルを責めたくなかった。
「お姫さんは、王族の象徴みたいなもんだ」
ルカは言う。
形見のナイフは変形していたが、無理に引っ掻けば傷を付けることくらいはできる。
ルカはナイフを自分の手のひらに当てて、傷を付けた。
その手で、壁のまだ白い部分に手形を付けて行く。
「だから、証拠にちょっとくらい違和感あっても、きっと俺が犯人ってことで落ち着く。いいか、お姫さん。これは人族同士の争いだったんだ。んで、俺がこいつらをここまで追い詰めて、殺して、それから俺は窓から逃げた。そういうことにするんだ」
「そんな。そなたがわらわの罪を被る必要はない」
イーメルが言う。
ルカは自分の手のひらを見て、それからイーメルに言った。
「でももう、手形付けちまったもん」
ルカが笑って見せると、イーメルも固い表情のまま笑おうとした。
「じゃあな、お姫さん。あ、そうだ。一応俺の弁護頼むわ。まだ死にたくはない」
窓枠に手を掛けて、飛び降りる。
三人殺したことになれば、下手すれば死刑だ。もうイーメルとも会えないかもしれない。
それでも構わなかった。
自分が居なくなった後で、イーメルが彼女の思う通りの世界を作り上げれば良い。妖精族の女性が、誰の目も気にせず人族の子どもと遊んでいられるような、そんな世界を。
白い外套が血で赤く染まっていることを思い出して、途中でルカはターバンと外套を取って手に持って帰った。
家に帰るとセイロンとマギーが台所に居たが、挨拶するより先に、手に持っていた外套とターバンを火にくべた。
「おかえり、ルカ」
自分の背中に向かって、セイロンが言った。
白い外套に移った火が次第に大きくなり、やがて元が何であったかも分からなく程に黒く焦げていった。
ルカは火掻き棒でそれを突付いて、塊が残らないように崩し、元からあった燃えカスや灰に混ぜた。
こっちはこれで大丈夫だ。
それから、手の中に握ってきたナイフを水で洗い、ついでに自分の顔や手も洗った。
「ルカ?」
セイロンが尋ねた。
「ああ、ただいま」
寝室に入り、ナイフを枕の下に隠す。セイロンには全て見られているわけだが、それで良かった。少しすれば妖精族がルカを捕らえに来るはずで、その時にルカが証拠を隠滅しようとしていたことをセイロンが証言してくれれば都合が良いのだ。
「ルカ、マギーが話したいことがあるって」
「え、ああ」
頷いて、ルカは台所に戻った。
思い出した。
出かける前、ルカはマギーに酷いことを言ったのではなかっただろうか。急いでいたし、何を話したのかはっきりとは思い出せないが、それでマギーが怒っているのだろう。
テーブルを挟んでマギーの向かい側に座ったルカは、マギーが顔を上げた瞬間に言った。
「すまなかった、マギー」
「ごめんなさい」
同時に、マギーがルカに謝る。
「わたし、なんだかよく分からないけどおじさんに迷惑掛けて。さっきセイロンにも、分からないからって何しても良いってことじゃないって……言われて。ごめんなさい」
両手を膝の上で握り締めて、マギーが必死な表情で言う。
ルカは後ろに居るセイロンに目を遣った。
なんでマギーが謝るんだ?
声に出していないのだから、セイロンからその答えが聞けるわけがない。セイロンは憮然とした顔でルカを見ただけだった。
セイロンに助けを求めるのは諦めて、ルカはマギーに向き直った。
「いや、悪いのはこっちだ。色々焦ってて、その、何の話してたかもあんま思い出せないだけど、マギーが悲しくなるようなこと言ったんだよな。ごめんな」
マギーが悲しそうな顔のまま、少し口を開きかけた。
だがその口を閉じ、一度唾を飲み込んでからもう一度口を開いた。
「ううん。やっぱり、悪いのはわたしだと思うし、次から気を付けるね」
そう言って、微笑んだ。
笑ってる顔が一番だ。
ルカは思う。
マギーを難しい顔にさせたのは自分だ。お陰でセイロンも難しい顔になっている。彼らを困らせることがルカの目的ではないのに。
「じゃあ、わたし帰る」
マギーが満足したように言った。
「ひとりで行くのは危ないから、ルカが送って行ってあげて」
セイロンが言った。
俺、妖精族が捕まえに来るの待たないといけないんだけどな……。
思うが、仕方が無い。確かにマギーをこの時刻にひとりで羊飼いの村まで帰らせるわけにはいかない。
「わかった。マギー、家の近くまで送るよ。行こう」
ランプを手に取り、家を出る。
いつも子どもを送り届ける時と同じように、ルカはマギーと手を繋ごうと手を伸ばしたが、マギーは恥ずかしいのかルカの手を取らなかった。
もう子どもじゃないか。
ルカの肩の高さより大分身長の低いマギーと並んで歩きながら、ルカは笑う。
「何がおかしいの? わたしを見て急に笑うなんて、失礼よ」
マギーが大人びた台詞を言う。
「ごめんごめん。別にマギーの顔が面白かったとかじゃないから、気にしないで」
向こうに見える人族の集落がまだ明るい。王の結婚式だったから、まだお祭り状態なのかもしれない。
「今日は一緒に行けなくて悪かったな。また今度誘ってくれよ」
ルカが言うと、マギーが満面の笑みで頷いた。
今度があれば。
今はルカを追って来た妖精族がセイロンの家に着いた頃だろうか。せめてマギーを家まで送るくらいの時間は残っていて欲しかった。




