第49話
おそらく重傷だろう。
それでも彼女を守れた事実は変わらない。
彼女の柔らかな髪が頬をくすぐり、微かに震える息遣いを感じる。
「いやっ…死なないで…っ、アルベルト…私なんか守らないで……!」
彼女が絞り出すような声で訴えてくる。
私は最後の力を振り絞り微笑んで見せた。
「エカテリーナ……私は…「私」が存在しない、何物でもない…と、思っていました……」
「こ、こんなときに、なにを言い出すの…っ?」
「はは……っ、でも…貴方のお陰で、貴方やダイキリと居るときは…私の中に居心地がいいと思う「私」がいた……」
「───なら私は、最初のバーでの約束通り……っ、最期も貴方の盾になりたいの…です」
言葉を途切れさせながらも話した途端──
「アルベルト……っ!やだ、死なないでっ!!」
「すみません…このよう、な…状態では…っ、とても……」
私は彼女にそっと耳打ちするように言った。
「…記憶も戻って……また、貴方とお酒が飲みたいと思った……っ、です、が…っ、どうやら…手遅れのようです……」
痛みを忘れるくらい穏やかな気持ちだった。
エカテリーナが声にならない声を上げて泣いている。
「飲むのよ…っ!マスターにあんたの好きなお酒出してもらえば…っ!なのに、こんなところで……!!」
その涙で濡れた頬を人差し指で拭えば、彼女は私を退かそうとしてくる。
「ダメよ…死んだら許さない…っ、私には…あんたしか、いないのに……っ!!……嫌…っ、これも、ぜんぶ、わたしのせいなの………っ?」
ぼろぼろと零れ落ちる涙と共に、彼女はぽつりぽつりと独白しはじめた。
その一つひとつに私の罪の大きさを痛感するばかりだ。
「そ、だ……わたしがもっとしっかりしてたら、こんなことにはならなかった…っ、ダイキリだって……生きてたかもしれないのに……!…全部わたしが…わたしが……っ」
その様子は見ていてとても辛いものがあった。
私は彼女の手を握り返した。
「違います……エカテリーナ……全ては……私が浅慮だったから起きてしまったこと…私には何もかもが足りていませんでしたから」
「ちがう……ちがう…ちがう……アルベルト…ッ、私…こんな、最低な…仲間も守れない…とか…いや……っ」
震える彼女の声と重なって私は最期の言葉を紡ぐ。
「…貴方は本当は…優しい人です……っ、そばにいたから、わかりますよ…」
私は彼女に微笑んだ。最期くらい綺麗に笑わないと彼女が泣きっぱなしになってしまうから。
「わた……わたしのせいで……!…あ……あぁ……ぁ…っ」
彼女はもう言葉になっていない嗚咽を漏らす。
私は彼女を抱きしめた。
「エカテリーナ……これ以上…自分を責めないで……泣かないでください…っ」
涙で濡れた彼女の頬をそっと撫でる。
そして彼女の唇に自分の唇を重ねた。
今までどんな愛情表現よりも切実で尊い時間だったと思う。
静寂の中、エカテリーナの泣き声だけが響いていた。
私の身体はもう限界を迎えようとしている。
エカテリーナの手が離れまいとするようにしっかりと握られている。
「あんたが死ぬなら…っ、私だって、こんな命捨てる…っ、盾なんかならなくていい……!!」
エカテリーナは再び涙を流したかと思うと、私の体を自分から剥がし、私を横においやる。
「……っ?エカ、テリーナ……?」
「あんたが死ぬなら私だって、生きていたくない……死ぬときも、一緒がいい……っ」
彼女は涙を拭いながら言った。
「アルベルト……守ってくれたのに悪いけど……っ、もう、戦えるほどの魔力も残ってないのよ…私……っ」
私の手のひらに彼女は弱々しく自分の手を重ねてきた。
顔だけで彼女の方を向けば、彼女もまた私の方に横向きになって体を向けている。
視界がじわりと滲み、制御を失った雫が頬を伝う。
それは顎へ逃げることも許されず
不快なほど生暖かい温度を保ったまま、音もなく耳の奥へと吸い込まれていった。
「…一緒に……ですか」
それは私にとって甘美な提案だった。
孤独に逝くよりも、彼女と最期の一瞬を共有する方がどれだけ幸福だろう。
エカテリーナの瞳も潤み、溢れる涙が静かに頬を伝っていた。
しかしそれは決して悲しみだけを映してはいなかった。
むしろ彼女の涙は、自分自身への怒りと無力感に湛えていた。
「……アルベルト、も…わたしも…もう、ボロボロ……だし」
エカテリーナは弱々しく微笑んだ。
その声は震えながらもどこか落ち着きを取り戻していた。
「……です、ね」
私とエカテリーナは手をつなぎあって涙を流す。
「だから……あんたが最期まで私の盾として死ぬ気なら…最期まで、私をあんたの共犯者でいさせて」
彼女は冗談めかしながらも真剣な眼差しで訴えた。
私は返す言葉を失った。
代わりに力強い意思を込めて彼女の手の甲にキスを落とす。
「もちろんです………っ、貴方と一緒なら…きっと、怖くない……っ」
私たちは互いの体をそっと抱き合う。
死の影が濃厚に漂う空間の中でも、そこには確かに逝く意志と深い絆があった。
「エカテリーナ…もっと、違う形で会えていたなら……未来は、もっと、違ったのでしょうか…」
私は自分勝手にそう話してしまっていた。
そうすれば今度は彼女から同じような感情を返してくれることを期待していた。




