第46話 【アルベルトSide】
視界が、深紅のノイズで埋め尽くされている。
いや、それは私の網膜が焼けているのではなく
目の前で荒れ狂うエカテリーナ───
今や「魔女」へと零れ落ちた彼女が放つ、高密度の魔力が大気を灼いているのだ。
「エカテリーナ……ッ!」
戦慄と共に口を突いて出る。
だが、その叫びは彼女には届かない。
彼女の瞳からはハイライトが消失し、底なしの虚無が、ただひたすらに私を───
この場に存在するすべての生命を「敵」と定めていた。
「ああああああああああああッッ!!」
獣のような咆哮。
直後、彼女の手にした二丁のリボルバーが
魔法回路の暴走によって歪な形状へと変貌し、物理法則を無視した弾速で魔弾を撒き散らす。
私は咄嗟に防御結界を展開するが、衝突の瞬間に衝撃が脳を揺らした。
重い。
今の彼女の攻撃には、一発一発に「存在を抹消する」とでもいうような純粋な殺意が宿っている。
彼女の背後を取ろうと地を蹴ったが、彼女は振り返りもせず、空いた左手で虚空を薙いだ。
鎌のような衝撃波が私の頬を掠め、背後の廃墟を粉々に粉砕する。
味方であるはずの私を、彼女はもはや認識していない。
あるいは、自我そのものが暗黒の海に沈み、反射だけで動く殺戮兵器と化してしまったのか。
(……それでも、エカテリーナを失うわけにはいかない)
私はさっき、ブロンクスの魔法によってエカテリーナやダイキリ同様に幻…夢を見せられていた。
私が視たのは、遠い昔の記憶
スラムに住んでいた幼少期
実の両親からは「あんたなんて産まなきゃよかった」と虐げられ、たった一人の妹からは出来損ないの兄貴として罵倒される毎日だったこと
どうしてこんな過去を見せるんだ、と考えたが
「お前たちが一番望んでいたものを与えてやる」なんて、ブロンクスは言っていたことを思い出し
自分の本当の姿、名前について私は知りたがっていた。だからこんなものを見たのかもしれない。
コロナリータと名乗った少女にあそこまで拒絶反応を示していた自分に納得もいった。
私をずっと罵倒していた、トラウマの核にもなっていた妹…リリィだったのだから。
リリィ…いや、コロナリータが話していたように、家が襲われたのは本当だった。
だが、コロナリータが話していたことは、違いすぎた。
両親は、男3人組…その後私の養父となる実施者・アルダープと
改造前のブロンクスと、MASTERという男に買い取られそうになった私を
「助けようとして打たれて死んだ」なんて
コロナリータの全くのデマカセだったこともこの夢で分かった。
妹が大事だから
妹が可愛いから
「コイツならただの道具に過ぎませんから、煮るなり焼くなり好きにしてやってください!俺たちの本当の子供はこの子だけですから、はは」
私は邪魔者で、彼らにとって道具同然の機械だった。
私を守ってくれる大人も、仲間も、家族もいなかった。
私が虐待を受けて家族から蔑まされていたのはもちろんのこと
一番求めているものを見せる魔法なら、これも全て真実なのだろうと、虚しくなった。
なにより、私には「私」なんてなかった。
実の両親にすら、名前なんて一度も呼ばれず、人間として扱って貰えなかった。
本名すら、存在していなかったのだという事実に、数年ぶりに涙を流した。
だが、頬を伝う雫に舌を触れるも、驚くほど味がしなかった。
ただひたすらに淡く、どこか頼りない水の味が、今の空虚な心そのもののようだった。
記憶を取り戻した今の私───
私は、もうただの機械ではいれない。
エカテリーナという女性に逢ってしまったから
彼女を救うこと以上に優先される因果など、この世には存在しないのだから。
「……エカテリーナ…今、助けますから」
私は肺腑を絞り、全魔力を脳中枢へと集束させた。
視界がモノクロームへと反転し、世界を構成する「文字」が浮き彫りになる。
ユニーク魔法──『特異点の観測』
それは、領域内に存在するあらゆる【魔法の術式】【法則】【因果】の繋ぎ目───
すなわち、本来あり得ないバグを視覚化し
そこに直接指を差し入れて「強制終了」させる、神の領域にも等しい禁忌。
見えた。
彼女の心臓部、魔女の核と化した術式の中に、一点だけ不自然に波打つ「矛盾点」が。
精神支配と魔力暴走の結合部。
私は迫り来る魔弾の雨の中を、あえてノーガードで突き進んだ。
肩が焼け、脚が裂けるが、構わない。その「点」さえ突けば────
「……終わらせる。───帰ってきなさい、エカテリーナ!」
咆哮する彼女の胸元に指を突き立て、私はそのエラーを引きずり出した。
世界が歪み、甲高い破砕音が響く。
「……ぁ、あ……っ……」
エカテリーナの瞳に、僅かな光が戻る。
黒く染まっていた肌が白磁の輝きを取り戻し、彼女の体から力が抜けた。
崩れ落ちる彼女を、私は迷わずその腕の中に抱きとめる。
「…アル……ベルト…っ?」
震える声で私の名を呼ぶ彼女。
「…どうやら、戻ってきたようですね…エカテリーナ」
彼女の温もりに、私は生まれて初めて神に感謝したいとすら思った。
だが、その安堵を切り裂くように、頭上から冷徹な声が降ってきた。
「──まさか。魔女化を外部からの干渉で解くとは。大したものだな」
声のした方を仰ぎ見る。
そこには、全身を真っ赤に染め
もはや死体同然で転がっているブロンクスの隣に
見るからにバーテンダーのような格好をした一人の男が立っていた。
そして、その背中には、神々しくも禍々しい
白く巨大な羽が静かに羽ばたいている。
「………アルベルト…っ、私、なにをしてたの……っ?ダイキリを…殺してしまったところから…記憶が、なくて…」
私はエカテリーナを抱き寄せたまま
「…魔力の許容量を大幅に超え、戦い続けたことで精神を乗っ取られ、一時的に魔女と化していました」
「そんな……っ」
「しかし、ご安心を。なんとかユニーク魔法で正気に戻すことができましたので──」
説明しようとした刹那。
「MASTAR様……!こいつらはすぐに──」
地面に転がっていたブロンクスが突然声を上げた。
血塗れの顔を歪めながらも、背後に控える
「MASTER」を敬うように頭を垂れている。
だが。
「──黙れ」
空気が凍り付いた。
背中に生えた巨大な白翼を持つ男──
MASTERは、まるで虫でも払うかのように軽く指を鳴らした。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
ブロンクスの喉仏が、内側から破裂したのだ。
鮮血が噴水のように迸る。それは普通の出血ではなかった。
皮膚が内側から押し破られ、骨すら容易く砕かれながら飛び出してくる肉塊──
それが無惨にも宙を舞った。
ブロンクスの表情が恐怖と絶望で極限まで歪む。
「ぐっ……あっ……!?」
絶叫する間もなかった。
MASTERの口が、常識を超えて大きく開いた。
牙とも言える鋭利な歯列が並ぶその奥へと、宙を舞ったブロンクスの首が吸い込まれていく。
ごりゅ……ずしゃ……と湿った咀嚼音が静寂を裂いた。
「…………………」
言葉にならない恐怖が私たちの間に満ちる。
エカテリーナが私の腕の中で小刻みに震え始めたのがわかる。
(喰った……?)
ブロンクスは単なる仲間ではなく、やはり玩具程度ということなのか──
「……そろそろお前達も“味”を見せてもらおうか」
MASTERは口元を血で汚しながらも平然とした様子で言い放つ。
その声には微塵の感情も感じられない。
ただ飢餓感だけが滲んでいるかのようだ。
「アルベルト…ごめん」
エカテリーナがか細い声で囁いた。
彼女の顔色は青ざめているが、瞳にはまだ闘志が残っていた。




