第43話
その言葉が耳に届いた瞬間、頭の中で何かが、決定的に断裂した。
母を愚弄する、その呪詛。
死の間際まで、母を貶め、私の覚悟を嘲弄するその姿勢。
この男が母の命を奪っただけでなく、その尊厳までも泥で踏みつける。
(慈悲? 後悔? 感情論?)
そんなものは、地獄へ置いてきた。
私が引き金を引き、この指を動かす理由はただ一つ。
「───ッ!!」
言葉にならない憤怒が、咆哮となって喉から迸った。
轟音と共に、二丁のリボルバーが火を吹いた。
一発目。
父の胸に穿たれた穴から、鮮血が噴水のように弧を描いた。
「かはっ……!」
二発目。腹部に新たな穴。
三発目。右腕が関節から吹き飛ぶ。
「ああ゛っ……!?」
四発目。左脚の骨を砕く。
五発目。喉笛を貫く。
六発目。
額の真ん中に命中した弾丸が頭蓋を粉砕し、父の身体は不自然に跳ね上がってから、重く静止した。
銃弾を撃ち尽くしても、私は引き金を引き続けた。
カチリ、カチリと虚しい金属音だけが響く。
薬莢はもう空だ。
なのに指が止まらない。
怒りで腱が痙攣し、腕が勝手に動き続ける。
「後悔するのは、貴方のほうよ」
私は地面に転がる、もはや肉塊に等しい父の死骸を見下ろした。
顔は原型を留めていない。真っ赤に染まった泥。
それでも、父の醜悪な執念がまだ蠢いているように見えた。
「……お、れは…まだ……死な……ん…」
か細い声が耳に届いた瞬間、私は空になった銃を投げ捨て、父の腹部を渾身の力で踏みつけた。
靴底から伝わる、生々しく潰れる感触。
内臓が弾ける音。
血溜まりが四方に広がっていく。
「しぶといわね。本当に、反吐が出るわ」
「…はっ……」
父が嗤う。
死に瀕しながらも、屈辱を愉しむかのようなその目が、たまらなく嫌だった。
母を壊した、あの狂った目が。
私は落ちていたリボルバーの一つを拾い上げ、銃口を、その剥き出しの瞳に直接突き立てた。
「あ゛あ゛っ……!」
眼球の間から溢れ出す鮮血。
父の口角が、苦痛か悦楽かわからない歪み方をする。
噴き出す返り血が顔にかかるが、拭う気にもなれない。
私はそのまま、手足、胴体、あらゆるところに
感情のままに銃身を叩きつけ、魔力を込めた弾丸を打ち込み続けた。
何度も。何度も。何度も。
肉を断つ感触。骨を砕く不快な振動。
その度に、父の身体から醜い生命力が奪われていく。
「死ね……死ね、くたばれ……っ!」
私は呪文のように呟き続ける。
父の瞳孔は完全に開き、生命活動はとっくに停止しているはずだ。
それでも、二度と動かないように
二度とその口が母を辱めないように、徹底的に破壊を繰り返した。
母への償い?
違う。これはただの、どす黒い自己満足だ。
これで何かが変わるわけではないことはわかっている。
けれど、どうしても、止められなかった。
「………っ…」
最後の一撃を振り下ろしたとき、不意に全身から力が抜けた。
膝が震え、崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。
銃声の残響がスラムの霧に吸い込まれて消えたころ、私は荒い息を吐きながら血に濡れた腕を下げた。
弾倉は空。全身が、鉛を流し込まれたように重い。
こんなに呆気なく殺せるなんて思えなくて拍子抜けする。
それでも、目の前の惨劇が現実なのだと認識できた。
(終わった……。母さんの仇、父への復讐は、これで…やっと、終わったのね……っ)
そう思った、その瞬間。
視界が、急速に、あまりにも不自然にぼやけ始めた。
カメラのレンズが曇るように色彩が溶け出し、輪郭がぐにゃりと滲む。
父の遺体があったはずの場所が、灰色の冷たいモヤに包まれていく。
「……?」
私は何度も瞬きを繰り返した。
血のついた手で目を擦る。
だが、ぼやけは治まらない。
それどころか、霧はさらに濃くなり、現実感を削ぎ落としていく。
まるで、最初から世界そのものが偽物だったかのように。
「?……っ、? な、なに……これ……」
額から、嫌な汗が垂れる。
脳裏を掠める、冷酷な不吉。
父の最期の嘲笑が、今さらになって心臓を締め上げる。
『後悔するぞ』。
あの言葉の意味が、暗い水底から浮かび上がってくる。
「エカテリーナ……っ!!」
アルベルトの声が、霧の向こうから、悲鳴のように聞こえてきた。
彼が必死に駆け寄ってくる気配。
だが、私の目は、徐々に晴れていく霧の中の一点に、縫い付けられていた。
霧が晴れる。
最初に見えたのは、床に不自然に広がる、温かそうな血の溜まり。
次に、力なく投げ出された
細い、まだ若い手足。
「…………うそ」
思考が、完全に停止した。
そこに横たわっていたのは───
父なんかじゃない。
ダイキリだった。
彼女は、いつもの普段着のままだった。
だが、その体には
私が今しがた放ったはずの、無数の銃弾の跡が刻まれている。
右腕は肩から千切れかけ、腹部は内臓が露呈するほど無残に抉れていた。
顔の半分は潰れ、残された片方の眼孔からは、血の涙が溢れ出している。
私の呼吸が、激しく乱れる。
心臓が肋骨を突き破らんばかりに脈打つ。
「…………っ」
声が出ない。唇だけが、意味もなく震える。
これは、まだ夢なのか?
だが、鼻を突く血の臭いは、あまりにも本物だ。
鉄錆のような、生臭い味が喉の奥まで広がっている。
「エカテリーナ……彼女を早く…っ」
アルベルトが叫びながら飛び込んでくる。
彼もまた、混乱の極致にいた。
彼が魔法で封じ込めていたはずの「父」は、上で浮上したまま、私たちを眺めていた。
「ははははははっ!!まんまと夢に騙されおって、これは傑作だな?!」
そこにあるのは、無残に破壊された仲間の遺体だけだ。
私は膝から崩れ落ちた。
ダイキリの小さな体を抱き上げようとして、手が激しく震え、指先の感覚が消失していく。
「ダイキリ? うそよね……なに、?し、知らないわよ。だって、私が撃ったのは、父で……あいつで……」
彼女の胸に触れる。
鼓動はない。
体温が、驚くべき速さで失われていくのが、掌を通じて伝わってくる。
私の手は、彼女の温かかった血で、べったりと汚れていた。
「エカテリーナ……悪夢から、覚めたんです」
アルベルトの震える声。
「は? ……私は、母さんの夢を見ただけで、そこから自力で抜け出したの! トドメを刺すなら今だって、アルベルトとダイキリが、二人で教えてくれたじゃない……!」
「……それすらも、夢だったのでしょう。ブロンクスの術式は、二重、三重に重なっていた……」
「っ? ……う、そ。嘘よ、そんな……っ。じゃあ、なに……私……私が……?」
「…私が自力で夢の結界を破り、目覚めたときには……もう、手遅れでした。貴方は、……ダイキリに向かって、笑いながら引き金を引き続けていた」
「そんな……っ……嘘よ……嘘って言ってよ!!」
絶叫が、喉を灼き切る。
視界が真っ暗に染まっていく。
自分が、何を撃ったのか。何を壊したのか。
愛した母の仇を討つために引き抜いた銃で
私は、自分を信じてくれたたった一人の、いつの間にか実の妹のように思っていた未来ある少女を。
「私は父を殺したはず……なのに。嫌だ、違う……違うわ! ダイキリを……殺したなんて、そんなの悪い夢でしょ!? まだ夢の中なのよね……っ! ねえ、アルベルト!」
私は彼の服を掴み、狂ったように揺さぶった。
アルベルトは、ただ悲痛な面持ちで私を見つめ、静かに首を振った。
「エカテリーナ…っ、落ち着いて、ください。これは──紛れもない…現実です」
足元の血溜まりが、私の膝を赤く染めていく。
冷たい雨が、また降り始めていた。
足元の血溜まりが、私の膝を冷たく、そしておぞましいほど熱く染めていく。




