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悪役令嬢と悪役令息、地獄行きのディストピア  作者: 猫塚ルイ


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第38話

「……随分と、悪趣味な詩だこと。反吐が出るわ」


アルベルトは淡々と、しかし軽蔑を込めて続けた。


「書き手が、常軌を逸した酔狂人であることは確かです」


「それじゃあ……私やコロナリータさんたちはそのグラスの中に沈む『玩具』のひとりってことですか…?」


「そう、考えざるを得ないわね」


私とアルベルトは互いの顔を見合わせる。


沈黙が落ちる。


「しかし…」


その沈黙を破ったのは、アルベルトだった。


「この文が示唆しているのは他にあると考えられます」


「他に?」


「はい…本来「グラスの中身」は、飲むだけでなく「見る」ためのものです」


「観賞ってこと……?」


「ええ。この世界というレシピの中で、翻弄され、溺れ、苦しむ玩具たちを、安全なカウンターの向こう側から眺めて楽しんでいる。


「……書き手は、自分をこの世界の『マスター』であり『創造神』だと定義しているのかもしれません」


「…なるほどね」


あの紙切れにはまだまだ謎が多い。

だが少なくとも、私たちが追っている「父」という存在が関わっていて、その人物が常軌を逸した思想を持っていることは確定的になった。


沈黙が、重く部屋を支配した。


窓の外では雨脚が弱まり、遠くでスラムの濁流が流れる音だけが聞こえる。


「……ともかく。この紙切れの内容が本当なら、明日はもっとコロナリータに踏み込んで話を聞かないと」


「彼女が何を知っていて、何を隠しているのか。あるいは、何を『植え付けられている』のか」


私に続くようにアルベルトが冷たく言い放つと、ダイキリは納得のいかないとでも言うような


恐怖を必死に抑え込もうとする表情で小さく頷いた。


「……整理はできました、けど。でも、やっぱり……ちょっと、怖くなってきちゃいました。私、おもちゃになんてなりたくない……」


その小さな呟きは、暗い部屋の中で重く響いた。


私は少しだけ、彼女の緊張を解こうとして笑ってみせた。


「もう、そんなにビビらなくても大丈夫よ。私がついているでしょ」


だが、ダイキリは見たこともないような焦燥に満ちた顔で私を凝視した。


「お二人は、ここに名前を書かれていないから…そんな余裕でいられるんですよね!?私は……お母さんをあんな風に壊されたのに、次は自分の番かもしれないって……! その不安が、お二人には分からないんですよ!!」


「……っ、」


言葉に詰まった私に代わり、アルベルトが静かに口を開いた。


「……なら、用心しましょう。敵はまだ、特等席でグラスを傾けているだけで、舞台は既に整っているかもしれません。私たちがすべきなのは、そのレシピをぶち壊すことだけです」


「……ダイキリ。励まそうとしたつもりだったけれど、無責任に聞こえたなら謝るわ」


私の謝罪に、ダイキリはハッとして、震える手で顔を覆った。


「……っ、あ、いや、こちらこそ……取り乱してしまって。ごめんなさい、エカテリーナさん、アルベルトさん」


だが、彼女の指先は、止まることなく震え続けていた。


(この子には、私のような、地獄の底から這い上がってきたような殺意はない。彼女はただ、普通の少女として、普通に生きたかっただけなのかもしれない……)


無理やり復讐の道に引き摺り込んだ罪悪感。


そして、血の繋がった妹を守らなければならないという


これまでに感じたことのない奇妙な責任感が、私の中で複雑に交錯する。


私は、彼女の震える手に、そっと自分の手を重ねた。


「……私は、無責任なことは言わないわ。仮にも私たちは、あの忌まわしい男の血を分けた姉妹なんだし。あんたのことは、私が必ず守ってあげる」


それが、今の私に言える精一杯の言葉だった。


ダイキリは驚いたように目を見開き、やがてホッとしたように、泣き笑いのような顔で微笑んだ。


「……エカテリーナさん。……そんな風に言ってもらえるなんて。……すごく、嬉しい…かっこいいです」


その笑顔に、私の凍りついた心の一部が、わずかに救われるような気がした。


夜は、まだ深い。


雨音は収まりつつあるが、この家には依然として


蜘蛛の巣に絡め取られたような粘り気のある緊張感が漂っている。


アルベルトは椅子に深く腰掛け、腕を組んで目を閉じた。


私は深く息を吸い込み、乱れた思考を、鋭利な刃物のように研ぎ澄ませていく。


創造的再利用玩具。


001-GIMLETから始まる、呪われたリスト。


そして「この世界は私のレシピだ」と嘯く何者か。


(すべてはゲームの駒、グラスに浮いたチェリーの一粒に過ぎないのかもしれない……)


腹の底から、黒い炎のような、冷徹な殺意が燃え上がるのを感じた。


私とアルベルトだけが、例外であるはずがない。


あの忌まわしい父親。


奴がこの世界を「レシピ」と称するなら。


コロナリータも、ダイキリも、私も。


そして、この無機質な私の「盾」であるアルベルトさえも。


私たちは皆、見えざる糸に操られ、グラスの中で溺れることを運命づけられたマリオネットに過ぎないのかもしれない。


(そんなの、冗談じゃないわ)


思わず、口角が吊り上がった。


愉快な気持ちなど、微塵もない。


ただ、純粋な怒りと、宿命を食いちぎってやりたいという復讐心だけが私を支配していく。


この謎を解き明かし、あの男の心臓に、この手で終止符を打たない限り。


この怒りの焔は、私の魂を焼き尽くすまで消えることはないだろう。


「……もう、体を休めましょう。明日は、早いから」


私は二人に告げ、それぞれの布団に入る。


すぐには眠れそうになかった。


まぶたを閉じても、不吉なカクテルの名前が浮かんでくる。


それでも。


明日という名の「次の工程」がやってくることだけは確かだった。



◆◇◆◇


薄暗い室内を、朝の湿った冷気が支配していた。


昨夜の嵐のような雨は上がったというのに、スラムを包む霧はさらに濃度を増している。


それはまるで、これから起こる不吉な出来事を隠蔽しようとする、意志を持ったヴェールのようだった。


隣のベッドに目を向けると、そこにあるべき体温が失われていることに気づく。


コロナリータ。


昨夜、私たちのために毛布を運び、屈託のない陽気な声を響かせていたあの女が、音もなく消えていた。


胸をざわつかせる予感に突き動かされ、私は表へ出た。


彼女は、家の前の泥濘の中に、まるであつらえた彫像のように突っ立っていた。


「おはようございます! 昨日の雨で道が分かりにくいかもしれないので、最後に出口までお見送りしようと思って。さあ、こちらですよ!」


霧の向こうから、彼女の明るすぎる声が響く。


だが、その背後に広がる深い白濁は、無知な獲物を待ち構える巨大な口腔のようにしか見えなかった。


私とアルベルトは視線を交わす。


互いの瞳に灯る不信の火種を確認し、私たちはあえてその背中を追うことにした。


足場の悪い瓦礫の山をいくつも越える。


案内を続けるコロナリータの足取りは、この迷宮のようなスラムにおいてあまりに軽やかすぎた。


ふと、真横を歩いていたアルベルトが、霧の結界を揺らさぬような微かな声で私の耳元に唇を寄せた。


「……妙に、怪しいですね」


「…アルベルトもそう思う?」


私は声を潜めて応じる。


「はい。このコロナリータという少女、やはり底が知れない。笑顔の裏側に、真っ暗な穴が開いているような、そんな空虚さを感じます」


「それは同意見だわ。何かしらの『裏』があると考えたほうが自然よね」


「と、言いますと?」


アルベルトの低い声が、冷たい風に乗って私の鼓膜を打つ。


私は前方を歩くコロナリータの楽しげに揺れる背中を見据えながら、腹の底に沈殿している不快なパズルのピースを一つずつ並べていった。

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