第36話
「【Juguete de reutilización creativa】『創造的再利用玩具』……?」
スペイン語らしい単語の下に、さらにいくつかの名前が羅列されていた。
「001-GIMLET」
「008-DAIQUIRI」
その下には【Remade Toy】という文字。
「007-CORONARITA」
「005-BRONX」
「010-REDEYE」
最後に一文。
"Vous n'êtes que les jouets d'un verre où vous devez vous noyer, car ce monde est ma recette."
(あなたたちは溺れるべきグラスの中の玩具に過ぎない。なぜならこの世界は私のレシピなのだから)
……何、これ。
私が眉をひそめた瞬間だった。
「お待たせしました〜!」
明るい声と共に扉がノックされる音。
コロナリータだ。
「とりあえずこれは私が持っておきます。あとでまた確認しましょう」
隣でダイキリと一緒に書類を漁っていたアルベルトが、私の手から素早くその紙切れを抜き取り
慣れた手つきで自分のジャケットの内ポケットへ滑り込ませた。
その動きは驚くほど滑らかで、全く音を立てない。
「どうぞどうぞ! 外は暑かったでしょう?」
彼女の朗らかな声が近づいてくる。
私たちは慌てて何もしていなかったかのように席に戻り、平静を装う。
「いえいえ! コロナリータさんのおかげで涼むことができています!」
ダイキリが完璧な愛想笑いで応じた。
……普段なら胡散臭いと思うかもしれないが、今は心強い味方に見えた。
「本当ですか? 嬉しいなぁ! それで、今日は何を知りたいんです? 私に答えられることなら何でも!」
テーブルに置かれた安っぽいティーカップから漂う紅茶の香りが鼻をつく。
しかし私の意識は、アルベルトのポケットの中にある紙切れの内容に囚われていた。
001から010までの数字。
そこに並ぶ名前。
意味不明なフレーズ。
それら全てが、今まで感じていた漠然とした不安感を具体的な恐怖へと変えていくようだった。
「そうね……この前、知らない男になにかをされたって言ってたけど、その男の特徴については覚えていないかしら?」
私は気持ちを切り替え、本題に入ろうと努めて冷静な声を作る。
紙切れの謎解きも重要だが、まずは今すべきことを優先しなければならない。
「特徴……ですか」
コロナリータは首をかしげて考え込んだ。
アルベルトが隣で小さく息を飲むのが分かった。
あの紙切れの情報を彼も見ている。
おそらく私と同じように困惑しているはずだ。
「うーん……正直、あんまりよく覚えてなくて…怖くて必死だったから……でも」
「でも?」
「なんだか……こう、独特の匂いがした気がします。甘くて、少しだけ刺激的な……煙草みたいな……」
煙草。
その言葉に、ダイキリと同時に目配せした。
私たちの「父」はヘビースモーカーだった。
「なるほど……ちなみにそのとき、3人組の男だったのよね?他の男の特徴は覚えてる?」
私の質問に、コロナリータは少し考え込んでから答えた。
「他には……えぇと…髪の長い人がいました。白衣みたいに白い服を着てて、博士?みたいな人です、その人が私の父と母を殺したのをこの目で、目の前で見ましたから」
予想外の証言に、私は思わず息を飲む。隣でアルベルトがピクリと僅かに反応した。
「もう1人は分かりません…」
「……」
重苦しい沈黙が室内に満ちる。
その沈黙を破ったのは、コロナリータのどこか寂しげな声だった。
「でも、一番印象に残ってるのは、タバコの匂いがした男が言ったことなんです」
彼女は俯き加減になりながら続けた。
「その人は…私に向かって笑いながら言ったんです。『お前の人生はこれから劇的に変わる』って……」
その言葉が何を意味するのか。そしてあの紙切れとの関連は?
疑問は尽きないが、一つだけ確信できたことがある。
私たちが追っている「真実」は、想像以上に歪んでいて、底なし沼のように深く入り組んでいるということだった。
◆◇◆◇
その夜───
話を終えた後も、私の脳裏にはまだ聞きたいことが山ほど渦巻いていた。
特に、あの忌まわしい紙切れについて。
湿り気を帯びた空気、古びた建材が放つ独特の拒絶感。
もっとこの家の奥深く、コロナリータの目が届かない闇を探れば、父の足跡が見つかるかもしれない。
もう少しこの家の中を調べたいけれど……
アルベルトに預けたあの断片的な情報だけでは、パズルのピースがあまりに足りない。
どうしたものかしら。
しかし、焦燥に駆られて窓の方にチラリと目をやると、いつの間にか夜の帳は重苦しい雨雲に塗り潰されていた。
窓を叩きつける雨音は、次第に激しさを増し、ガラスを抉るような鋭い音を立てている。
スラムの汚濁した空気を洗い流すには、あまりに暴力的な雨だった。
これは、すぐに止みそうもない。
「まぁ、雨が降ってきちゃいましたね」
コロナリータが、首を傾げて窓の外を見つめながら呟いた。
彼女は、まるで台本があるかのような申し訳なさそうな顔を作り、私たちを交互に見る。
「外も暗くなってきましたし…急に降り出しましたから、道も危ないです。良ければ今日は泊まっていってください!隣の部屋が空いていますから」
ありがたい申し出……と額面通りに受け取れたら、どれほど楽だったか。
だが、この絶妙すぎるタイミング、そして彼女の淀みのない「親切」。
「え、本当ですか!? 助かります! この雨じゃ、帰り道にスラムの溝にハマっちゃいそうですもん!」
能天気に喜ぶダイキリの横で、アルベルトは相変わらず、石像のような不機嫌さを隠そうともしていなかった。
私はというと……内心、猛烈な葛藤の中にいた。
確かに、この激しい雨の中、土地鑑のないスラムを強行突破するのは自殺行為に近い。
かといって、正体の知れない、あの「不自然な青い瞳」を持つ女と一夜を共にするというのは……警戒心を捨てろと言う方が無理な話よ。
あの紙切れの内容が真実なら、この家自体が巨大な捕食者の口腔である可能性すらある。
逡巡する私の心中を見透かしているのか、それとも単に何も考えていないのか。
コロナリータは、相変わらずあの気持ち悪いほど完璧な笑顔を崩さずに続けた。
「遠慮しないでください! 好きに使ってくれてかまいませんから。お兄ちゃんと、そのお友達なんですもの」
……この無邪気を装った笑顔。
やはり、どうしても生理的な嫌悪が込み上げてくる。
それでも、私の生存本能が「今は留まるべきだ」と囁いていた。
「……えぇ。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
仕方なくそう答えると、コロナリータはパァッと、それこそ子供のように顔を輝かせて立ち上がった。
「良かったぁ! じゃあ早速準備しますね! エカテリーナさんたちはここでゆっくりしていてください」
彼女は扉に手をかけたところで、ふと思い出したように「あ、そうだ」と、人差し指を立てた。
その仕草一つ一つが、教育された人形のように整いすぎていて鼻につく。
「空いている部屋は1つしかないので、3人用の毛布、用意しておきますね! 仲良く使ってください♪」
「え、ええ、ありがとう」
私の隣でダイキリが引き攣った笑顔を見せ、アルベルトはといえば
心底嫌そうに、重い、重い溜息を吐き出していた。
案内された空き部屋は、不気味なほど整然としていた。
中央に丸い木製テーブルがあり、壁際には本棚や古びた書物が少し置かれているだけ。
スラムの奥地にあるはずの廃屋。




