表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢と悪役令息、地獄行きのディストピア  作者: 猫塚ルイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/50

第33話

生活の気配は、確かにそこにあった。


「ありがとう」


私は短く礼を言い、部屋の隅に鞄を置いた。


「お茶淹れてきますね! 少し待っていてください!」


コロナリータが足早に去ると、室内には重苦しい沈黙が降り積もった。


アルベルトは壁に背を預け、苦悶に満ちた表情で目を閉じていた。


ダイキリはソファに浅く腰かけ、落ち着かない様子で窓の外の荒野を見つめている。


「大丈夫?」


問いかけると、アルベルトはゆっくりと重い瞼を開いた。


「ええ……少し落ち着きました。申し訳ありません……見苦しい真似を」


「謝ることはないわ」


「ただ……頭の中に、分厚い霧がかかっているようです」


彼は、自身の存在を確かめるように額に手を当てた。


「あの方が……本当に、私の血を分けた妹なのかどうかも、今の私には分からない。けれど、なぜでしょう……あの顔を見ていると、胸の奥が、焼け付くように痛くて仕方がないのです」


ダイキリが、縋るような目で振り返る。


「あんなに良さそうな人なのに……ですか? やっぱり、思い出せないこと自体が、痛みに変わっているのでしょうか」


アルベルトの目は虚空を見つめ続けた。


「分かりません。ですが……この家の中に入ったとき、急に景色が歪んだ気がしました。……現実が、偽物に置き換わるような、そんな感覚です」


そのとき、控えめな、けれどどこか粘り気のあるノック音が響いた。


「お茶ができました。入ってもいいですか?」


コロナリータの声だ。私たちは互いに視線を交わし、私は一つ頷いた。


「どうぞ」


扉が開き、彼女がお盆を持って現れた。


その瞬間、部屋の空気が微かに冷え、密度が増したような気がした。


テーブルにティーセットを並べていく彼女の手つきは、流れるように滑らかだった。


カップに注がれる琥珀色の液体からは、芳醇な香りと共に湯気が立ち上っている。


「熱すぎない温度だと思いますけど……苦手でしたら、言ってくださいね」


彼女の笑顔は親しみやすく、同時に、今にも消えてしまいそうなほど儚げだった。


「ありがとう。いただくわ」


私がカップに手を伸ばすと、アルベルトもゆっくりと姿勢を変え、ダイキリもお茶を受け取る。


「それで……皆さんはどうしてここに?」


コロナリータが、探るような、けれど柔らかな口調で尋ねてきた。


「……貴方、アルベルトのことを兄と呼ぶけれど……今の彼には、過去の記憶が一切無いの。もしかして、故郷であるスラムに行けば、家族に会えば、記憶を取り戻すんじゃないかと思ってここに来たのだけど……」


私は事実を、毒を含ませないように柔らかく伝えた。


「そっか……そうなんですね……」


彼女は、すべてを諦めたような寂しげな微笑みを浮かべた。


「いいんです……私も、昔のことはちょっとしか記憶がないですから。似たもの同士、ということかもしれませんね」


「え、貴方も? 昔って……いつごろの記憶?」


私の追求に、コロナリータは視線を落とし、ぽつりぽつりと語り始めた。


「あれは……確か私が13歳ぐらいのころで……。家で父と母とお兄ちゃんと、家族団欒の食事をしていたときです。突然、知らない男が3人ぐらい、土足で家に入ってきて……」


「『こいつを買い取る』って、お兄ちゃんが連れ去られそうになったんです」


「突然の事で、私は何が起きてるのか、理解もできなくて」


彼女の指先が、カップの縁をなぞる。


「悲鳴をあげた母は、その場でナイフで心臓を一突きされて……。兄と私を守ろうとした父は、幼い私を庇って、銃で撃たれて、その場で……」


「……なるほど。貴方も、凄惨な過去をお持ちのようね。心中お察しするわ」


私が短く返すと、コロナリータは弱々しい愛想笑いを浮かべた。


「その頃の治安は……誘拐されて、どこかで改造される孤児もいるような時代でしたから。私は……まだ、いい方かもしれません」


ダイキリは絶句し、開いた口が塞がらないようだった。その目には同情の涙が溜まっている。


「……でも、そのとき。兄は結局連れていかれて……机の上には、いくらかの小切手が置いていかれて。でも、出ていく直後。その中の1人の男が、私になにかをしたんです」


「なにか?」


「……分かりません。記憶が曖昧で。でも、それ以来……私、自分の名前に、妙な違和感があるんです」


「違和感?」


「そうです、コロナリータって名前が……どこか人工的で、おかしい感じがしませんか?」


ダイキリも、その違和感に即座に同意した。


「分かります……! コロナリータなんて、お酒の名前ぐらいでしか聞いたことないし、すごく珍しい響きの名前ですもん!」


コロナリータの目が、一瞬だけ鋭く曇った。


「それだけが、ずっと引っかかっていることです。……もしかすると、私も兄のように、何かをされていたり、なんて」


「アルベルトのように?」


「あっ、いえ! ……ところで、お兄ちゃん。昔の記憶は、本当に、何一つ思い出せない感じですか?」


コロナリータが不自然に話を切り替え、明るい声でアルベルトに尋ねる。


アルベルトはしばらく、死人のような沈黙を貫いたあと、突き放すような低い声で答えた。


「……記憶がほとんどないもので……。今の貴方の話が真実なら、これは感動の再会なのでしょうが」


「……申し訳ありませんが、どうも、貴方を受け入れられない。……あまり、親しげに此方を見ないで頂けますか」


記憶がないから喜べない。


その理屈は分かる。


だが、それはあまりにも冷酷な、拒絶の意思が剥き出しになった返答だった。


相変わらずの鉄面皮ね、と私が思うよりも先に、ダイキリが身を乗り出した。


「い、今の言い方はさすがに冷たくないですか?! 実の妹かもしれない人を、そんな、化け物を見るみたいに拒絶するなんて……!」


「ふふっ、いいんです……。本当に、こうして生きていてくれただけで、私は……嬉しいですから」


ダイキリを宥めるように微笑むコロナリータ。


その健気な姿に、誰もが絆されるはずだった。


けれど、その瞬間。


私は、見てしまった。


彼女が目を伏せた拍子に、その赤色の右目が、一瞬だけ───ノイズが走るように消え、冷ややかな青色に変わったのを。


「え……」


思わず声を漏らしてしまったが、もう一度彼女の瞳を凝視しても、そこには変わらぬ赤色があるだけだった。


見間違いかしら。


この街の淀んだ空気と、不気味なほどの静寂が、私の視覚を狂わせているのだろうか。


(……少し、疲れているのかしら)


その後、コロナリータとアルベルトの間には、砂を噛むようなぎこちない会話が続いた。


彼女はアルベルトの忘却を責めることなく、どこまでも献身的に、優しく接していた。


しかし、アルベルトはどこか落ち着かない様子で、何度も何度も、窓の外のあの手入れされたデルフィニウムを見つめていた。


私はその行動に、得体の知れない違和感を感じたが、それを直接口にすることはしなかった。


しばらくすると空は血のような夕焼けに染まり


ダイキリが「もう遅いので、今日は帰らないといけませんね」と重い腰を上げた。


コロナリータは心底残念そうな表情を見せたが、最後は快く、私たちを門まで見送ってくれた。


別れ際、彼女はアルベルトの背中に向かって、呪文のようにこう囁いた。


「また来てくださいね……。どんな姿でもいいですから……。会えて、本当に、本当に嬉しかったです、お兄ちゃん」


その言葉に、アルベルトは振り返ることもなく、何も答えなかった。


帰り道。


スラムの影が私たちの背後から伸びてくる中で、私はふと呟いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ