逆襲!
「やめて」
そう言ったミトラは頭上にゴブリンの右足があると言うのに潰される気配がない
…いや、「潰せない」といった表現の方が正しいか
ゴブリンはギョッと目を丸くした
ソイツの右足下に浮かんでいる橙色の星の様なものより下に足が降りないようである
「ごぅぅぅぅううんの……がぁぁああキィぃイィい!!!!!」
ゴブリンは左腕を回す様に下から殴り込んだ
「鱗粉魔法」
ミトラの翅から鱗粉が吹き出る
ガァァアアアアン!
ミトラの眼前で鱗粉が纏まり
ゴブリンの拳を抑え込んだ
「第1節」
ゴブリンはさらに力を込めたのか、歯を食いしばる
奥歯の付け根が歯茎にめり込んで血が流れている
その流れた血は頬を伝っていって顎から滴り落ちた
その血はゴブリンの右足下の鱗粉をすり抜け
土に染み込んでいく
「ク…クククク…クソっ…ガキぃぃぃいいい」
右足を離したゴブリンは膝をつき
右拳を振り下ろした
「し…しね、クっクソ…ガァァあああ!」
ゴブリンの怒号が耳を裂く
「第2節」
瞬間、ゴブリンの握り締めた右拳がミトラの鱗粉に触れたその瞬間だった
握り締めたその拳が手首ごと弾ける様に消し飛んだ
凸凹に抉れた手首からじんわりと鮮やかな赤い「死」が溢れ出る
その断面から2本、赤黒く汚れた黄土色の突起物が顔を覗かせていた
骨である
「オ…オァ……オオぉオオおおおオオオオォアぁアあアあぁアあああああ!!!」
紅く染まった右手首を握り締め
ゴブリンが途轍もなく大きな、耳元が引き裂けそうな程大きな悲鳴を叫んだ
「アアーーーーーっ…ああアアアアアーーーーーーーーァァーーーーーー!!」
……ッグ、っぶううううううううううううううう…!
どうやら咽せたのだろう
ゴブリンは壊れた機械の駆動音のような声で呻いたのち
血の混じった吐瀉物を滝のように吐き出した
長い10秒だった
ボトボトボト…と固形の流れ落ちる音も
再度吐き出した時にはビチャビチャと水の様な胃酸が滴る音に変わった
「コ…、ころ……す、絶対……こ、ろすぅ…!」
ゴブリンの涙袋から涙が溢れる
充血した目で殺意に満ちた眼差しで睨まれた
どんなに屈強な人であっても泡を吹いて倒れるかのような威圧感
「サリアは?」
そんな威圧感もミトラの一声で吹き飛んだ
「クゥーーー……」
あんな声を出したゴブリンの喉から子犬のような短い悲鳴が漏れる事など誰が想像できただろう
「カルアさんは?」
ミトラはこの世の言葉では形容出来ないほどの怒りに苛まれていた
悪魔と見紛うその姿は
魔神ゴブリンを萎縮させるのに充分足りるものであった
「なあ、答えろよ」
ゴブリンは先刻胃の中を全て排出した
…にも関わらず喉の奥で何かが突っ掛かる感触を覚えた
「っっっっっっッグ、が…あああ、あああああああああ!!!うあああああああああああああああん!!!」
大人しく聞いていたら心臓が裏返るだろう叫び声を口内の血や唾液、胃酸の飛沫と一緒に吐き出した
「なんなんだよ…なんなんだよぉ!お前…お前ええ!バケ、バケモノオオオオオオオオ!」
下手したら毒に成りかねないその空気感、威圧感に耐えられなかったのか
ゴブリンはいつの間にか駆け出していた
「来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るあ来るな来うあ来るな来るな来るな来うな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな」
囁くように、吐露するように呟く
先刻まで彼女達を甚振っていたゴブリンが痴態を晒して逃げ惑う
その小さな背中に、ミトラは無常感らしきものを感じた
「鱗粉魔法 第1節」
彼女の足元に鱗粉が纏う
瞬間彼女は宙に浮かんだ
右足、左足と風に抱かれて飛び移るように空を舞う
想像を絶する速さであった
背骨が引っこ抜かれる感覚に落ちようとも
眉間から顔の皮膚が千切れそうになろうとも
ミトラ自身、そんな事は心底どうでも良かった
彼女の大切な友人や恩人が襤褸雑巾の様に放り捨てられているのだ
許せるはずがない
あんなに速く見えたゴブリンの頭上をミトラは頭で飛び越し
2,3回転しながら着地した
ゴブリンが現実を受け入れられない表情を横目に
彼女は地上で180°旋回する
「うああああああああああああああああああああ!!!!」
ゴブリンの悲鳴のカーテンの陰に仕舞い込むように囁く
「死ね」
――鱗粉魔法 第1節・改
ゴブリンの悲鳴がガラガラと嗽のように聞こえた
それもそうだ、何故ならゴブリンの全身には
ミトラの鱗粉が無数に貫いているからだ
その後、ゴブリンは血や肉片や排泄物を撒き散らしながら朽ちていったのは言うまでもない
それの魂を乗せた寒風は残酷な迄の静寂を引き裂いていった
サリア・パトールは目を覚ます
何処かの病室だろうか
青く澄んだ日差しが天井から、壁に至るまで部屋の内部を隅々まで涼色に染め上げていた
まるで部屋全体がキャンパスで、そこに水で薄めた顔料を塗りたくったようだ
朧げな視界で半身に鞭を打って起き上がらせる
淡い緑のシルエットがこっちを見ている気がした
目を擦って大きく1回瞬きをする
ミトラであった
「うあああああん!サリアが生きてたあああああ…良かったよおおおおおお!」
ミトラに飛びかかられて、肩をガシッと抱かれた
「え…ああ、うん…これどーゆー状況?」
前後に揺さぶられている半目のサリアが問いかける
「やれやれ…俺には何もないんですか?」
読んでいた手帳サイズの本を片手でパタンと閉じたカルアが微笑む
「カルアさんにもしてあげたじゃあん…」
「してあげた…ってもしかしてあれの事ですか?!『ああ、落ち着いて聞いて下さい 焦ることはありません』って目が覚めた直後に言われたあれ!?」
ミトラは暫く間を置いたのちコクン…と頷く
「はあ…まあいいでしょう、そんな事より事の顛末を聞きましょうか?」
鬱憤を込めた様な溜息をデカデカと吐き、ミトラの方を見つめる
その場で“察した“のかミトラは決心した様な口調で応えた
「わかりました、自分の口で言います」
そう言うとミトラはいつに無く真剣な眼差しで伝える
「サリア…私、魔法使えるようになったよ」
案の定サリアはキョトンとした顔を見せたあと
みるみるうちに口角が上がっていった
「うあああ!おめでとう!凄いじゃん!ミトラぁ!…もしかして、ウチらを助けてくれたのって…」
「ええ、そうですよ!
ミトラフックさんが攻略ティア 星5冠モンスターである醜衆を単独討伐したんだ!
魔物とはいえ、17歳の少女がですよ!?」
カルアが興奮気味に横槍を刺す
そう、これは他に類を見ない快挙である
例えるならば…そうだろう、極々平凡な小学2年生が大型トラックを自分だけで解体し
再度それを元のちゃんとした、使用可能なトラックへと組み立て直す
…という表現を用いてもこの偉業は形容しきれない
それぐらい彼女の引き起こした成果は偉大すぎるものであった
「すっっっっごおおおおおい!凄すぎだって!あ、まずは『ありがとう』って言わなきゃね…」
「あ、いいよいいよ!全然…私だって目の前がよく見えないままだったし…すごく怒ってたから…よく覚えていないんだ」
当時の怒り狂い、理性だけが正気を保っていた彼女の様子を見せようとも、
それが今現在謙虚な笑みを浮かべているミトラだと誰が信じられようか
「しかし、一体どんな魔法を使ったのですか?」
「え?ああ、『鱗粉魔法』っていう魔法だよ」
「『鱗粉魔法』?」
ミトラは優しく笑みを浮かべ頷く
「うん、なんか急に出来るようになってさぁ…あんまり詳しくは分からないけど…」
ミトラは自身の魔法の概要について二人に話す
「ええ?!なんでも弾く事ができるの!?」
「しかし、弾く事ができる事象は一回につき一個まで…か」
「うん、でも『死』みたいな概念とか『攻撃』みたいな括りの大きいのは無理みたい
種類についてだけど第1節はそのまま弾く事ができるけど…
第2節は、何を弾くかを決めれる…って解釈で取り敢えずいいかな?」
「いや、こっちに聞かれても…」
サリアは軽く諭す
彼女の話の通りなら
ゴブリンの手首が吹き飛んだのは
第2節でゴブリンの“力“だけを弾いたと言うのが原理なのだろう
「それでね、ゴブリンをやっつけた後カルアさんが最初に目を覚ましたんだよ」
最初って言っても30分後だと捕捉したおかげか
最初起こしに行った時何で起きなかったのよ!とサリアがカルアに殴り掛かる事案は回避できた
「カルアさんは凄いんだよ?!起き上がるや否や水一杯分飲んだだけで自分で歩いて病院まで行ったんだから」
あまりの超人っぷりだ
サリアはちょっと引き気味に「えぇ〜…」と言った
途端に脳裏に浮上したとある事案が彼女の喉から飛び出る
「あ!そうだ!」
「どうしたの?サリア?」
「報酬だよ!報酬!ほら、一緒にあのパフェ食べるんでしょ?」
どうやらミトラも思い出したようだ
そうだよそうだよ!と相槌を打って
現代の女子高生の様に燥ぎ乍らベッドから降りようとするのを横目に
「あ〜…えぇ〜っと…」
とカルアが気まずそうな声を漏らした
「何?なんかあんの?」
サリアは急いでいる所を水を差されて不服そうだ
「いや〜…非っ常〜に言いにくいんだが、」
「え?どうしたんですか?もしかして一緒に食べたいんですか?」
「いや!違う!…いいか?落ち着いて聞いてくれ」
カルアは一枚のチラシを提示した
顔を覗かせた二人が口を開く
「これって…ウチらがやったクエストの募集チラシじゃん」
「これがどうかしたんですか?」
カルアはチラシを指差し口籠もりながら言う
「『完全駆除の場合』って書いてあるだろ?」
「何さ、ウチらは一匹残らず駆除したよ?」
「……なあ、今更だがゴブリン倒したよな?」
「うん」
「どうやらそのゴブリンが微精霊達に圧力みたいなのをかけてたらしくて」
どうやら嫌な予感がしてきた
それは彼女らも同じであろう
過呼吸になっていく自分の呼吸器が痛みを挙げているのを二人は実感した
「そのゴブリンを倒したことで今まで隠れてた分の微精霊がドワっと押し寄せてきてさ」
「………」
「墓場のご遺体、みんな仲良くアンデッドになったってよ」
……信じたくない
二人はあまりのショックに白目を剥いた
本当にそのままガビーンと言う顔の儘硬直する
「……嘘、よね?」
「俺の部下が見た霊園前の現アンデッドのご遺族の方のデモが見間違えなら嘘になるね」
ユーモアを交えた返答も今の二人には届きすらしない
ミトラはここで信じ難い事実を切り出す
「つまり…報酬は貰えない……って事?」
カルアはこくりと頷く
見るからに二人は肩を落とし、しょぼ暮れた
「ちょ…!二人とも!元気出して?」
カルアの声も虚しく、二人の目はこの世に絶望した虚な目つきであった
そこでカルアは一つ閃く
「あの…もしかして、二人が食べたいって言ってたパフェって新発売の『スイートパフェ』ですよな?」
よかったら…俺が奢ってもいいですが……とカルアの口から聞こえたのが原因だろう
発条の様に二人は明るい顔つきに変わった
「えぇ〜いいんですか?でも申し訳ないなぁ〜!」
「いやー食べたいんだけどねー?奢りってなるとちょっとねー?!」
言動と行動が一致しないとはこの事である
二人の顔は遠慮の表情を一欠片も見せていない
(がめついな…)
そんな心の囁きをカルアはそっと仕舞い込んだ
塗装されたような青空
人混みのある商店通りの裏路地が一番の近道だ
そこを抜けるとすぐ目当ての店が顔を覗かせる
芳醇な桜桃の香り
愛嬌のあるホイップクリームのとんがり
明らかに他のパフェとは異彩を放つスイーツ
それがスイートパフェ
カルアはデッキのテーブルに座っている二人の前にパフェが置かれたのを確認して財布に指を突っ込む
「3600ルリでーす」
「高っ…!」
バッと二人の方を見る
あんなに目を輝かせた女の子を見るのは
皆のヒーローであるカルアでさえも見たことがない
「まあ…こんな日もいいか、」
優しい目つきで人知れず彼女らに微笑んだのち
「丁度でお願いします」
と貨幣を卓上に散らばした
ドオオオオン!
背後で爆発音が響いた
流石のカルアも不意打ちは吃驚したようで目を見開いた
「何だ何だ?!」
店の扉を勢いよく開け
その風圧で砂埃が散っていく
ドアベルの清涼な音が鼓膜を刺すのと同時に
「我、見参」と聞き慣れない声が聞こえた
砂埃が晴れてきて声の主が判明した
羊角が生えた美しい銀髪の女の子
「可愛い」よりも「美しい」という表現が適切だ
見かけ18歳だろうか
とてもスタイルが良い
血の宝石のような真っ赤な瞳がじっと見つめてくる
カルアが見惚れている…とは違う、困惑の方が正しいか、
取り敢えず、立ち往生していると
銀髪の女は控えめに笑みを浮かべ
「我はビルカ・バリーヤ様、直属の魔神」
その名を聞いてカルアはギョッと背筋を凍らせた
彼女の八重歯がほんの少しだけ見える
「⁉︎」
突如カルアは背後から出火したような強烈な殺意を感じるのを自覚した
歴戦の勇者であるあのカルアが冷や汗を流す
これは緊急事態である
そんな殺意の主は、信じ難いが状況的にそう判断せざるを得ない
サリアとミトラである
「殺す…絶対」
「何も喋んな、テメェの遺言なんか誰が聞きたいと思ってんの?」
これはとんでもないことになったとカルアは本能で察知した
彼の生存本能が叫んだのである




