エピソード85:二つの剣、分かたれた世界を繋ぐもの
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賑やかな一夜が明け、ナバールたちは聖域「竜の祠」へと向かいます。
そこで守護竜セト様から語られたのは、この世界の成り立ちを根底から覆す、あまりに過酷な「真実」でした。
呪われた存在と蔑まれてきた混血の、真の役割が今、明らかになります。
昨夜のテラスでの余韻が、まだ胸の奥で熱く燻っている。
王宮の廊下を歩く俺の隣にはエイルがいるが、お互いに一言も発することができない。
ふとした瞬間に視線がぶつかりそうになっては、二人して慌てて反対側を向く。
そんな、酷くぎこちない朝を迎えていた。
「……ナバール、顔が赤いわよ? 夕べはあまり眠れなかったかしら?」
前を歩く母上が、振り返りもせずにクスクスと意地悪な笑い声を上げる。
「な、なんでもないですよ! ほら、急ぎましょう、セト様のもとへ!」
俺は誤魔化すように歩を早めた。
向かう先は、ドラグーン王国北側。
霊峰スインウィッシュの岩山に鎮座する「竜の祠」だ。
本来、ここは王族にしか入室を許されない聖域。
だが今の俺たちには、断片的な知識だけでは不十分だった。
アルテオやエイル、そして母上を伴い、俺たちは重厚な石扉を開いた。
「……これは、すごいな」
足を踏み入れた途端、アルテオが感嘆の声を漏らした。
暗い祠の壁一面には、色彩を失わぬ見事な壁画が刻まれていた。
それは、この世界の成り立ちを物語る壮大な叙事詩のようだった。
「これは……戦争、なのかい?」
エイルが壁画の一部を指さして呟く。
そこには、竜人、エルフ、ドワーフ、 そして魔族までもが肩を並べ、ツノの生えた巨大な異形の魔獣群と死闘を繰り広げる姿が描かれていた。
「私が見ても解読しきれないわね。セト様なら、答えをくださるかしら」
母上の言葉に導かれるように、俺たちはさらに奥へ。
黄金の燐光が舞う最奥の間へと辿り着いた。
「セト様、お話があって参りました」
俺が声をかけると、千年の眠りを思わせる重い空気が、たゆたうように揺れた。
『うむ……。皆で連れ立って来ること、察しておった。近う寄るがよい』
神殿の奥深く、巨躯を横たえた守護竜セト様が、ゆっくりと黄金の瞳を開いた。
その視線は、すべてを射抜くような鋭さと、幼子を見守る母のような慈愛を湛えている。
「セト様、私たちは先日、死の都サイレンスを訪れました。そこで――」
『よい。お前たちの歩み、我はこの目で見ておったぞ。
……ナバール、お前の左手に宿る、我の分身を通じてな』
セト様の言葉に、俺は無意識に左手を握りしめた。
そこには粒子となって左手に収納されている、守護竜の爪から成るショートソードが眠っている。
成人の儀で授かったこの加護が、まさかセト様の「眼」そのものであったとは……。
「えっ……? では、今までの冒険も、すべて……」
『左様だ。我はこの祠に縫い止められし身。だが、お前の左手に宿る「爪」を通じて、再び今の世界を共に見ることができた。
……サイレンスが何故失われたのか。何故これほどまでに種族が分断され、不毛な純血主義が蔓延っておるのか。
その答えを、今こそ授けよう』
セト様の声が、神殿の壁を震わせ、俺たちの脳裏に直接「映像」を流し込んでくる。
『我の血を引く小さき者、ナバールよ。お前たちが教え込まれてきた歴史は、すべて奴らが仕組んだ欺瞞に過ぎぬ。
かつて、この世界に境界などなかった。
竜もエルフも、そして魔族さえもが互いの背を預け、邪悪なる存在『堕天竜オルディオス』を霊峰スインウィッシュに封印したのだ』
「……魔族とも、手を取り合っていたっていうのかい?」
アルテオが信じられないといった様子で壁画を見上げる。セト様は重々しく頷いた。
『その際、サイレンスという国は魔導のすべてを封印のために捧げ、国ごと灰燼に帰した。我もまた、癒えぬ傷を負った。
……だが、それは誇り高き犠牲であったはずなのだ』
セト様の瞳に、深い怒りの色が混じる。
『なぜ、世界はこれほどまでに冷え切ってしまったのか。
答えは一つ。
封印されたオルディオスは、自らの復活を阻む「絆」を恐れたのだ。
奴の側近どもは数百年の時をかけ、お前たちの心に毒を撒いた。
――「混血は不浄なり、呪いなり」とな……』
「……っ、そんな……!」
俺の隣で、エイルが絞り出すような声を漏らした。
混血ゆえに疎まれ、両親の夢すら「呪い」のように扱われてきた彼女。
その拳は、白くなるほど強く握りしめられている。
「……アタイたちが受けてきた仕打ちが、全部あいつらの手のひらの上だったっていうのかい……?」
『左様だ。笑わせるな……。
異なる種族の魔力を繋ぎ合わせ、封印を補強する唯一の楔こそが、混血の力であったというのに!
奴らは、我らの最大の武器を「禁忌」へと書き換えたのだ。
ナバールよ。エイルが打ち上げた右手の「牙」と、我の加護である左手の「爪」。
その二つが揃った今こそ、お前は分断された世界を繋ぐ、真の王となる資格を得たのだ』
「……っ、アタイの打った剣と、セト様の爪が……」
エイルが驚きに目を見開く。
あの時、リファインロックで俺とエイルが魂を削って打ち上げた右手の白銀の長剣。
それが、左手に眠るセト様の爪と対になることで、初めて「真の力」を発揮するということか。
『今もなお、お前たちの憎しみを焚べておる影……あれこそが、堕天竜の側近よ』
「……ギルフォード」
俺の口から、その忌々しい名が漏れた。
すべてが繋がった。
俺の左手の爪が、あの時ギルフォードに折られた「牙」を、エイルの愛と共に呼び戻したのだ。
『ナバールよ。お前の瞳に宿る光は、まだ消えてはおらぬ。
私が見せる「真実の記憶」をその魂に刻め。
バラバラに砕かれたこの世界を、再び繋ぎ合わせるために……!』
セト様の咆哮と共に、凄まじい光が俺たちを包み込んだ。
目の前に広がるのは、数百年前に確かに存在した、種族の垣根を超えた絆の風景。
俺たちが戦うべき相手は、魔族そのものではない。
世界を分断し、愛する者たちを傷つけてきた「仕組まれた憎しみ」そのものなのだ。
光の中で、俺は隣にいるエイルの手を、今度は迷わずに強く握った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
仕組まれた差別、奪われた絆。
これまで孤独に耐えてきたエイルにとって、真実はあまりに痛く、けれど救いとなるものでした。
左手の爪と右手の牙。二つの剣を携えたナバールの、新たな戦いが始まります。




