エピソード83:アイリスとエイルと
いつもご愛読いただきありがとうございます。
激動の旅を終え、ようやく辿り着いた安らぎの夜。
しかし、ナバールの母・アイリス様の登場により、宴は予想外の方向へと動き出します。
戦いの中では見せなかった、エイルの意外な一面をお楽しみください。
ドラグーン城の広間は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
今夜は堅苦しい形式を一切排した祝宴だ。
ナバールの提案で採用されたビュッフェスタイルは、身分や種族の垣根を越え、広間に活気ある混沌をもたらしていた。
「……信じられん。これほどの料理、我らは一体いつ以来か」
ガーラントが、皿に山盛りにされたロースト肉を前に声を震わせている。
他の魔族たちも、まるで夢でも見ているかのように、黄金色に焼き上がった鳥料理や彩り豊かな温野菜にがっついていた。
「我ら、追放されてからは……正直、口にしてはならぬようなものまで食べて命を繋いできたからな。泥水で煮た野草がご馳走だったほどだ」
「……それについては、お互いのため、これ以上聞かないでおくよ。今はとにかく、腹一杯食べてくれ。いろんな国を見てきたけど、ここの料理人も世界に肩を並べられると自負しているからね」
ナバールが苦笑いして促すと、ガーラントは豪快に肉にかぶりついた。
「本当にうまいな! 活力が身体の芯から湧いてくるようだ!」
ふと横を見れば、ドワーフたちが巨大な酒樽を囲んで気炎を上げている。
「おい、オーウェン! 無理するなよ! お前、獣王国で失態を犯したのを忘れてないだろうな」
「……ナバール様、あれは不可抗力と言いますか、運命の悪戯でして。……くっ、しかしこのエールの誘惑には、歴戦の騎士と言えど勝てそうにありません」
オーウェンが震える手でジョッキを掴む一方で、アルテオとクロードは久しぶりに再会したクリスと向かい合っていた。
だが、どう見てもアルテオが一方的に説教を受けている。
「アルテオ様。勝手にドラグーンの魔導士の育成を押し付けたり、エタンをあのお二人に丸投げして、国政がどれほど綱渡りだったか、理解されていますか?」
「あー! クロード! 助けてよ、僕たち死線を越えてきた仲間だろ!?」
「……今は食事中ですので、公務の話は後にしましょう。ね、アルテオ様?」
クロードの目が笑っていない。ナバールはそっと視線を逸らした。
――そんな賑やかな喧騒の中。
エイルは背筋を伸ばし、アイリスの隣に座っていた。
「アイリスさん……アタイ、こういうのは不慣れだけどさ。……ナバールの、その……仲間として! うん、隣に立っても恥ずかしくないように、教えてほしいんだ。その、マナーってやつを」
宴が始まる前、エイルが少し俯きながらアイリスに願い出たことだった。
エルフの血を引きながらもドワーフとして育ち、ハンマーを振るうことしか知らなかった自分。
王として歩み始めたナバールのそばに居続けるために、自分に足りないものを埋めようとする彼女の健気な決意。
「ええ、喜んで。いい、エイルちゃん? フォークは外側から。ゆっくり噛むのよ」
アイリスは、エイルの瞳の奥にある恋心を優しく、そして的確に読み取っていた。
だからこそ、この「可愛い教え子」のために、少しばかり強引な手助けをしてあげようと決めていた。
宴もたけなわ。
ナバールは一息つくため、夜風に当たろうとテラスに出た。
「フウ、久しぶりに自分の家でメシが食えたな。なんだかずっと昔のような気がするよ」
テラスの先には、先客がいた。母上とエイルだ。
「あらナバール、来たのね」
「俺に気にせず話しててくれ。少し夜風に当たりたくてね」
二人は、エイルの亡くなった両親の話をしていたようだった。
エイルも大変な思いをしてきたんだよな、とナバールは月を見上げて思った。
混血ゆえに叔父に冷遇されながらも、自ら工房を立ち上げ、魔導船を完成させた彼女の強さと献身は、一人の男として、誰よりも尊敬に値する。
「ねぇ、ナバール。貴方もそう思うでしょ?」
不意に母上から話を振られた。
「うん、そうだね。俺もそう思うよ」
尊敬の念を込めて素直に頷いた瞬間、エイルの顔が爆発したかのように真っ赤に染まった。
「……っ!? ナ、ナバール、あんた……!」
「ほら! 本人もいいって言ってるわ! 決まりね!」
「決まりね……? って、何が?」
ナバールの頭の上に巨大な疑問符が浮かぶ。
「エイルちゃん、こんなに可愛くて素敵なんだもの。私がこれから貴方の『お義母さん』になってあげるって言ったのよ」
「……お母さん、じゃなくて『お義母さん』?」
ようやくナバールの思考回路が火を噴いた。
それはつまり、自分とエイルが将来結ばれることを前提とした呼び名だ。
「エイルちゃんも、ナバールのこと思ってくれてるんでしょ?」
「なっ、それは……その……嫌いじゃない、っていうか、アタイの剣を一番使いこなせるのは、こいつしかいないと思ってるけどさぁ!」
エイルがゴーグルをいじりながら、懸命に答える。その瞳は潤み、隠しきれない愛情が溢れていた。
アイリスが勝ち誇ったようにナバールを指差した。
「ナバール、あんたはどうなの!」
「俺? そりゃ、俺にとってもエイルは最高の相棒だし、この旅で一番……その、大事な存在だと思ってるよ。……って、何言わせてるの!? 母上!」
「あらあら、今さら照れなくてもいいのよ。今すぐ結婚しなさいなんて言わないわ。でも、これからはもっと過酷な戦いが待っているでしょう? だからこそ、支え合って欲しいの」
アイリスは二人の手を、有無を言わさぬ力で無理やり重ね合わせた。
「じゃあ、二人の時間はゆっくりでいいからね。私がたっぷりと祝福してあげるから! ホホホ!」
嵐のような母は、上機嫌に広間へと戻っていった。
残されたのは、手を繋いだまま、石像のように固まる二人。
「……あ、あの、ナバール……」
「……悪い、エイル。うちの母上が、とんでもない急展開を持ってきちゃって……」
エイルの手は、槌を振り続けた職人の硬さがありながら、驚くほど熱く、そして小さかった。
ナバールもまた、その手を振り解くことができずにいた。
再会と凱旋の夜。
ナバールには整理しなければならない「身内の事情」が山積みになってしまったようである。
最後までお読みいただきありがとうございました。
戦場を駆け抜けてきたナバールでしたが、母上の「お義母さん」爆弾には手も足も出なかったようです。
職人として、そして一人の女性としてナバールを支えようとするエイル。
二人の間に流れる温かくて少し気恥ずかしい空気感が、皆様に伝われば幸いです。




