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アルカナ (ARCANA)   作者: 1484ー5
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第8話 隠された真実1

 イメージを文章に変換する作業は、楽しいですが難しいものですね。

 

 昔から坂の上にある館の姿は、在りし日の風景のように人々の目に馴染んできた。館そのものは、明治時代に或る建築家が建てたものだ。ネオバロック様式のデザインは、緑青を吹いた青銅の屋根や赤煉瓦と石造りの壁が特徴であり、定礎から百年近い月日を経て、独特の風格を見せていた。

 しかし、現在の館の景観は、ぼろぼろで古色蒼然としていた。敷地内にある大きな楡の木を見れば、誰の手も入っていないことがわかるだろう。敷地内の植物相は伸び伸びとして、自然の力の偉大さを端的に表していた。

 館をぐるりと取り囲む壁にも、一部蔦が生い茂っている状態だった。壁から正門へと伸びた蔦は、鉄製の門を半ばまで覆い、何者をも拒んでいるようだった。

 その門が、今朝は開かれていた。久しぶりの来訪者が、館を訪れていた。

 正門から玄関に至る長いアプローチには、石畳が敷かれている。そこには、成人男性と比べると一回り小さな雨に濡れた足跡が残されていた。

 足跡が進む先には、館の玄関がある。そして、そこには一人の少女の姿があった。

 まだ陽も明けやらぬ早朝に、館を訪れたのは支倉沙樹その人であった。

 その顔にはくすんだように、深い疲労の色が見えた。私服のまま寮を飛び出してきたのか、ほとんど身一つのままだ。両腕で身体を抱え込むように擦って、寒さに耐えていた。その顔色は青褪めて、力の無い視線が不安な心を映しているようだった。

 沙樹は玄関に着くなり、鍵を取り出して扉を開けた。

 僅かに数歩、中に進んだところで彼女は立ち止まった。


 「ママが住んでいた家……」


 深い安堵の気持ちか、それとも懐かしむような気持ちが彼女に言わせたものか。彼女の生家がここであると、彼女自身が告げていた。

 建物の窓から漏れてくるがガラス越しの光が、暗くくすんでいた室内に幾筋もの光りを灯していく。彼女の眼前で、朝日の輝きと共に懐かしい情景が広がっていった。


 「変わってない」


 赤絨毯が美しいロビーから、再び奥へと歩き出した沙樹は、館内部の景観に感心していた。


 「うん、これもあった……」


 館内に配置された家具類や時代を感じさせる骨董品(アンティーク)の調度品も全て見知ったものばかりだ。メインの大広間にあるゴブラン織りのタペストリーも変わらぬ存在感を放っている。

 以前、目にしたことのあるものに、少しずつ沙樹の感情が綻んでいく。


 「なんで、避けてたんだろ? こんなに懐かしいのに……」


 不思議な安堵感が込み上げる。

 自分がそこにいることを認めて貰えるのは、やはり家族が一番なのだろう。既に無い幻のようなものでも、今の彼女にとっては有難かった。

 いつしか時間を止めたような館の内部が、彼女の存在だけで輝きを取り戻していくようだった。

 過去の自分と対面しているのか、沙樹は全てを時間をかけて見ていった。

 応接間には、幼い彼女の写真があった。壁の一部に飾られたそれは、彼女の周囲の誰もが、幸せだった頃のものか。奥にあるキッチンや戸棚の場所でさえ、昔見た光景を鮮明に思い出させてくれる。

 客間らしい部屋に行くと、そこで調度品の一つに目が止まった。


 「……これだけ新しいみたい?」


 黒革の装丁が施された一冊の本。室内の調和を乱さないように設えられた白い大理石のテーブルに置かれたそれは、一つだけこの空間にそぐわなかった。

 いったい誰のものなのか、興味を持って彼女が其を手にした時、不意に身体から何かが抜けていくような虚脱感が彼女を襲った。そして何処からか響いた声を倒れ込む沙樹は聞いてはいなかった。


 「ククク……。現世の宿主に栄光あれ」







 暖かい暖炉から火がはぜる音で、沙樹は眠りから覚めていた。目覚めた彼女が最初に目にしたのは、真新しい室内の天井と壁、そして飾られた花束だった。バロック様式の建物に合わせた洋風の壁紙や窓際のドレープカーテンが、この館の住人の落ち着いた趣味を示していた。

 自分が気を失ってからどれだけ時間が過ぎたのか、この最初の不安感で、沙樹は完全に目を覚ました。


 「私、眠ってた……。誰がここに?」


 沙樹の疑問に答える代わりに、それは視界の端から現れた。

 白と黒が織り成す色彩の魔術が、沙樹の眼前で発動した。驚きが沙樹の意識を支配するより速く、周囲の空間に円の軌跡が現れる。素早く移りかわる軌跡に残されたのは錯視の円。

 見つめることで事象が継続する魔術に、沙樹は軽い悲鳴を漏らした。上書きされ続ける錯視の円が、やがて蛇という長い姿を晒す。


 「我が名は蛇(ウロボロス)。或る魔術師の記憶を転写されし存在。主よ、我のことは“蛇”と呼ばれるがよかろう」


 蛇の姿を執ったそれは、沙樹の目の前にゆっくりと停止した。見つめる蛇の姿は、輪郭が上手く定まらなかった。

 彼女が困惑しているのを見てか、蛇は続けた。


 「さて、主よ。先ずは聞かせてもらおうか? どのような危機に遭遇しているのか」


 蛇の詰問に、沙樹が無意識にベッドシーツを手にする。自分を取り巻く錯視の結界が、油断なく蠢き続けている。緊張した場を壊したのは、凛とした声であった。


 「よせ、蛇よ。沙樹様を混乱させてなんとする?」


 部屋の隅、縞斑の結界の後ろから気配が沸き立つ。影より暗い闇が、近づいて来る。明らかな強者の気配に、蛇は下がった。円形のサイドテーブルに自らの居場所を定め、そこに姿を移す。沙樹の視界が晴れた代わりに、闇が小さな形を現してくる。

 沙樹のいるベッドの前に進み出たのは、鮮やかな毛並みの黒猫。緑色の双眸が真っ直ぐに彼女を見ていた。

 猫が恭しく頭を垂れて、沙樹に話し掛けた。


 「永く、お待ち申し上げておりました。我が名はメフィストフェレス。あなた様のお母様にお仕えしておりました、使い魔にございます」


 つい、と顔をテーブル上の蛇に向けて猫が更に続ける。


 「こちらの蛇も、使い魔のひとつ。今後は沙樹様にお仕えすることでしょう」


 信じられない展開に、沙樹はごく素直な反応を示した。手にしたシーツが胸元まで上がっている。


 「ね、猫がしゃべった……?」

 「永く魔術の園から離れておいでだったのです。無理もありません。これから、ここで世界の真実を学ばれるが宜しいでしょう」


 猫はそう言うと、傍らの蛇に言った。


 「蛇よ、戻れ」


 言うが早いか、蛇の姿は円形のサイドテーブル上で一冊の本と成った。黒革の装丁が施されたそれは、沙樹の記憶にあったものと同じだ。あの時、彼女が好奇心から手にした本が蛇のもうひとつの姿だった。


 「沙樹様、失礼いたします」


 猫はそう言うと、すっと飛び上がりベッドの上に乗った。しなやかな身のこなしは、猫類特有のもの。鮮やかな毛並みと透き通るほど美しい碧眼が近寄って来る。

 沙樹は困惑している自分と、それを冷静に観ている自分を感じていた。何が現実で、何が現実でないのか。昨夜から感じた事が、頭の中でぐるぐると回っていた。

 怯える沙樹の様子を認めた猫が立ち止まる。そして、自らの近くにあった彼女の手に寄る。

 猫が沙樹の手に頬を擦り付ける温かい感触が、彼女の心に火を灯した。


 「……これって、夢じゃないんだよね? 私、なんでこうなっちゃったのかな?」

 「ご心配には及びません。蛇の言葉ではありませんが、如何な危機が迫ろうと全て我等にお任せを」


 黒い宝石のような毛並みを持つ猫の体躯が、誇らしげに胸を張った。

 

 「あちらに席をご用意しております。詳しい話しは、そちらでいたしましょう」


 猫の言葉に、沙樹は否もなく頷いた。

 一階の客間の一つに、沙樹は招待された。正確には、彼女の生家なのだから案内と言うべきだろう。海老茶色の革張りソファに、勧められるまま深く腰掛ける。柔らかく、弾力のあるソファの感触が彼女を包んだ。

 白磁のティーセットに、香り高い紅茶が出された時には、沙樹はもう驚かなくなっていた。

 猫は沙樹を下に置くことなくもてなし、彼女が人心地ついたところを見計らって、核心的な話を切り出した。


 「さて、沙樹様。今後の事ですが、この館にお住まいになりませんか?」


 この提案に、沙樹は猫を見る眼を見開いた。


 「何故ならば、この館は既に沙樹様のものだからです。正式な継承は成人された後となりますが、この館の継承者は沙樹様をおいて他にありません。また、あなた様はお母様の血を継いでおられます。魔女として、類い稀な才能と正しい資質をお持ちです。魔術を学ぶためにも都合がよろしいでしょう」


 猫の提案を聞きながら、沙樹の脳裏には懐かしい母との思い出が込み上げていた。寄る辺を無くした子が、再び母の胸へと還ってくるような郷愁にも似た感情だった。


 「……私、ここにいていいの?」

 「勿論。いつまでも、です」


 猫は、沙樹を包む魔力の波動が活性化しているのを見ていた。魔術の心得がある者なら、沙樹が放つ魔力の波動に驚嘆していたことだろう。濃密でいて、歪なところなど何一つ無い完全な波動だった。だが、この波動も導く者がいなければ止まない保証はないのだ。

 猫の双眸が、真っ直ぐに彼女を見ていた。


「……お願いして、いいの?」

「お命じ下さい。我が主(マイ・ロード)よ」


 奇妙な二人組が主従の絆を結んだ頃、館の一室では錯視の蛇が這い出ていた。可視領域における光の波動を操る蛇は、自らの姿を隠していた。

 蛇は、万感を込めて呟く。蛇にとって、沙樹こそ現世の主であり宿主であった。


 「力と恐怖こそ魔術の真髄。我が主に捧げるは、悪鬼羅刹の骸にするか死霊の魂か……」


 暗闇の中、蛇の眼が赤く光る。 


 「扉を開く鍵が、再び一族から出た。あとわずかで到達するだろう……」


 



 

 

 かつて、長崎半島に初めて居を構えた魔女がいた。その美貌と誉れ高い魔術の数々は、魔法界においても群を抜いて優れていた。彼女を知る多くの者達は、彼女のことをアジアの真珠と呼び称えた。

 ある時、悪辣と名高い西の魔女は彼女の力を恐れるが故に、彼女に戦いを仕掛けた。彼女が産まれて間もない愛し子を連れている時に。

 友人達の力を借りて一度は退けた彼女だったが、西の魔女は受けた屈辱を忘れなかった。

 傷が癒える時を待って、再び彼女に戦いを仕掛けた。

 彼女は、愛し子を高位精霊である使い魔に託し、迫り来る西の魔女との対決に応じた。

 我が子は、いずれ血の力により魔女として目覚める、その時まで人界に匿い、育てよと言い残して。

 そして、彼女は帰らぬ人となった。

 この日、秘密の扉を開けた選ばれし22人の一人が消え、ナンバーズの一枚が永遠に失われる事となった。















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