第7話 忍び寄る影3
仕事が忙しくて、なかなか書けません。
朝の光が満たす青い空に、凛とした空気が広がる。校門の前で交互に送る挨拶の声は、その空気に乗って気持ち良く響いていた。
爽やかな一日の始まりに、学生達が次々と登校してくる。その様子を見るのが、柳楽光一の日課となっていた。生徒会のボランティア活動の一環だったが、生徒会の先輩達と一緒に過ごす時間も悪くないと彼は考えていた。
早朝から始まる活動を光一は特に苦にせず役職としての義務と流している。その態度が、上級生達から好感を持たれているとは、彼だけが知らない事情だった。
「そろそろ今朝は終わりでいいんじゃないかな?」
校門前に立っていた女子生徒の一人が言った。その声を聞いて、横にいる三年生達が目配せする。生徒会関係者の朝の時間は貴重だ。
「確かに、もういいみたいですね」
校門の外には、登校してくる生徒の姿は見えない。進学校であるのだから朝から補修があるクラスも多く、この時間、ほとんどの生徒が学校へと来ているのだろう。遅刻する者のほうが、ここでは珍しいのだ。
「それに、まだ朝は肌寒いもの。乾燥はお肌に悪いわ」
「また美容と健康の相関性ですか? それより今日は会長がいないんですから、集合頼みますよ」
「オッケー!」
苦言に耳を貸すより早く、女子生徒は右手を挙げて周囲に視線を走らせた。その視線を待っていたのか、合図とばかりに確認した他の生徒達は何も言われずに集まってきた。
一人だけ、背を向けて遠くにいる男子生徒を見つけて彼女は声を張り上げた。
「柳楽くん、終わるよ!」
「はい、すぐ行きます!」
上級生に呼ばれて、光一は返答した。呼んだ先輩の方は、副会長という肩書き持ちで、おまけに背もすらりと高い学内で有名な美人である。そのからっとした明るい性格が、笑顔によく出ている。にこやかな表情で手招きしている姿は、彼でなくとも返事をすぐに返させるのではと思わせた。
ボランティアの最後に、その日のスケジュール確認をして解散するのが生徒会関係者の慣習だった。
校門の前で立っていた光一は、視線を外に向けたまま呟く。
「今日は見かけなかったな……」
彼の心は或る一人の少女に向けられていたが、とにかく彼も急がなくてはならなかった。すぐに上級生達の集合している場所に走っていく。
「遅いぞ。一・年・生!」
「すいません、中条先輩」
「付き合ってもらって悪いね、柳楽君」
「いいえ」
ボランティアの全員が集合場所に集まっていた。中条と呼ばれた生徒会副会長は、輪の中央で優しい笑みを浮かべている。彼女の後で光一に労いの言葉を掛けたのは、同じ三年生の野瀬という男子生徒だった。あまり目立たない男だが、実は彼のほうが生徒会歴は長かったりする。
「じゃあ、今朝はこれまで。あと、放課後の予定だけど……」
全員が集合したのを見計らって、副会長の中条が淀みなく予定を説明していく。その予定を聞きながら、光一は沙樹に会えなかったことを悔やんでいた。
一方、春香は昼休みの教室で仲の良い友人達と集まっていた。いつもと変わらぬ教室内には、一つだけいつもと違うところがあった。春香のひとつ前の椅子が空席になっていた。クラスの中で、誰かが座る場所がひとつ空いただけ。それだけで、親しい者には寂しさが広がってくる。彼女達の日常に、何かが拡がるという事はないはずだった。
「沙樹ちゃん来てないよね。嫌われたかなぁ~、言い過ぎたかなぁ~」
春香を囲む輪の中で、彼女ばかりが落ち着かない様子だった。膝の上で握った手が、もう何度も握り直されている。
「どうしたん? 春ちゃん?」
「ほら、沙樹ちゃんが来てませんから」
「ありゃ、風邪でもひいたかな?」
「ひいてないよ~。聞いてないし~」
机に手をついて、春香は思わずその両端を掴んでいた。甘えるように机をガタガタ、ガクガクと揺らす様は、幼い子どもが駄々をこねるのと一緒だった。半分涙目になった様子は、いつもの明るい彼女らしくもなかった。
「春香、大丈夫だよ。きっと連絡つくから」
「ありゃ、かな~りダウナーな雰囲気が溢れてるけど?」
「静ちゃん、ここは励ますところですけど?」
周りにいる智子や静香達も宥めているのだが、あまり効果は芳しくなかった。その困った状態を終わらせたのも、漸く頭を起こして気を取り直した春香だった。智子達を見て、彼女は今に至る事情を説明する。
「今日はさ、放課後に沙樹ちゃんと一緒に寄るところがあったんだよ。桜町通りにあるお店なんだけど。昨日まで間違いなく乗り気だったんだよ? やっぱり、余計なことだったかなぁ~。言い過ぎたかなぁ~」
「大丈夫だよ。それくらいで怒ったりしないよ」
「沙樹ちゃん寮生だし、昨夜何かあったんじゃないのかな?」
友人の一人が何気なく呟いた。
「だよね? 前から約束してたし……。それが朝から何の連絡もないし、メールやショートメッセージ投げても返事が来ないし……。他の理由が思い付かないし……。でも、わかんないよ~。やっぱり嫌われたかなぁ~」
「あら、いつの間にメッセージまで?」
「……授業の合間」
「手堅い沙樹ちゃんのすることにしては、ちょっと違うみたいだねぇ。誰か聞いてないの?」
「静香ちゃん、それを言うならそつがないの間違いじゃ?」
友人達も一様に頬に手を当てて考え込む。皆食事は終わっているのか、可愛いお弁当の包みが見える。
「朱美ちゃんは?」
「いま寮に行ってもらってる。あたしは電動自転車持ってないから……」
春香が真面目な顔で答えた。
「じゃあ、一緒に待ちましょう。それにもうすぐ午後からの授業に来るかもしれないし、ね?」
智子が場を取り持とうとして春香に声をかけた。励まそうとしてくれた心遣いが春香には温かかった。
その直後、クラスの入口ドアが開けられた。教室に入って来たのは二人の見知った人物。彼女達が待つ朱美の他に、何処から一緒だったのか、もう一人が付いてきていた。
「柳楽君、朱美と一緒? どうしたの?」
静香がもう一人の闖入者に訊ねた。春香もさっと目元を手で拭って、何事も無かったようにしている。彼女にしてみれば、他人に弱味は見せたくないところだろう。
「久和、おまえは何を呑気に構えてるんだ? 親友だろう?」
「ちょっと、何よ!?血相変えて?」
いきなり非難めいた口調を向けられて、流石の春香も慌てた。教室に入って来た柳楽光一が、来るなり彼女に明らかな敵意を向けてきたとしか思えない状況だった。
反射的な警戒心が春香に沸き起こる。状況に対処するため視線を向けた先では、少女が黙って首を横に振った。学生寮に行っていた朱美だった。そのやり取りを見ていたのか、光一は何も聞かず、状況を察した。
再び口を開くと思われた光一は、彼女達の予想を通り越して外に出るために背中を向けた。これに周囲の皆は肩透かしを食ったような顔をしていたが、春香は、何かを感じて立ち上がっていた。
これまで彼女の人生を支えてきた第六感が告げていた。逃がしてはいけない、と。
「ちょっと、どこに行くつもりよ?!」
何も答えず歩み去る彼を見て、春香は席を立った。まるで自分が期待されていないことを知らされたかのように受け止め、そんな事実を否定するために慌てて彼の後を追った。
「ごめん、みんな!」
彼女が友人達に断って駆け出した時、既に彼は教室を出ようとしていた。
校舎の中を二人は早足で進んだ。その足が止まったのは、一階にある職員室の前だった。意外な場所に、春香は面食らっていた。彼女の表情は僅かだがいぶかしむような警戒感を見せたのだろう。その表情を光一は見逃さなかった。
「……職員室って?!」
「待ってろ。すぐ終わる」
短く言うと、彼は職員室に入った。何も言えずにいた春香は、所在なげに待たされる事になった。チラチラと周囲から好奇の目が向けられる。まるで彼女が光一を待っているかのような状況に、春香は赤面しそうになる自分を必死に抑えるはめになった。
そんな春香の苦労も知らず、すぐに職員室から光一が出てきた。いつもの真面目な彼だが、やや目付きが剣呑だろうか。口を開きかけた春香を制して、光一は手振りでついてくるように指示した。やがて彼は歩きながら後について来る春香に、ここに来た理由を話し始めた。
「黙ってるのはフェアじゃないから話すが、支倉さんのことで話がある」
そう前置きしたうえで彼は続けた。
「彼女には親類とか、頼れる大人がいないんだ。小さい頃に、両親と死別してる」
「え?」
思わず、春香は声が出ていた。
「彼女が寮生なのは、そういう家庭の事情があるんだ。高校を出る分の学費は問題ないらしいが……」
「なんで委員長が、そんなこと知ってるの?」
「彼女と小学校が一緒の奴なら大抵知ってる。まあ、この高校には俺を含めて数人しかいないな」
近くを通り過ぎる学生達をやり過ごして、光一は続けた。
「それと、彼女から連絡がない。他の寮生も今日は誰も見てないらしいんだ。一人で出掛けたまま帰らないなんて、普通じゃない。俺は探しに行く。お前はどうする?」
突然の申し出に、春香は躊躇した。あまり弱味や隙を見せたくないと思っている相手だけに、彼女は対応が遅れた。
「えっ? 行くって、授業はどうする気?」
「さっき先生達から頼むと言われた。俺は彼女を探しに行けという意味に解釈した」
光一はニヤリと笑った。
「まあ、確かに精神衛生上授業どころじゃないけど……」
春香は光一の行動が高校生の一般常識の範疇を越えてると思ったが、ここで付いて行かないといけない気がした。ただ、やはり彼を評価することに抵抗があった。モヤモヤとした感情的なしこりが蟠るのを春香は我慢と忍耐で呑み込んだ。
感情より実利を優先しただけのことだが、彼女の判断は彼女の置かれてきた環境のなせる業だった。冷静さを取り戻して、春香を言った。
「ちょっと意外……」
「何か言ったか?」
「何も。それより何処に行くの?」
「取り敢えず、降りたら路面電車を使うつもりだ。おまえ端末機は持ってるか?」
「あるわよ!」
そう言ったか、春香が左手を挙げる。細い手首に巻かれた腕時計型の端末機が見える。光一に主導権を取られたことに、春香は目を細めた。光一に聞かれないぐらい小声で言う。
「……こいつ、やっぱりお邪魔虫だ」
広さは確保されているが雑然とした部屋の中で、立花美佐子は書類の山と格闘中だった。長崎県警察長崎署の少年課。それが、彼女の仕事場だった。今年で二十五歳になる予定(まだ予定は未定である)の彼女は、今年の試験に合格して巡査部長に昇任することも決まっていた。
優しい両親がいる、恵まれた家庭環境で育った彼女は、成人する頃には警察官を志していた。正義感の強い彼女の性格も相まって、性犯罪などから十代の少女達を守ろうと日々の仕事に打ち込んでいた。
紺のスーツを着こなした彼女の姿は、どこから見ても一人前のキャリアウーマンのそれだ。忙しいながらも充実した日々を送っていることが、その笑顔からうかがい知れる。
今は抱えている事件の処理のため、現場ではなく、デスクで奮闘していた。
具体的には先程からパソコンとにらめっこして、あーだのうーだの唸っていた。
「立花、ちょっといいか?」
そんな彼女に上司から声が掛けられた。
「はい!」
立ち上がり、上司のいるデスクに返事を返す。机上の書類は山積みのままだが、仕事上の指示なら彼女は受けなければならない。軽く身嗜みを整えながら、上司の元に急いだ。
彼女の上司であり、長崎署少年課長の斎藤警部は立ったまま彼女を出迎えた。五十代半ばの彼は現場で叩き上げで鍛えられてきた捜査官だった。近年頻発する少年事件のため、彼も日夜戦っていた。まだ眼光鋭い双貌で部下を出迎えると、彼は直ぐに本題に入った。
「今日から暫く、君には刑事課の応援に就いてもらう」
「……それって、あの特捜事件ですか?」
「そうだ。あの殺人事件だ。犯人を是が非でも逮捕しなければならん」
少年課の女性警察官として、立花美佐子は事件の概要は知っていた。少女四人が亡くなったとされる放火殺人事件。痛ましい事件の内容は、秘密にされた部分が多い。マスコミに流せない事件の詳細が、彼女の脳裏に浮かぶ。
その表情を読み取ったのか、斎藤は立花を睨んだ。実際は睨んだ訳ではないのだが、見られたほうからは睨まれたとしか受け取れないほど強い視線だった。美佐子は眉をひそめたことを後悔した。
「うちからも人手は出してるんだが、事件の影響が大きくてね。増員が決まった。そこで君に白羽の矢が立ったという訳だ」
斎藤課長の説明に、立花は納得した。彼女が、というより女性警察官が必要とされる現場は多い。今回も少女達の交遊関係を含めた捜査が難航していると同僚から聞いている。その辺りに彼女が呼ばれる理由があるのだろうと。実際にはもう一つ理由があるのだが、それは皆間で言わない約束だった。
「……分かりました」
彼女の返事が小さくなったことを知ってか知らずか、斎藤警部は恰幅の良い体躯を少し前に屈めた。鋭かった目付きが僅かだが緩む。
「それと、立花。お前はもっと女性幹部候補としての自覚を持て。いつまでもコンプレックスに思っていると、いつか本当に足を引っ張られるぞ。大体、女性で小柄で童顔なんて気にする必要が……」
「いえ、それは関係無いです。ありませんから、はい」
「……まあ、そうか。ならいいんだ。だが、お前が少年達から親しみを持たれるのは確かなことだし、それがアドバンテージになるのも事実だ。お前を評価している者は決して少なくない。忘れるな」
「斎藤課長、外線からお電話が入ってます!」
別の部下からの連絡に、斎藤は否応なく電話を回すよう指示した。彼は手短に美佐子に言う。
「あとの詳しい話は特捜本部で聞け。加藤が先に行ってる」
斎藤の激励を受けて、図らずも美佐子は自身の認識と評価を改めることになった。ただ、余計な単語も聞こえた気がしたが、それは意識から流すことにした。そして、ふつふつと沸き上がってくる闘志に似た感情に、美佐子は気を取り直すことにした。
経緯はどうあれ、渦中の事件に携わるのだ。やる気にならない訳がなかった。
「それと、いま扱ってる事件は事件でちゃんとやっとけ。いいな?」
(オニ!)
声に出せない美佐子の悲鳴は、心の声となって響いた。
斎藤とのやり取りから数時間後、立花達は市内にある繁華街の一角で事件の捜査に従事していた。マスコミが連日こぞって報道する少女四人が犠牲となった放火殺人事件の捜査だ。
スーツ姿の二人が人通りの多い道を歩く様は、ビジネスマンとは少々赴きが違うものの、見る者がいれば頼もしい印象を与えたことだろう。最も、彼等を注目する者などいない。それが当たり前のことだったが。
二人とも捜査には意欲を見せていたが、さすがに疲労の色が顔に出ていた。それが何するものぞとばかりに、加藤は明るい声で言った。
「先輩、次は二丁目の区画です。通報された場所までは、このまま行きましょう」
「うっ……。ごめんなさい。あたしのせいで、どさ回りなんてさせちゃって」
「別に貧乏クジを引いたとか思ってませんよ」
「……やっぱり、貧乏クジなんだ」
加藤が困ったように苦笑する。
「ほら、仕方ないですよ。僕達は増員組ですから、最初は地味なものですよ?」
次第に落ち込み始めた立花の落胆ぶりに、加藤も励ます言葉を掛けた。ただ、もう何度目かのやり取りに彼も慣れを感じてきていた。次第にどちらが先輩で、どちらが後輩なのか分からなくなる錯覚に陥りそうだと加藤は思った。決して立花の後ろ姿から、年下の女性に感じる守ってあげたくなる雰囲気が出いるなどと彼は言わない。
「後輩に慰められるなんて。加藤君は優しいね」
立花が冗談半分に後に続く加藤に言った。その手にはハンカチまで握られいる。泣き崩れる真似までするのは、彼女の個性の現れだろう。
「僕はむしろ、先輩と組んでいるほうが何かあると思ってますよ?」
「何よ、それ?」
軽く振り返りながら立花が尋ねる。それに加藤は心からの笑顔で答えた。
「先輩の持つ運は何かを呼び込みますよ、きっと」
「……そ、そう?」
二人が話し合っているというか、じゃれあっているうちに、目的地は近づいて来ていた。県の再開発地区に指定された場所に、工事業者が下請けと揉めて工事が中断したビルがあった。その問題のビルが、彼等の行き先地だった。
通報者は、ビルの管理者。市街地という好条件の立地に、低層階にテナントの入居と高層階に分譲マンションを見込んだ複合型商業施設ビルになる予定の物件だった。
工事が中断しているとはいえ、その物件に深夜何者かが入り込んでいるという通報内容だ。手掛かりになりそうな情報を美佐子は根気強く精査していく。二人に割り当てられた捜査は、市内の不審者情報を当たっていくという大変に地味な代物だった。
「……ここね。さて、通報だとビルの中での目撃は無し。警備員も二日間来たのに何も見つけてない、と」
美佐子は頭の中で纏めていた情報から、この場所に関係するものを再度吟味していく。
「……つまり、何者かが入り込んだ痕跡を探せばいいんだ」
「先輩、入らないと見つかるものも見つかりませんよ?」
加藤が美佐子の横を通り過ぎながら言った。ビルの工事業者用の入口が、外壁シートの隙間から見えている。加藤は何の躊躇いも無しに、シートを左右に分けて入って行く。
「待ってよ! あたしも行くんだから!」
置いてきぼりにされそうな気配を察して、美佐子も後を追った。
工事現場は建築途中の資材等が至るところに放置されていた。上階には外壁を覆うシートも無く、より殺伐とした感じがした。外からの日射しが入っているものの、強い日射しに照らされた冷たく白い鉄筋の肌とそれによって出来る強い影が存在していた。
建物内部は、やはり無機質な印象を拭えなかった。剥き出しのコンクリート壁と鉄筋が作り出す真昼の陰影は、都市部にあって奇妙な造形美を見せていた。生き物が寄り付かないはずの空間に、何故か生物の気配を感じた。
建物内部の目につく場所には決まって昏い影があり、その奥に深い闇を作っていた。
無言の捜索が続く中、美佐子は息苦しさすら感じ始めていた。知らぬうちに喉が鳴った。各フロアごとに加藤と手分けして二手に別れて探そうと言ったことが、いまでは何故そんなことを言ったのか疑問すら浮かんでくる。
此処には何かがあるのか、そんな疑念すら生まれる感覚に、美佐子は素直に恐いと感じた。
まるで凶悪犯の自宅に捜索に入ったような緊張感が彼女の背中を走る。上手く言葉にできないが、美佐子は逮捕現場の緊張に似ていると感じていた。特に急ぐ用件もないのに、美佐子は加藤を呼んでいた。
「加藤君、そっちはどう?」
「何も有りません! 先輩、そっちはどうですか?」
「大丈夫!」
「待ってください、すぐ行きます!」
美佐子は加藤の声に一人ではないと安心した。姿は見えなかったが、彼女は心情的に安堵していた。出口を見つけた気がしていた。
だから、それを見つけた時に反応が遅れた。
「ひっ……」
影の織り成す虚無の空間に、開けた場所があった。元はどのような目的で作られたのか伺い知れないが、決して今の惨状を造り出すためではないはずだった。
そこにあるのは、濃密な死の気配。立ち込める腐臭と、おびただしい血痕だった。死の気配がこれ程強く存在する様を美佐子は今まで見たことがなかった。
薄暗い空間に、血の匂いが充満している。
「先輩、どうしました?」
駆け寄る足音と加藤の声に、美佐子は何とかその場に踏みとどまることが出来た。
「……こ、ここよっ!」
「何処ですか?」
動揺を隠そうとしたが、美佐子は上手く声が出せなかった。むしろ無理に大きな声を出したことで、後輩に動揺を悟られないか心配だった。
しかし、彼女は目にした光景に視線を外すことが出来なかった。おっつけ加藤が駆け寄って来る。
「何ですか、これ……」
加藤が口にしたのは、正常な反応だったろう。腐臭が漂う先には、夥しい量の血が流れていた。赤黒く変色した血が、薄暗い空間の奥を中心に広がっていた。その一番奥には、建築資材等が無造作に積み上げられて台のようなものが組まれていた。
他にも水を張った入れ物や椅子らしきものなど、そこに在るものは等しく血に塗れていた。
先に動き出せたのは、加藤のほうだった。慎重に近づき、確かめていく。美佐子も続いたが、彼と違って猛烈な匂いに咳き込んでしまった。一頻り見渡した後、加藤は何かを呟いていた。
彼が気付いた時に、美佐子はある一ヶ所を見つめたまま立ち止まっていた。
その視線の先にあるものを認めて、加藤は息を飲んだ。
「……加藤君、本部の捜査第一課を呼んで。行方不明中の四人目の少女は、何らかの犯罪に巻き込まれた可能性が大きいと。あと、重要参考人の老婆が四人目の少女の行方に関係している可能性が極めて高いと。大至急よ!」
美佐子の指示に、加藤はすぐに本部に連絡を入れた。手元の公用端末機がシグナルを発する。そんな彼の様子も視野に入らないほど、美佐子は目の前の悲惨な光景に言葉を失っていた。
彼女達が見たのは行方不明とされている四人目の少女、日野貴理子と同じ学校の制服と血に濡れた長い髪の毛、剥がされた一人分の爪だった。
この場所でいったい何があったのか、悪い予感しかしない状況に美佐子は祈るような気持ちで口にしていた。
「お願い……。無事でいて……」




