第5話 忍び寄る影1
夜の都市高速道路を一台の黒塗りの車両が滑るように進む。夜半の静けさに紛れて、一路市内から高速で離れていた。運転するのは黒いスーツ姿の若い男性だった。機敏な動作が見られなくても、その居ずまいから充分な鍛練を積んでいることが伺える。
後部座席の片方には、同じく黒いスーツ姿の壮年男性の姿があった。この町にいる守護者達を統括する御三家の三当主の一人であり、警察本部に勤めている久和隆則である。
そして、その隣には娘の春香が座っていた。
隆則が携帯電話で話す横で、彼女は車窓から夜の景色を眺めていた。背もたれに身体を預け、顔を真横に向けている。父親の仕事には特に興味もない様子だ。彼女の瞳は、夜景に浮かぶ地上の煌めきだけを映している。いつのまにか、時計の針は夜の11時を廻っていた。
あの騒動の後、負傷者の救護から黒い髑髏の保管まで、隆則の回した部下達が、あっという間に片付けてしまった。その手際の良さは、目を見張るものがあった。
春香でさえ、あの髑髏の拘束によって動けなかったのだ。やってしまった感が強い彼女としては忘れたい記憶になるのだろう。窓越しの夜景から視線をはずさないのも、彼女なりの照れ隠しなのかもしれなかった。
そんな彼女の事情を知ってか知らずか、父親である隆則は仕事の電話に忙しかった。
「最近、確かに動きが出ていたからな。これ以上、好き勝手なことをされてはかなわん。厳重に警告しておいてくれ。そうだ、頼む」
旧来の携帯型デバイスを操作して、隆則は通話を切った。その相手が誰なのかは知るよしもないが、少なくとも春香にとっても重要なことではなかった。
「ねぇ、パパ。まえ言ってた市内を徘徊している霊体らしきものって、何か分かった?」
顔を外に向けたまま、春香は尋ねた。実は、この案件こそが本来彼女に課せられていた任務だった。先刻の魔術師との遭遇は、あくまでイレギュラーな出来事でしかなかった。
静けさすら漂う車内で娘の質問に、隆則が僅かに眉を動かす。
「報告だと、巷ではナイトシーカーと呼ばれているそうだ。目撃証言が多いのに、被害は少なくてな……。判断するには情報が足りていないというのが正直な所だろう」
「夜をさ迷う者、かぁ……」
自然と溜め息が漏れた。彼女の気持ちは沈んでいた。それが一刻まえの戦闘にあるのは確かだが、憂うつそうな表情からは理由までは読み取れなかった。
「それより春香、あの髑髏だが、確かにおまえが言っていた通りの能力を有しているようだ。千々和から連絡があったぞ」
「いいよ、興味ない。パパに任せる……」
春香は足を組んで、いつになく平坦な口調で答える。
「仮にも秘跡と呼ばれるものを手に入れたのだがな? まあいい。必要なものがあれば……」
「いらない」
「……あまり無茶はするな。今回は無事に済んだから良かったものの」
「事故だって言ってるじゃん」
「分かった。だが、バックアップも無く、突撃するんじゃない」
「…………」
「おまえは、貴重な戦力だからな。もっと自分の価値を知るべきだ」
隆則の苦言をどう受け止めたのか。春香の表情は冴えないままだった。
無事で良かった、という父親らしい言葉は無かった。それが、魔術の大家という一面を持つ父親の顔だとは知っている。仕事柄、非常に忙しいということも。久和家に生まれて、致し方ないとは理解しているのだ。彼女の心が、納得しないだけで。
実際、髑髏を使った魔術師との戦いは、相当に危険なケースだったのだ。単独行動で不覚を取れば、死に直結する。そんな、危険な世界に春香はいた。
暫くすると、車は静かに高速道路を降りて、一般道路へと流入した。やがて、閑静な住宅街に差し掛かる。車は、決められた通路を走るが如く、躊躇いもなく進んでいく。見慣れた家の前で、止まった。車内空間を分けるプライバシーガラスがスッと降りると、運転席の男が後部座席に声を掛けた。
「どうぞ、着きましたよ」
「すまない、加藤君」
親しげな声が礼を言った。
「いえ、このくらい何でもありませんよ。僕はこれから仕事ですし」
久和隆則とは、本業だけでなく、裏の仕事でも付き合いがある加藤だ。当然、小さい頃から春香も知っていた。飄々とした受け答えをするが、腕利きだと聞いている。最も、彼の得意分野は占術であるのだが。
「春香、明日も学校だろう? 早く上がりなさい」
「分かってる」
ふぅと溜め息をひとつ吐いて、心地良い座席の感触に委ねていた身体を起こす。やっと帰りついた我が家に、張りつめていた彼女の精神も緊張を解いた。
春香は車を降りて玄関に向かったが、思いのほか力が出なかった。疲れのせいだ。重い両足を無理矢理動かして、二階にある自分の部屋に入った。荷物を下ろすのも億劫なのか、倒れこむようにベッドに飛び込んだ。すぐに疲労が溶けていくような感覚を覚える。
春香は顔の前で両腕を交差させて、光を遮った。仰向けに寝転がる姿勢が、闇に紛れるようでなんとも心地好かった。
「もっと自由に生きていけるなら良いのに。上手くいかないよね……」
途中、ふと漏らした言葉は口にした途端、後悔を誘った。
「やめやめ、分かってるんだ。頑張れ、私!」
憂うつな気分を振り払うように、春香は頭を振って拳を握りしめる。そして両手で頬をパン、と叩いた。




