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第八章 プリンセスは、ひとりで泣かない

新曲の情報が解禁された。


センター――蒼井真姫。


その文字が公式サイトに載った日の夜。


真姫のスマートフォンは、ずっと震えていた。


『真姫ちゃんセンターおめでとう!』


『この子、誰?』


『センターの子かわいい』


『蒼井真姫っていうんだ』


『絶対見つかると思ってた』


画面を更新するたび、


自分の名前が増えていく。


フォロワーの数字も、目に見えて伸びていく。


昨日まで自分を知らなかった人たちが、


今日、自分の名前を呼んでいる。


「……すごい」


胸が熱くなった。


嬉しかった。


本当に。


もっと見てほしい。


もっと知ってほしい。


もっと――。


指が止まった。


『センターだけレベル違わない?』


その下。


『蒼井真姫だけでよくない?』


さらに。


『他の子いらなくね?』


真姫は、しばらく画面を見つめていた。


何度読んでも、文字は変わらない。


胸の奥で、


何かが冷えていく。


「……違う」


スマートフォンを伏せた。


「違うよ……」


私は、


そんなふうに見つかりたかったんじゃない。


     ◇


翌日。


「真姫、バズってるじゃん!」


レッスンルームへ入った瞬間、声が飛んできた。


「フォロワーめっちゃ増えてる!」


「昨日ずっと名前流れてたよ」


「センター様!」


「やめて!」


15人が笑う。


真姫も笑った。


「ありがと」


嬉しい。


みんなが喜んでくれている。


だから――。


昨日見た言葉は、言わなかった。


――他の子いらなくね?


その一文だけが、


胸の奥に残っていた。


     ◇


昼。


新曲のティザー映像が公開された。


三十秒。


全員でスマートフォンを囲む。


「きた!」


「待って待って!」


「再生するよ!」


映像が始まる。


最初。


真姫。


次も。


真姫。


サビ。


真姫。


アップ。


真姫。


振り返る。


真姫。


三十秒が終わった。


「……すご」


誰かが言った。


「真姫、めっちゃ映ってる」


「センターだからね」


笑い声。


真姫も笑おうとした。


でも。


気づいてしまった。


ほとんど映っていない子がいる。


一瞬だけの子。


後ろ姿だけの子。


顔すら、はっきり映っていない子。


再生画面には、


自分の顔が止まっている。


第七章で思った。


――私が入口になる。


私を見つけてもらって、


そこから15人へ。


そのはずだった。


なのに。


入口の向こうに、


誰も見えない。


     ◇


レッスン後。


「すみません」


スタッフを呼び止めた。


「ティザーなんですけど」


「うん?」


「もう少し、みんなを映すことってできませんか?」


スタッフは少し驚いた顔をした。


「今回は真姫を押し出したいんだ」


「私を?」


「反応がいいから」


真姫は黙った。


「数字も出てる。真姫が映ると反応が大きい」


正しい。


何も間違っていない。


「まず一人を入口にして、グループを知ってもらう」


その言葉に、真姫は顔を上げた。


――入口。


自分が望んだことだった。


「……はい」


「チャンスだから」


「はい」


頭を下げる。


歩き出す。


でも。


胸の奥に、小さな違和感が残った。


同じ言葉なのに。


自分が言った「入口」と、


今聞いた「入口」は、


なぜか少し違って聞こえた。


     ◇


それから。


真姫の仕事が増えた。


雑誌。


取材。


撮影。


コメント動画。


インタビュー。


「真姫、中央へ」


「はい」


「もう少し前」


「はい」


「ソロでも撮ります」


「はい」


シャッター音が響く。


「綺麗」


「さすがセンター」


「この子、画面映えするね」


褒められる。


嬉しい。


一つ褒められるたび、


胸が弾む。


なのに。


視線を横へ向ける。


スタジオの端。


順番を待っている15人。


その景色が――。


一瞬。


王宮の大広間へ変わった。


中央。


光を浴びるプリンセス。


壁際。


十五人。


誰も責めていない。


誰も怒っていない。


だからこそ。


怖かった。


     ◇


「真姫」


帰り道。


一人が声をかけた。


「今日、めっちゃ綺麗だった」


「……ありがとう」


真姫は、その顔を見た。


笑っている。


でも。


本当に?


本当に喜んでる?


悔しくない?


私ばっかり撮られて。


嫌じゃなかった?


「……何?」


「え?」


「また顔色見てる」


図星だった。


「……ごめん」


少女はため息をつく。


そして。


真姫の額を軽く弾いた。


「痛っ」


「前に言ったでしょ」


少女は笑っていなかった。


「勝手にかわいそうにしない」


「……うん」


「私、悔しいよ」


真姫は顔を上げる。


「めちゃくちゃ悔しい」


少女は、まっすぐ真姫を見た。


「真姫ばっかり撮られてたら、私もそこに行きたいって思う」


「……うん」


「でも、それは真姫が悪いんじゃない」


「……うん」


「だから私は頑張る」


そこで、ようやく笑った。


「それでいいの」


真姫も笑った。


でも。


胸の奥の重さは、


消えなかった。


     ◇


期待は、


日に日に大きくなった。


「真姫、もっと前へ」


「ソロカット追加します」


「コメントは真姫から」


「サムネイルも真姫で」


「告知動画も真姫中心」


呼ばれる。


選ばれる。


数字が伸びる。


また選ばれる。


仕事が増える。


また数字が伸びる。


また選ばれる。


嬉しい。


夢に近づいている。


アイドルになりたかった。


見つけてほしかった。


一番になりたかった。


だから。


断れない。


「次のイベント、真姫だけ別取材ね」


「……私だけ?」


「チャンスだよ」


チャンス。


その言葉が、


いつからか少し怖くなった。


それでも。


「ありがとうございます」


頭を下げた。


断る理由なんて、


どこにもなかった。


     ◇


その夜。


夢を見た。


王宮の長い廊下。


プリンセスが一人で歩いている。


十五人も後ろにいた。


最初は。


――姫様はこちらへ。


一歩。


大きな扉が開く。


プリンセスだけが通される。


扉が閉まる。


十五人が、少し遠くなる。


――姫様には特別なお席を。


また一歩。


扉。


――姫様だけにお願いがございます。


また一歩。


扉。


――姫様だからこそ。


一歩。


――姫様にしかできません。


一歩。


――皆が期待しております。


一歩。


振り返る。


十五人は、


もうほとんど見えない。


「待って!」


真姫が叫ぶ。


プリンセスが振り返る。


「そっちへ行ったら、一人になる!」


プリンセスは、


悲しそうに笑った。


――仕方ありません。


頭には王冠。


――私は、プリンセスだから。


「だから何?」


――選ばれる者には、責任があります。


真姫の胸が痛んだ。


知っている。


その言葉。


センターだから。


選ばれたから。


期待されているから。


応えなければ。


もっと。


もっと。


もっと。


王冠が黒く光る。


――もっと美しく。


王冠が沈む。


――もっと完璧に。


額へ食い込む。


――もっと愛されなさい。


「やめて!」


真姫が走る。


「外して!」


プリンセスは、


首を横に振った。


――できません。


「なんで!?」


――皆が私を愛してくださるから。


涙が落ちる。


――応えなければ。


その瞬間。


真姫は理解した。


孤独な王冠とは、


ただ人を孤独にするものではない。


愛されるほど。


期待されるほど。


もっと応えなければならないと思わせる。


選ばれるほど、


選ばれ続けなければならないと思わせる。


弱音を封じる。


助けを求めることを恥じさせる。


「大丈夫」と笑わせる。


そうして。


一枚。


また一枚。


扉が閉じる。


気づいたときには――。


誰の声も届かない場所まで、


一人で歩いている。


「……私も」


真姫は呟いた。


「同じこと、してる」


プリンセスの顔が、


自分の顔へ変わった。


     ◇


午前四時三十分。


目を覚ました。


暗い部屋。


枕が濡れている。


真姫はスマートフォンを手に取った。


16人のグループチャット。


十五人の名前。


指が動く。


『怖い』


見つめる。


消す。


『最近ちょっとしんどい』


消す。


『みんなに会いたい』


また消した。


何度も。


書いて。


消して。


書いて。


消して。


結局、


何も送れなかった。


「……言えない」


声に出した瞬間。


背筋が冷たくなった。


――同じだ。


夢の中のプリンセスと。


前世の自分と。


何も変わっていない。


     ◇


翌日。


取材。


「センターとしてプレッシャーはありますか?」


「あります」


「大変じゃないですか?」


真姫は笑った。


身体が勝手に、


一番綺麗な笑顔を作る。


「大丈夫です」


胸の奥で、


何かが軋んだ。


――大丈夫です。


知っている。


この言葉を。


前世でも。


何度も。


何度も。


何度も。


この一言で、


全部を隠した。


「蒼井さんにとって、Rain Crownとは?」


「私にとって……」


言葉が止まる。


十五人の顔が浮かんだ。


歌が上手い子。


踊ることが好きな子。


笑わせてくれる子。


負けず嫌いな子。


泣いていた子。


怒ってくれた子。


『勝手にかわいそうにしない』


そう言ってくれた子。


『帰ってくればいい』


――まだ言われてもいない言葉が、


なぜか胸の奥に浮かんだ気がした。


ぽたり。


机に、


涙が落ちた。


「……あれ」


もう一滴。


「蒼井さん?」


「……すみません」


「大丈夫?」


反射だった。


「大丈夫です」


言ってから。


止まった。


夢の中。


黒い王冠を被ったプリンセスが笑っている。


――大丈夫です。


「……違う」


「え?」


真姫は唇を噛んだ。


声が震えた。


それでも。


もう一度言った。


「大丈夫じゃないです」


初めてだった。


前世からずっと言えなかった言葉。


「……ちょっとだけ」


涙を拭う。


「しんどいです」


     ◇


取材は中断された。


控室。


真姫は一人だった。


スマートフォンを握る。


グループチャットを開く。


指が震える。


『ごめん。ちょっとしんどい』


また、


消したくなった。


大丈夫って言えばいい。


心配させなくていい。


センターなんだから。


その瞬間。


真姫は送信を押した。


既読。


1。


3。


5。


8。


12。


15。


すぐに通知が鳴った。


『どこ?』


『電話する?』


『何があった?』


『姫様SOS珍しい』


『茶化すな』


『ごめん』


『でも言ってくれてよかった』


『一人?』


『今日終わったら来れる?』


画面が、


滲んで見えなくなった。


真姫は泣いた。


声を殺すこともできなかった。


悲しいからではない。


怖かったからでもない。


言っても、


いいんだ。


弱いところを見せても。


ここにいて、


いいんだ。


     ◇


仕事を終え、


レッスンルームへ向かった。


扉の前で、


少しだけ立ち止まる。


開ける。


「遅い!」


「主役きた!」


「お疲れ!」


15人がいた。


真姫は、


しばらく動けなかった。


「……なんで?」


「待ってたから」


当たり前みたいに言われた。


床を叩かれる。


「ほら、座って」


真姫は歩く。


十五人の間へ。


真ん中に座る。


でも。


ゼロ番とは違った。


ここには、


決められた立ち位置なんてない。


誰もすぐに理由を聞かなかった。


お菓子を渡された。


飲み物を渡された。


どうでもいい話をされた。


笑った。


少し黙った。


また笑った。


そして。


真姫は、


少しずつ話した。


「期待されるのが……怖い」


誰も遮らない。


「嬉しいんだよ。本当に」


声が震える。


「仕事が増えるのも、見つけてもらえるのも嬉しい」


涙が落ちる。


「でも……」


十五人を見る。


「みんなから、どんどん遠くに行く気がする」


沈黙。


「私だけ違う場所に連れていかれて……」


息を吸う。


「いつか振り返ったら、誰もいないんじゃないかって」


一人が言った。


「センターだからって、一人になる必要ないよ」


「でも、私だけ仕事が増えて……」


「じゃあ帰ってくればいいじゃん」


「え?」


少女は笑った。


「仕事行って」


「センターやって」


「いっぱい見つかって」


「いっぱい褒められて」


真姫を見る。


「それで、帰ってくればいいじゃん」


「……どこに?」


少女は、


少し呆れたように周りを指した。


「ここに」


十五人がいる。


「私たち、いるから」


真姫は唇を噛んだ。


でも。


堪えられなかった。


泣いた。


今度は、


隠さなかった。


十五人の真ん中で。


子どもみたいに。


泣いた。


     ◇


その夜。


夢の中。


黒い王冠を戴いたプリンセスが、


一人で廊下を歩いていた。


――姫様はこちらへ。


扉が開く。


一歩。


プリンセスが進む。


そのとき。


「待って!」


声。


プリンセスが振り返る。


十五人。


「姫様!」


「戻ってきて!」


「一人で行かないで!」


プリンセスの瞳から、


涙が落ちた。


真姫が隣に立つ。


「ほら」


十五人を見る。


「呼んでるよ」


――でも。


プリンセスは震える。


――私は、姫だから。


「知ってる」


――私が背負わなければ。


「うん」


――私が守らなければ。


真姫は、


王冠へ手を伸ばした。


今度は――。


触れた。


冷たい。


重い。


身体が沈みそうなほど、


重い。


「……重っ」


思わず笑った。


涙を流しながら。


「こんなの、一人で持ってたんだ」


プリンセスは、


何も答えなかった。


真姫は王冠を掴む。


「じゃあ」


十五人を見る。


「手伝って」


一人が手を伸ばす。


二人。


三人。


十五人。


十六人の手が、


王冠を掴む。


「一人で外さなくていい」


力を込める。


王冠が――。


ほんの少し。


浮いた。


その瞬間。


プリンセスは、


初めて声を上げて泣いた。


誰にも見せたことのない顔で。


プリンセスではなく、


ただの一人の少女として。


     ◇


数日後。


新曲のMV撮影。


最後のカット。


「真姫だけ、一歩前へ」


以前なら、


後ろを気にしたかもしれない。


「はい」


真姫は、


ゼロ番から一歩前へ出た。


後ろには6人。


振り返る。


一人が、


口だけで言った。


『前、見て』


真姫は笑った。


前を向く。


もう、


自分が映ることを恐れない。


目立つことを、


誰かへの裏切りだと思わない。


選ばれたことも否定しない。


一番になりたい気持ちも、


隠さない。


でも。


忘れない。


この一歩の後ろには6人がいる。


そして、


その向こうには15人がいる。


「本番!」


照明がつく。


真姫はカメラを見た。


――私は、一人のプリンセスじゃない。


胸を張る。


――16人のアイドルなんだ。


     ◇


「お疲れさまでした!」


撮影が終わる。


16人が集まった。


笑い声。


誰かが写真を撮る。


誰かがお菓子を食べている。


その中で。


一人だけ。


真姫を見つめている少女がいた。


前世の記憶を取り戻した少女。


彼女は、


もう一つ思い出していた。


燃え上がる王宮。


十五人が叫んでいる。


――姫様、王冠を外して!


黒い光。


崩れる王宮。


泣いているプリンセス。


ずっと、


勘違いしていた。


プリンセスは、


王冠を外せなかったのではない。


――外さなかった。


「……どうして」


記憶の中。


一人が叫ぶ。


――姫様!


――もういい!


――王冠を外してください!


プリンセスは、


泣きながら首を横に振った。


そして。


言った。


――できません。


――この王冠を外せば――


黒い光の中。


プリンセスが、


十五人を見る。


――あなたたち十五人が、


――消えてしまう。


少女の呼吸が止まった。


記憶がつながる。


プリンセスは、


自分の地位を守ったのではない。


国民の期待に、


縛られていたのでもない。


十五人を守るために。


王冠を被り続けた。


一人で。


誰にも言わず。


嫌われても。


誤解されても。


自分が壊れても。


十五人が生きられるなら。


だから――。


最後まで、


一人で王冠を抱えた。


「……真姫しゃん」


少女の声が震えた。


少し離れたところで、


真姫が笑っている。


十五人に囲まれて。


楽しそうに。


さっきまで泣いていたことなんて、


分からないくらいに。


少女は、


胸元を握りしめた。


もし。


前世と同じ運命が、


まだ続いているのなら。


もし、


孤独な王冠が再び現れたとき。


真姫は、


きっと同じことをする。


十五人を守るためなら。


自分だけが苦しむ道を、


選んでしまう。


「……ダメ」


小さく呟いた。


今度こそ。


プリンセスを、


一人で泣かせてはいけない。


けれど。


少女は気づいてしまった。


それは――。


真姫を救えば、


すべてが救われるという話ではない。


前世で、


王冠を外せば十五人が消えたのなら。


今世でも同じだとしたら。


次に孤独な王冠が現れたとき――。


選ばなければならないのは、


真姫ではない。


少女は、


楽しそうに笑う十五人を見た。


そして最後に、


その真ん中にいる真姫を見た。


今度は。


私たち十五人が――


プリンセスを取るか。


自分たちを取るか。


選ばなければならないのかもしれない。


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