第七章 プリンセスは、みんなを照らしたい
「今回のフォーメーション、これでいきます」
配られた紙を見る。
中央――ゼロ番。
蒼井真姫。
その名前を見ても、もう逃げたいとは思わなかった。
怖い。
今だって、怖い。
でも。
――やってみたい。
そう思えるようになった。
真姫の周りには、選抜の6人。
そして――。
紙のどこを探しても、残る9人の名前はない。
分かっていたことだった。
選抜は7人。
自分が選ばれたということは、9人はここにはいない。
それでも。
こうして紙の上で線を引かれたように分けられると、胸の奥が少し痛んだ。
選ばれた7人。
選ばれなかった9人。
真姫は、そっと紙を伏せた。
◇
「はい、最初から!」
イントロが流れる。
真姫がゼロ番に立つ。
照明が自分へ集まる。
カメラが自分を追う。
「真姫、ここカメラ!」
「はい!」
レンズを見る。
笑う。
ターンする。
その瞬間、視界の端に一人のメンバーが入った。
歌割りは少ない。
フォーメーションでは後ろにいる時間も長い。
それでも。
自分にカメラが向いているその後ろで、彼女は誰より大きく踊っていた。
次の瞬間。
別の子が前へ出る。
ほんの数秒。
たった、それだけ。
なのに、その数秒のために何度も鏡を見て、表情を作っていることを真姫は知っていた。
誰も手を抜いていない。
一秒に。
一瞬に。
自分の全部を懸けている。
真姫は踊りながら思った。
――もったいない。
こんなにかわいいのに。
こんなに格好いいのに。
こんなに魅力があるのに。
私だけを見せる曲になったら――
もったいない。
◇
「また考えてる」
休憩中、隣から声が飛んできた。
「……顔に出てた?」
「出てた」
「そんなに?」
「姫様、悩むと眉間にシワ寄るから」
「姫様じゃないし」
笑いながら答える。
でも、真姫の視線はフォーメーション表へ戻った。
「センターだから、ちゃんと目立たなきゃって思う」
「うん」
「でも……」
指で、自分の名前をなぞる。
「私ばっかり見てもらうの、なんか違う気がする」
「また全員背負おうとしてない?」
以前なら、答えに迷っていた。
でも今は違う。
「ううん」
真姫は顔を上げた。
「背負いたいんじゃない」
「じゃあ?」
真姫は6人を見る。
汗を拭いている子。
振付を確認している子。
鏡の前で表情を作っている子。
そして――。
ここにはいない9人の顔も浮かんだ。
「見てほしいの」
「誰を?」
「みんなを」
迷わず答えた。
◇
その夜。
真姫はノートを開いた。
新曲の歌詞。
フォーメーション。
歌割り。
その横に――16人の名前を書いた。
まず、自分以外の15人。
一人目。
笑った瞬間が、一番かわいい。
二人目。
強い目線が似合う。
三人目。
横顔が綺麗。
四人目。
ダンスの止め方が格好いい。
五人目。
歌っていないときの表情がいい。
六人目。
誰かと目が合った瞬間、自然に笑う。
次。
その次。
また次。
選抜かどうかは関係なかった。
15人の顔を思い浮かべながら、一人ずつ書いていく。
気づけば、ページはびっしりと文字で埋まっていた。
「……私、何やってるんだろ」
思わず笑った。
でも。
楽しかった。
15人の魅力を探すことが。
いや。
探す、というのも少し違う。
きっと前から知っていた。
毎日、一緒にいたから。
ただ、それを言葉にしたことがなかっただけだ。
真姫はページの一番上に、小さく書いた。
『みんなを見てもらうには?』
少し考えて――その文字を消した。
そして書き直す。
『私から、みんなへ』
◇
翌日。
「一回だけ、私のやり方でやってみていい?」
真姫は選抜の6人を集めた。
「何するの?」
「フォーメーションも歌割りも変えられないでしょ?」
「まあね」
「でも、目線とか身体の向きとか、誰を見るかなら変えられると思う」
真姫は一人の立ち位置を指した。
「ここ。私じゃなくて、この子見て」
「なんで?」
「そのほうが絶対かわいい」
「断言?」
「うん」
別の子には、
「ここで笑ってほしい」
「急だな」
「作って笑うんじゃなくて、隣見て」
「こう?」
「違う」
「厳しい!」
「もっと普通に」
「普通って何!?」
笑いが起きる。
「だって、普段のほうがかわいいんだもん」
「真姫、細かすぎ」
「見てるから」
「怖!」
また笑いが起きた。
音楽が流れる。
イントロ。
真姫がゼロ番に立つ。
いつもなら、正面を見る。
でも。
一瞬だけ身体を開いた。
その向こうに、一人のメンバーが見える。
真姫が目線を送る。
目が合う。
その子が、ふっと笑う。
――かわいい。
次。
後ろを見る。
別のメンバーが真姫を見る。
その視線につられるように、身体の向きが変わる。
真姫を見るために集まっていた視線が、
真姫を起点に、
一人へ。
また一人へ。
6人へ広がっていく。
真姫は気づいた。
自分が中央にいるからこそ、できることがある。
自分に集まった光を、
隣へ渡すことができる。
音楽が止まった。
「……ダメでした?」
スタッフが腕を組んで考えている。
沈黙。
「面白い」
「本当ですか?」
「うん。でも真姫」
「はい」
「自分が目立たなくなるの、怖くない?」
真姫は少し考えた。
怖くない。
――と言えば、嘘になる。
「……目立たなくなりますか?」
スタッフが笑った。
「ならないね」
その言葉で、真姫は気づいた。
誰かを輝かせることと、
自分が消えることは違う。
むしろ。
自分がちゃんと輝いていなければ、
誰かへ光を渡すことだってできない。
◇
その夜。
また夢を見た。
王宮。
大きなバルコニー。
そこには、プリンセスが一人で立っている。
「姫様!」
「姫様!」
「姫様!」
広場を埋め尽くす人々。
何千もの瞳。
何千もの声。
すべてが、一人の少女へ向けられている。
美しいドレス。
宝石。
そして王冠。
以前なら、きっと美しい光景だと思った。
誰よりも愛され、
誰よりも見つめられるプリンセス。
でも。
今の真姫には、違って見えた。
「……寂しい」
プリンセスが振り返る。
バルコニーの扉の向こう。
十五人が立っていた。
騎士。
楽師。
侍女。
学者。
料理人。
庭師。
すぐ近くにいる。
いつも一緒にいる。
なのに――。
誰一人、プリンセスの隣には立っていない。
「なんで?」
真姫が尋ねる。
プリンセスは不思議そうに答えた。
――私は、姫だから。
「だから?」
――皆は、私を見る。
「それでいいの?」
プリンセスは答えない。
真姫は彼女の隣へ立った。
「私ね。今、センターなんだ」
――せんたー?
「みんなの真ん中に立つ人」
プリンセスは少しだけ笑った。
――やはり、あなたも選ばれたのですね。
「うん」
真姫も笑う。
「でも、ちょっと違うみたい」
――何が?
真姫は扉の向こうにいる十五人を見る。
「私は、一人で真ん中に立ちたいんじゃない」
一人を指す。
「私を見つけた人に、この子も見てほしい」
また一人。
「この子も」
もう一人。
「この子も」
そして――十五人を見る。
「気づいたら、16人全員を好きになっててほしい」
プリンセスは首を傾げた。
――それでは、あなたが一番でなくなります。
真姫は少し黙った。
そして。
「それは嫌」
――え?
「私だって一番になりたい」
自分でも驚くほど、素直に言えた。
「一番見てほしい」
「かわいいって言ってほしい」
「センターになれて、嬉しい」
胸に手を当てる。
もう、その気持ちを隠したくなかった。
選ばれたことを喜ぶのは、
誰かを傷つけることじゃない。
「私も輝きたい」
そして、十五人を見る。
「でも――」
真姫は笑った。
「私だけが輝いてる景色は、嫌なの」
バルコニーの扉を開く。
「おいで」
誰も動かない。
真姫はもう一度、手を伸ばした。
「一緒に立とう」
一人が踏み出す。
また一人。
三人。
四人。
やがて十五人がバルコニーへ出てくる。
初めて。
十六人が、同じ場所に立った。
広場の人々がざわめく。
視線が散っていく。
プリンセスだけを見ていた人が、隣を見る。
また隣を見る。
十五人にも光が当たる。
真姫はその光景を見て、笑った。
「ほら」
プリンセスを見る。
「こっちのほうが、ずっと綺麗」
その瞬間。
ピシッ。
小さな音がした。
プリンセスの王冠に、
細い亀裂が入っていた。
◇
翌日。
「センターって何か、分かってきた?」
スタッフに聞かれ、真姫は少し考えた。
以前なら、
一番目立つ人。
グループの顔。
そう答えていたかもしれない。
でも今は。
「私にとっては――入口です」
「入口?」
「はい」
真姫は6人を見る。
「私を見つけてくれた人が、この子を知って」
一人を見る。
「この子も好きになって」
また一人。
「そこから、また別の子を知って」
そして。
ここにはいない9人の顔まで思い浮かべる。
「気づいたら、Rain Crownの16人を見てる」
真姫は笑った。
「そんなセンターになりたいです」
スタッフは少しだけ黙った。
「簡単じゃないよ」
「はい」
「そもそも真姫が輝かなきゃ、入口にもなれない」
真姫は頷いた。
その通りだ。
誰かを輝かせたいからといって、
自分が後ろへ下がってはいけない。
自分を消してはいけない。
それは、前世と同じだ。
誰かのために。
皆のために。
そう言いながら、
自分を押し殺す。
もう、それはやめる。
真姫はゼロ番へ立った。
「じゃあ――まず私が、ちゃんと輝きます」
一瞬の沈黙。
「やっと言った!」
「遅い!」
「姫様覚醒!」
「だから姫様じゃない!」
笑い声が響く。
音楽が始まる。
◇
ゼロ番。
もう、怖いだけの場所ではない。
ここには、光が集まる。
なら。
その光から逃げない。
ちゃんと浴びる。
ちゃんと輝く。
そして――。
隣へ渡す。
一人へ。
また一人へ。
選抜の6人へ。
いつか、ここにはいない9人へも。
自分が輝く。
その光で、隣の誰かを照らす。
照らされた誰かが、
また次の誰かを照らす。
十五人へ光がつながっていく。
それが――
私のセンターだ。
曲の最後。
真姫は顔を上げた。
鏡の中。
一瞬だけ、前世の光景が重なる。
プリンセスと十五人。
けれど。
今度は、一人の姫を十五人が支えているのではない。
十六人が並んでいた。
同じ場所で。
同じ光を浴びて。
真姫は笑った。
――これでいい。
その瞬間。
ピシッ。
鏡の奥で、
何かが割れた。
真姫には聞こえなかった。
◇
同じ頃。
別の場所で。
一人の少女が突然、胸を押さえた。
「……っ!」
息ができない。
頭の奥へ、知らないはずの光景が流れ込んでくる。
いや。
違う。
知っている。
これは――。
「……思い出した」
燃え上がる王宮。
崩れる柱。
逃げ惑う人々。
十五人の叫び。
そして。
その中央に、一人のプリンセスが立っている。
頭には王冠。
――姫様!
誰かが叫んでいる。
――姫様、王冠を外して!
――それを被ったままでは……!
プリンセスは泣いていた。
「いや……」
「違う……」
「私じゃない……」
王冠から黒い光が溢れる。
地面を走り、
壁を砕き、
炎が上がる。
王国を焼いていたのは――敵ではなかった。
王冠だった。
少女の身体が震える。
「王国が滅びたのは……」
涙が落ちる。
「敵のせいじゃない」
“孤独な王冠”。
それは、孤独を表す言葉ではなかった。
本当に存在していた。
そして――。
もう一つ。
記憶が蘇る。
炎の中。
一人の少女がプリンセスへ走っている。
――姫様!
王冠を外そうと、手を伸ばす。
あと少し。
その瞬間。
黒い光が少女の胸を貫いた。
「……っ!」
現実へ引き戻される。
少女は胸を押さえたまま、震える手でスマートフォンを掴んだ。
画面を開く。
そこにある名前。
――蒼井真姫。
伝えなければ。
あの王冠のことを。
王国が滅びた、本当の理由を。
指を動かす。
けれど。
止まった。
もし。
あの王冠が――。
今も真姫の中にあるのなら。
少女は長い間、画面を見つめた。
そして。
「……まだ言えない」
静かに画面を閉じた。
◇
何も知らない真姫は、
レッスンルームの鏡の前に立っていた。
誰もいない。
少しだけ残って、一人で振付を確認していた。
最後のポーズ。
鏡を見る。
汗だくの自分。
髪も少し乱れている。
完璧なプリンセスには、ほど遠い。
でも。
真姫は笑った。
「……こっちのほうが好きかも」
王冠のない自分。
選ばれたから立つのではない。
誰かに与えられたからでもない。
自分で選んで、
ゼロ番に立つ。
自分が輝いて。
みんなを照らす。
――そのはずだった。
真姫が鏡から離れる。
一歩。
二歩。
三歩。
けれど――。
鏡の中の真姫だけが、
動かなかった。
真姫は気づかない。
鏡の中に残された少女が、
ゆっくりと顔を上げる。
笑う。
真姫と同じ顔で。
けれど。
その頭には――
黒い王冠が浮かんでいた。
王冠から、
黒い光が一筋こぼれる。
まるで。
真姫が十五人へ渡そうとした光を、
すべて飲み込もうとするように。
――孤独な王冠は、まだ消えていない。




