第六章 プリンセス、ゼロ番に立つ
「蒼井真姫。あなたが今回のセンターです」
その言葉が、まだ頭から離れない。
センター。
私が。
発表が終わっても、15人は笑ってくれた。
「真姫、おめでとう!」
「絶対似合う!」
「……ありがとう」
嬉しかった。
本当に。
それでも真姫は見てしまった。
一人の少女が、ほんの一瞬だけ唇を噛んだことを。
『めちゃくちゃ入りたい』
そう言っていた子だった。
選抜に。
もっと前に。
誰よりも、そこに立ちたい。
その気持ちを知っているから――胸が痛んだ。
◇
帰り道、スタッフから新曲の資料が届いた。
タイトル。
歌詞。
仮音源。
フォーメーション。
ファイルを開く。
7つの名前。
その中央――ゼロ番。
"蒼井真姫"
「……重い」
思わず呟いた。
前世の王冠も、こんなに重かったのだろうか。
◇
翌日。
選抜7人だけのレッスンが始まった。
「真姫、ここね」
「はい」
床に貼られたゼロ番へ立つ。
鏡を見る。
中央に自分。
その後ろに6人。
――そして、ここにはいない9人。
その瞬間、王宮の記憶が重なった。
中央に立つプリンセス。
少し離れた場所にいる十五人。
――孤独な王冠。
「真姫?」
「はい!」
音楽が始まる。
間違える。
「ごめんなさい!」
最初から。
また間違える。
「ごめんなさい!」
「真姫、硬いよ。もっと堂々として」
「はい」
堂々と。
センターらしく。
しっかりしなきゃ。
私が間違えれば、6人を止める。
私が失敗すれば、この曲まで失敗する。
選ばれなかった9人の分まで。
15人の想いまで。
私が。
私が。
私が――。
◇
「真姫、大丈夫?」
休憩中、声をかけられた。
「大丈夫」
即答して、笑った。
その瞬間、胸の奥が冷たくなった。
知っている。
この笑顔。
前世の自分が何度も浮かべていた――完璧な笑顔だ。
それから真姫は、さらに練習した。
誰より早く来る。
誰より遅く帰る。
動画を繰り返し見る。
歌詞を覚える。
表情を研究する。
もっと。
もっと。
もっと。
センターなんだから。
期待に応えなければ。
完璧に。
◇
「違う」
ある日、スタッフが音楽を止めた。
「真姫。上手くなってる。でも――つまらない」
胸を刺された。
「……え?」
「間違えないことしか考えてない。センターが一番縮こまってどうするの」
「……すみません」
「謝ってほしいんじゃない」
音楽が再び流れる。
けれど、身体が動かなかった。
◇
レッスン後。
真姫は一人、ゼロ番に立っていた。
「センターって……何?」
鏡は答えない。
「私より歌が上手い子、いるじゃん」
声が震える。
「ダンスが上手い子も、面白い子も、もっと前に立ちたい子だっている」
なのに。
「なんで私なの?」
初めて口にした。
「私じゃなくても、よかったんじゃないの?」
「それ、本気で言ってる?」
振り返る。
入口に、あの少女がいた。
選抜発表で唇を噛んだ子。
「……聞いてたの?」
「聞こえた」
少女は真姫の隣へ立った。
「私ね、センターやりたかった」
胸が痛む。
「……知ってる」
「めちゃくちゃ悔しかった。真姫って呼ばれた瞬間、なんで私じゃないのって思った」
「ごめ――」
「謝ったら怒るよ」
少女の目に涙が浮かぶ。
「私が欲しかった場所なの」
「……うん」
「だから、そこで『私じゃなくてもいい』なんて言わないで」
真姫は何も言えなかった。
「それ言われたら、私の悔しさまで無駄になるじゃん」
涙が落ちる。
真姫の目からも、涙がこぼれた。
「……怖いの」
ようやく言えた。
「みんなの努力も、悩みも、夢も知ってるから。私が選ばれたことで、誰かが選ばれなかったって思うと……」
「真姫」
「嬉しいのに、喜んじゃいけない気がする」
少女は真っ直ぐ真姫を見た。
「それ、優しさじゃないよ」
「え?」
「私たちのこと、勝手にかわいそうにしないで」
胸に刺さった。
「選ばれなかったからって、終わったわけじゃない。悔しい。でも、それは私の気持ち」
少女は自分の胸を指した。
「真姫が背負うものじゃない」
「……うん」
「真姫って、みんなのこと見てるじゃん」
「うん」
「でも最近、見すぎ」
「え?」
「私たちの顔色ばっかり見てる」
そして鏡の中の真姫を指した。
「センターなんだから――少しくらい、自分のこと見なよ」
◇
その夜。
真姫は夢を見た。
王宮の戴冠式。
高い天井。
眩しいシャンデリア。
左右に並ぶ、大勢の大人たち。
その中央に、幼い自分がいた。
まだ小さな頭へ、王冠が載せられる。
「……重い」
小さな声だった。
けれど、誰もその言葉を拾わない。
「その重さこそ、民の期待でございます」
「姫様は皆の期待を背負うお方」
「弱音を吐いてはなりません」
「はい」
「常に美しく」
「はい」
「常に正しく」
「はい」
「皆のために」
幼い真姫は、一瞬だけ俯いた。
それでも、すぐに顔を上げる。
そして――笑った。
「……はい」
真姫は息を呑んだ。
知っている。
その笑顔。
レッスン場で「大丈夫」と答えたときの、自分と同じ笑顔だった。
王冠が、少しずつ大きくなる。
重くなる。
幼い身体が沈んでいく。
それでもプリンセスは笑っている。
「待って!」
真姫は駆け出した。
大人たちの間を抜ける。
「もういい!」
幼い自分の前へしゃがみ込み、王冠に手をかけた。
重い。
想像していたより、ずっと重い。
「……こんなの」
両手で持ち上げようとする。
腕が震える。
それでも、ほんの少しだけ王冠が浮いた。
その瞬間。
幼いプリンセスの肩から、力が抜けた。
「……あ」
初めて、その顔から笑顔が消えた。
真希は王冠を支えながら、幼い自分を見る。
「一人で持たなくていいんだよ」
プリンセスは、不思議そうに真姫を見つめた。
「でも……」
小さな手が、王冠に触れる。
「私がやらなきゃ」
真姫は答えられなかった。
だって。
ずっと、自分もそう思っていた。
センターなんだから。
選ばれたんだから。
期待されているんだから。
――私がやらなきゃ。
「……そっか」
真姫は小さく笑った。
「私たち、ずっと同じことしてたんだね」
幼い自分の瞳が揺れる。
「ねえ」
真姫は王冠を支えたまま言った。
「重かった?」
長い沈黙。
やがて。
幼いプリンセスの唇が震えた。
「……うん」
それだけだった。
「怖かった?」
涙が、一粒落ちた。
「……うん」
初めて聞いた。
前世の自分の弱音。
真姫の目からも、涙がこぼれた。
「私も」
王冠を床へ置く。
ゴトン、と重い音が王宮に響いた。
大人たちがざわめく。
けれど、もう振り返らなかった。
真姫は幼い自分を抱きしめる。
「私も怖いよ」
小さな腕が、恐る恐る真姫の背中へ回る。
その瞬間。
王冠だけが床に残り、
王宮が光の中へ溶けていった。
◇
朝。
枕は濡れていた。
でも、胸は少し軽かった。
スマートフォンを見る。
16人のグループチャット。
『今日朝練する人ー?』
『行く!』
『起きれたら』
『それ来ないやつ』
真姫は少し迷ってから打った。
『私も行く。振付で分からないところあるから、誰か教えて』
すぐに返信。
『珍しい』
『姫様が頼ってきた』
『任せろり』
真姫は笑った。
「……頼っていいんだ」
◇
レッスン。
再びゼロ番へ立つ。
今度は、6人を振り返った。
「ねえ。最初のところ、まだ不安」
「知ってる」
「知ってるの!?」
笑いが起きる。
「一回合わせよ」
7人で確認する。
誰かが腕の角度を直す。
誰かがタイミングを教える。
「そこ、真姫っぽくない」
「私っぽいって何?」
「それを探すのがセンターでしょ」
また笑う。
音楽が流れた。
真姫は初めて、ゼロ番から6人を見る。
自分の後ろにいる人たちではない。
一緒に、この曲を作る仲間として。
◇
「今日、良かったよ」
レッスン後、スタッフが言った。
「本当ですか?」
「うん」
「昨日より間違えましたけど」
「知ってる」
「そこは見逃してください」
スタッフが笑った。
「でも昨日より、センターだった」
真姫はゼロ番を見る。
私より歌が上手い子がいる。
ダンスが上手い子もいる。
話すのが上手い子もいる。
私よりセンターになりたかった子もいる。
それでも――選ばれたのは私だ。
なら。
逃げない。
譲らない。
でも、一人で背負わない。
前世では、生まれた瞬間から与えられた王冠。
今世では、自分の意思で立つゼロ番。
「……やってみよう」
鏡の中に、一瞬だけ前世の自分が現れた。
王冠は頭にない。
両手で抱え、真姫へ差し出している。
――今度は、自分で選んで。
そう言っているようだった。
真姫は笑った。
センターになれたことを、初めて素直に嬉しいと思えた。
◇
その日の帰り。
廊下の向こうから、歌声が聞こえた。
聞き覚えのある声。
レッスン場で「歌しかない」と言っていた少女だった。
けれど――今日は選抜レッスンの日。
真姫は足を止めた。
扉の小窓から覗く。
少女は一人で歌っていた。
その隣では、別のメンバーが振付を練習している。
さらに奥には、鏡へ向かう子。
九人。
選ばれなかった9人が、それぞれ練習していた。
誰も、終わってなんかいなかった。
真姫は思わず笑う。
――そうだ。
かわいそうなんかじゃない。
みんな、まだ戦ってる。
そう思った、そのとき。
スタッフの声が聞こえた。
「9人は次のイベント、別楽曲で出演する予定だから」
「はい!」
明るい返事。
真姫は安心しかけた。
けれど、続く言葉に足が止まる。
「ただし、全員が出られるとは限らない」
空気が変わった。
「詳細は後日発表します」
9人は黙った。
真姫も動けなかった。
選ばれた7人。
選ばれなかった9人。
でも――。
選ばれなかった側にも、さらに次の「選ばれる」がある。
アイドルになるまで、選ばれた。
16人になって、また選ばれた。
そして今、7人が選ばれた。
その先でも。
また誰かが選ばれ、誰かが選ばれない。
――いつまで続くんだろう。
真姫は、ゼロ番の感触を思い出した。
王冠を外しただけでは、
この世界から「選ばれる」という仕組みは消えない。
なら、自分はどうする?
センターとして。
選ばれた7人の一人として。
そして――15人の仲間として。
答えは、まだない。
ただ一つだけ分かっていた。
前世では、選ばれることを疑わなかった。
今世では――
選ばれることの痛みを、もう知ってしまった。
そしてその痛みは、
これからの16人を大きく変えていくことになる。




