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第四章 愛されたプリンセス、でも一人だった

「真姫、これ食べる?」


目の前に小さな袋が差し出された。


「何?」


「グミ」


「食べる」


真姫が一つ取ろうとすると、


「あ、それ最後の一個」


手が止まる。


「……じゃあ、いいよ」


「嘘。まだある」


「もう!」


笑い声が上がる。


レッスン開始まで、あと十五分。


床でお菓子を食べる子。

鏡の前で髪を直す子。

振付を確認する子。

一台のスマートフォンを囲んで笑う子。


いつものレッスンルーム。

いつもの15人。


真姫は青いグミを口に入れながら、その光景を眺めた。


最近、こういう時間が妙に好きだった。


何か特別なことをしているわけではない。


ただ、同じ部屋にいる。


それだけなのに。


「真姫ー! 写真撮ろ!」


「今?」


「今!」


「髪ボサボサなんだけど」


「大丈夫、姫だから」


「関係ないでしょ!」


強引に肩を組まれる。


「私も!」


「じゃあ私も!」


気づけば16人全員が、一つの画面に収まろうとしていた。


「真姫もっと真ん中!」


「なんで私!?」


「姫だから!」


「だから姫じゃないって!」


シャッター音。


確認すると、一人の顔が半分切れていた。


「もう一回!」


「狭いって!」


笑い声。


綺麗でもない。

完璧でもない。


でも真姫は、その写真をすぐに保存した。


     ◇


その夜。


また夢を見た。


大勢の人々。


美しい宮殿。


王冠を戴いた自分。


以前と同じ景色。


けれど今回は、一つだけ違って見えた。


――誰も、自由に笑っていない。


     ◇


朝。


目を覚ました真姫の頬には、涙が伝っていた。


「……まただ」


前世の記憶が戻るほど、一つの疑問が大きくなる。


前世の私は、本当に幸せだったのだろうか。


     ◇


その日のレッスン。


振付確認の途中、一人が何度も同じ場所を間違えた。


「ごめん!」


「大丈夫!」


「もう一回やろ!」


音楽が流れる。


また間違える。


「あー! 本当にごめん!」


真姫が笑った。


「じゃあ、そこだけ一緒にやろう」


「いいの?」


「私も確認したいし」


本当は、もう覚えていた。


でも言わない。


二人で繰り返していると、別の子も入ってきた。


「そこ、肩から入るとやりやすいよ」


「私もそこ苦手!」


「じゃあ全員でやろうよ」


いつの間にか、16人で同じ振付を繰り返していた。


誰かが間違える。


笑う。


またやる。


また間違える。


また笑う。


真姫はふと思った。


前世では、失敗は隠すものだった。


今は――失敗すると、誰かが隣に来る。


それが少し、不思議だった。


そして、とても嬉しかった。


     ◇


レッスン後。


一人のメンバーが真姫を呼び止めた。


「ちょっといい?」


いつもより表情が硬い。


二人で廊下へ出る。


「どうしたの?」


少女は少し迷ってから言った。


「……夢、見た」


真姫の表情が変わる。


「どんな?」


「お城」


やっぱり。


「私、剣を持ってた」


夢の中で、


『姫様、逃げて』


と叫んでいた少女。


「真姫もいた」


「……私?」


「うん。泣いてた」


胸が痛む。


「何があったの?」


「分からない。でも……」


少女は自分の手を見る。


「私、真姫を守れなかった」


「え?」


「そんな気がする。夢なのに……なんでこんな悲しいんだろ」


声が震えていた。


真姫は何も言えなかった。


だから、その手を握った。


「真姫?」


「分からないなら、今は分からなくていいよ」


「でも……」


「私、ここにいるし」


真姫は笑った。


「今は、同じアイドルでしょ?」


少女も、ようやく笑う。


「……姫様じゃなくて?」


「それ言ったら怒るよ」


     ◇


その夜。


真姫は再び宮殿にいた。


今度は、少し離れた場所から前世の自分を見ている。


大広間。


青いドレス。


王冠。


完璧な笑顔。


大勢の人に囲まれたプリンセス。


その後ろに、若い騎士が立っていた。


今日、夢の話をした少女と同じ顔。


「いた……!」


騎士はプリンセスを見つめている。


何かを言いたそうに。


「話しかけて」


真姫は呟く。


「私に話しかけてよ」


宴が終わる。


「姫様」


ようやく騎士が声をかけた。


プリンセスが振り返る。


「何でしょう?」


丁寧で、美しい、よそ行きの声。


「……いえ」


騎士は頭を下げた。


「お休みなさいませ」


「ええ。あなたも」


それだけ。


「待って!」


真姫は叫ぶ。


「違うでしょ! もっと話してよ!」


二人は離れていく。


今の真姫なら分かる。


あの騎士は、話したかった。


でも――前世の自分は気づかなかった。


いや。


気づくことを、知らなかった。


     ◇


記憶が切り替わる。


幼いプリンセスが泣いている。


「姫様、いけません」


侍女が涙を拭く。


「……何が?」


「国民の前で涙を見せてはなりません」


次の記憶。


転んだプリンセスを、大勢の大人が取り囲む。


「このことは皆様には内密に」


次。


「今日、行きたくない」


「何をおっしゃいます。皆様が姫様をお待ちです」


「……はい」


幼い少女は、笑顔を作った。


『美しい姫君だ』


『我が国の誇り』


『完璧なプリンセス』


『美の女神』


褒められるたび、彼女は笑った。


そうすれば、みんなが喜んだから。


そして真姫は、ようやく理解した。


前世の自分は、愛されていなかったわけではない。


むしろ――愛されすぎていた。


ただし、愛されていたのは、


「プリンセスとしての自分」。


美しい姫。


優しい姫。


泣かない姫。


弱音を吐かない姫。


完璧な姫。


期待されるたび、その期待に応えた。


そしていつしか、誰かと対等に話す方法を忘れてしまった。


     ◇


十五人が見える。


騎士。


楽師。


侍女。


学者。


料理人。


庭師。


宮殿のあちこちで、何度もプリンセスの人生と交差している。


なのに。


誰一人、彼女の隣にはいなかった。


「こんなに近くにいたのに……」


大きな城。


何百もの部屋。


何千、何万という国民。


それでも。


友達と呼べる人は、一人もいなかった。


「私……」


真姫は過去の自分を見つめる。


「一人だったんだ」


     ◇


朝。


スマートフォンが震えた。


グループチャット。


『今日集合何時だっけ?』


『昨日言ってたじゃん』


『忘れた』


『姫様教えて』


『なんで私』


真姫は思わず笑った。


『10時』


すぐに『さす姫』というスタンプが返ってくる。


「もう……」


その瞬間、気づいた。


前世にはなかったもの。


用件のない会話。


意味のない写真。


変なスタンプ。


お菓子の取り合い。


失敗して一緒に笑うこと。


「疲れた」と言えること。


「無理」と言えること。


泣いたとき、誰かが隣にいてくれること。


「……友達」


口にすると、少し照れくさい。


いや。


それだけじゃない。


同じ夢を追い、同じステージに立つ仲間。


時には、同じ場所を奪い合う相手でもある。


それでも――一緒にいたい人たち。


真姫は昨日の写真を開いた。


16人が無理やり画面に入り、一人の顔が半分切れている。


前世なら、絶対に残されなかった写真。


でも。


「こっちのほうが好き」


     ◇


その日のレッスン。


「真姫、昨日の写真送って!」


「いいよ」


「私、顔半分しかないんだけど!」


「それは知らない」


「撮り直そ!」


再び15人が集まってくる。


「真姫、真ん中!」


「だからなんで私!?」


「姫だから!」


「もう!」


全員で無理やり身体を寄せる。


「近い近い!」


「もっと寄って!」


「押さないで!」


シャッター音。


今度は16人全員が写った。


「いいじゃん!」


「真姫、めっちゃ笑ってる」


「え?」


画面を見る。


本当だった。


口を大きく開け、目を細めた、上品でも完璧でもない笑顔。


王宮の記憶にある、どの笑顔とも違う。


でも――。


真姫は、その顔が一番好きだった。


前世では、たった一人のプリンセス。


誰よりも愛されていた。


でも、一人だった。


今世では、まだ何者でもない新人アイドル。


歌も、ダンスも、人気も、一番ではない。


それでも――隣には15人がいる。


もし転生したことに意味があるのなら。


もう一度プリンセスになるためじゃない。


前世で持てなかったものを、今度こそ手に入れるためなのかもしれない。


誰かの上に立つのではなく、隣に立つ。


愛されるだけではなく、誰かを愛する。


一人で輝くのではなく――一緒に輝く。


「真姫ー! レッスン始まるよ!」


「今行く!」


真姫は15人のもとへ走った。


その背中に、もう王冠はなかった。


     ◇


その夜。


別の場所で、一人の少女が夢を見ていた。


手には、古びた一冊の本。


開かれたページには、こう記されている。


――王国が滅びる夜、十六の魂は再び巡り会う。


少女は息を呑む。


そして、その続きを読んだ。


――ただし、姫君が再び“孤独な王冠”を選ぶなら、運命は繰り返される。


少女は目を覚ました。


「……孤独な王冠?」


同じ頃。


何も知らない真姫のスマートフォンが震えた。


スタッフからの連絡だった。


『次回作の選抜メンバーについて、近日中に発表します』


16人にとって初めての――


「選ばれる者」と「選ばれない者」が、


生まれようとしていた。

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