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第三章 プリンセス、現代アイドルに苦戦する

「では、蒼井真姫さん。お願いします」


「はい」


真姫は椅子から立ち上がった。


背筋を伸ばし、顎を引く。

両手を身体の前で重ね、一歩前へ。


「本日はこのような素晴らしき場を賜り、心より――」


「ストップ!」


「……はい?」


スタッフが苦笑する。


「真姫、自己紹介だよね?」


「はい」


「もっと普通でいいよ」


「普通……」


今日はデビュー後、初めての公式プロフィール動画撮影。


一人三十秒の自己紹介だ。


真姫は気を取り直してカメラを見る。


「Rain Crownの蒼井真姫です。本日は皆様にお目にかかれましたこと、大変嬉しく――」


「姫!」


後ろから声が飛んだ。


メンバーたちが笑っている。


「だから姫じゃないって!」


「完全に姫の挨拶だった!」


「国民に向けて話してる?」


「ファンです!」


控室が笑いに包まれる。


前世がプリンセスだったと分かってから数日。


困ったことが起きていた。


前世の記憶が、妙なところで今世に混ざるようになったのだ。


     ◇


たとえば、お辞儀。


「もっと軽い感じで大丈夫」


と言われても、身体が勝手に完璧な礼をする。


衣装合わせでは、


「このドレス、どう?」


と聞かれて、


「素敵です。ただ、この刺繍なら裾に銀糸を――」


と言いかけて止まった。


なぜ分かるのか、自分でも分からない。


ティアラを載せられれば、


「急に馴染んだ!」


とスタッフが騒ぐ。


ライブではさらにひどかった。


「次の曲、もっと盛り上がれますかー!」


ここまではよかった。


「皆の者――!」


客席が一瞬静まった。


真姫自身も固まる。


「……じゃなくて、みんなー!」


大歓声。


ステージを降りると、15人が待ち構えていた。


「皆の者!」


「やめて!」


「姫様、本日のライブはいかがでしたか?」


「もう!」


前世が分かったところで、魔法が使えるわけではない。


歌もダンスも上手くならない。


むしろ、現代では使い道のない能力ばかりだった。


「プリンセスって、アイドルには意外と使えない……」


真姫は本気で悩み始めていた。


     ◇


そんなある日。


16人に初めての特典会が告げられた。


ファンと一対一で話す。


時間は、ほんの十数秒。


その短い時間で、


「また会いたい」


と思ってもらわなければならない。


ステージとは違う。


目の前にいるのは、たった一人。


最初のファンがやってきた。


「真姫ちゃん、初めまして!」


「初めまして」


真姫は自然と背筋を伸ばす。


「本日は私のところへお越しいただき――」


途中で止まった。


「……違う!」


「え?」


「ごめんなさい。今の忘れてください」


ファンが笑った。


「姫っぽくて好きだけど」


「本当にやめてください!」


二人で笑う。


その瞬間、緊張がほどけた。


「でも、来てくれて本当にありがとう」


今度は自然に言えた。


「また来るね」


「うん。待ってるね」


たった十数秒。


なのに不思議だった。


ステージから見る何百人より、目の前の一人の笑顔がずっと近く感じられた。


     ◇


何人目かのファンは、ひどく緊張していた。


「初めまして」


「……初めまして」


目も合わせてくれない。


会話が続かないまま、残り時間が減っていく。


何か話さなきゃ。


でも、無理に盛り上げるのも違う気がした。


ふと、相手の手元を見る。


小さなライトブルーのアクセサリー。


「それ、綺麗ですね」


「え?」


「その色。私、好きです」


ファンが初めて顔を上げた。


「真姫ちゃんの色かなって思って、今日つけてきました」


「……私のために?」


「はい」


真姫は思わず笑った。


「嬉しい」


それだけ。


でも、心から出た言葉だった。


相手も照れたように笑う。


「また来てもいい?」


「もちろん!」


真姫は頷いた。


「次は、もう少しゆっくりお話ししましょう」


その人は何度も振り返りながら帰っていった。


休憩に入ると、隣のメンバーが言った。


「真姫、すごいね」


「何が?」


「さっきの人。最初すごく緊張してたのに、帰るとき笑ってた」


「私は何もしてないよ」


「そういうところじゃない?」


「どういうところ?」


「真姫って、よく見てるじゃん」


その言葉が胸に残った。


――よく見ている。


そういえば、レッスンでもそうだった。


元気がない子。


振付に悩んでいる子。


いつもより口数が少ない子。


髪型を変えた子。


新しい靴を履いてきた子。


真姫は、なぜかすぐ気づく。


でも。


それは普通のことだと思っていた。


     ◇


その日の帰り。


一人のメンバーが、レッスンルームに残っていた。


鏡の前に座り込んでいる。


「帰らないの?」


「……真姫こそ」


「忘れ物」


嘘だった。


気になって戻ってきたのだ。


真姫は隣に座った。


「今日、楽しくなかった?」


「楽しかったよ」


「そっか」


それ以上は聞かなかった。


やがて、少女がぽつりと言った。


「私のところ、あんまり人来なかった」


真姫は黙って聞く。


「みんなにはいっぱい来てたのに」


少女は笑おうとした。


でも、笑えていなかった。


「私って……必要なのかな」


「必要だよ」


そう言うだけなら簡単だ。


でも、それでは届かない気がした。


真姫は少し考える。


「今日、私のところに来てくれた人がね」


「うん」


「あなたの話してたよ」


「私の?」


「この前のライブで、表情がすごく良かったって」


少女が顔を上げる。


「……本当に?」


「うん。だから私も見てみたの」


「何を?」


「あなたの表情」


真姫は笑った。


「本当に良かった」


「……何それ」


「だって本当だもん」


少女の目から涙が落ちた。


「泣かせるつもりじゃなかったんだけど」


「真姫のせいだからね」


「ごめん」


「そこ謝るんだ」


二人で笑った。


その瞬間。


真姫の視界が揺れた。


     ◇


白い宮殿。


夜の中庭。


一人の少女が泣いている。


今、隣にいる彼女と同じ顔。


その手には、白い花。


真姫が近づこうとする。


しかし――。


プリンセスだった自分は、彼女の横を通り過ぎた。


「……え?」


映像が消える。


「真姫?」


「……ううん」


胸が痛んだ。


前世でも、この子に会っていた。


なのに。


私は――立ち止まらなかった。


     ◇


その夜。


真姫は夢の中で宮殿を歩いた。


大広間では宴が開かれている。


中央にいるのは、プリンセスだった自分。


美しいドレス。


完璧な笑顔。


「姫様」


「姫様」


「姫様」


誰もが自分を見ている。


そして部屋の隅には――十五人。


剣を持つ者。


楽器を奏でる者。


花を抱える者。


本を持つ者。


それぞれ違う場所にいた。


なのに。


前世の自分は、誰一人見ていない。


「待って」


真姫は叫ぶ。


「そこにいるじゃん」


声は届かない。


「なんで見ないの?」


プリンセスは笑っている。


国民へ。


貴族へ。


王族へ。


誰からも愛されるために。


完璧に。


美しく。


でも――十五人のことだけは、見ていなかった。


     ◇


目を覚ました真姫は、天井を見つめた。


「……そっか」


少しだけ分かった気がした。


前世の自分は――見られる人だった。


誰よりも注目され、愛され、いつも世界の中心にいた。


だから、自分から誰かを見ることを知らなかった。


でも、今は違う。


16人のアイドルグループ。


歌が上手い子。


ダンスが上手い子。


話すのが得意な子。


まだ、自分の魅力に気づいていない子。


真姫は思う。


私は、歌で一番じゃない。


ダンスで一番でもない。


トークだって得意じゃない。


でも。


誰かの魅力を見つけることなら、できるかもしれない。


「……悪くないかも」


少しだけ笑った。


     ◇


数日後。


16人での取材。


記者が尋ねた。


「蒼井さんから見て、Rain Crownはどんなグループですか?」


真姫は15人を見る。


「歌を聴いてほしい子がいます」


一人を見る。


「ダンスを見てほしい子もいます」


また一人。


「すごく面白い子もいるし、周りを明るくしてくれる子もいます。負けず嫌いだけど誰より努力する子も、普段は静かなのにステージでは別人みたいになる子もいて……」


気づけば、楽しそうに話していた。


記者が笑う。


「蒼井さん、本当にメンバーのことをよく見ていますね」


また、その言葉。


真姫は少し照れた。


「……好きなので」


「メンバーが?」


「はい」


15人を見る。


「みんな、全然違うところが面白いんです」


すると隣から声が飛んだ。


「姫様に褒められた!」


「だから姫様じゃないって!」


笑いが広がった。


     ◇


その夜。


真姫は鏡の前に立った。


王冠もない。


ドレスもない。


ただの新人アイドル。


前世では、自分が輝くことを求められた。


美しく。


完璧に。


誰よりも愛される存在として。


でも今世では――違う生き方ができる。


自分だけが輝くのではなく、


隣にいる誰かの光を見つける。


そして、その光を誰かに伝える。


「それも……アイドルなのかな」


鏡の中の自分が微笑む。


一瞬だけ、王冠を戴いたプリンセスが重なった。


けれど今度の彼女は、真姫を見ていなかった。


視線の先にいたのは――十五人の少女たち。


プリンセスは、微笑んでいた。


     ◇


同じ夜。


別の場所で、一人の少女が夢を見ていた。


燃え落ちる城。


手には剣。


炎の向こうには、泣いているプリンセス。


――姫様、逃げて!


少女は叫びながら目を覚ました。


荒い息。


震える手。


そして無意識に、その名を口にする。


「……真姫」


一人だけではなかった。


十五人の前世もまた――


静かに動き始めていた。

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