第二章 私、前世プリンセスだったみたい
デビューライブが終わった。
「ありがとうございました!」
最後の挨拶を終え、16人がステージを降りる。
幕の向こうでは、まだ拍手が鳴り続けていた。
「終わったぁぁぁ!」
控室に戻った瞬間、誰かが床に座り込む。
「足、もう動かない!」
「私、途中で振り飛んだ!」
「知ってる。隣でめっちゃ焦ってたもん」
「言わないでよ!」
張りつめていた糸が切れたように、笑い声が広がった。
泣いている子。
鏡の前で前髪を直す子。
もうお菓子を食べている子。
真姫も笑っていた。
間違えたところもある。
もっとできたと思うところもある。
それでも――もう一度、あそこに立ちたい。
そう思えた。
ただ、一つだけ。
どうしても頭から離れないものがあった。
ステージから客席を見た瞬間に現れた、あの景色。
石造りの街。
舞い散る花びら。
風になびく旗。
白い城。
そして――。
『姫様』
確かに、そう呼ばれた。
「真姫?」
「え?」
「さっきからボーッとしてるよ」
「あ……ごめん」
「疲れた?」
「たぶん」
真姫は笑って誤魔化した。
まさか、
「ステージで知らない王国が見えました」
なんて言えるはずがない。
「今日はちゃんと休みなよ」
「うん。ありがと」
けれど、その夜。
真姫は再び夢を見た。
◇
白い花びらが舞っている。
目の前には巨大な扉。
真姫が触れると、それは音もなく開いた。
その先に広がっていたのは、美しい宮殿だった。
白い柱。
高い天井。
壁を飾る絵画。
柔らかな陽光。
初めて見る場所。
――のはずだった。
「……知ってる」
この廊下を右へ曲がれば中庭。
階段の先には大広間。
左の小さな扉の奥には、幼い頃によく隠れた部屋がある。
足だけが記憶しているように、真姫は歩き出した。
すれ違う人々が次々と立ち止まり、頭を下げる。
「姫様」
「おはようございます、姫様」
「本日もお美しい」
真姫は足を止めた。
「……姫?」
自分を見る。
淡い水色のドレス。
胸元には白い花。
恐る恐る頭へ手を伸ばす。
冷たい金属の感触。
――王冠。
真姫は吸い寄せられるように、大きな鏡の前へ立った。
「……私だ」
そこには、今より少し幼い自分がいた。
以前、窓に映った少女。
あれは――自分だった。
次の瞬間、鏡の中の景色が揺れる。
花束を受け取る自分。
バルコニーから人々へ手を振る自分。
美しいドレスを着せてもらう自分。
記憶が次々と流れ込んでくる。
『なんと美しい姫君だ』
『我が国の誇りです』
『まるで美の女神だ』
『姫様!』
『姫様!』
大勢の人に愛され、その中心で微笑んでいる自分。
完璧なプリンセス。
なのに。
「……どうして?」
鏡の中の少女の瞳だけが、ひどく寂しそうだった。
真姫が手を伸ばす。
指先が鏡に触れた瞬間――世界が暗転した。
◇
雨が降っている。
鐘の音。
悲鳴。
「……え?」
城が燃えていた。
白い宮殿を、赤い炎が包んでいる。
人々が逃げ惑い、兵士たちが叫ぶ。
その中を、真姫は裸足で走っていた。
「待って!」
前方に、十五の影が見える。
「待って……!」
顔は見えない。
それでも分かった。
大切な人たち。
失いたくない人たち。
一人の影が振り返る。
――姫様。
「あなた……」
――必ず、おそばにおります。
胸が強く痛んだ。
知っている。
この声を知っている。
「待って!」
手を伸ばす。
――今度こそ。
別の声。
――あなたを、ひとりにはしない。
「誰なの!?」
十五の影が光に包まれていく。
真姫の指先が届く、その寸前。
すべてが消えた。
◇
「待って!」
真姫はベッドの上で飛び起きた。
肩で息をする。
額には汗。
頬には涙が伝っていた。
時計を見る。
午前四時三十分。
「……夢?」
部屋は静かだった。
けれど、覚えている。
宮殿の匂い。
石の床の冷たさ。
白い花。
王冠の重み。
炎の熱さ。
あまりにも鮮明だった。
そして突然。
頭の奥で、何かが弾けた。
父の顔。
母の声。
幼い頃に遊んだ中庭。
誕生日にもらった白い花。
民衆の歓声。
次々と蘇る、知らないはずの人生。
真姫は両手で顔を覆った。
「……嘘でしょ」
これは夢じゃない。
理由なんて説明できない。
それでも分かる。
全部――自分の記憶だ。
しばらく天井を見つめてから、真姫は呟いた。
「私……」
一度、息を吸う。
「前世、プリンセスだったみたい」
口にすると、とんでもなく胡散臭かった。
◇
翌日のレッスン。
「真姫、顔死んでない?」
「……おはよ」
「寝不足?」
「ほとんど寝てない」
「ダメじゃん!」
あっという間にメンバーたちに囲まれる。
いつもの15人。
けれど、真姫には昨日までと違って見えた。
夢の中にいた、十五の影。
――まさか。
「あのさ」
真姫が口を開く。
「ちょっと変な話していい?」
「なになに?」
15人の視線が集まった。
一瞬、後悔する。
普通に考えれば、絶対に言わないほうがいい。
前世。
プリンセス。
燃える城。
十五人の謎の人物。
どう考えても危ない人である。
でも。
なぜか、この15人には話さなければならない気がした。
「私……」
真姫は覚悟を決めた。
「前世、プリンセスだったみたい」
沈黙。
「…………」
長い。
「ごめん、忘れて!」
「待って待って!」
「急にどうしたの!?」
「昨日ステージで頭打った?」
「打ってない!」
「前世までビジュ強いのズルくない?」
「そこ!?」
笑いが起きた。
「でも真姫、めっちゃ姫っぽいよね」
「分かる」
「ドレス似合いそう」
「そういう問題じゃないから!」
真姫の顔が赤くなる。
やっぱり言うんじゃなかった。
そう思った、そのとき。
「……ねえ」
一人の声で、空気が変わった。
「その宮殿って、どんなところだった?」
「え?」
「夢で見たんでしょ?」
「うん。白い宮殿で……」
「中庭に、大きな噴水がなかった?」
真姫の笑顔が消えた。
「……あった」
誰も笑わなくなった。
「その周りに、白い花が咲いてた?」
「なんで知ってるの?」
「分かんない。でも……見たことある気がする」
「私も」
別の声が上がる。
「昨日から変なの」
「どういうこと?」
「真姫を見ると……守らなきゃって思う」
真姫の背筋がぞくりとした。
「私も変な夢、見た」
「どんな?」
「剣を持ってた。私が」
「剣……?」
真姫の脳裏に、鏡で見た光景が蘇る。
剣。
弓。
白い杖。
本。
花。
楽器。
そして、その中心にいた――自分。
「……ちょっと待って」
真姫は立ち上がった。
「私も見た」
「何を?」
15人を見回す。
「みんなを」
静まり返った。
「今の姿じゃない。別の姿のみんな」
誰も笑わない。
「昨日の夢にも十五人いた。顔は見えなかった。でも……」
胸に手を当てる。
「大切な人たちだって感じた」
口にした瞬間、泣きそうになった。
そのとき、レッスン開始を告げる音楽が流れる。
「はい、集合ー!」
スタッフの声。
16人は顔を見合わせた。
「……あとで話そう」
誰かが言う。
全員が頷いた。
◇
鏡の前に16人が並ぶ。
音楽が始まった。
昨日までと同じレッスンルーム。
昨日までと同じメンバー。
なのに、もう何もかもが違って見える。
真姫が鏡を見る。
その瞬間――。
頭上に王冠が現れた。
そして隣に並ぶ15人にも、別の姿が重なる。
剣。
弓。
杖。
本。
花。
楽器。
十五の姿。
十五の人生。
真姫は息を呑んだ。
まだ意味は分からない。
でも、一つだけ分かった。
これは――私一人の前世じゃない。
記憶の中で、自分はたくさんの人から愛されていた。
国民から讃えられ、「美の女神」とまで呼ばれていた。
なのに。
どれだけ記憶を辿っても――。
この15人と笑っている自分だけが、見つからない。
夢の中では、あんなにも大切な人たちだと感じたのに。
私は、この人たちと前世で何があったんだろう。
真姫は隣を見る。
必死に振付を確認している子。
鏡越しに笑っている子。
また間違えて悔しそうな子。
今世では、間違いなく仲間だ。
なら――前世では?
「はい、もう一回!」
音楽が止まる。
「はーい!」
いつもの声が響く。
真姫も笑った。
「はい!」
まだ誰も知らない。
なぜ16人が、もう一度同じ場所へ集まったのか。
燃え落ちた王国で、彼女たちが何を失ったのか。
そして――。
あの夜。
十五人が、一人のプリンセスと交わした約束を。
『今度こそ、あなたをひとりにはしない』
その約束が、
時を越えて16人を再び引き合わせたことを。




